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ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン 17 (80) コミック – 2003/7/4
荒木 飛呂彦
(著)
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光に包まれ、姿を消した神父は、ついに「天国の時」を手にする! 恐るべき力を手にした神父に対し、一丸となって立ち向かう徐倫たちだったが…!? 終わりなき正義と悪の戦いに終止符が打たれる時が来たのか…!!?
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2003/7/4
- ISBN-104088734831
- ISBN-13978-4088734835
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2003/7/4)
- 発売日 : 2003/7/4
- 言語 : 日本語
- コミック : 264ページ
- ISBN-10 : 4088734831
- ISBN-13 : 978-4088734835
- Amazon 売れ筋ランキング: - 106,946位コミック
- カスタマーレビュー:
著者について
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荒木飛呂彦 (あらき・ひろひこ)
1960年6月7日生まれ、宮城県仙台市出身。東北学院榴ヶ岡高等学校を卒業後、仙台デザイン専門学校卒業。80年に『武装ポーカー』で「少年ジャンプ」デビュー。代表作は『ジョジョの奇妙な冒険』。他作品に『魔少年ビューティー』『バオー来訪者』『スティール・ボール・ラン』『荒木飛呂彦短編集 ゴージャス☆アイリン』『死刑執行中脱獄進行中』、『変人偏屈列伝』(鬼窪浩久との共著)など多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年11月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第6部まで続いたジョジョの物語が、こういう形で完結するとは、、、とても潔い簡潔の仕方で、やはりジョジョは素晴らしいと思います
2022年8月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
荒木飛呂彦は,「バオー来訪者」の途中くらいから,定められた運命とそれに対峙する人の意思や希望みたいな感じのテーマを思いついたようです。「バオー」は打ち切り作品ながら,それに対するひとつの結論を描写していました。そしてそのテーマは「ジョジョの奇妙な冒険」に引き継がれた,ということなんですが,そうはいっても最初から確固たるテーマに沿って書かれているわけでもなく,最初は人と,人が敵わないような巨大な因果との対決のような感じで描かれ,だんだんと哲学的なテーマに接近していきます。そしてそのテーマがひとつの結実を迎えたのがこの「ストーンオーシャン」のラストであると思うんですけど,もはやここでは善と悪といった概念は相対化されてしまっています。
まったく話が変わって恐縮なのですが,我々は「性善説」「性悪説」って好きですよね。実際,いろんなところで目にします。しかし,もとになった中国古典はそういう意味ではなかったという話は別に措くとしても,人間の本性は善か悪か,どちらなんでしょう。実はこれは,その質問自体が間違っている,というか,その前にあるべき前提の問いが欠けているのです。その前提の問いとは,「人間には自由意思があるのかどうか」という問いです。もし,すべてのことはあらかじめ決定されている(これを「決定論」といいます。)とすれば,一見我々が自由に思考しているように見えることも,その思考も実はあらかじめ決まっているわけですから,人間には自由意思はない,ということになります。この問題は人類が2000年以上考えても答えが出ない問題なので,まあ科学が進歩すればいつかは答えが出るという人もいますが,たぶん答えは出ないと思うので,各自が好きな答えを選べばいいと思うんですが,一応,我々の現代社会は,政治的意思決定の問題として,「人間には自由意思がある」という答えを選択しました。性善説も性悪説も「善と決まっている」「悪と決まっている」という意味で決定論の一種なので,決定論が選ばれなかった以上はその問いには進まないのです。例えば,刑法では,他人や社会に迷惑をかけた結果責任だけで犯罪が成立するわけではなく,プラス,そのようなことを実行するにいたった意思決定をしたことによって犯罪が成立するとされています。人間には基本みな自由意思があって,その中で犯罪をしないという選択もできたのに,あえて犯罪をするような意思決定をした,そこに責任が発生すると考えられているのです(したがって,重度の精神疾患などによりそもそも自由な意思決定ができない人については,刑事責任を問えないのです。仮に刑法39条がなかったとしても,解釈上不可罰になると考えられます)。
これに対し,決定論も根強いものがあります。決定論のひとつとして古来有名なのに古代ギリシアの哲学者プラトンのイデア論があります。プラトンは,永遠不変な真理があると考えてそれを「イデア」と名付けたのですが,プラトンによれば,もともと人間は天国にいたときには誰もがイデアに触れ絶対真理を知っていたが,この世に来るときにそれを忘れてしまっていて,我々がいろいろなことを学んだり発見したり創造したりするのは実はその忘れていたイデアを思い出しているにすぎないのだ,というのです。これ,プッチ神父が目指した「天国」に似ていると思いませんか。そういえばよく考えられているなと思うのは,プッチ神父はビビると素数を数えて心を落ちつけるというヤツなんですが,素数というのは無限にあるんですけど,実はすべて(無限なのに「すべて」というのは変ですけど),先の先まですべてもう決まっていて,ただ法則性がないので人類がある数字までしか発見できていない,というだけなんですね。もちろん無限にある以上すべて知ることはできないんですけど,素数の存在は決定論の有力な傍証たりうると思います。多分,プッチ神父も心の底では何もかも決定しているはずだという確信が揺らぐときがあって,それで素数のことを考えると大丈夫だと落ち着けたんじゃないでしょうか。で,プラトンのイデアの場合,あの世にしかなく現実世界には存在できない前提であるので,プラトンは,現実世界ではイデアに少しでも近い知識のある賢人(要するに自分とか師匠のソクラテスのような者)が国家を統治するべきであると主張したのですが,プッチ神父の場合は現実世界の全人類にあまねくイデアの知識をもたらそうとしたのですから,プッチ神父自身が世界の支配者になりたいというわけでもなさそうですし,さらにラディカルだと言えます。プッチ神父は,ウェザーリポートから「自分が「悪」だと気づいていない最もドス黒い「悪」」と言われていますが,それは「自由意思」側に立つウェザーリポートから見た認識にすぎず,すべてが決まっている,しかも万人がそれを知りうるような状態を目指すプッチ神父の立場からは,そこではもう誰にどんな才能があってこの先なにをなしとげるとか,逆に誰がどんな犯罪を犯すことになっているかとか,もう全部決まっていて,しかもその結論に対しては「覚悟」するしかなくて変えられないっぽいですから,プッチ神父にしてみたらもう善も悪も関係ないし,もはや悪は非難される対象でもないし,意味もないのです。
しかし,我々人間は,もともとイデアのような絶対真理を認識できない存在なのです。そもそも,あらゆることがあらかじめ決まっているのか決まっていないのか,その答えにすらたどり着けないのです。あらゆることがほんとうは客観的に決まっていようが決まっていまいが,認識できないなら,決まっていないのと同じことです。そこには自由と希望があります。空条徐倫のスタンド「ストーン・フリー」は,直接的にはジミ・ヘンドリックスの曲から名前が取られていますが,意味としては,「ストーン」の「石」を「意思」ともじって,「自由意思」という意味が込められているそうです。徐倫は自由意思をもってプッチ神父の決定論に対峙する存在なのです。自由意思の元では善悪は選択の問題です。カントによれば,人間が善を選択できるということ自体が,人間が他のものから自由であることの証明になるのだそうです。
徐倫とプッチ神父の最後の戦いは象徴的です。「ストーン・フリー」はあまり強くなくて,さらに猛スピードで加速するプッチ神父には力もスピードもかないません。秘められた能力が目覚めるとかももう起こりません。もうピンチに助けに来てくれる強い味方も誰もいません。なにか奇跡が起きて逆転する,ということもありません(これ以前のジャンプマンガであれば,このどれかで勝たせていると思います)。ここで徐倫は,エンポリオに「あんたは「希望」!!」だと告げ(「希望」の文字がわざわざゴチック体で強調されています),そして,ただ徐倫自身が自由意思をもって主体的に選択した決意だけをもってプッチ神父に挑むのです。この物語が凄いと思うのが,ここで徐倫がまったくかなわずそのまま敗北してしまうことです。ほんとうになんの見せ場もなく一瞬で敗れ去るのです。これが主人公,空条徐倫のラストスタンドなのです。しかし,彼女の残した「希望」であるところのエンポリオは,プッチ神父がついに到達したかに見えた「天国」にわずかな欠缺をもたらします。すこしでも完全でないところがあるならば,それはもう絶対不変の真理とは呼べません。実は徐倫はエンポリオを逃がした時点ですでに勝っていたのです。こんな勝利,なかなか描けない!要するに,運命とか神的なものとの闘いを描く場合,とにかくメチャクチャ強い最強の敵の設定を思いついたとして,仮に主人公がそれに勝ったとしても,それは単にメチャクチャ強い敵に勝ったというだけのことであって,運命とか神的なものに勝ったといえるためには単なる力比べではない全く発想の異なる勝利が必要であったのです。これまでもそういうマンガがなかったわけではないと思うんですけど,まあかなり意味の分からないものになっていたと思います。この終盤は難解ですけど,それでもジャンプのバトルマンガの範疇に収まっているし,永遠に戦いが続く!とかじゃなくてちゃんと決着がついている,それが凄い。自由意思論を否定する論者の中には,脳細胞の数が有限なのだから,人間の思考だって有限だろうという人がいます。それに対しカントなら,物質である脳みそが有限だろうが人間の思考は自由なんだと言うでしょう。これがマンガはどうでしょう。例えばここに紙がある,その紙のスペースは有限であると。ならばそこに描けることは有限か?これを読んだら無限に描けることはあると信じざるを得ません。いやー,これはほんとうに凄い!
まったく話が変わって恐縮なのですが,我々は「性善説」「性悪説」って好きですよね。実際,いろんなところで目にします。しかし,もとになった中国古典はそういう意味ではなかったという話は別に措くとしても,人間の本性は善か悪か,どちらなんでしょう。実はこれは,その質問自体が間違っている,というか,その前にあるべき前提の問いが欠けているのです。その前提の問いとは,「人間には自由意思があるのかどうか」という問いです。もし,すべてのことはあらかじめ決定されている(これを「決定論」といいます。)とすれば,一見我々が自由に思考しているように見えることも,その思考も実はあらかじめ決まっているわけですから,人間には自由意思はない,ということになります。この問題は人類が2000年以上考えても答えが出ない問題なので,まあ科学が進歩すればいつかは答えが出るという人もいますが,たぶん答えは出ないと思うので,各自が好きな答えを選べばいいと思うんですが,一応,我々の現代社会は,政治的意思決定の問題として,「人間には自由意思がある」という答えを選択しました。性善説も性悪説も「善と決まっている」「悪と決まっている」という意味で決定論の一種なので,決定論が選ばれなかった以上はその問いには進まないのです。例えば,刑法では,他人や社会に迷惑をかけた結果責任だけで犯罪が成立するわけではなく,プラス,そのようなことを実行するにいたった意思決定をしたことによって犯罪が成立するとされています。人間には基本みな自由意思があって,その中で犯罪をしないという選択もできたのに,あえて犯罪をするような意思決定をした,そこに責任が発生すると考えられているのです(したがって,重度の精神疾患などによりそもそも自由な意思決定ができない人については,刑事責任を問えないのです。仮に刑法39条がなかったとしても,解釈上不可罰になると考えられます)。
これに対し,決定論も根強いものがあります。決定論のひとつとして古来有名なのに古代ギリシアの哲学者プラトンのイデア論があります。プラトンは,永遠不変な真理があると考えてそれを「イデア」と名付けたのですが,プラトンによれば,もともと人間は天国にいたときには誰もがイデアに触れ絶対真理を知っていたが,この世に来るときにそれを忘れてしまっていて,我々がいろいろなことを学んだり発見したり創造したりするのは実はその忘れていたイデアを思い出しているにすぎないのだ,というのです。これ,プッチ神父が目指した「天国」に似ていると思いませんか。そういえばよく考えられているなと思うのは,プッチ神父はビビると素数を数えて心を落ちつけるというヤツなんですが,素数というのは無限にあるんですけど,実はすべて(無限なのに「すべて」というのは変ですけど),先の先まですべてもう決まっていて,ただ法則性がないので人類がある数字までしか発見できていない,というだけなんですね。もちろん無限にある以上すべて知ることはできないんですけど,素数の存在は決定論の有力な傍証たりうると思います。多分,プッチ神父も心の底では何もかも決定しているはずだという確信が揺らぐときがあって,それで素数のことを考えると大丈夫だと落ち着けたんじゃないでしょうか。で,プラトンのイデアの場合,あの世にしかなく現実世界には存在できない前提であるので,プラトンは,現実世界ではイデアに少しでも近い知識のある賢人(要するに自分とか師匠のソクラテスのような者)が国家を統治するべきであると主張したのですが,プッチ神父の場合は現実世界の全人類にあまねくイデアの知識をもたらそうとしたのですから,プッチ神父自身が世界の支配者になりたいというわけでもなさそうですし,さらにラディカルだと言えます。プッチ神父は,ウェザーリポートから「自分が「悪」だと気づいていない最もドス黒い「悪」」と言われていますが,それは「自由意思」側に立つウェザーリポートから見た認識にすぎず,すべてが決まっている,しかも万人がそれを知りうるような状態を目指すプッチ神父の立場からは,そこではもう誰にどんな才能があってこの先なにをなしとげるとか,逆に誰がどんな犯罪を犯すことになっているかとか,もう全部決まっていて,しかもその結論に対しては「覚悟」するしかなくて変えられないっぽいですから,プッチ神父にしてみたらもう善も悪も関係ないし,もはや悪は非難される対象でもないし,意味もないのです。
しかし,我々人間は,もともとイデアのような絶対真理を認識できない存在なのです。そもそも,あらゆることがあらかじめ決まっているのか決まっていないのか,その答えにすらたどり着けないのです。あらゆることがほんとうは客観的に決まっていようが決まっていまいが,認識できないなら,決まっていないのと同じことです。そこには自由と希望があります。空条徐倫のスタンド「ストーン・フリー」は,直接的にはジミ・ヘンドリックスの曲から名前が取られていますが,意味としては,「ストーン」の「石」を「意思」ともじって,「自由意思」という意味が込められているそうです。徐倫は自由意思をもってプッチ神父の決定論に対峙する存在なのです。自由意思の元では善悪は選択の問題です。カントによれば,人間が善を選択できるということ自体が,人間が他のものから自由であることの証明になるのだそうです。
徐倫とプッチ神父の最後の戦いは象徴的です。「ストーン・フリー」はあまり強くなくて,さらに猛スピードで加速するプッチ神父には力もスピードもかないません。秘められた能力が目覚めるとかももう起こりません。もうピンチに助けに来てくれる強い味方も誰もいません。なにか奇跡が起きて逆転する,ということもありません(これ以前のジャンプマンガであれば,このどれかで勝たせていると思います)。ここで徐倫は,エンポリオに「あんたは「希望」!!」だと告げ(「希望」の文字がわざわざゴチック体で強調されています),そして,ただ徐倫自身が自由意思をもって主体的に選択した決意だけをもってプッチ神父に挑むのです。この物語が凄いと思うのが,ここで徐倫がまったくかなわずそのまま敗北してしまうことです。ほんとうになんの見せ場もなく一瞬で敗れ去るのです。これが主人公,空条徐倫のラストスタンドなのです。しかし,彼女の残した「希望」であるところのエンポリオは,プッチ神父がついに到達したかに見えた「天国」にわずかな欠缺をもたらします。すこしでも完全でないところがあるならば,それはもう絶対不変の真理とは呼べません。実は徐倫はエンポリオを逃がした時点ですでに勝っていたのです。こんな勝利,なかなか描けない!要するに,運命とか神的なものとの闘いを描く場合,とにかくメチャクチャ強い最強の敵の設定を思いついたとして,仮に主人公がそれに勝ったとしても,それは単にメチャクチャ強い敵に勝ったというだけのことであって,運命とか神的なものに勝ったといえるためには単なる力比べではない全く発想の異なる勝利が必要であったのです。これまでもそういうマンガがなかったわけではないと思うんですけど,まあかなり意味の分からないものになっていたと思います。この終盤は難解ですけど,それでもジャンプのバトルマンガの範疇に収まっているし,永遠に戦いが続く!とかじゃなくてちゃんと決着がついている,それが凄い。自由意思論を否定する論者の中には,脳細胞の数が有限なのだから,人間の思考だって有限だろうという人がいます。それに対しカントなら,物質である脳みそが有限だろうが人間の思考は自由なんだと言うでしょう。これがマンガはどうでしょう。例えばここに紙がある,その紙のスペースは有限であると。ならばそこに描けることは有限か?これを読んだら無限に描けることはあると信じざるを得ません。いやー,これはほんとうに凄い!
2021年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
コミック自体は持っているが、やはりいつでも
スマホで読めるので電子書籍を購入しました。
フルカラーなので、コミック本でわからなかった
部分も分かりやすく読みやすいですね。
スマホで読めるので電子書籍を購入しました。
フルカラーなので、コミック本でわからなかった
部分も分かりやすく読みやすいですね。
2022年9月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
3、4、5部に比べてあまり人気がない感じの6部
個人的には、敵キャラたちの魅力がイマイチだから、なんじゃないかと思う。
3、4、5部にはそれがめちゃくちゃあった。
大ボス含め、敵ながらそれぞれ濃くて個性的で印象に残るキャラクターが多かったように思う
でも6部はなんだか愛着が湧くような敵キャラが少ないのだ。
大体はプッチ神父に操られたコマ、って感じで、なーんかそれ以上の面白みがあまり見えてこないヤツが多い(3部敵キャラも結局はディオに操られたコマではあるのだけど、でもそちらはそれ以上の面白みが出ている奴らが多かったように思う)
最後の方、Dioの息子たち、というビックリな設定の敵キャラも3人出てきて、期待した。確かにそいつらのうち一人はオモシロい心理と予想外の動きをして「おっ?」となった。でもやはり結局期待した以上の物はなかったし、スタンド能力の奇想天外さとは裏腹にやられ方もなんだかあっけなかったりした。
ラスボスプッチ神父にしても、動機となる思想が抽象的過ぎて、イマイチ理解や共感がし難い部分があった。Dio、吉良吉影、ディアボロのキャラクターとしての面白さには今ひとつ及んでないと思う。
あと、よく言われることでもあるけど、確かにスタンドによっては能力の使われ方が複雑すぎて分かりづらすぎるものもある(ここは無理に理解しようとせず勢いで読んでしまうのもアリ)
じゃあ6部はダメなのか、っていうと違う。やはりスゴイ
承太郎絡みの前半のストーリーの衝撃や、後半(緑の赤ちゃんが出てきたあたり)からのストーリー展開のミステリアスさ、そして終盤の怒涛のどんでん返しの連続と、壮大かつ感動的なラスト、そこはやはりスゴイし、相変わらずハマらせてくれる力があった。
個人的には、敵キャラたちの魅力がイマイチだから、なんじゃないかと思う。
3、4、5部にはそれがめちゃくちゃあった。
大ボス含め、敵ながらそれぞれ濃くて個性的で印象に残るキャラクターが多かったように思う
でも6部はなんだか愛着が湧くような敵キャラが少ないのだ。
大体はプッチ神父に操られたコマ、って感じで、なーんかそれ以上の面白みがあまり見えてこないヤツが多い(3部敵キャラも結局はディオに操られたコマではあるのだけど、でもそちらはそれ以上の面白みが出ている奴らが多かったように思う)
最後の方、Dioの息子たち、というビックリな設定の敵キャラも3人出てきて、期待した。確かにそいつらのうち一人はオモシロい心理と予想外の動きをして「おっ?」となった。でもやはり結局期待した以上の物はなかったし、スタンド能力の奇想天外さとは裏腹にやられ方もなんだかあっけなかったりした。
ラスボスプッチ神父にしても、動機となる思想が抽象的過ぎて、イマイチ理解や共感がし難い部分があった。Dio、吉良吉影、ディアボロのキャラクターとしての面白さには今ひとつ及んでないと思う。
あと、よく言われることでもあるけど、確かにスタンドによっては能力の使われ方が複雑すぎて分かりづらすぎるものもある(ここは無理に理解しようとせず勢いで読んでしまうのもアリ)
じゃあ6部はダメなのか、っていうと違う。やはりスゴイ
承太郎絡みの前半のストーリーの衝撃や、後半(緑の赤ちゃんが出てきたあたり)からのストーリー展開のミステリアスさ、そして終盤の怒涛のどんでん返しの連続と、壮大かつ感動的なラスト、そこはやはりスゴイし、相変わらずハマらせてくれる力があった。
2021年7月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
購入して良かったです!
コミックの白黒だと非常にわかりづらい荒木作品ですが笑、やはりこの作画の緻密さとこだわりはカラーでこそ!
ラスト近くのメビウスのシーン。
このキラキラはカラーによって素晴らしい場面となりました。
他の巻も購入検討中です。
コミックの白黒だと非常にわかりづらい荒木作品ですが笑、やはりこの作画の緻密さとこだわりはカラーでこそ!
ラスト近くのメビウスのシーン。
このキラキラはカラーによって素晴らしい場面となりました。
他の巻も購入検討中です。
2021年5月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ジョジョシリーズの転換期とも言える第6部の最終巻。
ハッキリ言って6部からのジョジョシリーズは1〜5部とは全く別物。
それでも私は6部が一番好きです。
多くは語りません。
読んでください。
ハッキリ言って6部からのジョジョシリーズは1〜5部とは全く別物。
それでも私は6部が一番好きです。
多くは語りません。
読んでください。
2021年9月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
7部へきれいにつながっている。主人公以外の登場人物もとても魅力的で、ジョジョファンなら是非読んで欲しい作品だと思います。
他の国からのトップレビュー
Zach Hoskins
5つ星のうち5.0
This is awesome!
2020年7月3日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
I received my order quickly and in perfect condition. Thanks guys, I love it! :)
Connor
5つ星のうち5.0
Jolyne: Best Girl
2021年4月5日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
Legit.