国王リアは、国民皆から尊敬され、誰もが自らに服従する存在であって、歯向かう輩は唾棄すべき存在でしっぺ返しを受けて当然だとの天上天下唯我独尊を地で行く人物である。三人の娘への遺産相続にあたり、父親への濃厚だが表層的な愛情を口にする長女と次女を優遇する一方、遺産などには関心を示さず父親への一途な愛を語る三女からは相続権を剥奪するといった理不尽な対処をする。「結婚をしてしまえば、自分が注ぐ愛情の半分は夫に捧げざるを得ないので、姉上のように結婚などせずに父上お一人に全てをささげたい」との三女の科白を冷たいと見るリア国王は世間一般の常識が欠けているようだ。尊大な国王として、他人を思う優しさや機微の感情が欠けており、様々な場面における発言には常識的な不自然さが漂っている。
リア王は、血肉を分けた姉たちの心ない裏切り、自分には冷たく写る三女から受けた感情もあり気が狂いだす。そして最後に、「余計な物をすべての人間から剥がしてしまえば、あとに何が残るのか? 人間、外から付けた物を剝がしてしまえば、皆同じ哀れな神の二足獣に過ぎぬ」との科白が出てくる。国王や貴族も一皮むけば同じ生き物であり、生きる過程で身に付けた様々な虚飾に目を欺かれて周りの人たちの真実の姿に盲目だったとの反省と悟りの境地に辿り着く。
自分にとっての「リア王」は、日常生活においては虚飾に騙されず常に真実を求めて家族や友人等との互いの人生を豊かにしていくことの大切さを教えてくれる小説だ。
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リア王 (岩波文庫 赤 205-1) 文庫 – 2000/5/16
W. シェイクスピア
(著),
野島 秀勝
(翻訳)
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頑迷な老王の陥った壮大で残酷な悲劇.新訳
- 本の長さ350ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2000/5/16
- 寸法10.5 x 2.1 x 14.8 cm
- ISBN-10400322051X
- ISBN-13978-4003220511
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2000/5/16)
- 発売日 : 2000/5/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 350ページ
- ISBN-10 : 400322051X
- ISBN-13 : 978-4003220511
- 寸法 : 10.5 x 2.1 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 255,378位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 96位イギリス・アメリカの戯曲・シナリオ
- - 1,766位岩波文庫
- - 2,140位英米文学研究
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1564-1616)ストラトフォード・オン・エイヴォンに生る。20歳頃出郷、初めロンドンで役者、後に座付作者として活躍。『ロミオとジュリエット』をはじめ約37編の史劇・悲劇・喜劇を創作。詩作にも秀で、エリザベス朝ルネサンス文学の巨星となる。47歳で突如隠退、余生を故郷で送った。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年5月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2020年9月24日に日本でレビュー済み
シェイクスピアの戯曲の面白さは、ストーリー展開ではなくて、台詞まわしの面白さにあるのだと言った方は誰だったでしょうか……。この『リア王』もストーリーだけを見ると唐突で、敢えて言えば茶番でさえあるかもしれませんが、台詞の圧倒的な面白さで息つく暇を与えない見事さです。
実際、解説によると『原=リア王』という他人の手によるものがあるそうで、著作権の意識が希薄な時代ということと同時に、シェイクスピアにとっては言葉を充分に暴れまわらせる舞台さえあれば充分で、「物語」に対する思い入れは少なかったのでしょうか。
最近、以前読んだ福田恆存訳ではなく岩波文庫のもので読み直しているのにはそれほど深い理由はありません。ただ、例えばベートーヴェンの運命交響曲をカラヤンで聴いたりフルトヴェングラーで聴いたりすることで、多面的に「運命」が印象づけられることが期待できるように、違った訳者で味わってみるのも良いのではないかと思ったからです。
してみるとこのレビュー欄が、福田訳と野島訳のものが混在しているらしいのは、あまり良くないことのように思います。この状態は改善されるべきです。
なぜなら、どの訳者が優れているかなどということではなく、それぞれの訳者がシェイクスピアの天才にどう立ち向かったを比較してみることは(原典に触れなくても)日本語の効果的行使という点で、学ぶことが多いだろうからです。(従って10年以上前に読んだ福田訳も、再読してみたいと思っています。)
さて『リア王』の面白さは、狂気に陥ったリア王と、道化と、「哀れなトム」を演じるエドガーの、三者三様の台詞の競演にあります。そして人間の醜さと愚かさが、これでもかこれでもかと塗りたくられていく様子です。……しかし、ここまで登場人物が徹頭徹尾(一般的な意味で)不幸に陥るのも珍しい気もします。むしろ登場人物がどうのこうのではなく、人間関係の歯車のズレが巻き起こす、圧倒的に禍々しい荒波自体がこの劇の原動力であるかのようです。
訳者・野島秀勝による解説がまた非常に秀逸で、作品成立の背景などの紹介に留まらず、作品の真髄に迫ろうとする探究心のエネルギーが伝わってきます。それに触れると、訳文の随所からほとばしる力強さの由来もおおいに納得できました。
実際、解説によると『原=リア王』という他人の手によるものがあるそうで、著作権の意識が希薄な時代ということと同時に、シェイクスピアにとっては言葉を充分に暴れまわらせる舞台さえあれば充分で、「物語」に対する思い入れは少なかったのでしょうか。
最近、以前読んだ福田恆存訳ではなく岩波文庫のもので読み直しているのにはそれほど深い理由はありません。ただ、例えばベートーヴェンの運命交響曲をカラヤンで聴いたりフルトヴェングラーで聴いたりすることで、多面的に「運命」が印象づけられることが期待できるように、違った訳者で味わってみるのも良いのではないかと思ったからです。
してみるとこのレビュー欄が、福田訳と野島訳のものが混在しているらしいのは、あまり良くないことのように思います。この状態は改善されるべきです。
なぜなら、どの訳者が優れているかなどということではなく、それぞれの訳者がシェイクスピアの天才にどう立ち向かったを比較してみることは(原典に触れなくても)日本語の効果的行使という点で、学ぶことが多いだろうからです。(従って10年以上前に読んだ福田訳も、再読してみたいと思っています。)
さて『リア王』の面白さは、狂気に陥ったリア王と、道化と、「哀れなトム」を演じるエドガーの、三者三様の台詞の競演にあります。そして人間の醜さと愚かさが、これでもかこれでもかと塗りたくられていく様子です。……しかし、ここまで登場人物が徹頭徹尾(一般的な意味で)不幸に陥るのも珍しい気もします。むしろ登場人物がどうのこうのではなく、人間関係の歯車のズレが巻き起こす、圧倒的に禍々しい荒波自体がこの劇の原動力であるかのようです。
訳者・野島秀勝による解説がまた非常に秀逸で、作品成立の背景などの紹介に留まらず、作品の真髄に迫ろうとする探究心のエネルギーが伝わってきます。それに触れると、訳文の随所からほとばしる力強さの由来もおおいに納得できました。
2019年10月3日に日本でレビュー済み
翻訳の優劣は分かりませんが、紙媒体の岩波文庫版は以下の点で便利でした。
- 訳注が各ページの下部に記載されているので、注釈を見るためにページをめくる必要がほとんどない。
- 登場人物一覧が便利。登場人物が多く似た名前(○○公、○○伯など)が多いので区別がつきません。このため一覧は頻繁に参照しました。Kindleでページ間を移動するより、紙のほうが楽。
二つ目は、紙媒体ならどれも共通していると思います。
ただ一つ目は、結構重要でした。例えば、ある人物が王様気取りで王のみが使うことが許される一人称をつかったそうですが、日本語では「私」で同じです。このような点は注釈がないと分かりませんし、ページをめくる面倒を避けるのは、読書を妨げないので重要なポイントだと思います。
作品としての評価というよりは、一冊の本作りのうまさという点で星5つをつけたいと思います。
- 訳注が各ページの下部に記載されているので、注釈を見るためにページをめくる必要がほとんどない。
- 登場人物一覧が便利。登場人物が多く似た名前(○○公、○○伯など)が多いので区別がつきません。このため一覧は頻繁に参照しました。Kindleでページ間を移動するより、紙のほうが楽。
二つ目は、紙媒体ならどれも共通していると思います。
ただ一つ目は、結構重要でした。例えば、ある人物が王様気取りで王のみが使うことが許される一人称をつかったそうですが、日本語では「私」で同じです。このような点は注釈がないと分かりませんし、ページをめくる面倒を避けるのは、読書を妨げないので重要なポイントだと思います。
作品としての評価というよりは、一冊の本作りのうまさという点で星5つをつけたいと思います。
2019年9月22日に日本でレビュー済み
構成について述べたい。
今まで私は、『リア王』の筋とは、リア王が、三人の娘の真情を見抜けなかったが故に不幸な目にあう物語だと思っていた。しかし読み終えると、私の抱いていた知識はまったく違っていた。
リア王が「三人の娘のなかで自分に対する愛の最も深い者に、最大の贈り物を与える」と宣言するところから物語が始まる。しかし物語は、リア王、長女ゴネリルとその夫オルバニー公、次女リーガンとその夫コーンウォール公、リアの忠実な臣下ケント伯、同じく臣下のグロスター伯とその嫡子エドガー及び庶子エドマンド、ゴネリルの執事オズワルドなどの登場人物に、それぞれ同じ程度の焦点を当てながらテンポよく進んでいった。この構成が独創的なのである。一人の主人公の物語ではない。この作品には多様な物語が詰まっているのだ。そしてそれらが複雑に絡み合っている。このような構成こそ現代的と言うのではないか(もっとも私は素人の読者なので、ただカンで言っているだけだが)。極めて複雑な筋と数々の名文句、古今東西において最高の文学作品の一つと目されるだけのことある。
最近私は知人を亡くした。そこで、悪人エドマンドがすっかり改悛して死ぬゆくときのセリフ、
「すべては過ぎた事だ、おれもまた過ぎ去ろうとしている」(5幕3場)をその知人の言葉として、いや本当は未来の自分の言葉として考えたりした。
また同じく終了間際の、主君リア王が死にゆくときの忠臣ケントの次のセリフにも感動した。
「ああ! 安らかに逝かせて差し上げるのだ。この冷酷な現世の拷問台にこれ以上長く縛りつけておこうとするなら、陛下はきっとお憎みになる」
ところで私は、現世の拷問台にいましばらくはいることになろう(ここで笑ってくれたでしょうか)。
今まで私は、『リア王』の筋とは、リア王が、三人の娘の真情を見抜けなかったが故に不幸な目にあう物語だと思っていた。しかし読み終えると、私の抱いていた知識はまったく違っていた。
リア王が「三人の娘のなかで自分に対する愛の最も深い者に、最大の贈り物を与える」と宣言するところから物語が始まる。しかし物語は、リア王、長女ゴネリルとその夫オルバニー公、次女リーガンとその夫コーンウォール公、リアの忠実な臣下ケント伯、同じく臣下のグロスター伯とその嫡子エドガー及び庶子エドマンド、ゴネリルの執事オズワルドなどの登場人物に、それぞれ同じ程度の焦点を当てながらテンポよく進んでいった。この構成が独創的なのである。一人の主人公の物語ではない。この作品には多様な物語が詰まっているのだ。そしてそれらが複雑に絡み合っている。このような構成こそ現代的と言うのではないか(もっとも私は素人の読者なので、ただカンで言っているだけだが)。極めて複雑な筋と数々の名文句、古今東西において最高の文学作品の一つと目されるだけのことある。
最近私は知人を亡くした。そこで、悪人エドマンドがすっかり改悛して死ぬゆくときのセリフ、
「すべては過ぎた事だ、おれもまた過ぎ去ろうとしている」(5幕3場)をその知人の言葉として、いや本当は未来の自分の言葉として考えたりした。
また同じく終了間際の、主君リア王が死にゆくときの忠臣ケントの次のセリフにも感動した。
「ああ! 安らかに逝かせて差し上げるのだ。この冷酷な現世の拷問台にこれ以上長く縛りつけておこうとするなら、陛下はきっとお憎みになる」
ところで私は、現世の拷問台にいましばらくはいることになろう(ここで笑ってくれたでしょうか)。
2018年1月6日に日本でレビュー済み
「リア王」はシェイクスピアの四大悲劇(ハムレット、オセロウ、リア王、マクベス)の三番目の作品。本書の解説によると、「リア王」は1605年頃、上演されたらしい。
本書から得られる教訓は、財産を持っている場合(リア王)、自分の子供(ゴネリル、リーガン、コーディーリア)のうち誰が信用できるのかを見分けるのが重要であること。口だけ上手い子供に騙されないことである。また、忠告してくれる部下(ケント伯)の言葉が耳に痛くとも、なぜそう言ってくれるのか、冷静に受け止めること。
解説(約50ページ)は、結構面白い。トルストイがどのように、またなぜ「リア王」を批判したかも書いている。更に、トルストイがどのように亡くなったかまで書いている。
本書から得られる教訓は、財産を持っている場合(リア王)、自分の子供(ゴネリル、リーガン、コーディーリア)のうち誰が信用できるのかを見分けるのが重要であること。口だけ上手い子供に騙されないことである。また、忠告してくれる部下(ケント伯)の言葉が耳に痛くとも、なぜそう言ってくれるのか、冷静に受け止めること。
解説(約50ページ)は、結構面白い。トルストイがどのように、またなぜ「リア王」を批判したかも書いている。更に、トルストイがどのように亡くなったかまで書いている。
2022年4月19日に日本でレビュー済み
本書に登場する人物は例外なく、「狂気にような何か」に満ちており、
時間という系の中で、それを発揮し、様々な「悲劇的な何か」の重力に飲み込まれていく。
そこに、冗談、異化を並べながら、
「禍い的な何か」を少しずつ転嫁、分散する呪術的機能をもつ道化が登場する。
その「何か」は少しずつ解体されていき、ある種「特権のようなもの」に形を替えていく。
胃腑からの反吐のように、通路が逆流し、
「盲目」は「明察」、「阿呆」「叡智」の転倒、入れ替え、そして「狂気の理性」へと、
おのおのの人物の「何か」は、
大地と天空の間の路を行き来し空間を拡げていきながら、
「別の何か」へと形を替えながら枝分かれし、空間に溶け込んでいく。
そしてさらに最下層であり狂気の外側にあるものは、
そのおそらく永遠であろう味をしめているがゆえに、
おのおのが知らぬ間に無名という無時間性、超時間性、空間的な無限定に去っていく、
ということを著者が本作で当時やっていたのかもしれない、
と訳者さんの解説・注釈から諸解釈を得ることができる。
正直・誠実なものの「悲劇」「犠牲」は、
韜晦に包含される狂気のような生理現象と、その外側との関係性によって、
「価値秩序の転倒の寓意」「所を替え」得るピースとして、また、
阿呆に誘惑され何かが精算され消滅するようなプロセスを本書で味わうことができる。
時間という系の中で、それを発揮し、様々な「悲劇的な何か」の重力に飲み込まれていく。
そこに、冗談、異化を並べながら、
「禍い的な何か」を少しずつ転嫁、分散する呪術的機能をもつ道化が登場する。
その「何か」は少しずつ解体されていき、ある種「特権のようなもの」に形を替えていく。
胃腑からの反吐のように、通路が逆流し、
「盲目」は「明察」、「阿呆」「叡智」の転倒、入れ替え、そして「狂気の理性」へと、
おのおのの人物の「何か」は、
大地と天空の間の路を行き来し空間を拡げていきながら、
「別の何か」へと形を替えながら枝分かれし、空間に溶け込んでいく。
そしてさらに最下層であり狂気の外側にあるものは、
そのおそらく永遠であろう味をしめているがゆえに、
おのおのが知らぬ間に無名という無時間性、超時間性、空間的な無限定に去っていく、
ということを著者が本作で当時やっていたのかもしれない、
と訳者さんの解説・注釈から諸解釈を得ることができる。
正直・誠実なものの「悲劇」「犠牲」は、
韜晦に包含される狂気のような生理現象と、その外側との関係性によって、
「価値秩序の転倒の寓意」「所を替え」得るピースとして、また、
阿呆に誘惑され何かが精算され消滅するようなプロセスを本書で味わうことができる。
2019年3月7日に日本でレビュー済み
『リア王』を再読した。物語がいい。老いさらばえた王はすべてを失い、嵐の荒野を彷徨う。狂気が前面に出てきたり、後ろに下がったりする。狂気と正気のサイクルは非常に短いのだ。そして善人も悪人もどんどん気持ちよく死んでゆく。ただ一人まごころある娘コーディリアもさらりと殺されてしまうのだ。悲劇をあざ笑うかのように。生命はとても軽い。卑猥な喩えの頻出は、上品で高級な文化への攻撃か。いいぞシェイクスピア大先生!正直であることの人間性の大欠点とか、もはやわが平安は墓にしかない、とか劇からとりだしても充分に通用するシェイクスピアの章句を味わう楽しみも無論ある。…スーザン・ソンタグは、シェイクスピアを深く愛するが、シェイクスピアについては何も書けないのだと、どこかで言っていた。分かるような気がする。
2012年7月10日に日本でレビュー済み
そんな荒唐無稽な妄想をしてしまった。全編に亘って性的な表現がちりばめられていて実に華やかな感じを受けるが、これは四大悲劇と言われる、王位継承戦と言う名の壮大な権力闘争が話の骨材だからそれは感じないかもしれない。エドマンドと言う狡猾な青年が立ち回る、「悪党になるのは天然自然の必然、阿呆になるのは月の影響、ごろつき、盗っ人、裏切り者になるのは支配星の運勢、酔っぱらい、嘘つき、間男になるのは有無をいわせぬ惑星の感化による、と言った塩梅だ。どんな悪事に染まろうが、すべては神の無理強いというわけだ。手前の助兵衛根性を星のせいにするとは、なんと見事な女郎買いの言い逃れか!親父とお袋がつるんだのは竜座の尻尾の下、おれが生まれたのは大熊座(ウルサ・マヨール)の下だった。しかるがゆえに、このおれさまは荒くれで好色だと言うことになる。ふざけちゃいけねえ!」
この怒れる野心の発現は個人的には好きだ。訳者先生は終盤に改心が見られることに、エドマンドと言う悪役の魅力が薄れるのだ、と言う風な評があったが、人間とは獣そのものなら、中盤の冷血過ぎ、神をも恐れぬ計画に戦慄し最後の改悛にそれでも魅力を感じると言う向きもあるかなと、思ってみたり。
そしてこの脇役があるので、主役の側のコーディーリアの、潔癖心と犠牲心を伴った献身の数々が、一層際立ち、これまた胸を打つ。
自由主義への悲哀的警告的預言、封建主義的社会での疑念や野心が生む社会崩壊、疑念や野心が呼び醒ます、理性の極致とそれを支える精神性と、その上の狂気の極致、この戯曲にはその先にある何かを感じ取ってもらいたい作者の意図があるのかな?と思ってみたりもした。
イギリスだからってなめてましたね。今日この日もこの作品の在庫が許す限り用意され、未だに書評が絶えない言うことは。読めてよかったです。4年前買った本でしたが、久々に読み返してのレビューでした。読み終わるのに時間がかかる本ではないので是非。
この怒れる野心の発現は個人的には好きだ。訳者先生は終盤に改心が見られることに、エドマンドと言う悪役の魅力が薄れるのだ、と言う風な評があったが、人間とは獣そのものなら、中盤の冷血過ぎ、神をも恐れぬ計画に戦慄し最後の改悛にそれでも魅力を感じると言う向きもあるかなと、思ってみたり。
そしてこの脇役があるので、主役の側のコーディーリアの、潔癖心と犠牲心を伴った献身の数々が、一層際立ち、これまた胸を打つ。
自由主義への悲哀的警告的預言、封建主義的社会での疑念や野心が生む社会崩壊、疑念や野心が呼び醒ます、理性の極致とそれを支える精神性と、その上の狂気の極致、この戯曲にはその先にある何かを感じ取ってもらいたい作者の意図があるのかな?と思ってみたりもした。
イギリスだからってなめてましたね。今日この日もこの作品の在庫が許す限り用意され、未だに書評が絶えない言うことは。読めてよかったです。4年前買った本でしたが、久々に読み返してのレビューでした。読み終わるのに時間がかかる本ではないので是非。