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蟹工船・党生活者 (新潮文庫) ペーパーバック – 1953/6/30
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海軍の保護のもとオホーツク海で操業する蟹工船は、乗員たちに過酷な労働を強いて暴利を貪っていた。“国策"の名によってすべての人権を剥奪された未組織労働者のストライキを扱い、帝国主義日本の一断面を抉る「蟹工船」。近代的軍需工場の計画的な争議を、地下生活者としての体験を通して描いた「党生活者」。29歳の若さで虐殺された著者の、日本プロレタリア文学を代表する名作2編。
目次
蟹工船
党生活者
解説 蔵原惟人
本書収録「蟹工船」冒頭
「おい、地獄さ行(え)ぐんだで! 」
二人はデッキの手すりに寄りかゝって、蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾(つば)と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹(サイド)をすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。(略)
この蟹工船博光丸のすぐ手前に、ペンキの剥げた帆船が、へさきの牛の鼻穴のようなところから、錨(いかり)の鎖を下していた。甲板を、マドロス・パイプをくわえた外人が二人同じところを何度も機械人形のように、行ったり来たりしているのが見えた。ロシアの船らしかった。たしかに日本の「蟹工船」に対する監視船だった。
本書「解説」より
『蟹工船』で最も原始的な搾取のもとにさらされている未組織労働者のストライキを取扱った彼は、『党生活者』で近代的な軍需工場の計画的な争議を描いている。前者ではストライキの指導者となったものが大衆のうちから自然に出て来た代表であったが、ここではその争議を指導するものが、「私」をはじめとする工場内の共産党細胞である。同時にこの作品は非合法の状態におかれた共産党員の困難で細心な用意を必要とする生活と活動を具体的に示し、日本文学ではじめて共産主義的人間の造形に成功した小説として注目される。
――蔵原惟人(文芸評論家)
小林多喜二(1903-1933)
1903(明治36)年、秋田県生れ。小樽高商卒。北海道拓殖銀行に就職し、1929(昭和4)年解雇されるまで勤務した。志賀直哉に傾倒してリアリズムを学び、その後、プロレタリア文学に目覚め、労働運動にもかかわる。雑誌「戦旗」に中編が紹介され注目を浴び、「蟹工船」で支持を得る。以後、非合法下の共産党に入党し、左翼文学運動に力を注ぐが、1933年逮捕され、築地署で拷問により殺された。
- ISBN-104101084017
- ISBN-13978-4101084015
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日1953/6/30
- 言語日本語
- 寸法14.99 x 10.67 x 1.27 cm
- 本の長さ288ページ
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
「おい、地獄さ行ぐんだで」 悪臭に満ちたカニ缶詰工場の凄絶
「おい、地獄さ行(え)ぐんだで! 」
というインパクト抜群のセリフが一行目で宣言されて、蟹工船は出港する。ロシアの領海に近い寒く荒れた海で蟹を獲り、船上の工場で缶詰にする船――ご存じ小林多喜二の「蟹工船」である。
主人公はいない。彼らはただ「漁夫」「雑夫」「学生」などと呼ばれる。彼らが詰めこまれた居住空間は悪臭に満ち、作中で「糞壺」と記されている。そして酷使の果てに死ねば、海に捨てられるのだ。
一行目の宣言どおりの地獄絵図。もちろん本作には労働者の連帯と階級闘争という主題が埋めこまれてはいるが、そういうことは忘れてよろしい。凄絶な地獄の様相を息を詰めて見つめるだけで、“何か"は十全に伝わるはずである。
『蟹工船』(小林多喜二 著)新潮文庫
さて「蟹工船」の角川文庫版と新潮文庫版は、カップリングで「党生活者」を収録している。こちらはうって変わって東京が舞台、ドライな一人称で書かれた小説だ。
「私」は労働運動を煽動すべく軍需工場に潜入した“細胞"の一員。身元を隠し、息を殺して日々を送っている。住居を警察に暴かれれば女の家に潜伏し、擬装のために夫婦となり、しかし徐々に実生活は困窮の度合いを深めてゆく……
「私」には大義がある。実行すべき戦術もある。だが彼に指示を与えている上位の組織のことはさっぱりわからず、ハードボイルド風の即物的な文体のせいもあって全編に不条理なサスペンスが充満している。そう、この味わいはスパイ小説のそれだ。
多喜二は本作執筆の翌年、警察に捕らえられて拷問の末、殺害された。同じような死は「私」にも待ち受けているのかもしれない。それが本作に漂う窒息的な不安を増幅する。(紺)
評者:徹夜本研究会
(週刊文春 2018年1月25日号掲載)登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1953/6/30)
- 発売日 : 1953/6/30
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 288ページ
- ISBN-10 : 4101084017
- ISBN-13 : 978-4101084015
- 寸法 : 14.99 x 10.67 x 1.27 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 21,733位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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当時発刊された同書は、伏字だらけだが、その合間から手ひどい拷問が行われたことが、読者には容易にわかるようになっている。拷問シーンは丸ごと伏せられてはいない。しかも拷問された「渡」という活動家は極めて屈強でその拷問に屈服しない。しないどころか、作品の最後では、拷問でとった調書を裁判でひっくり返されないように特高のほうこそ、“アカ”たちに気を使う。そこを知っている「渡」たち活動家は移動途中に、特高に大いにメシをおごらせるのだ。
こうして見ていくと、権力にとっては、拷問を暴露されたことよりも、拷問が効力を発揮しないことを描写された、と言っていいだろう。当時「権力に殴られないと一端の活動家にはなれない」という“信仰”があったようで、そのことはこの作品にも出てくる。インテリ上がりの活動家に、たたき上げの労働者が“権力に殴られればもっとわかるようになる”と迫るシーンがある。
こうしてみていくと、1928.3.15で酷い拷問を暴露されたから多喜二は特高の目の敵にされた、というのはそのまま了解はできない。
小林多喜二は警察官・権力の手先をどう思っていたか。「1928年3月15日」では、特高による半殺しの拷問が描かれている一方で、下級警察官と活動家の間での労働者階級としてのまじわりが、かなりの分量をもって描かれている。
小樽の地元の巡査たちは、3・15事件で、警察上層部からこき使われる。もちろんそれは共産党関係者の逮捕、捜索、検挙者の付き添いという権力の手先としての「労働」である。しかし、その過酷さを多喜二はこのように書く。
「非番の巡査は例外なしに一日五十銭で狩り出された。そして朝から真夜中まで、身体がコンニャクのようになるほど馳けずり廻された。過労のために、巡査は付添の方に廻ると、すぐ居眠りをした。そしてまた自分達が検挙してきた者達に向かってさえ、巡査の生活の苦しさを洩らした。彼等によって拷問をされたり、また如何に彼等が反動的なものであるかという事を色々な機会にハッキリ知らされている者等にとって、そういう巡査を見せつけられることは「意外」な事だった。いや、さうだ、やはり「そこ」では一致しているのだ。」「これア案外そう俺達の敵ではなかったぞ」
そして、検挙された活動家と巡査の「階級的」会話として
「もう、どうでもいいから、とにかく決まってくれればいいと思うよ。」頭の毛の薄い巡査が、青いトゲトゲした顏をして、龍吉(注:活動家)に云つた。「ねえ、君、これで子供の顔を二十日も――ええ、二十日だよ――二十日も見ないんだから、冗談じゃないよ。」
「いや、本当に恐縮ですな。」
「非番に出ると――いや、引張り出されると、五十銭だ。それじゃ昼と晩飯でなくなって、結局ただで働かせられてる事になるんだ、――実際は飯代に足りないんだよ、人を馬鹿にしている。」
「ねえ、水戸部さん。(龍吉は名を知っていた。)貴方にこんな事をいうのはどうか、と思うんですが、僕等のやっていることっていうのは、つまり皆んな「そこ」から来ているんですよ。」
水戸部巡査は急に声をひそめた。(として、当時販売された本では47行も伏字扱い(省略)となる~この47行は権力が絶対出版を許さない箇所とみなしたのであろう、戦旗の編集者が削った。)
この略された47行はこんなあらすじである。
「本当のところ…実はちゃんとわかっている」と水戸部巡査は言う。前日、水戸部巡査は同僚と、共産党狩りに「出動」させられたが、もうクタクタだ。巡査同士「ストライキをやろう」という会話になる。“その道の先生が沢山いるんだから教わればいい”。やっちまおうぜ、ということになったが、結局やったことというのは、出動途中で派出所に行って、巡査同士一休みして雑談を「やらかしてきた」、ということだけだった。
しかし龍吉は「明かに興奮していた。これらのことこそ重大な事だ、と思った。彼は、今初めて見るように、水戸部巡査を見てみた。蜜柑箱を立てた台に、廊下の方を向いて腰を下している、厚い巾の広い、しかしまるく前こごみになっている肩の巡査は、彼には、手をぎっしり握りしめてやりたい親しみをもって見えた。頭のフケか、ホコリの目立つ肩章のある古洋服の肩を叩いて、「おい、ねえ君。」そう言いたい衝動を、彼は心一杯にワクワクと感じていた。」のである。
「目隠し」をされている巡査たちも、階級としては俺たちと同じ労働者じゃないか。この暴露は、権力、暴力装置にとっては許しがたいものであったろう。
東京の特高は多喜二を憎み、殺害予告をしていた。それは拷問をこの作品で暴露されたからだと言う。それもあるかもしれないが、それよりも権力者にとって最も恐るべきは、暴力装置の構成員にさせられた労働者階級~警官・兵士~が目覚めることであった。そのことの端緒、多喜二の「警官だって俺たちの仲間になりうる」という考えは、特高・権力にとって、恥をかかされていることであり、憎悪の対象であり、想像したくない恐怖の根源であったろう。これは絶対ひっかかると思った編集者はこの箇所をまるまる削ったのだと思われる。(それでもこの作品が掲載された「戦旗」は発禁になるのだが。)
この当時、拷問は、きっちり隠蔽するほどの犯罪とは思われていない。だとするなら、多喜二殺害は、拷問暴露よりも、多喜二が、警察官が階級性に目覚める萌芽を描いたからではないだろうか。
現代に生きる私達が恵まれた労働環境にいるのはこの方達が声を上げてきたおかげであると思いました。
文章の表記が正直読みづらくて私は苦手でした。
紙でしか読めない人以外は青空文庫で無料で読めるのでそちらをおすすめ!
どれほど過酷で、なぜそのように苛酷なのかを現場から第三者的視点で描き、
この現状を打破するために立ち上がろう、すなわち共産主義運動を推し進めるものである。
共産主義といえば今ではうまくいかないということを歴史が証明してしまった感さえあるが、
ではなぜかつて共産主義運動が起こり、またその弾圧が起こったのかを
専門書にあるような理論づくめでなく、当時の劣悪な労働環境とその打開策をドキュメンタリーな記述によって知ることができる
世が世であったため
蟹工船はよく聞くがもう一つの党生活者の方は聞かないので、おまけぐらいに思って読み始めたらこちらの方が面白かった(という書き方をしていいのかはわからないが、リアリティというか、この時代の共産主義者への弾圧の厳しさ、緊張がひしひしと伝わってきた。蟹工船とはまた違って作者自身の体験談に基づいていて、作者が獄中死して前編で終わってしまったことも、今となってはそれも含めてこの作品に一層思いが込められていると思って読んだ。)笠原への態度がひどいなぁと思っていたが、やはりそこは批判の対象になっているようだ。しかし、小林のおかれた状況を考えれば、まず安全を確保すること、党の仕事で精一杯だったとは思うし、むしろここで笠原に夫として、人間らしく振舞えていたら超人だろう。欠点を抱えつつも、目標に向かって一心不乱に文字通り命を投げうった小林の文だからこそ、これほど胸を打つのだろう。
最後の解説も、小林多喜二の人生から始まり、巻末の方には現代の派遣によるワーキングプア問題を取り上げて、現代にも蟹工船は存在していて、下手するとこの時代よりも団結しにくいだけ状況は悲惨かもしれないと綴っている。決して、遠い昔の、ひどい労働環境の話、ではないということを痛感した。
日本人として、この本を日本語の原文で読めることに感謝します。ありがとう。
「蟹工船」も「チボー家の人々」もまず教科書には採り上げられないテーマの本であるが、だからこそ両者は余計に名作なのである。特に感受性の高い若い世代にはこれらの本は是非読んでいただきたいと切に願う次第である。