フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェの「神は死んだ」という言葉はあまりにも有名である。
そのニーチェが著した『アンチクリスト』を、現代語訳にて『キリスト教は邪教です!』という過激なタイトルで刊行されたのが本書です。
訳者の適菜収氏の小学生でも読めるような解りやすい訳(少々はめを外しているが)で面白く読み終えました。
ギリシャにおいてソクラテス以前の汎神論的世界が、プラトンの思想「イデア」により超自然世界などと、かれらが考察したことから始まった「哲学」が、ユダヤ教からキリスト教と共振して歴史を重ね、なんと2000年もその呪縛(神の存在)から解放されることなくニーチェの時代まで連綿と続いたのです。
ニーチェに至るまでの哲学者たちは、キリスト教(神の存在)との整合性を構築するために悪戦苦闘してきました。
本書巻末の東京大学教授の松原隆一郎氏の解説で端的に述べておられたのが評者の感想と重なるので下の・・・・・内に転載したい。
・・・・・
<前文略>ニーチェが特定の理想世界を押しつけているようには読みとれない。仏教は「罪にたいする戦い」ではなく、現実を直視して「苦しみに対する戦い」を説いていると評価されている。古代インドの『マヌ法典』にも、人生の喜びや勝ち誇った幸福感、女性への思いやりで太陽のごとく輝いているとして好意がよせられている。それどころかイエスもまた、「罪」や「罰」で彩られた信仰ではなく、「よく生きる」ことを実践した偉大な人物として描かれる。つまり「高貴に生きる」方法として、唯一のあり方を不寛容に説いているわけではない。ただ、概念による思考を過剰にふくらませて、現実の中でよく生きようとはしない人々を糾弾したのだ。
(イエスその人ではなく)キリスト教に峻烈な闘いを挑んだニーチェは、「高貴に生きる」生き方にかんしては、意外な寛容なのである。その「寛容さ」を、この現代語訳はうまくすくい取っているように思われるのである。
・・・・・
本書でニーチェは、キリスト教やユダヤ教などめった斬りに糾弾している。
キリスト教とは、あらゆるところで現代社会に影響を齎しているから、日本人など関係ないなどと考えるのは大間違いなのです。
明治以降、その価値観など自覚症状などなく、日本人の身のすみずみまで影響(キリスト教的価値観=西欧的な価値観)を受けていると思わなければならないのです。
ニーチェの影響を受けた二十世紀の哲学者のハイデガーは、「死に臨む存在」という言い方で、人間にとって究極の可能性である死。それをどう意識するかがその人の生の意味を決定すると考え、自分の死を意識することこそ他の生物との違いだと述べていました。
それに真っ向から反対したのがサルトルでした。
サルトルは、死は「わたしの可能性」などではありません。死は私のすべてを可能性を無にし、わたしの人生からすべての意味を除き去る、まったく不条理な偶発事なのです。わたしの誕生が選ぶことも理解することもできない不条理な事実であると同様に、わたしの死も理解したり、それに対応したりすることができない不条理なのだ(木田元著『反哲学』P18~19より)。
サルトルより数十年前、同じようなことを日本の宗教哲学者清沢満之が下の・・・内のように説いています。
・・・どれほど考えてみても、どれほど哲学や科学にたずねてみても、死後(展転生死の後)の究極の内容は、とうてい思議することができない。死後の究極だけが思議できないのではない。生前の究極もまた絶対的に不可思議の雲霧を眺めるしかない。これこそ、われわれが進・退ともに絶対不可思議の妙用に託さざるをえないゆえんである。・・・
サルトルは、ひょっとして清沢満之を読んでいたのだろか?
あらためて、いまだに宗教戦争をしている国々の人々へ「神は死んだ!」と、ニーチェの言葉伝えたくなりながら本書を読み終えたのです。
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キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書) 新書 – 2005/4/21
フリードリッヒ・ニーチェ
(著),
適菜 収
(翻訳)
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名著、現代に復活! 世界を滅ぼす一神教の恐怖!!――世界を戦火に巻き込むキリスト教原理主義者=ブッシュ、アメリカの危険を100年前に喝破!!
●松原隆一郎氏「西洋の価値体系を徹底批判」
●被告・キリスト教は有罪です。私はキリスト教に対して、これまで告訴人が口にしたすべての告訴のうちで、もっとも恐るべき告訴をします。どんな腐敗でも、キリスト教以上に腐っているものはないからです。キリスト教は、周囲のあらゆるものを腐らせます。あらゆる価値から無価値を、あらゆる真理からウソを、あらゆる正直さから卑怯な心をでっちあげます。それでもまだ、キリスト教会の「人道主義的」な祝福について語りたいなら、もう勝手にしろとしか言えません。キリスト教会は、人々の弱みにつけこんで、生き長らえてきました。それどころか、自分たちの組織を永遠化するために、不幸を作ってきたのです。
●キリスト教が世界をダメにする
●仏教の素晴らしいところ
●イエスは単なるアナーキスト
●イエスとキリスト教は無関係
●オカルト本『新約聖書』の暴言集
●キリスト教が戦争を招く理由
●キリスト教は女をバカにしている
●キリスト教が破壊したローマ帝国
●十字軍は海賊
●ルネサンスは反キリスト教運動
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●十字軍は海賊
●ルネサンスは反キリスト教運動
- 本の長さ192ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2005/4/21
- 寸法12.2 x 1.1 x 18.3 cm
- ISBN-104062723123
- ISBN-13978-4062723121
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- 出版社 : 講談社 (2005/4/21)
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- 言語 : 日本語
- 新書 : 192ページ
- ISBN-10 : 4062723123
- ISBN-13 : 978-4062723121
- 寸法 : 12.2 x 1.1 x 18.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 228,255位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2018年6月8日に日本でレビュー済み
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2024年1月24日に日本でレビュー済み
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有史以来人々を生きづらくさせているシステムが、すべてキリスト教に基づいているという、ニーチェの鮮やかな分析を、とても分かりやすく書いています。訳者は部分的にあえて煽情的な言葉を断定的に用いており、鮮やかで分かりやすいがゆえに、誤解を招く危険性があります。内容が腑に落ちるまで、じっくりと読むことをおすすめします。
例えば、ユダヤ人への非難めいた描写がありますが、ナチスが断罪された後に生まれた私たちとしては、これらニーチェの思想はヒトラー台頭前に著されており、彼の妹夫婦によって歪められ、ナチスに悪用されたことを頭に入れて読まないと、余計なバイアスがかかります。いったい何を言いたくてユダヤ人をこき下ろしている(そもそもこき下ろしているのはユダヤ人だけではない)のか、考えながら読み進めるうちに、歴史をたどるだけでは分からなかった、さまざまなことが氷解します。
フランス革命の先鋒ロベスピエールがなぜ、ルイ16世やマリー・アントワネットと同じように、ギロチンにかけられたのか。ローマ教皇の座をめぐって、血なまぐさい争いが繰り返されたのはなぜか。民主主義はなぜ、長じて全体主義に近づくのか。もともとのイエスの教えからずっと遠いところにある、キリスト教の教義が諸悪の根源だと、ニーチェは看破しています。
スッキリした、面白かった、で終わらないしもったいない。では自分はどうあるべきか。そこまで考えるようになるための本です。
例えば、ユダヤ人への非難めいた描写がありますが、ナチスが断罪された後に生まれた私たちとしては、これらニーチェの思想はヒトラー台頭前に著されており、彼の妹夫婦によって歪められ、ナチスに悪用されたことを頭に入れて読まないと、余計なバイアスがかかります。いったい何を言いたくてユダヤ人をこき下ろしている(そもそもこき下ろしているのはユダヤ人だけではない)のか、考えながら読み進めるうちに、歴史をたどるだけでは分からなかった、さまざまなことが氷解します。
フランス革命の先鋒ロベスピエールがなぜ、ルイ16世やマリー・アントワネットと同じように、ギロチンにかけられたのか。ローマ教皇の座をめぐって、血なまぐさい争いが繰り返されたのはなぜか。民主主義はなぜ、長じて全体主義に近づくのか。もともとのイエスの教えからずっと遠いところにある、キリスト教の教義が諸悪の根源だと、ニーチェは看破しています。
スッキリした、面白かった、で終わらないしもったいない。では自分はどうあるべきか。そこまで考えるようになるための本です。
2017年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本に書かれているニーチェの見解を読んで、キリスト教の矛盾点について常日頃から疑問に思っていたところが明らかになりました。色々と腑に落ちたり、合点がいくところがあったという点において、私にとっては役に立つ本でした。圧倒的におもしろく、圧倒的に危険な書物である本書は、理解を誤るとキリスト教を攻撃の対象としてしまう不穏な思想に飛躍してしまう恐れがあります。しかし注意深く読めば、得ることがあります。キリスト教が独善的で、戦争を必要とする宗教と言われて、まさかと思います。でも世界史を俯瞰すれば頷かざるを得ない事実がある訳で、そのことを考えれば、ニーチェがキリスト教を否定する理由、邪教と超訳した著者の意図、世界の秩序がキリスト教的に出来上がっている理由、その悪影響などの疑問が解けますし、矛盾だらけの教会の謎を簡潔に知りたい人には、役に立つ本です。かなり辛辣な表現で語られていますので、教会に懐疑的な考えを持つ人には痛快な読み物です。
タイトルの邪教という言い方はセンセーショナルですが、人間を罪人と決めつけ、心の弱さに同情し、人間性を高める方向に向かわせようとしない意味では、キリスト教は個人を幸福に導かない宗教です。キリスト教では、毎日お祈りをして、自分の罪についてしゃべったり、自分を批判したりしている。そんなに自分を卑下し続け、それが天国行きの切符になると言うのなら、卑怯者の嘘つきと怠け者ばかりが天国に行くことになってしまうと私は思います。ニーチェは、キリスト教徒というのは異なった文化を認めようとしないし、それどころか、考え方が違う人たちを憎み、徹底的に迫害するとても暗くて不健康で危険な人たちだと言ってのけていました。立派な心がけ、気力や自由、心地のいいこと、気持ちがいいこと、喜びなどを、徹底的に嫌悪し憎むことを奨励されたとして、邪教と呼ぶかは別としても、そんな宗教は如何なものでしょうか。
問題はイエス・キリスト本人ではなく、教会を設立したパウロなどの側にあるということでした。一般人ならば誰しもが、キリスト教はイエス・キリストの教えを信じる宗教と信じて疑わないだけに、ニーチェの洞察力、考え方は衝撃的です。対比として仏教を例に挙げて、キリスト教が人間の精神と文化への軽蔑をあらわにする一方で、仏教は人々を平和でほがらかな世界へと連れていき、精神的にも肉体的にも健康にさせる宗教と言っています。意外ですが、キリスト教が女性をバカにした宗教だなんて、ニーチェでなく誰が言うでしょうか。
キリスト教に限らずとも、師の言葉を伝えていく途中で、その内容が変質してしまうのはよくあることです。教祖を都合よくアイドル化して、アレンジを加える。対立する派閥が出来て宗旨が異なる宗派が生まれ、異なる解釈が生まれる。その組織が巨大化すればするほど顕著です。キリスト教会は驚くべきことに、キリストの教えを実践する集団ではなく、権力を重んじ、世界を罪という概念で支配しようとしたパウロ教だったということを知る上でも、あくまでも熱くならずに、教養の一部として幅を広げるために本書の読書をおすすめします。ちなみにパウロは直弟子ではありませんが教会設立に大きな影響を与え、深くかかわった人物です。本書の注意点として、難解で有名なニーチェを一般人のために分かりやすくした超・現代語訳だけに、かなりくだけた感じの言い回しになっています。私は気になりませんでしたが、格調を重んじる方にはおすすめしません。最後に、イエスの教えが、より良く生きるためのライフスタイルの提案というニーチェの考え方には(超訳ですが)目からウロコでした。
タイトルの邪教という言い方はセンセーショナルですが、人間を罪人と決めつけ、心の弱さに同情し、人間性を高める方向に向かわせようとしない意味では、キリスト教は個人を幸福に導かない宗教です。キリスト教では、毎日お祈りをして、自分の罪についてしゃべったり、自分を批判したりしている。そんなに自分を卑下し続け、それが天国行きの切符になると言うのなら、卑怯者の嘘つきと怠け者ばかりが天国に行くことになってしまうと私は思います。ニーチェは、キリスト教徒というのは異なった文化を認めようとしないし、それどころか、考え方が違う人たちを憎み、徹底的に迫害するとても暗くて不健康で危険な人たちだと言ってのけていました。立派な心がけ、気力や自由、心地のいいこと、気持ちがいいこと、喜びなどを、徹底的に嫌悪し憎むことを奨励されたとして、邪教と呼ぶかは別としても、そんな宗教は如何なものでしょうか。
問題はイエス・キリスト本人ではなく、教会を設立したパウロなどの側にあるということでした。一般人ならば誰しもが、キリスト教はイエス・キリストの教えを信じる宗教と信じて疑わないだけに、ニーチェの洞察力、考え方は衝撃的です。対比として仏教を例に挙げて、キリスト教が人間の精神と文化への軽蔑をあらわにする一方で、仏教は人々を平和でほがらかな世界へと連れていき、精神的にも肉体的にも健康にさせる宗教と言っています。意外ですが、キリスト教が女性をバカにした宗教だなんて、ニーチェでなく誰が言うでしょうか。
キリスト教に限らずとも、師の言葉を伝えていく途中で、その内容が変質してしまうのはよくあることです。教祖を都合よくアイドル化して、アレンジを加える。対立する派閥が出来て宗旨が異なる宗派が生まれ、異なる解釈が生まれる。その組織が巨大化すればするほど顕著です。キリスト教会は驚くべきことに、キリストの教えを実践する集団ではなく、権力を重んじ、世界を罪という概念で支配しようとしたパウロ教だったということを知る上でも、あくまでも熱くならずに、教養の一部として幅を広げるために本書の読書をおすすめします。ちなみにパウロは直弟子ではありませんが教会設立に大きな影響を与え、深くかかわった人物です。本書の注意点として、難解で有名なニーチェを一般人のために分かりやすくした超・現代語訳だけに、かなりくだけた感じの言い回しになっています。私は気になりませんでしたが、格調を重んじる方にはおすすめしません。最後に、イエスの教えが、より良く生きるためのライフスタイルの提案というニーチェの考え方には(超訳ですが)目からウロコでした。
2023年4月9日に日本でレビュー済み
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幼少期から思春期までキリスト教を教わりながら育ち、大人になってからキリスト教の方向性に違和感を持つようになっていたのですが、宗教を真正面から否定する人はあまりいないので珍しいタイトルに意識を引かれて購入しました。
読み物としては面白かったのですが、タイトルに惑わされた感じがして商業的な要素を感じてしまいました。
読み物としては面白かったのですが、タイトルに惑わされた感じがして商業的な要素を感じてしまいました。
2019年1月26日に日本でレビュー済み
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今から約2000年前、イエスは人々に何を説いていたのか?そしてそれがなぜ歪められていったのか。歪められたイエスの教え=キリスト教が世界に与える悪影響について書かれています。イエスの真意を理解できなかった弟子たちと新約聖書を執筆したとされるパウロがいかにイエスの本質をゆがめてしまったのか…。本書を読んでキリスト教の成立過程に興味を持ちました。講談社現代新書から出ている「ふしぎなキリスト教」と合わせて読むと理解がさらに深まると思います。
余計かも知れませんが、ふと「ダヴィンチコード」をもう一回読みたくなりました。
余計かも知れませんが、ふと「ダヴィンチコード」をもう一回読みたくなりました。
2018年8月29日に日本でレビュー済み
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「ニーチェの意図を損なわないように、基本的には原文に忠実に翻訳しました」とあるが、原文の真意を損なわずに分かりやすく伝えることが如何に難しいことか…
以前「ツァラトゥストラかく語りき」の現代語訳(学問的な直訳に近い)を読んだことがあるが、その時に感じた悲痛な慟哭のようなオーラはこの本にはあまり感じられす、どちらかというと人柄の丸い現代人が皮肉交じりにユーモラスに語った講演のような雰囲気になっている。
このように、できるだけ内容を変えないようにしていても、文体を変えるだけで読み手に与える印象には雲泥の差が生じてしまう。
これはよくある話であるが、冷静に考えれば恐ろしいことである。
しかも本書はそれに加えて、明らかな誤訳としか思えない箇所も散見する。
例えば、「ブッダは『利己主義は人間の義務である』と説きました」とあるが、そんなことをブッダが説いたなどという話は聞いたこともないし、もしそれが本当なら大変なことだ。
これはどう考えても「ブッダは『全ての人は間違いなく利己的である』と説きました」の誤訳であろう。
実際、親鸞もそのように説いているし、科学的にも人間の本性が利己的あることはもはや異論の余地がない。
ところがヨーロッパ言語、例えば英語だと
"Everybody must be selfish."
と言うと
「全ての人は利己的であるはずだ」
「全ての人は利己的でなければならない」
という二通りの解釈が可能になってしまうことがある。
もっともこれは日本語に訳す段階ではなく、仏典の難解さを考えれば下手をするとニーチェ自身も誤解していた可能性も考えられるのだが…
「分かりやすい入門書」の危うさを、改めて痛感した次第である。
以前「ツァラトゥストラかく語りき」の現代語訳(学問的な直訳に近い)を読んだことがあるが、その時に感じた悲痛な慟哭のようなオーラはこの本にはあまり感じられす、どちらかというと人柄の丸い現代人が皮肉交じりにユーモラスに語った講演のような雰囲気になっている。
このように、できるだけ内容を変えないようにしていても、文体を変えるだけで読み手に与える印象には雲泥の差が生じてしまう。
これはよくある話であるが、冷静に考えれば恐ろしいことである。
しかも本書はそれに加えて、明らかな誤訳としか思えない箇所も散見する。
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これはどう考えても「ブッダは『全ての人は間違いなく利己的である』と説きました」の誤訳であろう。
実際、親鸞もそのように説いているし、科学的にも人間の本性が利己的あることはもはや異論の余地がない。
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"Everybody must be selfish."
と言うと
「全ての人は利己的であるはずだ」
「全ての人は利己的でなければならない」
という二通りの解釈が可能になってしまうことがある。
もっともこれは日本語に訳す段階ではなく、仏典の難解さを考えれば下手をするとニーチェ自身も誤解していた可能性も考えられるのだが…
「分かりやすい入門書」の危うさを、改めて痛感した次第である。