安田章代さんは、1人の母であり娘であり妻です。ただひとつ特徴があるとすれば
中途失明で、全盲であるということです。
この本は、安田さんの主に子育てが中心にかかれています。
そこには、バリアフリーなどという言葉が安っぽく聞こえるほど
力強く、人間臭い、1人の女性の人生の一端が描かれています。
文章は、大変明るく、また自身が表現しているように
「オメデタイ」性格?と取れるようなエピソードも満載なのですが
全盲の彼女がこのようになぜ強く明るく生きられるのか、、、
それは、その分の憤り、涙、絶望があったからだと推測します。
目が見えないから、どれだけの不本意と屈辱があったのか、
それは、とてもサラリ書かれていますが、目の見える私たちに
重い課題を投げかけていると思います。

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見えなくなって見えてきた: 17歳失明、23歳結婚、25歳出産 単行本 – 2002/8/1
安田 章代
(著)
ジャガイモの皮のむき残しは水の中で触る、
授乳は小指でツンツンして口をあんぐりさせる、
緑色・黄色・下痢のうんちはにおいで嗅ぎ分ける……、
心で見えてきたことって、いっぱいある。
17歳で失明!
でも、「自立と協調」を第1に、就職も結婚も、そして難問の育児だって乗り切るタフな生き方!!
視覚障害者用音声ソフトを使って書き下ろす。
私、自分が障害者になるなんて、夢にも思っていなかったのです。実際、障害者となんのかかわりもなかった時期が15年ほどありましたし。だから今、障害者になってみて、自分のことを、障害者のことを、客観的に見られると思うのです。弱視として一般に学校にいました。そして、弱視として盲学校に入学。6年間の盲学校生活の間に視力は低下し、ほとんど全盲になってしまいました。そして、障害者として社会に出ました。私はいろいろな立場でいろいろな体験をしてきました。そんな変化と体験をムダにしたくないのです。――「はじめに」より
授乳は小指でツンツンして口をあんぐりさせる、
緑色・黄色・下痢のうんちはにおいで嗅ぎ分ける……、
心で見えてきたことって、いっぱいある。
17歳で失明!
でも、「自立と協調」を第1に、就職も結婚も、そして難問の育児だって乗り切るタフな生き方!!
視覚障害者用音声ソフトを使って書き下ろす。
私、自分が障害者になるなんて、夢にも思っていなかったのです。実際、障害者となんのかかわりもなかった時期が15年ほどありましたし。だから今、障害者になってみて、自分のことを、障害者のことを、客観的に見られると思うのです。弱視として一般に学校にいました。そして、弱視として盲学校に入学。6年間の盲学校生活の間に視力は低下し、ほとんど全盲になってしまいました。そして、障害者として社会に出ました。私はいろいろな立場でいろいろな体験をしてきました。そんな変化と体験をムダにしたくないのです。――「はじめに」より
- 本の長さ199ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2002/8/1
- ISBN-104062114488
- ISBN-13978-4062114486
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
17歳で失明! でも、「自立と協調」を第一に、就職も結婚も、そして難問の育児だって乗り切るタフな生き方!! 視覚障害者用音声ソフトを使って書き下ろした半生。
著者について
■安田章代(やすだあきよ)
1974年、埼玉県越谷市に生まれる。15歳のとき「そのうち全盲になる」と宣告されたのをきっかけに、90年、埼玉県立盲学校に進学。17歳で発症し、ほとんど全盲に。同校卒業後は東京都文京区にある筑波大学附属盲学校専攻科理療科(3年)に進み、同科を修了。国家試験による資格を取得。96年4月、株式会社トーメン東京本社マッサージ室の初代ヘルスキーパーとして勤務する。97年、結婚。98年、トーメンを退職。99年9月、長女を出産。2000年11月から老人デイサービスセンター「ひだまりの郷」にマッサージ師として勤める。2001年からトーメン社内報に連載を開始した。
1974年、埼玉県越谷市に生まれる。15歳のとき「そのうち全盲になる」と宣告されたのをきっかけに、90年、埼玉県立盲学校に進学。17歳で発症し、ほとんど全盲に。同校卒業後は東京都文京区にある筑波大学附属盲学校専攻科理療科(3年)に進み、同科を修了。国家試験による資格を取得。96年4月、株式会社トーメン東京本社マッサージ室の初代ヘルスキーパーとして勤務する。97年、結婚。98年、トーメンを退職。99年9月、長女を出産。2000年11月から老人デイサービスセンター「ひだまりの郷」にマッサージ師として勤める。2001年からトーメン社内報に連載を開始した。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2002/8/1)
- 発売日 : 2002/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 199ページ
- ISBN-10 : 4062114488
- ISBN-13 : 978-4062114486
- Amazon 売れ筋ランキング: - 742,468位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 425位障害者
- - 13,513位社会学概論
- - 93,666位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
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2003年6月11日に日本でレビュー済み
著者は網膜性色素変性症という目の病気を持って生まれ、中学までは日常生活にそれ程不便を感じない程度の弱視で一般の学校に通学し、高校から盲学校へ通い始めました。
弱視として一般の学校にいて、弱視として盲学校へ入学。盲学校生活の間に視力が低下し全盲になり、障害者として社会へ出た事により、著者は色々な立場を経験したという。その変化と体験を無駄にしたくないのでこの本を書いたという。
大きなお腹でサングラス・白い杖をついている女性がいたら、悪気でなくとも振り返って見てしまう人が多いと思う。
著者は妊娠中、痛いほどの視線を感じたという。
ただ、歩いているだけで「すごい」「えらい」と言われ、まるで子供扱いで自尊心が深く傷ついたと書いている。
ところが、弱視の夫が!字は読めるのに書けない理由の部分で弱視の苦労が語られるのだが、「変な話、全盲になって白杖をつくようになってからの方が行動半径が広がった」と言っている。弱視は見た目で目が悪い事がわからないから、何か人に助けを求めても「そこに書いてあるのに何でわからないの?変な人」と思われてしまうのだという。
別に著者の揚げ足取りをしている訳ではなく、著者が本を書く動機として語っているように「見えなくなって見えてきた、人の温かさや冷たさ、人の温かさゆえの難しさ」をよくあらわしていると思ったので引用しました。
障害をもった人がもっと気軽に語れるようになり心のバリアフリーが広がるように祈ります。
弱視として一般の学校にいて、弱視として盲学校へ入学。盲学校生活の間に視力が低下し全盲になり、障害者として社会へ出た事により、著者は色々な立場を経験したという。その変化と体験を無駄にしたくないのでこの本を書いたという。
大きなお腹でサングラス・白い杖をついている女性がいたら、悪気でなくとも振り返って見てしまう人が多いと思う。
著者は妊娠中、痛いほどの視線を感じたという。
ただ、歩いているだけで「すごい」「えらい」と言われ、まるで子供扱いで自尊心が深く傷ついたと書いている。
ところが、弱視の夫が!字は読めるのに書けない理由の部分で弱視の苦労が語られるのだが、「変な話、全盲になって白杖をつくようになってからの方が行動半径が広がった」と言っている。弱視は見た目で目が悪い事がわからないから、何か人に助けを求めても「そこに書いてあるのに何でわからないの?変な人」と思われてしまうのだという。
別に著者の揚げ足取りをしている訳ではなく、著者が本を書く動機として語っているように「見えなくなって見えてきた、人の温かさや冷たさ、人の温かさゆえの難しさ」をよくあらわしていると思ったので引用しました。
障害をもった人がもっと気軽に語れるようになり心のバリアフリーが広がるように祈ります。