いきなりだが、本書から引用する。
---「電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。」日垣隆 p.006 --
エネルギー問題とフェイスブック革命にも関心があった私は、日本の大震災の直前まで(革命後
の)チュニジアと(内戦から戦争へと移行しつつあった)リビアに出かけており、帰国後はそのまま北陸
によばれていたため、この大惨事の報を受け、いち早く動くことができた。
東京にいたら、自家用ヘリでも持っていない限り即日の行動はできなかったはずだが、帰宅を延
期し新潟でレンタカーを借り山形経由で宮城県に入り、これまで見たこともない光景と遭遇するこ
とになったのである。
---
普通に読めば、レンタカーを彼が運転して被災地に入ったと考えるだろう。
しかしながら、私はそもそも彼が運転免許を所持していない、または運転免許は何とか取得していても、車の運転からは相当遠ざかっているいわゆるペーパードライバーでは無いかと考えている。その理由を述べよう。
(1)彼が自分のエッセイ等で書いている通り、極度の方向音痴という事
それは、「方向音痴の研究」やその他のエッセイで読むことができる。「どっからでもかかって来い!」では、「引越ししてしばらくは、自分の家に帰りつくことができない」「同じ道を100回通ったくらいではその地理関係が頭に入らない」「地図帳を開いただけで、酔ってしまう」と表現されている。この様な人物が運転免許を取得するのは相当困難だと考える。教習所内の教習はなんとかこなせても路上教習や卒業検定は無理ではないか?
(2)彼のエッセイでの車に関する記述が少なく、あっても的外れなものだという事
---「電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。」日垣隆 p.147 --
私はマジェスタというトヨタ車を所有している。本日こそは車検が終わる予定だったのだが(三
度目の正直)、一般的な車検場ならば1日で済むところ、純正部品を使うからと1.5倍近い料金を
とっておきながら、部品が無い、人員が足りない、アメックスカードは使えない(これはウソと後日
判明ーートヨペットによる明らかな契約違反)等々、もう大変である。
そもそも車検でディーラーが稼ぐことなど必要なのか、という大問題はここではおくとしても、
トヨタは財界最大のスポンサーであり、見返りにその数十倍も多額の税金を受け取って威張り続け
る大企業である。
マジェスタの鍵も完全電子化されている。買ったときは「3年もつ」と断言しておきながら、わ
ずか1年で電池がなくなり、夜中の11時に「盗難」警報の誤動作で近所中に約5分間もクラクショ
ンが大音声で鳴り続けたのは、約1週間前。
---
最後の段落の「わずか1年」とは一体いつからなのか?中古で買った時からならばこの様な表現にはならないし、電池を最後に交換した時からも考えにくい。では、新車で買った時から「わずか一年」と一週間で「車検」というのは?運転免許を持ち、自分で車を所有していて12ヵ月点検と車検を混同しているということがあり得るだろうか?そもそも、キーの電池が切れた位で大騒ぎするという事自体が、車に不案内である事を示しており、冒頭に引用したような、被災地にレンタカーで向かう勇ましい姿とはかけ離れている。被災地ではJAFもディーラーの整備場もまともに機能しているとは到底考えられない状況だったのだ。この引用したくだりその物が架空のものか、このマジェスタは彼の家族か誰かが運転していたものでは無いだろうか?
(3)彼が銀行とよくトラブルを起こすという事
最近では八十二銀行があるが、みずほ銀行とのやりとりは「どっからでもかかって来い!」や「怒りは正しく晴らすとつかれるけれど」で読むことができる。それらを読むと彼が激昂するきっかけは、身分証明を求められた事なのが判る。
この調子だ、
--- 「怒りは正しく晴らすとつかれるけれど」日垣隆 p.149
彼らの病巣は根深い。
日本の銀行で忘れ物をしようものなら、印鑑と身分証明書をもってこい、(身分証明
書を)コピーさせろ、受け取りにサインしろ、と必ず言う。他の場所で忘れ物をした
ら、そういうことを強要されるだろうか?
---
「どっからでもかかって来い!」を読めば、その「忘れ物」が通帳や現金をさすことが判る。そりゃ身分証明書を求めるのは当たり前だろう。どっちの病巣が根深いのだか判ったものではない。もちろん、自己承認欲が強い人間にはこう言う反応はありがちなことだが、彼が、普通に人が持っていてすぐ財布からだせる身分証明書、つまり運転免許証を出すことが出来ずにその度に逆ギレしていると考えると、色々と符合する点が多い。
いずれも間接的な状況証拠で決定的な物ではない。が、三つ揃うとどうだろうか?
彼自身が運転が出来ないとしたら、新潟から宮城県までは一体誰が運転したのだろう?
P.S.
彼の以前の著作を調べても、車の「運転」に関する記述は巧妙に避けられている。
--- 『「松本大本営」の真実』日垣隆 p.28
僕が勤めていたのは一五人ほどの小さな出版社だったから、営業兼出庫兼編集担当の若
造でも月に一冊くらいの本を企画できた。社長に報告すれば、即座に許可をもらえる大ら
かさがあった。ただし、原稿書きや編集や装丁から書店配本(車に乗って自分たちで配る
のである)に至るまで自分が直接担当せねばならない。そんなことは慣れっこになってい
た。(後略)
----
「車を運転して」ではなく「車に乗って」なのだ。数をあげるとキリがないが、過去の著作の記述を調べても、あたかも車を運転していたような「印象」を与える表現は幾つか散見されるが、端的に車を運転していたという記述は私が調べた限りでは見つけられなかった。

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電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。 単行本(ソフトカバー) – 2011/4/28
日垣 隆
(著)
全国20万の読書人のみなさん、必読です!
デジタル化は避けられない。それどころか、便利さに満ち溢れている。しかし同時に、習慣や伝統にも優れたものが無数にある。我々は、その両方の継承者でありたい。そう思いませんか――。
自著を電子書籍化し、自ら手売りしてきた実績をもつ、ほぼ唯一の日本のプロの書き手が、「総デジタル化社会」における<本>の未来について書き尽くす。
デジタル化は避けられない。それどころか、便利さに満ち溢れている。しかし同時に、習慣や伝統にも優れたものが無数にある。我々は、その両方の継承者でありたい。そう思いませんか――。
自著を電子書籍化し、自ら手売りしてきた実績をもつ、ほぼ唯一の日本のプロの書き手が、「総デジタル化社会」における<本>の未来について書き尽くす。
- 本の長さ274ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2011/4/28
- 寸法13 x 1.8 x 19 cm
- ISBN-104062169630
- ISBN-13978-4062169639
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2011/4/28)
- 発売日 : 2011/4/28
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 274ページ
- ISBN-10 : 4062169630
- ISBN-13 : 978-4062169639
- 寸法 : 13 x 1.8 x 19 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,224,542位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 339位出版・自費出版関連書籍
- - 343位e-コマース
- - 12,982位ビジネス・経済ノンフィクション
- カスタマーレビュー:
著者について
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作家・ジャーナリスト。1958年長野県生まれ。大学卒業後、書店員、トラック配送員、TVレポーター、編集者など数々の職を経て、87年から執筆活動に入る。世界取材85カ国。『そして殺人者は野に放たれる』で新潮ドキュメント賞受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『楽しく稼ぐ本』(ISBN-10:4479303006)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
電子書籍がメジャーになり始めた時期に「電子書籍」化の流れを意識してそれに合はせた取組みをして来た筆者による「電子書籍」と「紙の書籍」の今後を冷静にユーモアを込めて分析、コメントしたのが本書であります。電子書籍の新しさに幻惑して単なるイメージだけでアバウトな断言や予言をしてしまってゐる狼少年言論をきっちり批判しつつ、電話回線の自由化で情報を回線に流せるやうになった昭和六十一(一九八六)年から今日の事態を予想してゐた筆者の心意氣を一面自慢話として受取れますが率直に開陳してゐるものであります。それだけ文筆家として熱く取組んで来たわけであり、その辺りの技術開発をGPS始めとする社会動向をまとめた自著『情報の技術』は緻密に劃期的なレポートであると思ひます。この点は、本当に素晴しい事です。本書のポイントを私なりにまとめると三点挙げられるかと思ひます。一つ目は、「電子書籍」の特徴についてです。著書に対する印税が「紙の書籍」が10%に対して「電子書籍」が100%となってゐる事であり、在庫にしても当然発生しないし、それに伴ふ税金もなくなります。書籍文献の絶版とか入手の困難とかの危機も回避する可能性も大幅に高まります。二つには、電子書籍の限界ですが、その市場は無限に開かれてゐると言ふわけだはなく、本を楽しみたいと思へる人口以上には増えないといふ事です。電子書籍で無限の市場が広がるといふのは全くの幻想であります。三つには、「紙の書籍」「電子書籍」といふものが基本的に間接的な媒体であり、舞台芸術や講演といふ一回性のものを生で見聞きするライブの力を見直すべきではないかとといふ事です。井上ひさし氏の引用の言葉や筆者の実体験の感動は他に代へ難いものがあるといふ事が伝はって来ます。最後に、私が読んで実行しようと思った事ですが、ライブで話した事や考へた事を文章やPDFデータやテキストなりにまとめて発信する大切さです。筆者は文筆家としての立場を踏まへた自分なりの活用に挑戦して来て居たわけであり、私も自分なりの立場から活用できる在り方にチャレンジして行きたく存じます。
2011年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
電子書籍のこれからについて知りたくて、本を漁っていた時にこの本に出会いました。
しかし読んでみてビックリ…
電子書籍に関する記述がほとんどない。
あるのは、著者のお仕事奮闘記…。電書の記述はほんのちょっとで、タイトルにある「やっぱり紙の本が好き」という著者の考え(?)に関しては何も書かれていません。あまりにも酷い。
著者の文章は読んでいて痛快で面白くはあるのですが、明らかに求めていた内容とのギャップに購入を後悔しています。
これからは本の評判をきちんと調べ、立ち読みもある程度した上で本を買おうと強く思いました。なんやかんやで1300円もしますからね…。
しかし読んでみてビックリ…
電子書籍に関する記述がほとんどない。
あるのは、著者のお仕事奮闘記…。電書の記述はほんのちょっとで、タイトルにある「やっぱり紙の本が好き」という著者の考え(?)に関しては何も書かれていません。あまりにも酷い。
著者の文章は読んでいて痛快で面白くはあるのですが、明らかに求めていた内容とのギャップに購入を後悔しています。
これからは本の評判をきちんと調べ、立ち読みもある程度した上で本を買おうと強く思いました。なんやかんやで1300円もしますからね…。
2011年11月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の「電子書籍」に関する考察が深くない。ユーザーとして、書き手としての都合を述べた箇所はそれなりにわかるが、「売り手」つまり紙の書籍で言う所の出版社と書店の役割の部分の考え方に問題がある。その問題点に注目すると、著者が引き起こした問題に対して、どうしてあんなことが起きたのか納得できた。
【売り手としての考え方】
1. 著作権に対する考え方
35ページからは著者の著作権に対しての考え方が書かれている。《著作権は2年で十分》《「品切れ重版未定」は絶版とみなす》《ギリギリの線に触れるものについては敢えて相談しない》などと書かれているが、自身の著作でそれが「大きな」問題にならなかったからといって(どうして著者のサイトで売っているDVDが突然値上がりしたのかは謎だが)、他の人にその考えを無闇に適用してはまずいだろう。つまり他人の著作に対してそれをやってはいけないということだ。著者は他人の著作を自炊して自分のウェブサーバーにアップロードし、誰でもダウンロードできる状態にしていたことでも知られているが、こういった著作権に対する考え方がそれを引き起こしたのだろうと腑に落ちた。著者が著作権に対して《これが絶対に正しいと思ってい》ても、現行法はそうなっていないし、その考え方に誰でも従うわけではない。
2. システム・セキュリティ・コンテンツ保護に対する考え方
著者は売り方については何も論じていない。特にシステムについてまったく触れられていない。それはおそらく著者がそれらをあまり理解していなかったからだろう。なぜなら著者のサイトでは電子書籍を決済すると固定のURLが送られてきて、それに対してアクセスすると認証なしで電子書籍(PDFファイル)がダウンロードできるという信じがたいシステムをとっていたからだ。さらにそれらをGoogleにクロールされ、検索するとPDFファイルがヒットし、ダウンロードできてしまうという失敗をしている。個人レベルで少し売れればいいだけなら、売買契約を結んだ後にメールでPDFファイルを送るなどすればここまでのことは起こらないだろうし、多少の不正コピーには対処するコストを考えて事を荒立てないということもあるだろう。それでもPDFファイルにセキュリティくらいはかけてもいいと思う。その程度なら個人レベルでも十分対応可能だろう。
しかし、著者のように「日本一」電子書籍を売っているのだとすれば(そうは思わないが)十数万部を超えることになるため、そのようなレベルのセキュリティでは持たない。著者の販売システムには「セキュリティがない」のだが。
このあたりに対する記述がないのは意識が低いためであり、それがあのような問題を引き起こしたのだろうと納得すると共に、販売規模についても実は非常に小さいのではないかと考えている。
著者はなぜか電子書籍の第一人者のように振るまい、発言しているが、勘弁して欲しい。電子書籍の第一人者として萩野正昭氏を挙げるのは納得するが、著者は到底第一人者とは呼べない。
【「日本一」とは?】
もはや著者が日本一電子書籍を売った、そしてその根拠がこの本に書かれていると考えている方はいないと思うが、ところどころ不思議な記述があり、重要な記述がない。
24ページには《電子書籍(PDFやメルマガを含む)》と書かれている。メルマガを電子書籍とするのはあまり見ない解釈であるが、著者の作品はほとんどテキストのみであり、この本でも挿絵や図解などなくテキストのみだ。なるほどメールでも十分だろう。
ところで著者の誇っている「日本一」の基準はなんだろうか。部数であろうか、売上であろうか(※)。調査期間は2010年の1年間であろうか。それとも複数年の通算であろうか。電子書籍の定義は何だろうか。iPhoneアプリ、PDF、メルマガなどのうち何に対して集計しているのだろうか。それを誰が集計したのだろうか。調査対象は何人・何社・何団体なのだろうか。調査対象は著者が個人で販売している場合に限定なのか。調査に際し収集したデータは信頼できるものなのだろうか。これらはまったくこの本で明らかにされていない。
これで「日本一」を名乗るのは景品表示法のいわゆる「No.1表示」として問題にならないのだろうか。この本を講談社の雑誌以外で宣伝しているのを見たことはないので、講談社内では問題なしとしているのだろうか。
(※)例えば佐藤秀峰氏の漫画 on Webや赤松健氏のJコミは著者のサイトとシステムや収益構造が全く異なる。これらはどのように集計・評価しているのだろうか。
【その他】
指摘し始めるときりがないのだが、今までのレビューやクチコミ、コメントで指摘されていないものを3点挙げておく。
1. 24ページ《「ガッキィファイター」は'00年、無料メルマガとしてスタートしました。》
…これはメルマ!等で配信していた無料メルマガ「ガッキィファイター速報」のことであろうが、これのvol.1配信日は2001年3月26日である。このことはインターネットで「日垣隆先生 メルマガの歴史を語る」というページを探してもらえれば、メルマ!の当時のアーカイブを見つけることができる。
なおvol.1の発行部数はメルマ!では28部である。3ヶ月後のvol.13では272部、半年後のvol.30では538部、一年後のvol.60では1077部を数え、最終号vol.87では1885部となり、メルマガは有料化する。
2. 98ページ《新聞と全く関係ない商品をオマケにつける汚いやり方は、》
…著者は自分のサイトの顧客に外国紙幣をプレゼントしているが、これは関係ない商品をオマケにつけるやり方ではないのか。そしてそれは著者にとって「汚いやり方」ではないのか?
3. 256ページ《私自身は'86年に初の電子書籍を作っているし、販売を始めたのは'01年からである。》
…20〜24ページには'86年末に《電子書籍の時代を初めて意識した》エピソードが書かれている。それはモデムを買ってきてワープロを使ってホストコンピュータに接続し、新聞記事を検索したというエピソードなのだが、果たしてこの状態から'86年にどんな《初の電子書籍》を作ったのだろうか。さらに著者は『 こう考えれば、うまくいく。 』(第1刷)の13ページでは《私が電子書籍について準備を開始したのは、1987年のことだ。》と書いており、矛盾している。
一方、'01年に販売を始めた電子書籍とは有料メルマガのことなのだろう(先に述べたとおり、著者の定義ではメルマガは電子書籍に含まれる)が、メルマガが有料化したのは24ページに《'02年10月》と書かれている(これは正しい)。先に挙げた無料メルマガの2001年アーカイブを見ても、「電子書籍」を販売している様子は見られない。また、日刊サイゾーの「"知の暴君"日垣隆氏がサイゾーに降臨 Web3.0時代を語る!」というページでは著者は《13年前から自身の著作物を電子書籍で販売している》ことになっている。なお、この日刊サイゾーの記事は2010年7月の記事であり、インターネットで誰でも確認できる。
著者は一度自分の経歴や実績について過去に書いたものや発言を見直し、アニメや漫画でいうところの「設定資料」を作りなおしたほうがよいのではないだろうか。時期も内容も矛盾が多すぎる。それと共に、出版社と編集者は著者に対し校正・校閲・ファクトチェックをしっかりやっていただきたい。と言いたいところだが、奥付を見ると編集部の電話番号には週刊現代編集部の電話番号が書いてある。期待するだけ無駄なのか?
(2011年11月25日追記)電子書籍の定義と著者のそれらに対する実績の記述についてコメントに記載しました。
【売り手としての考え方】
1. 著作権に対する考え方
35ページからは著者の著作権に対しての考え方が書かれている。《著作権は2年で十分》《「品切れ重版未定」は絶版とみなす》《ギリギリの線に触れるものについては敢えて相談しない》などと書かれているが、自身の著作でそれが「大きな」問題にならなかったからといって(どうして著者のサイトで売っているDVDが突然値上がりしたのかは謎だが)、他の人にその考えを無闇に適用してはまずいだろう。つまり他人の著作に対してそれをやってはいけないということだ。著者は他人の著作を自炊して自分のウェブサーバーにアップロードし、誰でもダウンロードできる状態にしていたことでも知られているが、こういった著作権に対する考え方がそれを引き起こしたのだろうと腑に落ちた。著者が著作権に対して《これが絶対に正しいと思ってい》ても、現行法はそうなっていないし、その考え方に誰でも従うわけではない。
2. システム・セキュリティ・コンテンツ保護に対する考え方
著者は売り方については何も論じていない。特にシステムについてまったく触れられていない。それはおそらく著者がそれらをあまり理解していなかったからだろう。なぜなら著者のサイトでは電子書籍を決済すると固定のURLが送られてきて、それに対してアクセスすると認証なしで電子書籍(PDFファイル)がダウンロードできるという信じがたいシステムをとっていたからだ。さらにそれらをGoogleにクロールされ、検索するとPDFファイルがヒットし、ダウンロードできてしまうという失敗をしている。個人レベルで少し売れればいいだけなら、売買契約を結んだ後にメールでPDFファイルを送るなどすればここまでのことは起こらないだろうし、多少の不正コピーには対処するコストを考えて事を荒立てないということもあるだろう。それでもPDFファイルにセキュリティくらいはかけてもいいと思う。その程度なら個人レベルでも十分対応可能だろう。
しかし、著者のように「日本一」電子書籍を売っているのだとすれば(そうは思わないが)十数万部を超えることになるため、そのようなレベルのセキュリティでは持たない。著者の販売システムには「セキュリティがない」のだが。
このあたりに対する記述がないのは意識が低いためであり、それがあのような問題を引き起こしたのだろうと納得すると共に、販売規模についても実は非常に小さいのではないかと考えている。
著者はなぜか電子書籍の第一人者のように振るまい、発言しているが、勘弁して欲しい。電子書籍の第一人者として萩野正昭氏を挙げるのは納得するが、著者は到底第一人者とは呼べない。
【「日本一」とは?】
もはや著者が日本一電子書籍を売った、そしてその根拠がこの本に書かれていると考えている方はいないと思うが、ところどころ不思議な記述があり、重要な記述がない。
24ページには《電子書籍(PDFやメルマガを含む)》と書かれている。メルマガを電子書籍とするのはあまり見ない解釈であるが、著者の作品はほとんどテキストのみであり、この本でも挿絵や図解などなくテキストのみだ。なるほどメールでも十分だろう。
ところで著者の誇っている「日本一」の基準はなんだろうか。部数であろうか、売上であろうか(※)。調査期間は2010年の1年間であろうか。それとも複数年の通算であろうか。電子書籍の定義は何だろうか。iPhoneアプリ、PDF、メルマガなどのうち何に対して集計しているのだろうか。それを誰が集計したのだろうか。調査対象は何人・何社・何団体なのだろうか。調査対象は著者が個人で販売している場合に限定なのか。調査に際し収集したデータは信頼できるものなのだろうか。これらはまったくこの本で明らかにされていない。
これで「日本一」を名乗るのは景品表示法のいわゆる「No.1表示」として問題にならないのだろうか。この本を講談社の雑誌以外で宣伝しているのを見たことはないので、講談社内では問題なしとしているのだろうか。
(※)例えば佐藤秀峰氏の漫画 on Webや赤松健氏のJコミは著者のサイトとシステムや収益構造が全く異なる。これらはどのように集計・評価しているのだろうか。
【その他】
指摘し始めるときりがないのだが、今までのレビューやクチコミ、コメントで指摘されていないものを3点挙げておく。
1. 24ページ《「ガッキィファイター」は'00年、無料メルマガとしてスタートしました。》
…これはメルマ!等で配信していた無料メルマガ「ガッキィファイター速報」のことであろうが、これのvol.1配信日は2001年3月26日である。このことはインターネットで「日垣隆先生 メルマガの歴史を語る」というページを探してもらえれば、メルマ!の当時のアーカイブを見つけることができる。
なおvol.1の発行部数はメルマ!では28部である。3ヶ月後のvol.13では272部、半年後のvol.30では538部、一年後のvol.60では1077部を数え、最終号vol.87では1885部となり、メルマガは有料化する。
2. 98ページ《新聞と全く関係ない商品をオマケにつける汚いやり方は、》
…著者は自分のサイトの顧客に外国紙幣をプレゼントしているが、これは関係ない商品をオマケにつけるやり方ではないのか。そしてそれは著者にとって「汚いやり方」ではないのか?
3. 256ページ《私自身は'86年に初の電子書籍を作っているし、販売を始めたのは'01年からである。》
…20〜24ページには'86年末に《電子書籍の時代を初めて意識した》エピソードが書かれている。それはモデムを買ってきてワープロを使ってホストコンピュータに接続し、新聞記事を検索したというエピソードなのだが、果たしてこの状態から'86年にどんな《初の電子書籍》を作ったのだろうか。さらに著者は『 こう考えれば、うまくいく。 』(第1刷)の13ページでは《私が電子書籍について準備を開始したのは、1987年のことだ。》と書いており、矛盾している。
一方、'01年に販売を始めた電子書籍とは有料メルマガのことなのだろう(先に述べたとおり、著者の定義ではメルマガは電子書籍に含まれる)が、メルマガが有料化したのは24ページに《'02年10月》と書かれている(これは正しい)。先に挙げた無料メルマガの2001年アーカイブを見ても、「電子書籍」を販売している様子は見られない。また、日刊サイゾーの「"知の暴君"日垣隆氏がサイゾーに降臨 Web3.0時代を語る!」というページでは著者は《13年前から自身の著作物を電子書籍で販売している》ことになっている。なお、この日刊サイゾーの記事は2010年7月の記事であり、インターネットで誰でも確認できる。
著者は一度自分の経歴や実績について過去に書いたものや発言を見直し、アニメや漫画でいうところの「設定資料」を作りなおしたほうがよいのではないだろうか。時期も内容も矛盾が多すぎる。それと共に、出版社と編集者は著者に対し校正・校閲・ファクトチェックをしっかりやっていただきたい。と言いたいところだが、奥付を見ると編集部の電話番号には週刊現代編集部の電話番号が書いてある。期待するだけ無駄なのか?
(2011年11月25日追記)電子書籍の定義と著者のそれらに対する実績の記述についてコメントに記載しました。