思ったよりも難しい本でした。
それでも丁寧に、わかりやすく伝えようとする意気込みは十分伝わり、
目論見の多くは成功しているように思います。
新書で究明できるようなテーマじゃないことを思えば、お見事ってところでしょうか。
仏教東進を指して『壮大な伝言ゲーム』と表現したのは、
簡潔ながら非常に的を射た表現かなと思います。
現在ですら、誤った翻訳で原著の意図が歪められるのですから、
紀元前の思想に夾雑物が入らないわけがないでしょう。
己を拠り所とせよという言葉が、改めて脳裏を去来しました。
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仏教、本当の教え - インド、中国、日本の理解と誤解 (中公新書 2135) 新書 – 2011/10/22
植木 雅俊
(著)
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インドで生まれ、中国を経て日本に来た仏教。サンスクリット語の原典から、漢訳ではわからないブッダの教えの真髄が見えてくる。
- ISBN-104121021355
- ISBN-13978-4121021359
- 出版社中央公論新社
- 発売日2011/10/22
- 言語日本語
- 寸法11.1 x 1 x 17.4 cm
- 本の長さ228ページ
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2011/10/22)
- 発売日 : 2011/10/22
- 言語 : 日本語
- 新書 : 228ページ
- ISBN-10 : 4121021355
- ISBN-13 : 978-4121021359
- 寸法 : 11.1 x 1 x 17.4 cm
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2022年11月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
法華経の妙音菩薩や常不軽菩薩の名前の考察がされます。
直訳すると『吃音』なのになぜ『妙音』と訳したのか、という謎解きは理解できましたが、
常不軽が『常に軽んじられた』か、『常に軽んじなかった』か、がどの意味も含むというのはどうでしょう。
もし、解明するなら、サンスクリット原本の薬草喩品の後半を何故、漢訳しなかったのか、の謎をといてほしかったです。
名前の訳の考察もいいのですが、仏陀の本当の教えとはどんなものかという本質に迫るところが少ないように感じます。
同じようなタイトルの『仏陀の真意』のほうが、その核心に触れようとする気迫を感じました。
仏教の本当の教えという題名なら、
やはり、原始仏典と大乗仏典の両方を網羅し俯瞰し、その関係性に迫る著作を期待したいです。
直訳すると『吃音』なのになぜ『妙音』と訳したのか、という謎解きは理解できましたが、
常不軽が『常に軽んじられた』か、『常に軽んじなかった』か、がどの意味も含むというのはどうでしょう。
もし、解明するなら、サンスクリット原本の薬草喩品の後半を何故、漢訳しなかったのか、の謎をといてほしかったです。
名前の訳の考察もいいのですが、仏陀の本当の教えとはどんなものかという本質に迫るところが少ないように感じます。
同じようなタイトルの『仏陀の真意』のほうが、その核心に触れようとする気迫を感じました。
仏教の本当の教えという題名なら、
やはり、原始仏典と大乗仏典の両方を網羅し俯瞰し、その関係性に迫る著作を期待したいです。
2016年11月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
キンドル版で購入しました。著者の植木雅俊氏は九州大学大学院理学研究科修士課程を修了しておられ、
東洋大学大学院文学研究科博士後期課程を中退されて、その後お茶の水女子大学で人文科学博士号を
「男性初で」取得されておられる経歴をお持ちです。
物理学修士号から始まって何で仏教なんだといつも訊かれるそうです。
そのたびに植木さんは、「私のブツリ学のブツは仏のブツなんだ!」 と答えると皆が納得するそうです。
そういうウィットに富んだ著者です。
サンスクリットを学ばれて、『梵漢和対象・現代語訳 維摩経』も出版されています。
ですから、本書もサンスクリットの原典にあたってタイトル通りのもともとの仏教本来の教えがどのようなものであったのか、
そしてそのもともとの教えが、中国を経て日本へと翻訳翻訳翻訳を経てどのように変容してきてしまったのかを
とてもわかりやすく、かつ、説得力あふれる文章で論を展開していきます。
きわめて面白く、知的好奇心が満足させられる本です。
多くのお寺のお坊さんに本書を読んでいただきたいと感じましたが、
仏教に興味がある方のみならず、
比較文化論に興味がある方には特に是非読んでいただきたい本です。
東洋大学大学院文学研究科博士後期課程を中退されて、その後お茶の水女子大学で人文科学博士号を
「男性初で」取得されておられる経歴をお持ちです。
物理学修士号から始まって何で仏教なんだといつも訊かれるそうです。
そのたびに植木さんは、「私のブツリ学のブツは仏のブツなんだ!」 と答えると皆が納得するそうです。
そういうウィットに富んだ著者です。
サンスクリットを学ばれて、『梵漢和対象・現代語訳 維摩経』も出版されています。
ですから、本書もサンスクリットの原典にあたってタイトル通りのもともとの仏教本来の教えがどのようなものであったのか、
そしてそのもともとの教えが、中国を経て日本へと翻訳翻訳翻訳を経てどのように変容してきてしまったのかを
とてもわかりやすく、かつ、説得力あふれる文章で論を展開していきます。
きわめて面白く、知的好奇心が満足させられる本です。
多くのお寺のお坊さんに本書を読んでいただきたいと感じましたが、
仏教に興味がある方のみならず、
比較文化論に興味がある方には特に是非読んでいただきたい本です。
2016年11月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
すぐれた宗教は、世俗の権力や権威とは異なる価値観を示す。インドで生まれた仏教もそうである。ところが本書によれば、中国を経て日本に渡った仏教は、最初から国家のためという思想で始まった。その影響は現在にも及んでいる。
著者によると、インド哲学者の中村元は常々、「インド仏教では、国王を泥棒と同列に見ていた」と話した。人の物を取り上げる点で変わりないからだ。泥棒が非合法的に取る一方、国王は税金という形で合法的に取るのが違うにすぎない。
中国では、天命を受けた帝王に民衆は服従するものとされた。一切衆上の平等や慈悲を説く仏教とは対立する。北宋の初め、国家は宗教を従属させるが、それでも仏教者は、国家のために積極的に働こうとまではしなかったとされる。
ところが日本の仏教は伝来した当初から、鎮護国家の思想が支配的だった。ここがインドや中国との大きな違いという。また、インド仏教では「人」より「法」を重視するが、日本では聖徳太子信仰や弘法大師信仰など個人崇拝が顕著だ。
国家など帰属する集団を優先し、自己の自覚に乏しい傾向は、仏教用語の意味にまで影響する。「義理」とは本来「ものごとの正しい筋道」を意味するが、日本では「義理を欠く」などと「目上の人に対する義務」という意味で用いられる。
日本でも仏教が政治と違う価値観を貫く時代はあった。元寇や島原の乱の戦死者は「怨親平等」の精神から、敵味方の区別なく弔われたという。明治政府はここから逸脱し、靖国神社には官軍だけが祀られ、賊軍の死体は野ざらしにされた。
世俗権力に迎合し、同じ価値観を説くのであれば、宗教の存在意義はない。国家に対する批判精神の弱さは日本仏教の弱点である。税は合法的な窃盗にすぎないと覚めた目で突き放す、仏教の原点に立ち返る必要がある。
著者によると、インド哲学者の中村元は常々、「インド仏教では、国王を泥棒と同列に見ていた」と話した。人の物を取り上げる点で変わりないからだ。泥棒が非合法的に取る一方、国王は税金という形で合法的に取るのが違うにすぎない。
中国では、天命を受けた帝王に民衆は服従するものとされた。一切衆上の平等や慈悲を説く仏教とは対立する。北宋の初め、国家は宗教を従属させるが、それでも仏教者は、国家のために積極的に働こうとまではしなかったとされる。
ところが日本の仏教は伝来した当初から、鎮護国家の思想が支配的だった。ここがインドや中国との大きな違いという。また、インド仏教では「人」より「法」を重視するが、日本では聖徳太子信仰や弘法大師信仰など個人崇拝が顕著だ。
国家など帰属する集団を優先し、自己の自覚に乏しい傾向は、仏教用語の意味にまで影響する。「義理」とは本来「ものごとの正しい筋道」を意味するが、日本では「義理を欠く」などと「目上の人に対する義務」という意味で用いられる。
日本でも仏教が政治と違う価値観を貫く時代はあった。元寇や島原の乱の戦死者は「怨親平等」の精神から、敵味方の区別なく弔われたという。明治政府はここから逸脱し、靖国神社には官軍だけが祀られ、賊軍の死体は野ざらしにされた。
世俗権力に迎合し、同じ価値観を説くのであれば、宗教の存在意義はない。国家に対する批判精神の弱さは日本仏教の弱点である。税は合法的な窃盗にすぎないと覚めた目で突き放す、仏教の原点に立ち返る必要がある。
2017年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私はこの本でいろいろなことを教えていただきました。特に印象に残った事項は次の通りです。
①仏教は人々の平等を強く主張していた。
②ブッダとは「目覚めた(人)」という意味で、複数形で用いられ、釈尊を示す固有名詞ではなかった。
③「無我」と漢訳されたインドの言葉は、むしろ「非我」(何かが我なのではない)と訳されるべきもの。
④自らの法(真理)に目覚め、それを拠り所とするところに一個の人間としての自立と、尊厳が自覚される。
・法とは語源的には「支えるもの」という意味で、事物を事物たらしめ、人間を人間たらしめ、社会を社会たらしめるものという意味であり、「真理」「道徳」「規範」「法則」「義務」「宗教」などの意味を持っている。
・さらには、そうしたことについて説かれた「教え」という意味でも用いられる。
・法とは、自己を制し、他人を利益(りやく)し、慈しみに満ちていること。
⑤常不軽菩薩の名前について、サンスクリット原典では<肯定と否定>および<能動と受動>の組み合わせによって、4つの解釈が出来る。
⑥サンスクリット文法に基づけば、「妙法蓮華経」は「正しい教えの白蓮」ではなく、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」と訳すべき。
とても教えられることの多かった本であり、感謝の意味も込めて評価は★5つなのですが、改善要望も少なからずありました。
①一般読者に馴染みのないサンスクリット語やパーリ語の仏典の名前が、何の説明もなく出てきます。説明を付けるか、邦訳タイトル名を書くか、巻末注釈のナンバーを付けるか、してほしかったです。
②本の後半で、あまりにサンスクリット語の文法に基づく説明が多くなっていて、そこまで説明は不要と思いました。(常不軽菩薩と妙法蓮華経の説明は良かったです)
③「自帰依」の説明で「真の自己に目覚める」というのがとても重要な言葉だと思うのですが、「真の自己」についての説明が分かりづらいです。
④中村元先生が日ごろから「分かり易く説くのが学術的なのです」とよく話されていたと本の末尾近くに書かれていました。中村先生に師事した著者の植木雅俊先生も、その点について同じ思いではないかと推測しますが、中村先生の本も植木先生の本も、まだまだ難しいです。仏教のことをよく知っている方が易しく書いた積りでも、一般人には非常に難しく感じられるものです。
①仏教は人々の平等を強く主張していた。
②ブッダとは「目覚めた(人)」という意味で、複数形で用いられ、釈尊を示す固有名詞ではなかった。
③「無我」と漢訳されたインドの言葉は、むしろ「非我」(何かが我なのではない)と訳されるべきもの。
④自らの法(真理)に目覚め、それを拠り所とするところに一個の人間としての自立と、尊厳が自覚される。
・法とは語源的には「支えるもの」という意味で、事物を事物たらしめ、人間を人間たらしめ、社会を社会たらしめるものという意味であり、「真理」「道徳」「規範」「法則」「義務」「宗教」などの意味を持っている。
・さらには、そうしたことについて説かれた「教え」という意味でも用いられる。
・法とは、自己を制し、他人を利益(りやく)し、慈しみに満ちていること。
⑤常不軽菩薩の名前について、サンスクリット原典では<肯定と否定>および<能動と受動>の組み合わせによって、4つの解釈が出来る。
⑥サンスクリット文法に基づけば、「妙法蓮華経」は「正しい教えの白蓮」ではなく、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」と訳すべき。
とても教えられることの多かった本であり、感謝の意味も込めて評価は★5つなのですが、改善要望も少なからずありました。
①一般読者に馴染みのないサンスクリット語やパーリ語の仏典の名前が、何の説明もなく出てきます。説明を付けるか、邦訳タイトル名を書くか、巻末注釈のナンバーを付けるか、してほしかったです。
②本の後半で、あまりにサンスクリット語の文法に基づく説明が多くなっていて、そこまで説明は不要と思いました。(常不軽菩薩と妙法蓮華経の説明は良かったです)
③「自帰依」の説明で「真の自己に目覚める」というのがとても重要な言葉だと思うのですが、「真の自己」についての説明が分かりづらいです。
④中村元先生が日ごろから「分かり易く説くのが学術的なのです」とよく話されていたと本の末尾近くに書かれていました。中村先生に師事した著者の植木雅俊先生も、その点について同じ思いではないかと推測しますが、中村先生の本も植木先生の本も、まだまだ難しいです。仏教のことをよく知っている方が易しく書いた積りでも、一般人には非常に難しく感じられるものです。
2011年11月29日に日本でレビュー済み
「本当の仏教はこうなんですよ」
という本かと期待しましたが…
第一章 インド仏教の基本思想にてそういう内容は終了
第二章 第三章は
「本当はこういう訳し方が正しいんですよ」
という内容
第四章は色々な話題が詰め込まれていてためになりました。
「普遍性重視のインドから、現実性重視の中国・日本へ仏教が伝来し、国民性や自然環境の違いによって受容の仕方の違いがあったことを概観して頂けたのではないかと思う。
そこには良い面、悪い面あるが、仏教が誤解されたままではお釈迦様も浮かばれないであろう。悪い面は反省し、良い面は伸ばしていくことが今後の課題として問われよう」
これが結びの言葉です。
タイトルの割には緩やかな結び、かつ、解脱していらっしゃる釈尊に「浮かばれない」という言葉選びには不満を感じました。
揚げ足を取るようですが、仏教の理解と誤解のへのご指摘はごもっともでしたが、「信」を深めるには足りない本だと思いました。
という本かと期待しましたが…
第一章 インド仏教の基本思想にてそういう内容は終了
第二章 第三章は
「本当はこういう訳し方が正しいんですよ」
という内容
第四章は色々な話題が詰め込まれていてためになりました。
「普遍性重視のインドから、現実性重視の中国・日本へ仏教が伝来し、国民性や自然環境の違いによって受容の仕方の違いがあったことを概観して頂けたのではないかと思う。
そこには良い面、悪い面あるが、仏教が誤解されたままではお釈迦様も浮かばれないであろう。悪い面は反省し、良い面は伸ばしていくことが今後の課題として問われよう」
これが結びの言葉です。
タイトルの割には緩やかな結び、かつ、解脱していらっしゃる釈尊に「浮かばれない」という言葉選びには不満を感じました。
揚げ足を取るようですが、仏教の理解と誤解のへのご指摘はごもっともでしたが、「信」を深めるには足りない本だと思いました。
2018年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中国というフィルターが通ったことで、日本の仏教は
随分本来のものと変わってしまったことがよくわかります。
本来の仏教は平和・平等・博愛で、できているが、中国で
人軽法重とか女人不作仏などと、原文に無い項目が付加され
差別の世界になってしまった。困ったもんですね。
随分本来のものと変わってしまったことがよくわかります。
本来の仏教は平和・平等・博愛で、できているが、中国で
人軽法重とか女人不作仏などと、原文に無い項目が付加され
差別の世界になってしまった。困ったもんですね。
2017年2月11日に日本でレビュー済み
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題名から、仏教の教えに触れようと思って読むと、少し違うという事になる。 仏教を研究対象とした場合のアプローチである。 一方、現在ティク・ナット・ハンの本を続けて読んでいるが、サンスクリット語からの説き起こしが多いハン師の教えからは、本書が納得しながら読める面がある。 即ち、両者の本を並行して読むと、面白いという事。
仏教、或は仏の教えに造詣が深いわけではないが、悟りとはどのようなものかと、日々思う身にとっては、原子仏典に何らかの形で触れることが、大切なのだろうと気づかせて頂いた。
仏教、或は仏の教えに造詣が深いわけではないが、悟りとはどのようなものかと、日々思う身にとっては、原子仏典に何らかの形で触れることが、大切なのだろうと気づかせて頂いた。