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一人だけの軍隊 ランボー (ハヤカワ文庫) 文庫 – 1982/11/25
デイヴィッド・マレル
(著),
沢川 進
(翻訳)
- 本の長さ349ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日1982/11/25
- ISBN-10415040299X
- ISBN-13978-4150402990
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (1982/11/25)
- 発売日 : 1982/11/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 349ページ
- ISBN-10 : 415040299X
- ISBN-13 : 978-4150402990
- Amazon 売れ筋ランキング: - 441,966位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年9月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ずっと探していて、やっと購入が叶いました。懐かしい!素晴らしい!本当に嬉しい!
2015年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
息子に頼まれての購入です。面白かった用ですぐ読み終わったといってました。
2008年10月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
スタローン演じる「ランボー」が大好きで、DVDも3作買い、繰り返し観ています。
原作の存在はDVDを観てから知り、たまらずに買ってむさぼり読みました。
映画のランボーはわりと「超人的」で人間を超えてる感じですが、原作のランボーはすごく「人間的」です。
だけど、そこが原作ランボーのかっこよさでもあると思いました。
「訓練の結果、痛みを無視できるようになった」というんじゃなくて、
「おそらくこの傷は内臓に達している…しかしここで休めば後がない…」というように
“状況を分析し、自分の感情に打ち克ち、さらに戦場に赴く”という原作ランボーの姿は、
むしろ映画よりも強いような気さえしました。
心の中で葛藤を繰り返すところに、「訓練された兵士」らしさが感じられ、かっこよかったです。
あと、時折心の中で、「おいおいやめてくれよ」とかツッコミをしている姿もユーモラスで、
そういやランボーって若者だったんだなあと改めて気付き、新鮮でした。
もちろん頭の中ではスタローンの姿で浮かんでくるので、
「もう一人のランボー」を味わえたような、なんかお得な気持ちです。(笑
そして、とにかく感動したのがラスト。
映画のラストも大好きですが、この原作のラストも映像で見たかった…!
ラストの銃撃戦の駆け引きや、ランボーが最後に移動する描写(詳しくは書けませんが)は
「映像で見てみたい…!!」と思うほど、凄まじくて、かっこよいのです。
ティーズルとランボー…、悲しいけれどこの戦いが2人の会話だったのかなあ。
映画だととにかく哀しい気分になりましたが、原作では哀しくも安らかな余韻がのこるラストでした。
映画だと、ランボーの孤独な戦いはずっと続く印象で(主題歌とか)ラストは涙がとまりません。
死なない方が良いんだけど、むしろ原作の2人は安らぎを得ている気がしたんです。
トラウトマン大佐も映画と全然違う設定ですが、それでもいい味出してます。
他の人も書いているように、映画と原作、それぞれが完成された素晴らしい作品と思います。
比べて、どっちが悪いとか全然思うことが出来ません。どっちもいい!!(笑
映画が好きな人にはぜひぜひ読んでほしいです!
原作の存在はDVDを観てから知り、たまらずに買ってむさぼり読みました。
映画のランボーはわりと「超人的」で人間を超えてる感じですが、原作のランボーはすごく「人間的」です。
だけど、そこが原作ランボーのかっこよさでもあると思いました。
「訓練の結果、痛みを無視できるようになった」というんじゃなくて、
「おそらくこの傷は内臓に達している…しかしここで休めば後がない…」というように
“状況を分析し、自分の感情に打ち克ち、さらに戦場に赴く”という原作ランボーの姿は、
むしろ映画よりも強いような気さえしました。
心の中で葛藤を繰り返すところに、「訓練された兵士」らしさが感じられ、かっこよかったです。
あと、時折心の中で、「おいおいやめてくれよ」とかツッコミをしている姿もユーモラスで、
そういやランボーって若者だったんだなあと改めて気付き、新鮮でした。
もちろん頭の中ではスタローンの姿で浮かんでくるので、
「もう一人のランボー」を味わえたような、なんかお得な気持ちです。(笑
そして、とにかく感動したのがラスト。
映画のラストも大好きですが、この原作のラストも映像で見たかった…!
ラストの銃撃戦の駆け引きや、ランボーが最後に移動する描写(詳しくは書けませんが)は
「映像で見てみたい…!!」と思うほど、凄まじくて、かっこよいのです。
ティーズルとランボー…、悲しいけれどこの戦いが2人の会話だったのかなあ。
映画だととにかく哀しい気分になりましたが、原作では哀しくも安らかな余韻がのこるラストでした。
映画だと、ランボーの孤独な戦いはずっと続く印象で(主題歌とか)ラストは涙がとまりません。
死なない方が良いんだけど、むしろ原作の2人は安らぎを得ている気がしたんです。
トラウトマン大佐も映画と全然違う設定ですが、それでもいい味出してます。
他の人も書いているように、映画と原作、それぞれが完成された素晴らしい作品と思います。
比べて、どっちが悪いとか全然思うことが出来ません。どっちもいい!!(笑
映画が好きな人にはぜひぜひ読んでほしいです!
2009年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画のランボーと原作のランボーでは、キャラクターが異なっています。原作におけるランボーの行動や発言を見ると映画よりもヤヤ破天荒気味のヤンチャ坊主的な性格に描かれています。映画でのスタローン演じる寡黙なランボーではありません。私の中では映画のランボーのイメージが確立されてしまっていましたので、ストリーはほぼ同じであっても個人的には違った作品に感じました。ただ、映画よりもそれぞれのシーンの描写は細かいのでそういった部分を読む価値はあると思います。
2011年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今日届きました。
おじさんからもらったランボーの映画を見てからランボーが好きになり、遂に小説まで買ってしまいましたw
内容は良く見ていませんがすばらしかったです。(いろいろな面でw)
しかし小説の間などに画像などがなかったので★4にしました。
おじさんからもらったランボーの映画を見てからランボーが好きになり、遂に小説まで買ってしまいましたw
内容は良く見ていませんがすばらしかったです。(いろいろな面でw)
しかし小説の間などに画像などがなかったので★4にしました。
2010年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画でも大人気のRAMBOシリーズの原作です。
この原作ではたくさんの人物の心情が描かれていて、
映画ではあまり感じ取ることのできない感情が伝わってきます。
非常に内容が濃くて、この上ないワンマンミリタリーを感じることができます。
映画を観た人にもそうでない人にもオススメできる作品です。
この原作ではたくさんの人物の心情が描かれていて、
映画ではあまり感じ取ることのできない感情が伝わってきます。
非常に内容が濃くて、この上ないワンマンミリタリーを感じることができます。
映画を観た人にもそうでない人にもオススメできる作品です。
2013年3月20日に日本でレビュー済み
大筋は映画と同じですが、小説と言う媒体である本の方が各キャラクターが細かく書かれていて、一概にどちらが悪者、被害者、加害者と言う区分けもされていないでの印象は結構違うかもしれません。これは映画と小説のどちらが優れているかと言うのではなく、映画の方は制作された当時の基準の2時間以内に纏めるとなると90分前後の時間がベストだったと思いますし、逆にもっと盛り込むとなると逆に2時間の枠を超えていたと思います。それに私自身、両方とも最高点を付けて評価しています。
映画の方が無理解で(そもそも理解しようとすらしない)冷たい仕打ちをしてきた世間に対して、ティーズル保安官とタイミングが悪く出会ってしまった田舎町で鬱積していた不満が爆発してしまった。と言う立ち位置で描かれていたのに対して、小説の方は今まで通り過ぎてきた街で同じ目に合っていたのもありますが、ランボー自身の方からも保安官のティーズル相手にトラブルに首を突っ込んで行き、映画ではやむを得ない一人を除いて、誰一人殺すどころか戦意を喪失させる程度に痛めつける所でとどめていた反撃も、小説の方では何の躊躇もなく狙撃して射殺しているので、主人公ランボーの暴力を行使する事へのその結果を含めての思考、除隊してからの自分をどれだけ把握しているかが大きく違います。
映画のランボーは帰国してからの世間からの仕打ち、それに追い打ちを賭ける様に何の資格も技術もなくアルバイト程度の仕事にも就けない屈辱、そういう経験を経てストレスを感じる世間とは極力接触せず、自分の唯一の戦闘能力の高さにすら嫌悪感を痛いているのに対して、小説の方は同じような不満を抱き世間にも自分にも抱いて悩みながらも、理性を失ってしまうと戦闘本能が全開になって見境なくなり、逃げる人間を追ってまで徹底的に行動を起こしてしまうと云う事になるでしょうか。
ティーズル保安官は小説では朝鮮戦争の英雄としてちゃんと明記され、今は別居中で仕事にのめり込む事でそのことを忘れようとしている人物として描かれていて、ランボーと接触し追跡した挙句に反撃を受けた事で、自らも戦闘本能に目覚めて対峙していくのですが、そうなるとこれは朝鮮戦争とベトナム戦争と言う2つの大きな戦争を挟んでの父と息子程年の離れた、理解しあえない世代間の差を描いたものではないかと思います。
両方の戦争とも本当の敵は旧ソ連、今のロシアなのですが、戦勝国ムードで盛り上がってそのまま参戦した朝鮮戦争で戦い無事帰国して英雄として社会復帰した父。
対するランボーは捕虜になり重度の精神障害を患った上、勝敗どころか軍は逃げるようにして引き上げてきて、はっきりとした成果を得る事も出来なければ、何時まで経っても何かと理由を付けては社会復帰をしようともする気も見せない、理解できない人間になって戻ってきた息子と言う構図でしょうか。
只、映画でも小説でも1番辛く惨めな思いをしたのは、もしかするとトラウトマン大佐だったのではと思います。
それは映画の方では最後の最後、包囲されて大佐から無理やり説得されるあまり、今まで鬱積していた思いのたけをランボーからぶちまけられるにあたって、初めて指揮していた自分とは違い実際に戦場で戦った人間のあまりにも過酷な戦場を潜り抜けてきたのを知り、何から何まで知っているつもりだったランボーが泣いてわめいて苦しんでいる姿を目の当たりにして驚愕し、小説の方ではちゃんとした一人間としての兵士を育てていたつもりが、実際は復帰してきても社会生活に適応できないまでに人間性を奪い精神的に追い詰めダメージを与えているのを改めて知り、最後は自らの手でその責任を取る行動をするからです。
巻末に初出版当時の訳者のあとがきがあり、そこでも同じ事を言っていましたが、自分の目の前にある日突然、汚らしい身形をし髪も髭も伸ばし放題に伸ばした、生意気な口をきく正体不明な人間が来たら自分ならどう対応するのか?それがランボーだとして、映画を観、小説を読んだ後でも自ら歩み寄り親しくなろうとすのか?駅周辺で見かけるホームレスにそんな同情を覚えなければ顔をしかめて避けて通っているのを思い返すと、映画であれ小説であれティーズルの行動を批判する気にはなれません。
広大なアメリカの、その町で生まれ育ち、そのまま一生その町から出る事無く老いて死んで苦であろう田舎町の人間には、まだまだ偏屈と言うか極度に排他的な一面があるとあったので、小説や映画の様な騒ぎにはならないまでも、小さなトラブルは多々あったのではと思ったりもしました。
映画の方が無理解で(そもそも理解しようとすらしない)冷たい仕打ちをしてきた世間に対して、ティーズル保安官とタイミングが悪く出会ってしまった田舎町で鬱積していた不満が爆発してしまった。と言う立ち位置で描かれていたのに対して、小説の方は今まで通り過ぎてきた街で同じ目に合っていたのもありますが、ランボー自身の方からも保安官のティーズル相手にトラブルに首を突っ込んで行き、映画ではやむを得ない一人を除いて、誰一人殺すどころか戦意を喪失させる程度に痛めつける所でとどめていた反撃も、小説の方では何の躊躇もなく狙撃して射殺しているので、主人公ランボーの暴力を行使する事へのその結果を含めての思考、除隊してからの自分をどれだけ把握しているかが大きく違います。
映画のランボーは帰国してからの世間からの仕打ち、それに追い打ちを賭ける様に何の資格も技術もなくアルバイト程度の仕事にも就けない屈辱、そういう経験を経てストレスを感じる世間とは極力接触せず、自分の唯一の戦闘能力の高さにすら嫌悪感を痛いているのに対して、小説の方は同じような不満を抱き世間にも自分にも抱いて悩みながらも、理性を失ってしまうと戦闘本能が全開になって見境なくなり、逃げる人間を追ってまで徹底的に行動を起こしてしまうと云う事になるでしょうか。
ティーズル保安官は小説では朝鮮戦争の英雄としてちゃんと明記され、今は別居中で仕事にのめり込む事でそのことを忘れようとしている人物として描かれていて、ランボーと接触し追跡した挙句に反撃を受けた事で、自らも戦闘本能に目覚めて対峙していくのですが、そうなるとこれは朝鮮戦争とベトナム戦争と言う2つの大きな戦争を挟んでの父と息子程年の離れた、理解しあえない世代間の差を描いたものではないかと思います。
両方の戦争とも本当の敵は旧ソ連、今のロシアなのですが、戦勝国ムードで盛り上がってそのまま参戦した朝鮮戦争で戦い無事帰国して英雄として社会復帰した父。
対するランボーは捕虜になり重度の精神障害を患った上、勝敗どころか軍は逃げるようにして引き上げてきて、はっきりとした成果を得る事も出来なければ、何時まで経っても何かと理由を付けては社会復帰をしようともする気も見せない、理解できない人間になって戻ってきた息子と言う構図でしょうか。
只、映画でも小説でも1番辛く惨めな思いをしたのは、もしかするとトラウトマン大佐だったのではと思います。
それは映画の方では最後の最後、包囲されて大佐から無理やり説得されるあまり、今まで鬱積していた思いのたけをランボーからぶちまけられるにあたって、初めて指揮していた自分とは違い実際に戦場で戦った人間のあまりにも過酷な戦場を潜り抜けてきたのを知り、何から何まで知っているつもりだったランボーが泣いてわめいて苦しんでいる姿を目の当たりにして驚愕し、小説の方ではちゃんとした一人間としての兵士を育てていたつもりが、実際は復帰してきても社会生活に適応できないまでに人間性を奪い精神的に追い詰めダメージを与えているのを改めて知り、最後は自らの手でその責任を取る行動をするからです。
巻末に初出版当時の訳者のあとがきがあり、そこでも同じ事を言っていましたが、自分の目の前にある日突然、汚らしい身形をし髪も髭も伸ばし放題に伸ばした、生意気な口をきく正体不明な人間が来たら自分ならどう対応するのか?それがランボーだとして、映画を観、小説を読んだ後でも自ら歩み寄り親しくなろうとすのか?駅周辺で見かけるホームレスにそんな同情を覚えなければ顔をしかめて避けて通っているのを思い返すと、映画であれ小説であれティーズルの行動を批判する気にはなれません。
広大なアメリカの、その町で生まれ育ち、そのまま一生その町から出る事無く老いて死んで苦であろう田舎町の人間には、まだまだ偏屈と言うか極度に排他的な一面があるとあったので、小説や映画の様な騒ぎにはならないまでも、小さなトラブルは多々あったのではと思ったりもしました。
2008年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
通常原作のほうが面白く、映画化されたものの評価が低いパターンが多いと思いますが、ランボーの1作目に関してはそれは当てはまらない気がします。どちらにもよさがあります。原作のランボーは映画に比べると「弱い」と私は感じましたが、逆に人としての苦悩が表現されている気がしました。映画のほうはスタローンのイメージでアクションの要素が強いのですが、なんとなく暗い画面にある種の古さとやはり独自の苦悩が感じられました。どちらも好きです。ただ、ディヴィットマレルの作品なら、「偽装者」の方が断然面白かった。これも映画化して欲しい作品です。