「京都嫌い」がよほど売れたからでしょうか、その二番煎じを狙って文庫化された本書ですが、もう中古の値段は暴落しているようです。ほんとに世間の関心はあっという間に移りすぎていきます。そういう意味では、「関西人の正体」というタイトルがもろに東京の発想です。
中身はというと、東京のメディアが京都や大阪へ向ける無責任で根拠のない誤解や視角への著者の違和感がこれでもかとつづられる作品であり、一方で後の「京都嫌い」への兆候があちこちに見受けられる作品でもあります。スタイルは著者の自問自答であり、そこに没落してしまった関西の現状を指摘するというものです。
さて時間は流れましたが、関西弁は消えてはおらず、テレビをつけると大坂芸人の声を聴かない時間帯は一日中ありませんし、サッカーの日本代表選手のインタビューにも関西の方言はよく出てきます。関西は確かに生き残りました。しかし著者が95年に指摘したように、関西は「辺境文化」「道化」「悪役」「野生」「底力」「LCCの拠点」というある種の国民の財産としてその存在を確保したのです。もはやstandard setterや価値の源泉ととしての関西の存在は遠くに消えてしまったのです。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
関西人の正体 (小学館文庫 Y い- 12-1) 文庫 – 2003/8/1
井上 章一
(著)
カニやフグだけが関西ではない! 「風俗発祥の地・大阪」はぬれぎぬ! 関西弁でも抽象的思考はできる! 江戸こそ本当の食いだおれの街! 関西人だってナットウは食べる! 日本が低迷期に入る21世紀こそ関西文化圏が再び浮上する! …… ステレオタイプな関西論の数々を茶化し打ち壊す、京都出身で阪神タイガースを愛してやまない著者による独創的で楽しい関西論。関西を見る眼が変わること間違いなしの、新発見と知的興奮に満ちた1冊!
- 本の長さ247ページ
- 言語日本語
- 出版社小学館
- 発売日2003/8/1
- ISBN-104094184015
- ISBN-13978-4094184013
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2016年11月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2022年1月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
習慣習の違いがなんでか?よくわかる。
なるほどの一冊!
なるほどの一冊!
2016年9月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なかなか 大阪の人間でもこんな考え気ぃつきません(笑)
久しぶりにがっついて読ませて頂きました。
久しぶりにがっついて読ませて頂きました。
2020年12月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
やっばり人前では決して読まない
2017年6月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こんなに下らない本を読んだのは久しぶりだ。関西人の正体とたいそうなタイトルだが、内容はほとんどが推測、著者の主観である。しかも繰り返しが多くて冗長。いかに手を抜いているかがありあり伝わってくる。ええかげんにせえよ、といいたい。
2018年8月1日に日本でレビュー済み
井上章一著 『関西人の正体』
1 実際には、女の方が首都圏にとけこみやすい。女の方が男より、関西を裏切りやすい。
2 関西にも転勤で首都圏からやって来る。都落ちの意識ありで、関西を見下す。
だが、なかには、少数だが、関西文化にとけこもうとする人もいる。冗談半分で関西弁を学習しようとする。そのほとんどが男性であるのは面白い現象だ。
3 大阪は、ミナミのカニやフグだけをメディアは大阪らしい街並みと報じる。御堂筋は黙殺する。大阪という街の映像も、こうして作る。
4 大阪=俗悪説は、客観的な観察で抽出されていない。
御堂筋の整然とした街区を、見落としてしまうような、レベルの低い目。カニやフグの大看板だけを大阪的と考える偏見。
5 大阪には大阪砲兵工廠があった。武器弾薬を作る工場である。今では、OBP(大阪ビジネスパーク)となっている。
6 たこ焼きも「放る物」を集めてかためた食べ物。きちんとした料理を出した時の余り物。捨てられる野菜の断片。それらを集めて物がたこ焼きではないか。
大阪砲兵工廠で弾薬をつくっていた鋳型が、たこ焼きの鉄板に転用されたのではないか。
7 なぜ、大阪は「食い倒れ」の街なのか。
ミナミにある「くいだおれ人形」は、大阪の街を象徴することでよく使われる。この人形のせいではないか。
8 大阪の女はケバイというイメージがある。
しかし、派手な女は東京の方がずっと多い。渋谷、青山、赤坂、六本木、新宿・・・。エリアは東京の方が広いはずだ。
東京は派手さを競う場所があちこちにあるが、大阪は限られている。ミナミの戎橋あたりへ行くと、わんさかいるという様相になる。
ケバイ女が多いからそうなるのではない、彼女たちが集まれる場所が限られているのだ。集積密度が高くなるので会う。
9 今は、京都でも「ぶぶづけ、どうです」とは言わない。随分前に廃れてしまった。
他地方の反発と怒りが、こういう言い方を消滅させたのだろう。
10 東京で、皇室の京都復帰が語られる。理由は、皇室行事のたびに繰り返される警備体制が嫌なのだ。自動車の検問チェックで交通渋滞を迷惑がる。戒厳令まがいの光景を、都民は嫌がっているのだろう。
これは京都に対して失礼で、皇室に対しても無礼な話だ。ババ抜きのババ扱いをしている。
ワコールは京都に本社があるが、皇室崇拝の言辞を繰り返す。天皇陛下には京都へおもどりあそばせと、アピール。
皇室の下僕=ワコールというイメージを喚起できればしめたもの。うまくいけば、ワコールのパンツに宮内庁御用達という印象ができる。御用達のイメージでブランド力の低下を食い止めることができるのではないか。
11 京都の祇園のさるクラブで面白い光景が。
カウンターに坊主が数人。同数の芸妓と一緒に。坊主と芸妓が互い違いに。
姫、坊主、姫、坊主、・・・・・と。
ほとんど、百人一首の坊主めくりの世界だった。
12 「坊主まるもうけ」という言い回しがある。不労所得ががっぽりと。
反対に、ギャンブルで大損をすると、「今日は坊主だ」という。
客の入りが悪いと「坊主の日」と嘆く。
もうけても坊主。損をしても坊主。これは、禿げ頭からの連想かもしれない。
13 関西では以前、鬼ごっこ遊びで「坊さんがへをこいた。においだらくさかった」という。今では、東京の真似をして、「ダルマさん・・・」になっているが。
かつて、関西の商人は、店の奉公人、丁稚を「ぼんさん」と呼んだ。
ひょっとすると、「へをこいた」のは、丁稚の「ぼんさん」かもしれない。
田舎出の礼儀を知らない奉公人をあざわらう。「あっ、ぼんさん、またへをこきよった」と。
14 日本で最初に銀座ができたのは、東京ではなく、京都の伏見だった。1601年に、できた。
京都が東京の銀座を真似したわけではない。京都に置かれた銀座と同じような施設を、関東が後から作った。東京の銀座こそ地方銀座だった。
15 中国でも旧満州を関東という。満州帝国に駐屯していた軍隊を関東軍と呼ぶ。中国の関東地方に駐留していたから、関東軍と名づけた。
満州は首都・北京から見ると、東に位置する。北京から見ると、関所の東側に広がる辺境地。
16 東京のさるラブホテルで、オーナーが面白い話をした。若いカップルが深刻な表情でやって来た。オーナーは自殺するのではないかと、外から中の様子をうかがった。不穏な事が起これば、阻止するために。
中から二人のしゃべり声が聞こえる。楽しそうでほがらかな声が。二人の会話は東北なまりだった。
くだんの従業員は、あとでベッドを直すために部屋へ入ると、ベッドを使った形跡がない。二人は、東北のなまりを話しあうために、わざわざホテルへ来たのだという。
東北なまりは東京では相当、恥ずかしいようだ。
首都圏へ出れば、方言をやめて、東京語に直す。地方出身者にはこのプレッシャーがかなりなもの。特に東北人はきついようだ。
しかし、関西人はそれがない。
17 大阪には悪いレッテルが貼られる。新空港が「大阪」を嫌った。大阪を名のればイメージ悪化。それこそ、千葉と同じになりかねない。だから、「関西」と名付けたのではないか。
18 著者の井上氏は、嵯峨で育って、宇治で暮らしている。京都の洛中で暮らす人々は、宇治や嵯峨と聞くだけで、軽蔑の色を浮かべる。そんな選民意識が京都にあるという。
1 実際には、女の方が首都圏にとけこみやすい。女の方が男より、関西を裏切りやすい。
2 関西にも転勤で首都圏からやって来る。都落ちの意識ありで、関西を見下す。
だが、なかには、少数だが、関西文化にとけこもうとする人もいる。冗談半分で関西弁を学習しようとする。そのほとんどが男性であるのは面白い現象だ。
3 大阪は、ミナミのカニやフグだけをメディアは大阪らしい街並みと報じる。御堂筋は黙殺する。大阪という街の映像も、こうして作る。
4 大阪=俗悪説は、客観的な観察で抽出されていない。
御堂筋の整然とした街区を、見落としてしまうような、レベルの低い目。カニやフグの大看板だけを大阪的と考える偏見。
5 大阪には大阪砲兵工廠があった。武器弾薬を作る工場である。今では、OBP(大阪ビジネスパーク)となっている。
6 たこ焼きも「放る物」を集めてかためた食べ物。きちんとした料理を出した時の余り物。捨てられる野菜の断片。それらを集めて物がたこ焼きではないか。
大阪砲兵工廠で弾薬をつくっていた鋳型が、たこ焼きの鉄板に転用されたのではないか。
7 なぜ、大阪は「食い倒れ」の街なのか。
ミナミにある「くいだおれ人形」は、大阪の街を象徴することでよく使われる。この人形のせいではないか。
8 大阪の女はケバイというイメージがある。
しかし、派手な女は東京の方がずっと多い。渋谷、青山、赤坂、六本木、新宿・・・。エリアは東京の方が広いはずだ。
東京は派手さを競う場所があちこちにあるが、大阪は限られている。ミナミの戎橋あたりへ行くと、わんさかいるという様相になる。
ケバイ女が多いからそうなるのではない、彼女たちが集まれる場所が限られているのだ。集積密度が高くなるので会う。
9 今は、京都でも「ぶぶづけ、どうです」とは言わない。随分前に廃れてしまった。
他地方の反発と怒りが、こういう言い方を消滅させたのだろう。
10 東京で、皇室の京都復帰が語られる。理由は、皇室行事のたびに繰り返される警備体制が嫌なのだ。自動車の検問チェックで交通渋滞を迷惑がる。戒厳令まがいの光景を、都民は嫌がっているのだろう。
これは京都に対して失礼で、皇室に対しても無礼な話だ。ババ抜きのババ扱いをしている。
ワコールは京都に本社があるが、皇室崇拝の言辞を繰り返す。天皇陛下には京都へおもどりあそばせと、アピール。
皇室の下僕=ワコールというイメージを喚起できればしめたもの。うまくいけば、ワコールのパンツに宮内庁御用達という印象ができる。御用達のイメージでブランド力の低下を食い止めることができるのではないか。
11 京都の祇園のさるクラブで面白い光景が。
カウンターに坊主が数人。同数の芸妓と一緒に。坊主と芸妓が互い違いに。
姫、坊主、姫、坊主、・・・・・と。
ほとんど、百人一首の坊主めくりの世界だった。
12 「坊主まるもうけ」という言い回しがある。不労所得ががっぽりと。
反対に、ギャンブルで大損をすると、「今日は坊主だ」という。
客の入りが悪いと「坊主の日」と嘆く。
もうけても坊主。損をしても坊主。これは、禿げ頭からの連想かもしれない。
13 関西では以前、鬼ごっこ遊びで「坊さんがへをこいた。においだらくさかった」という。今では、東京の真似をして、「ダルマさん・・・」になっているが。
かつて、関西の商人は、店の奉公人、丁稚を「ぼんさん」と呼んだ。
ひょっとすると、「へをこいた」のは、丁稚の「ぼんさん」かもしれない。
田舎出の礼儀を知らない奉公人をあざわらう。「あっ、ぼんさん、またへをこきよった」と。
14 日本で最初に銀座ができたのは、東京ではなく、京都の伏見だった。1601年に、できた。
京都が東京の銀座を真似したわけではない。京都に置かれた銀座と同じような施設を、関東が後から作った。東京の銀座こそ地方銀座だった。
15 中国でも旧満州を関東という。満州帝国に駐屯していた軍隊を関東軍と呼ぶ。中国の関東地方に駐留していたから、関東軍と名づけた。
満州は首都・北京から見ると、東に位置する。北京から見ると、関所の東側に広がる辺境地。
16 東京のさるラブホテルで、オーナーが面白い話をした。若いカップルが深刻な表情でやって来た。オーナーは自殺するのではないかと、外から中の様子をうかがった。不穏な事が起これば、阻止するために。
中から二人のしゃべり声が聞こえる。楽しそうでほがらかな声が。二人の会話は東北なまりだった。
くだんの従業員は、あとでベッドを直すために部屋へ入ると、ベッドを使った形跡がない。二人は、東北のなまりを話しあうために、わざわざホテルへ来たのだという。
東北なまりは東京では相当、恥ずかしいようだ。
首都圏へ出れば、方言をやめて、東京語に直す。地方出身者にはこのプレッシャーがかなりなもの。特に東北人はきついようだ。
しかし、関西人はそれがない。
17 大阪には悪いレッテルが貼られる。新空港が「大阪」を嫌った。大阪を名のればイメージ悪化。それこそ、千葉と同じになりかねない。だから、「関西」と名付けたのではないか。
18 著者の井上氏は、嵯峨で育って、宇治で暮らしている。京都の洛中で暮らす人々は、宇治や嵯峨と聞くだけで、軽蔑の色を浮かべる。そんな選民意識が京都にあるという。
2020年12月10日に日本でレビュー済み
井上章一さんの本です。
おもに関西のことを扱ったエッセイ集です。
「関西弁の真実」「大阪の正体」「京都の正体」「関西全体への大誤解」という四章で構成されています。
一番笑えたのが「オマーン港」の読み方ですね。「オマーン港(みなと)」ってなぁ。
ほか、関西のイメージがどうして悪くなっているのか、ということを嘆いているのですが、これは文化的に劣位に置かれているからだろう、と井上さんは分析しています。
また、メディアと産業が関西をネタにしているところも、影響が大という。
さくっとしたエッセイですが、文化論として一読の価値はあります。
おもに関西のことを扱ったエッセイ集です。
「関西弁の真実」「大阪の正体」「京都の正体」「関西全体への大誤解」という四章で構成されています。
一番笑えたのが「オマーン港」の読み方ですね。「オマーン港(みなと)」ってなぁ。
ほか、関西のイメージがどうして悪くなっているのか、ということを嘆いているのですが、これは文化的に劣位に置かれているからだろう、と井上さんは分析しています。
また、メディアと産業が関西をネタにしているところも、影響が大という。
さくっとしたエッセイですが、文化論として一読の価値はあります。
2016年7月9日に日本でレビュー済み
本書の著者、井上章一さんは、元々は、日本の建築史家ですが、最近は風俗史研究家としての方が、よく名前が知られているようです。
そうそうあの大ベストセラー「京都ぎらい」の著者でもありますが、本書の方がかなり前に著されています。
本書はあとがきにも書かれていますが、巷にあふれている通り一遍の関西人論を否定的に扱っていますが、
大阪人である私の眼から見ても、随所になるほどな、と思わせる部分がありますし、それに何と言っても面白い!!
関西人、特に大阪人は、一般的に俗悪、猥雑、怖い、下品、といったイメージがあると思います。
それ故に、デパートで値切る、ノーパン喫茶を始めとする風俗の発祥地は大阪(ノーパン喫茶は京都発症です)、
大阪の女はケバい・・・これは私もそうだと思います・・・、大阪は阪神ファンばかり、などの誤解?を受けています。
しかし、関西人とひとくくりにされても、大阪から見ると、京都、神戸、奈良は微妙に違っています。
京都の人間(それも中心地)に人間は奇妙なプライドがあり、それが、井上さんをして「京都ぎらい」を書かせたのだと思います。
本書の第三章「京都の正体」は、そのプレリュードといえるのではないでしょうか。
しかし、下ネタだとは思いますが、面白いのは、オーマン港をなんと読む?でしょう。
大阪では、女性のあの部分をお〇こと呼んでいて、授業中に“おめこぼし”なんて言葉が出てくると、皆でにやにやしていた記憶があります。
また、かってボボ・ブラジルなんて頭突きの強いプロレスラーがいましたが、ぼ〇もあそこを意味します。
関西出身ののアナウンサーは、困っただろうな!!
かって、マツダでシャンテという軽自動車があり、その名前を聞いてくすくす笑うので、何故と聞くと、
北陸地方では、あそこのことを“チャンぺ”と呼ぶのだそうです。確かによく似ています!!
本書によると、オマーン港の所を、自分の曲に取り入れたいと、嘉門達夫氏から申し出あったそうですが、井上氏は断ったそうです。
個人的には、嘉門さんのファンですから、聴いてみたい気もします!!
ともかく、「京都ぎらい」の原点ともなった本ですし、それに何より面白いで、朝日文庫からの復刊は非常にありがたいです!!
そうそうあの大ベストセラー「京都ぎらい」の著者でもありますが、本書の方がかなり前に著されています。
本書はあとがきにも書かれていますが、巷にあふれている通り一遍の関西人論を否定的に扱っていますが、
大阪人である私の眼から見ても、随所になるほどな、と思わせる部分がありますし、それに何と言っても面白い!!
関西人、特に大阪人は、一般的に俗悪、猥雑、怖い、下品、といったイメージがあると思います。
それ故に、デパートで値切る、ノーパン喫茶を始めとする風俗の発祥地は大阪(ノーパン喫茶は京都発症です)、
大阪の女はケバい・・・これは私もそうだと思います・・・、大阪は阪神ファンばかり、などの誤解?を受けています。
しかし、関西人とひとくくりにされても、大阪から見ると、京都、神戸、奈良は微妙に違っています。
京都の人間(それも中心地)に人間は奇妙なプライドがあり、それが、井上さんをして「京都ぎらい」を書かせたのだと思います。
本書の第三章「京都の正体」は、そのプレリュードといえるのではないでしょうか。
しかし、下ネタだとは思いますが、面白いのは、オーマン港をなんと読む?でしょう。
大阪では、女性のあの部分をお〇こと呼んでいて、授業中に“おめこぼし”なんて言葉が出てくると、皆でにやにやしていた記憶があります。
また、かってボボ・ブラジルなんて頭突きの強いプロレスラーがいましたが、ぼ〇もあそこを意味します。
関西出身ののアナウンサーは、困っただろうな!!
かって、マツダでシャンテという軽自動車があり、その名前を聞いてくすくす笑うので、何故と聞くと、
北陸地方では、あそこのことを“チャンぺ”と呼ぶのだそうです。確かによく似ています!!
本書によると、オマーン港の所を、自分の曲に取り入れたいと、嘉門達夫氏から申し出あったそうですが、井上氏は断ったそうです。
個人的には、嘉門さんのファンですから、聴いてみたい気もします!!
ともかく、「京都ぎらい」の原点ともなった本ですし、それに何より面白いで、朝日文庫からの復刊は非常にありがたいです!!