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止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記 単行本 – 2015/3/20
松本 麗華
(著)
オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件から20年。あの頃、教祖・麻原彰晃の後継者としてメディアを賑わせた、ひとりの女の子を覚えているだろうか。
アーチャリー正大師、当時11歳。社会から隔絶された地に育った彼女は、父の逮捕後も、石もて追われ、苦難の道を歩んだ。アーチャリーとしてではなく、松本麗華として、これまで歩んできた「オウム」「父」「わたし」のすべてを明かすことに決めた。
本書は、父の逮捕の日から止まっていた時計を、自らの手で動かそうとする苦闘の記録である。
アーチャリー正大師、当時11歳。社会から隔絶された地に育った彼女は、父の逮捕後も、石もて追われ、苦難の道を歩んだ。アーチャリーとしてではなく、松本麗華として、これまで歩んできた「オウム」「父」「わたし」のすべてを明かすことに決めた。
本書は、父の逮捕の日から止まっていた時計を、自らの手で動かそうとする苦闘の記録である。
- 本の長さ338ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2015/3/20
- ISBN-104062194805
- ISBN-13978-4062194808
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商品の説明
著者について
松本 麗華
1983年4月、オウム真理教の教祖・麻原彰晃と松本知子の三女として生まれる。1995年に父が逮捕された後は、唯一の「正大師」としてさまざまな問題に巻き込まれていく。その後、教団から離れ、文教大学に入学、心理学を学ぶ。現在も、心理カウンセラーの勉強を続けている。
1983年4月、オウム真理教の教祖・麻原彰晃と松本知子の三女として生まれる。1995年に父が逮捕された後は、唯一の「正大師」としてさまざまな問題に巻き込まれていく。その後、教団から離れ、文教大学に入学、心理学を学ぶ。現在も、心理カウンセラーの勉強を続けている。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2015/3/20)
- 発売日 : 2015/3/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 338ページ
- ISBN-10 : 4062194805
- ISBN-13 : 978-4062194808
- Amazon 売れ筋ランキング: - 24,107位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 6,398位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年2月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古くてきれいではないとありましたが、とてもきれいです。包装も丁寧です。買って良かったです
2021年4月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
【共感した点】
・加害者家族の人権については非常に考えさせられた。
コンビニのアルバイトでさえろくに続けることができない、入試に受かってるのに入学させない、それは社会が最低すぎる。部活の生徒さんの話が唯一の救い。
・加害者の子供が抱く心情については北九州一家殺人の松永太の長男の本に通ずるものがある。「私だったらそんな親を捨てる」というレビューなどをみるが、周囲がそう安易に考えるほど単純なものではなさそうだと両者の書籍を読んで思う。
【受け入れられない点】
・指示をしたかどうか直接聞いてないから
父が悪いかどうか保留しているといった内容があるが
組織のトップはそういうもの。
決められない責任を負いたくない、そういう普通の人たちを、報酬や特権などを得ることと引き換えに率いていく経営者は孤独であるのが世の常。
指示を直接出していないのかもしれないが
組織内に殺人さえ容認する風土をつくったことについて、誰よりも大きな責任があると思う。
・松本家はアレフ運営に口をだしていない、という記載について。
そう考える理由など色々書かれているが、それをいくら読んでも「いや、それは十分口だしてることになるべ」という感想にしかならなかった。
以前読んだ元アレフのトップの書籍に詳しく書いてあるが、教団は組織なので普通の会社同様、現実的な経営のことがある。麻原が集客運営の妨げになるなら、改めるのは普通のこと。入信もしてない人間が、思い出がどうとか、オリジナルはこうだ、とかいうことは慎むべきかと。
真似するなら解散すれば?と書いているが、私銭も身寄りも捨てて出家している人がいるゆえ、教団解散もそんな簡単ではないともその元アレフトップは書いていた。(個人的にはそれでも手仕舞いに向かうべきと思うが)
総評すると
加害者家族についての本としては良書。
オウムという教団についての本としてはイマイチ
だなという感想。
・加害者家族の人権については非常に考えさせられた。
コンビニのアルバイトでさえろくに続けることができない、入試に受かってるのに入学させない、それは社会が最低すぎる。部活の生徒さんの話が唯一の救い。
・加害者の子供が抱く心情については北九州一家殺人の松永太の長男の本に通ずるものがある。「私だったらそんな親を捨てる」というレビューなどをみるが、周囲がそう安易に考えるほど単純なものではなさそうだと両者の書籍を読んで思う。
【受け入れられない点】
・指示をしたかどうか直接聞いてないから
父が悪いかどうか保留しているといった内容があるが
組織のトップはそういうもの。
決められない責任を負いたくない、そういう普通の人たちを、報酬や特権などを得ることと引き換えに率いていく経営者は孤独であるのが世の常。
指示を直接出していないのかもしれないが
組織内に殺人さえ容認する風土をつくったことについて、誰よりも大きな責任があると思う。
・松本家はアレフ運営に口をだしていない、という記載について。
そう考える理由など色々書かれているが、それをいくら読んでも「いや、それは十分口だしてることになるべ」という感想にしかならなかった。
以前読んだ元アレフのトップの書籍に詳しく書いてあるが、教団は組織なので普通の会社同様、現実的な経営のことがある。麻原が集客運営の妨げになるなら、改めるのは普通のこと。入信もしてない人間が、思い出がどうとか、オリジナルはこうだ、とかいうことは慎むべきかと。
真似するなら解散すれば?と書いているが、私銭も身寄りも捨てて出家している人がいるゆえ、教団解散もそんな簡単ではないともその元アレフトップは書いていた。(個人的にはそれでも手仕舞いに向かうべきと思うが)
総評すると
加害者家族についての本としては良書。
オウムという教団についての本としてはイマイチ
だなという感想。
2023年4月13日に日本でレビュー済み
四女の手記なども合わせて読むと強く感じるのだが、不在が多かった父親よりも、母親の毒親っぷりがひどい。
四女はそれをもろに食らってしまったようだが三女は迎合できたタイプで、それゆえに教団に甘やかされ金にも苦労せずものすごくノンキに見える。
母親との関係性のちょっとした差でも、兄弟姉妹それぞれで見えている家族像は全く変わるものだ。松本家の子供それぞれで言うことはかなり違うが、通して読み、教団幹部の手記やインタビュー本も読むと、それぞれがそれぞれに見えている真実を語っているだけで、家族とはどこでもそういうものだなと思った。
それにしても執筆時点で30過ぎのはずだが大卒で社会経験があるとは思えない幼さで、まさに時計が止まった人という印象だ。
私は著者よりひとまわり年下で当然オウムは関係ないので、著者への処罰感情はないが、、、
入学拒否や通学反対運動なんてあってはならないことをするからこの人や周辺の事件を正当に評価できなくなるんだ、と当時の人たちの対応に歯痒さを感じた。
四女はそれをもろに食らってしまったようだが三女は迎合できたタイプで、それゆえに教団に甘やかされ金にも苦労せずものすごくノンキに見える。
母親との関係性のちょっとした差でも、兄弟姉妹それぞれで見えている家族像は全く変わるものだ。松本家の子供それぞれで言うことはかなり違うが、通して読み、教団幹部の手記やインタビュー本も読むと、それぞれがそれぞれに見えている真実を語っているだけで、家族とはどこでもそういうものだなと思った。
それにしても執筆時点で30過ぎのはずだが大卒で社会経験があるとは思えない幼さで、まさに時計が止まった人という印象だ。
私は著者よりひとまわり年下で当然オウムは関係ないので、著者への処罰感情はないが、、、
入学拒否や通学反対運動なんてあってはならないことをするからこの人や周辺の事件を正当に評価できなくなるんだ、と当時の人たちの対応に歯痒さを感じた。
2015年3月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
はじめに
読んでもないのに低評価のレビューをしている人がいますが、
そんな人はレビューをすべきではないと思います。
まずは読んでみて欲しいと思います。
私は読む前は、筆者に対し否定的な思いを抱いておりました。
地下鉄サリン事件から20年の日に出版するなんて…被害者を逆なでするだけでは?
とか、テレビインタビューを見ても、被害者に謝罪の言葉がないのはどうなんだろう?と思っていました。
この本を読み、筆者に対しての否定的な思いも和らぎました。
彼女自身、差別に苦しみ、教団や教団関係者、そして警察に利用されてきたんだ...
大変な人生だったんだな...
だから、麻原の周囲がどんなに麻原の指示で事件を起こしたと言っても、
父の責任については留保しよう考えているのだと納得できました。
筆者からは、犯罪者であっても父親が大好きなんだろうな...と感じます。
31歳という良い大人なのに父を未だに慕うのは、やはり機能不全家族で育ったためでしょう...。
なかなか難しいとは思いますが、
そろそろ親を捨てて自分の人生を歩んでほしいと感じました。
麻原を批判する4女聡香氏の意見の方が世間受けするのでしょうが、
この本の著者の3女の方が正直に話しているように感じます。
たとえば、4女聡香氏の著作
“私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ”の中で
「私が父(麻原)と面会した時、父は右手で自分の 口を覆い隠し、私だけに聞こえるような小さな声で私の名前を呼んだ。」
という一文は、麻原に接見した他の精神科医たちの意見踏まえると違和感を感じずにはいられません。
そのため、3女麗華氏と4女聡香氏はお互いに、嘘を言っていると批判しあっていますが、
この本の著者3女麗華氏の方が信頼できるのでは?と感じました。
概ね、読んでみて良かった..と思います。
人から聞いた情報を真実のように捉えてしまうこと、
マスコミの情報を信じ、差別してしまうことを私自身反省出来ました。
彼女自身、まだまだ、自身の出自に対する思い、
教団関係者から完全に距離が取れてない事、
被害者に対する配慮が出来てないなど、問題は多く抱えていると思います。
麻原擁護とも取れていしまうこの彼女の自伝は、やはり、出版日が悪かったと思います。
オウム事件に彼女の責任はないとしても、立場上、被害者の気持ちも考えるべきだと思います。
彼女には、もう少し自分の過去、家族、教団関係者と距離を取り、
幸せになってほしいと思います。
読んでもないのに低評価のレビューをしている人がいますが、
そんな人はレビューをすべきではないと思います。
まずは読んでみて欲しいと思います。
私は読む前は、筆者に対し否定的な思いを抱いておりました。
地下鉄サリン事件から20年の日に出版するなんて…被害者を逆なでするだけでは?
とか、テレビインタビューを見ても、被害者に謝罪の言葉がないのはどうなんだろう?と思っていました。
この本を読み、筆者に対しての否定的な思いも和らぎました。
彼女自身、差別に苦しみ、教団や教団関係者、そして警察に利用されてきたんだ...
大変な人生だったんだな...
だから、麻原の周囲がどんなに麻原の指示で事件を起こしたと言っても、
父の責任については留保しよう考えているのだと納得できました。
筆者からは、犯罪者であっても父親が大好きなんだろうな...と感じます。
31歳という良い大人なのに父を未だに慕うのは、やはり機能不全家族で育ったためでしょう...。
なかなか難しいとは思いますが、
そろそろ親を捨てて自分の人生を歩んでほしいと感じました。
麻原を批判する4女聡香氏の意見の方が世間受けするのでしょうが、
この本の著者の3女の方が正直に話しているように感じます。
たとえば、4女聡香氏の著作
“私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ”の中で
「私が父(麻原)と面会した時、父は右手で自分の 口を覆い隠し、私だけに聞こえるような小さな声で私の名前を呼んだ。」
という一文は、麻原に接見した他の精神科医たちの意見踏まえると違和感を感じずにはいられません。
そのため、3女麗華氏と4女聡香氏はお互いに、嘘を言っていると批判しあっていますが、
この本の著者3女麗華氏の方が信頼できるのでは?と感じました。
概ね、読んでみて良かった..と思います。
人から聞いた情報を真実のように捉えてしまうこと、
マスコミの情報を信じ、差別してしまうことを私自身反省出来ました。
彼女自身、まだまだ、自身の出自に対する思い、
教団関係者から完全に距離が取れてない事、
被害者に対する配慮が出来てないなど、問題は多く抱えていると思います。
麻原擁護とも取れていしまうこの彼女の自伝は、やはり、出版日が悪かったと思います。
オウム事件に彼女の責任はないとしても、立場上、被害者の気持ちも考えるべきだと思います。
彼女には、もう少し自分の過去、家族、教団関係者と距離を取り、
幸せになってほしいと思います。
2024年3月7日に日本でレビュー済み
オウムに関して特に知りたいわけでもなく、純粋に若い女性の書いたノンフィクションの手記として読んだ。
読んでいて胸が痛くなるところが多い。
作者は父に対し強い愛着を求めているが、その父は世間から見たら異端の教祖・大悪党であるというジレンマ。
彼女の希死念慮や自傷行為などについて詳細に書かれているが、自身のそういった感情に真剣に向き合い、それでも生きていこうとするその姿勢には本当に感銘を受けた。
これからも『犯罪者の娘』ではなく、一人の人間として幸せに生きていって欲しい。
読んでいて胸が痛くなるところが多い。
作者は父に対し強い愛着を求めているが、その父は世間から見たら異端の教祖・大悪党であるというジレンマ。
彼女の希死念慮や自傷行為などについて詳細に書かれているが、自身のそういった感情に真剣に向き合い、それでも生きていこうとするその姿勢には本当に感銘を受けた。
これからも『犯罪者の娘』ではなく、一人の人間として幸せに生きていって欲しい。
2015年3月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
オウム真理教による地下鉄サリン事件から20年。
被害者やその家族、遺族の苦悩は計り知れないが、加害者側家族の視点も知りたいと思い、購入することにした。
この著者は、賢い女性だと思う。苛酷な運命のもと生まれ、グルの娘として、正大師アーチャリーとして、死刑囚の娘として、そしてひとりの女性として、力強くその苦悩に満ちた境涯を生きて来たと思う。
だが、父を「松本智津夫」とは決して書かない。
「父は、麻原彰晃」「麻原彰晃の娘として生まれた」など、未だに父を「教祖」として見つめている。
自分自身が名ばかりの正大師だったと縷々として主張するが、その「正大師」の称号は返上していない。
未だに正大師のアーチャリーならば、返上してから語って欲しいと思った。
また本人は何気なく書いてしまったのだろうが、弟は未だに「猊下(げいか・His Holiness)」と呼ばれている。
更に位の高いアーチャリーは如何なる敬称で敬われているだろう(上祐氏によると「皇子」らしい)。
オウムの世界の中にひたったまま世に書き送った作品なのではないか?
裁判の判決についても、拘禁反応を治療させることなく判決を下したことを不服とし、保留の立場から離れない。
拘禁反応の治療は行われるべきだったと私も思うが、それにまつわる著者の主たる葛藤について、
「(松本智津夫が裁判を続けるに値しない心身状態であることを)公表するのは、宗教家としての父の『威厳』を損なわないかと心配だった」
という風に書いていて、私個人としては非常に衝撃を受けました。
この著者は事件と事件のもたらした甚大な被害や余波から眼をそむけたまま、この物語を紡いでいる。そう思わざるを得ませんでした。
また、細心に亘る自己弁解や自己擁護が目立つ。
父を崇拝するのに対し兄弟家族を批判しているのも見苦しい・・・。
「わたしだって苦しかったんだ!」
というのがこの著書の主たる叫びである。それは分かる。
しかし、多くの人が未だ後遺症に苦しみ、遺族が亡き人を悼む日にわざわざぶつけてまで、出版する必要があったとは思えない。
本の中にはカナダ留学時代の写真や、私立大学卒業式の写真まで掲載している。
留学するな、私大に行くな、などとは言わないし、当然の権利だ。
でも、「地下鉄サリン事件の日に出版する」ならば、そこは伏せておく、写真等は思い出として胸にそっとしまっておくのが「ひと」としての品性ではないかと思った。
そうした慮りなく、追悼の日にこうしたものを出版してしまうところ、あちこちのメディアに露出する点などをみていて、なるほど、間違いなく松本智津夫の子供であるという印象を抱いた。
とにかく、読み終えた後、こころがすさみました。
この本の印税が遺族の手に渡らないのは明白なので、本は古本屋などに売却せずにそっと処分したいと思います。
被害者やその家族、遺族の苦悩は計り知れないが、加害者側家族の視点も知りたいと思い、購入することにした。
この著者は、賢い女性だと思う。苛酷な運命のもと生まれ、グルの娘として、正大師アーチャリーとして、死刑囚の娘として、そしてひとりの女性として、力強くその苦悩に満ちた境涯を生きて来たと思う。
だが、父を「松本智津夫」とは決して書かない。
「父は、麻原彰晃」「麻原彰晃の娘として生まれた」など、未だに父を「教祖」として見つめている。
自分自身が名ばかりの正大師だったと縷々として主張するが、その「正大師」の称号は返上していない。
未だに正大師のアーチャリーならば、返上してから語って欲しいと思った。
また本人は何気なく書いてしまったのだろうが、弟は未だに「猊下(げいか・His Holiness)」と呼ばれている。
更に位の高いアーチャリーは如何なる敬称で敬われているだろう(上祐氏によると「皇子」らしい)。
オウムの世界の中にひたったまま世に書き送った作品なのではないか?
裁判の判決についても、拘禁反応を治療させることなく判決を下したことを不服とし、保留の立場から離れない。
拘禁反応の治療は行われるべきだったと私も思うが、それにまつわる著者の主たる葛藤について、
「(松本智津夫が裁判を続けるに値しない心身状態であることを)公表するのは、宗教家としての父の『威厳』を損なわないかと心配だった」
という風に書いていて、私個人としては非常に衝撃を受けました。
この著者は事件と事件のもたらした甚大な被害や余波から眼をそむけたまま、この物語を紡いでいる。そう思わざるを得ませんでした。
また、細心に亘る自己弁解や自己擁護が目立つ。
父を崇拝するのに対し兄弟家族を批判しているのも見苦しい・・・。
「わたしだって苦しかったんだ!」
というのがこの著書の主たる叫びである。それは分かる。
しかし、多くの人が未だ後遺症に苦しみ、遺族が亡き人を悼む日にわざわざぶつけてまで、出版する必要があったとは思えない。
本の中にはカナダ留学時代の写真や、私立大学卒業式の写真まで掲載している。
留学するな、私大に行くな、などとは言わないし、当然の権利だ。
でも、「地下鉄サリン事件の日に出版する」ならば、そこは伏せておく、写真等は思い出として胸にそっとしまっておくのが「ひと」としての品性ではないかと思った。
そうした慮りなく、追悼の日にこうしたものを出版してしまうところ、あちこちのメディアに露出する点などをみていて、なるほど、間違いなく松本智津夫の子供であるという印象を抱いた。
とにかく、読み終えた後、こころがすさみました。
この本の印税が遺族の手に渡らないのは明白なので、本は古本屋などに売却せずにそっと処分したいと思います。
2021年8月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
幼少期の生まれた環境がオウム真理教だっただけで、一生監視されることになっている著作の想像を絶する困難と苦難と乗り越えてきたことの重さを感じました。
(当然)あってはならない事件と前提で読み進めましたが、マスコミ、政治、宗教、環境により真実はねじ曲げられる、現代でも全く変わらないことが人にはあるのかと、痛感しています。
(当然)あってはならない事件と前提で読み進めましたが、マスコミ、政治、宗教、環境により真実はねじ曲げられる、現代でも全く変わらないことが人にはあるのかと、痛感しています。