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戦史 上 (岩波文庫 青 406-1) 文庫 – 1966/2/16
トゥーキュディデース
(著),
久保 正彰
(翻訳)
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戦史 上 (岩波文庫 青 406-1)
- 本の長さ416ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1966/2/16
- 寸法10.5 x 1.7 x 15 cm
- ISBN-104003340612
- ISBN-13978-4003340615
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1966/2/16)
- 発売日 : 1966/2/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 416ページ
- ISBN-10 : 4003340612
- ISBN-13 : 978-4003340615
- 寸法 : 10.5 x 1.7 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 116,844位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2019年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
○これは面白い本を見つけた。ギリシャのペロポネソス戦争の時代の歴史書であるが、著者の記す言葉の豊かさと洞察の深さには舌を巻く。人の心理を呼んでそれに応じた対応をしている。また要所々々で語られる演説がすばらしい。ギリシア文化の伝統を引き継ぐ人々が、このような演説の伝統も引き継いでいるとするならば、我々はこの演説を良く研究しておかなければならないと思う。彼らに対抗するためにも、また彼らを説得する方法を身に付けるためにも。
○上巻には10の演説が収められているが、例えばこんな具合だ。
○第4演説:ラケダーモーンがアテーナイに譲歩を要求してきた際のペリクレースのアテーナイ民議会に対する演説。「譲歩してはならぬ」と説く。冷静な判断と熱い心が伝わってくる。強攻策を主張するにあたって、万が一の失敗の可能性にも言及し、それをも含めて結果を受け入れる覚悟を求める。そのうえでなぜアテーナイが優位にあるのかを具体的に説明する。その目の配り方は行き届いており(普通の人には思い至らないような点に言及する)主張は具体的である。これを聞いた人はリスクを受け入れる覚悟を固めたうえで心を打ち震わせて賛同したはずである。
○第5演説:ラケダイモーン王の出陣に当たっての訓辞。人間の性質についての洞察が示されており(戦いは予測を許さぬところがある、多勢であるとおごりを生じがちなもの等)、また敵アテーナイの力を冷静に評価したうえで、短い指示を与えている(俊敏に動け、指揮官に従順たれ等)。気が利いた訓示だと思う。
○第9演説:ペロポネソス軍との海戦を前に、多数の敵船に動揺している兵士に対しておこなったアテーナイ軍司令ポルミオーンの訓示。「数で劣っても力量でははるかに勝っているのだから負けるはずがないのだ、気概をもて、奮起せよ」と士気を鼓舞したのち、なぜこちらから攻め込まないかという理由(船艇の自由な動きを確保するため狭い湾内ではなく広い外海で戦いたい)を説明している。この説明を加えたことによって、司令と兵士の距離を縮めている。
○上巻には10の演説が収められているが、例えばこんな具合だ。
○第4演説:ラケダーモーンがアテーナイに譲歩を要求してきた際のペリクレースのアテーナイ民議会に対する演説。「譲歩してはならぬ」と説く。冷静な判断と熱い心が伝わってくる。強攻策を主張するにあたって、万が一の失敗の可能性にも言及し、それをも含めて結果を受け入れる覚悟を求める。そのうえでなぜアテーナイが優位にあるのかを具体的に説明する。その目の配り方は行き届いており(普通の人には思い至らないような点に言及する)主張は具体的である。これを聞いた人はリスクを受け入れる覚悟を固めたうえで心を打ち震わせて賛同したはずである。
○第5演説:ラケダイモーン王の出陣に当たっての訓辞。人間の性質についての洞察が示されており(戦いは予測を許さぬところがある、多勢であるとおごりを生じがちなもの等)、また敵アテーナイの力を冷静に評価したうえで、短い指示を与えている(俊敏に動け、指揮官に従順たれ等)。気が利いた訓示だと思う。
○第9演説:ペロポネソス軍との海戦を前に、多数の敵船に動揺している兵士に対しておこなったアテーナイ軍司令ポルミオーンの訓示。「数で劣っても力量でははるかに勝っているのだから負けるはずがないのだ、気概をもて、奮起せよ」と士気を鼓舞したのち、なぜこちらから攻め込まないかという理由(船艇の自由な動きを確保するため狭い湾内ではなく広い外海で戦いたい)を説明している。この説明を加えたことによって、司令と兵士の距離を縮めている。
2016年12月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ペロポネソス戦争は、BC431年から27年間という長きにわたってギリシア全土を混乱の巷となしたアテーナイ人とペロポネソス人との戦争で、アテーナイの敗北で終っている。この戦いの経過を記録したトゥーキュディデースの『戦史』は、すべての事件を総花的に書かず、自分の構想をささえるのに必要と判断したもののみを書きとどめている。「戦いという好ましからざる人間の行為は何を前提としているのか、戦いを余儀なくさせる人間の文明とは何を前提としているのか、何を基に何を目的に生じうるのか、どのように違った条件のもとに異なる形態をとりうるのか」と、自らに問いながら書かれている。トゥーキュディデースはこう語る。
“私の記録から伝説的な要素が除かれているために、これを読んで面白いと思う人はすくないかもしれない。しかしながら、やがて今後展開する歴史も、人間性のみちびくところふたたびかっての如き、つまりそれと相似た過程を辿るのではないか、と思う人々がふりかえって過去の真相を見極めようとするとき、私の歴史に価値をみとめてくれれば充分であろう”
『戦史』には事実が時間の経過に沿って淡々と記述されている中に、大小の演説が40回以上も含まれている。これらの演説の多くは作者の創作によるのだが、作者が真実と信ずるものに根ざしているので、リアルで臨場感がある。これらの演説を聞くと、当時のギリシアのリーダーたちの見識の高さに驚いてしまう。あれから2000年以上も経った今の日本の国会での与野党のやりとりが低俗に思えてしかたがない。本当に人間って、進歩したのだろうか?ペロポネソス戦争が勃発する前、ペロポネソス同盟の諸国が集まって対策を協議したとき、ラケダイモーンの王アルキダーモスが発言した内容の一部を紹介する。
“・・・アテナーイ人の昂然たる気質としては、土地のために己れの自由を売ったり、無経験な兵士のように戦いにおびえたりすることは、まずありえない・・・かれらを絶望に追いやり手におえない狂人に変えることは心して避けねばならぬ・・・戦いの勝負には、槍と盾よりも、武器を役立たせる資金がなくてはならぬ・・・人がわれわれを必要以上の危機に行かせるために賛辞をあびせ激励しても、おだてにのって現実を見誤ることはない。またわれわれを非難し怒りを煽ろうとする者があっても、そのために怒りを制しきれず口車にのることもない。われわれはよく己を持するゆえによき戦士、よき判断の主たりうる。なぜなら、戦場の勇気は廉恥をもととし、廉恥は克己をもととする。またわれわれがよき判断の主たりうるのは、法を犯す知恵をあたえず法にそむかぬわきまえを克己によって培う教育による・・・われわれはつねに、敵もすぐれた作戦を抱いていると想定し、実践の準備を怠らない。また敵の失策を待って味方の有利をえようとはせず、わが計画の万全を期すべきである。人間が人間である以上、もとより素質において敵味方に大差はない。しかし厳格無比の克己訓練で鍛えられたものこそ最後の勝利者たることを疑わない・・・”
“私の記録から伝説的な要素が除かれているために、これを読んで面白いと思う人はすくないかもしれない。しかしながら、やがて今後展開する歴史も、人間性のみちびくところふたたびかっての如き、つまりそれと相似た過程を辿るのではないか、と思う人々がふりかえって過去の真相を見極めようとするとき、私の歴史に価値をみとめてくれれば充分であろう”
『戦史』には事実が時間の経過に沿って淡々と記述されている中に、大小の演説が40回以上も含まれている。これらの演説の多くは作者の創作によるのだが、作者が真実と信ずるものに根ざしているので、リアルで臨場感がある。これらの演説を聞くと、当時のギリシアのリーダーたちの見識の高さに驚いてしまう。あれから2000年以上も経った今の日本の国会での与野党のやりとりが低俗に思えてしかたがない。本当に人間って、進歩したのだろうか?ペロポネソス戦争が勃発する前、ペロポネソス同盟の諸国が集まって対策を協議したとき、ラケダイモーンの王アルキダーモスが発言した内容の一部を紹介する。
“・・・アテナーイ人の昂然たる気質としては、土地のために己れの自由を売ったり、無経験な兵士のように戦いにおびえたりすることは、まずありえない・・・かれらを絶望に追いやり手におえない狂人に変えることは心して避けねばならぬ・・・戦いの勝負には、槍と盾よりも、武器を役立たせる資金がなくてはならぬ・・・人がわれわれを必要以上の危機に行かせるために賛辞をあびせ激励しても、おだてにのって現実を見誤ることはない。またわれわれを非難し怒りを煽ろうとする者があっても、そのために怒りを制しきれず口車にのることもない。われわれはよく己を持するゆえによき戦士、よき判断の主たりうる。なぜなら、戦場の勇気は廉恥をもととし、廉恥は克己をもととする。またわれわれがよき判断の主たりうるのは、法を犯す知恵をあたえず法にそむかぬわきまえを克己によって培う教育による・・・われわれはつねに、敵もすぐれた作戦を抱いていると想定し、実践の準備を怠らない。また敵の失策を待って味方の有利をえようとはせず、わが計画の万全を期すべきである。人間が人間である以上、もとより素質において敵味方に大差はない。しかし厳格無比の克己訓練で鍛えられたものこそ最後の勝利者たることを疑わない・・・”
2016年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
トゥーキュディデースの「戦史」が歴史上なした功績は、歴史事件の遠因と近因(最も真なる原因と、世に伝え広められた原因)の二つの視点で歴史を記したことである。
ペロポネーソス戦争の原因は、ペルシャ戦争後アテーナイ人が海軍力を背景にギリシア各地を広く支配下に従えていくのを見て、ラケダイモーン人(スパルタ)を中心とする周辺諸国がこれ以上の拡大を恐れたためとされる。
トゥーキュディデースは、イタリア・シケリアに向かう沿岸航路の要の地として栄えるエピダムノス(現在のアルバニア、ドゥラス市)における貴族派と平民派の抗争が、ケルキューラとコリントスの紛争に発展し、さらにアテーナイとラケダイモーンを中心とするペロポネーソス同盟との戦争につながる様を描く。(上巻)
本書の根底には、「海を制したアテーナイがギリシアを制しえなかったのは何故か」との著者の問いがある。
スパルタで行ったアテーナイ人の演説からは、ペルシアに勝ち経済的・軍事的に大国となったアテーナイの驕りがにじみ出ている。
「一旦ゆだねられた覇権をうけとり、名誉心、恐怖心、利得心という何よりも強い動機のとりこになったわれらは、手にしたものを絶対に放すまいとしているにすぎない。」
「強者が弱者を従えるのは古来世のつね、けっしてわれらがその先例を設けたわけではない。」
「われらはこの地位にふさわしいものたることを自負している。」
「正義を説くのもよかろう。だが力によって獲得できる獲物が現れたとき、正邪の区別にかかわらず侵略を控える人間などあろうはずがない。」
他国の議会でこのようなことを正々堂々と言われた時、人は黙って従うことができるのか。アテーナイが覇権を握ることに対する危機感と反発がいかに強かったか。
トゥーキュディデースは、真実とは行動的事実(出来事)だけをもって成り立っているのではなく、「言葉」にあらわれた知性の営み(政見演説)と行動的事実の両面から捕捉されると考える。行動的事実と政見演説とをはっきりと対置させおのおのに違った次元における真実性を与えることで、歴史の遠因と近因を明らかにする。
節目で挿入される政見演説にこめられた内容は人間性を深く掘り下げ、今も変わらぬ人間の本性をえぐって白日にさらけ出す。そこに二千数百年の時を超えて読者を引き込む魅力がある。他の歴史書にない本書の醍醐味でもある。
ペロポネーソス戦争の原因は、ペルシャ戦争後アテーナイ人が海軍力を背景にギリシア各地を広く支配下に従えていくのを見て、ラケダイモーン人(スパルタ)を中心とする周辺諸国がこれ以上の拡大を恐れたためとされる。
トゥーキュディデースは、イタリア・シケリアに向かう沿岸航路の要の地として栄えるエピダムノス(現在のアルバニア、ドゥラス市)における貴族派と平民派の抗争が、ケルキューラとコリントスの紛争に発展し、さらにアテーナイとラケダイモーンを中心とするペロポネーソス同盟との戦争につながる様を描く。(上巻)
本書の根底には、「海を制したアテーナイがギリシアを制しえなかったのは何故か」との著者の問いがある。
スパルタで行ったアテーナイ人の演説からは、ペルシアに勝ち経済的・軍事的に大国となったアテーナイの驕りがにじみ出ている。
「一旦ゆだねられた覇権をうけとり、名誉心、恐怖心、利得心という何よりも強い動機のとりこになったわれらは、手にしたものを絶対に放すまいとしているにすぎない。」
「強者が弱者を従えるのは古来世のつね、けっしてわれらがその先例を設けたわけではない。」
「われらはこの地位にふさわしいものたることを自負している。」
「正義を説くのもよかろう。だが力によって獲得できる獲物が現れたとき、正邪の区別にかかわらず侵略を控える人間などあろうはずがない。」
他国の議会でこのようなことを正々堂々と言われた時、人は黙って従うことができるのか。アテーナイが覇権を握ることに対する危機感と反発がいかに強かったか。
トゥーキュディデースは、真実とは行動的事実(出来事)だけをもって成り立っているのではなく、「言葉」にあらわれた知性の営み(政見演説)と行動的事実の両面から捕捉されると考える。行動的事実と政見演説とをはっきりと対置させおのおのに違った次元における真実性を与えることで、歴史の遠因と近因を明らかにする。
節目で挿入される政見演説にこめられた内容は人間性を深く掘り下げ、今も変わらぬ人間の本性をえぐって白日にさらけ出す。そこに二千数百年の時を超えて読者を引き込む魅力がある。他の歴史書にない本書の醍醐味でもある。
2013年11月18日に日本でレビュー済み
トゥーキュディデース
『戦史』
岩波文庫(上、中、下 3巻)
久保正彰 先生 訳
古代ギリシア文明は滅びた
今生きているギリシア人で
本気で神々を信じる者は皆無であり、
キリスト教(ギリシア正教)を信じ、人種的にも混血がすすみ、
あのパルテノンや、ホメーロス叙事詩を生んだ
「神々」の宗教をもつ社会は存在しない。
その滅びのはじめは、このペロポネーソス戦争か。
ペロポネーソス戦争→マケドニア支配→ローマ支配→キリスト教化→その後の動乱に次ぐ動乱
ポリス間の戦争、アテーナイ側とスパルタ側の
厳しい、しかし、だらだらした戦争、それがペロポーネソス戦争だ。
26年前学生の頃、読みたかったが、図書館にしかなかった。
それで2つの図書館で同時に借りて、
コピーをとったものだった。
ヘロドトス『歴史』は
血湧き肉躍る、大活劇であり、ギリシア都市国家群の
自由と独立をかけた大義ある大戦争であった。
このトゥーキュディデース『戦史』
で描かれる、スパルタ対アテーナイの
覇権争いには、すっきりしない。陰惨を極める。希望がどこにあるというのか。
そしてまた、戦争の本当の理由を、冒頭近くで、史家が、明らかにしたいと
表明しているのだが、それが、なんと明かされずに、終わるのだ!!
アテーナイのポリス直接民主制という革命原理を輸出するという大義は
正当性を持ってはいない。史上初めての民主制。
また、このギリシア語原文が読みにくいのはアリストテレスに次いで
の難易度らしいのだが、特に私が惹かれたのは
シケリア(シシリー)遠征のくだりで、
巻7でのプレンミュリオン要塞の攻防。
数度の海戦、陸上戦、大規模なアテーナイの第2次遠征艦隊の出現、
それに一瞬、絶望感を感じながらも、自らを叱咤し、打ちのめさせられずに
戦う、シュラクーサイ(シケリア側 最有力ポリス)の人々
その中に愛国者ヘルモクラテス
アテーナイの敬神家の将軍ニーキアースの、和戦主義者故の戦略ミス
スパルタの知将ギュリッポスの登場、その恐るべき実行力、知謀
民主政体を獲得済みのシュラクーサイへ、何故、侵略したのか、
その野望の醜さを、あばかれたのだ、アテーナイは
ペルシア戦争ではギリシアの自由を守ったのに
***********************
そして久保正彰先生の訳の前に置かれた解題が
また素晴らしい。60年代の東西対立、安保闘争、
自由をめぐる論題。
学生の時に、特別講義で、自分のかよう大学に
久保先生が来られた。1986年ぐらい。
まさに憧れの先生の講義を
聴けるなんて!って感じで感動したね!
これは金やら地位やらとは、全く別次元の話。
講義の中身はラテン文学(詩人論)、ホラティウスあたり。
最後の質疑応答で、すっくと手を挙げ、質問したのは
私一人。
「ラテン文学は、ギリシアの前にはどうしても
落ちる。かすみます。それでも、ご研究なさるのは何故でしょうか」
久保先生は、なごやかな中にも、真意を込めて
「ラテンを通して、仰ぎ見る、ギリシア。
その眩さが、判ってくるんです」
「ありがとうございました!
(内心の私のうめき声:う〜っ!!さすがは、久保先生!)」
シケリアでのアテーナイ兵の潰走、その陰惨な描写、
それを訳されたうえでの、確信なのですな〜
『戦史』
岩波文庫(上、中、下 3巻)
久保正彰 先生 訳
古代ギリシア文明は滅びた
今生きているギリシア人で
本気で神々を信じる者は皆無であり、
キリスト教(ギリシア正教)を信じ、人種的にも混血がすすみ、
あのパルテノンや、ホメーロス叙事詩を生んだ
「神々」の宗教をもつ社会は存在しない。
その滅びのはじめは、このペロポネーソス戦争か。
ペロポネーソス戦争→マケドニア支配→ローマ支配→キリスト教化→その後の動乱に次ぐ動乱
ポリス間の戦争、アテーナイ側とスパルタ側の
厳しい、しかし、だらだらした戦争、それがペロポーネソス戦争だ。
26年前学生の頃、読みたかったが、図書館にしかなかった。
それで2つの図書館で同時に借りて、
コピーをとったものだった。
ヘロドトス『歴史』は
血湧き肉躍る、大活劇であり、ギリシア都市国家群の
自由と独立をかけた大義ある大戦争であった。
このトゥーキュディデース『戦史』
で描かれる、スパルタ対アテーナイの
覇権争いには、すっきりしない。陰惨を極める。希望がどこにあるというのか。
そしてまた、戦争の本当の理由を、冒頭近くで、史家が、明らかにしたいと
表明しているのだが、それが、なんと明かされずに、終わるのだ!!
アテーナイのポリス直接民主制という革命原理を輸出するという大義は
正当性を持ってはいない。史上初めての民主制。
また、このギリシア語原文が読みにくいのはアリストテレスに次いで
の難易度らしいのだが、特に私が惹かれたのは
シケリア(シシリー)遠征のくだりで、
巻7でのプレンミュリオン要塞の攻防。
数度の海戦、陸上戦、大規模なアテーナイの第2次遠征艦隊の出現、
それに一瞬、絶望感を感じながらも、自らを叱咤し、打ちのめさせられずに
戦う、シュラクーサイ(シケリア側 最有力ポリス)の人々
その中に愛国者ヘルモクラテス
アテーナイの敬神家の将軍ニーキアースの、和戦主義者故の戦略ミス
スパルタの知将ギュリッポスの登場、その恐るべき実行力、知謀
民主政体を獲得済みのシュラクーサイへ、何故、侵略したのか、
その野望の醜さを、あばかれたのだ、アテーナイは
ペルシア戦争ではギリシアの自由を守ったのに
***********************
そして久保正彰先生の訳の前に置かれた解題が
また素晴らしい。60年代の東西対立、安保闘争、
自由をめぐる論題。
学生の時に、特別講義で、自分のかよう大学に
久保先生が来られた。1986年ぐらい。
まさに憧れの先生の講義を
聴けるなんて!って感じで感動したね!
これは金やら地位やらとは、全く別次元の話。
講義の中身はラテン文学(詩人論)、ホラティウスあたり。
最後の質疑応答で、すっくと手を挙げ、質問したのは
私一人。
「ラテン文学は、ギリシアの前にはどうしても
落ちる。かすみます。それでも、ご研究なさるのは何故でしょうか」
久保先生は、なごやかな中にも、真意を込めて
「ラテンを通して、仰ぎ見る、ギリシア。
その眩さが、判ってくるんです」
「ありがとうございました!
(内心の私のうめき声:う〜っ!!さすがは、久保先生!)」
シケリアでのアテーナイ兵の潰走、その陰惨な描写、
それを訳されたうえでの、確信なのですな〜