好きな軍歌をひとつあげろといわれたら私は迷わず『水師営の会見』をあげる。
人前で歌うことをためらった今は亡き父が、私がこの曲をかけたところ聞き取りにくい
小さな声で口ずさんだのが思い出として残っている。
あまり知名度のある軍歌ではない。おそらくこの曲を「好きな軍歌」にあげる人は少な
いのではないか。言わずと知れた軍神乃木希典を歌ったものだ。
乃木という人物、ずっと昔はそれほど関心のある軍人ではなかった。 ただあるとき、国
家主義の人に「日本及び日本人とはどうあるべきかを知るには乃木を学ぶべきだ。彼こそ
代表的日本人のひとりだ」と言われたことから興味を抱いた。
ある国家主義的著名人が言った。
「私が目指すのは軍国主義ではない。むしろ軍国主義は望むところではない。乃木将軍以
降失った武士道精神を復活することだ」
厳格でストイックだった高倉健。その明治生まれの母親もたいそう厳しかったようだ。
少年時代の高倉は魚料理が嫌いで、食卓に出されても手をつけなかったらしい。そうする
と母親は毎日のように魚を出したという。そして口癖のように言っていたのが「乃木将軍
はね・・・」だったらしい。 高倉は「冗談じゃねえ、オレは乃木じゃないんだ!」と反
発したというが、謹厳実直だった母がそうして口に出すほど、昔の人は乃木を日本人、い
や人間の理想的代表的人物と見ていた。
乃木を知らない人のためにいうが、彼は戦争のヘタな人物として一部の人には評判が悪い。
自身が指揮する戦争で大量の部下を死なせている。 上司だった山縣有朋が「乃木を更迭
し極刑に処すべし」と進言したらしいが明治天皇はこれを許さなかった。
ある説によると、西南戦争から日清日露、大東亜戦争にいたるまで日本は幾多の豪傑を輩
出しているが、三大有名な軍人をあげろというと西郷隆盛、大山巌、それに乃木希典とな
るらしい。もちろんこれは定まったものではなく、評論家各氏が個人的にあげたもので、
中には「戦争のヘタな軍人」という観点から疑問視する人もいることを明記しておく。
しかし「戦争がヘタな軍人」ならばどうして候補にあがるのだろう。
著名でも無名でもない中間の評価ならまだしも、彼は「模範的」な軍人としてあげられて
いる。乃木の後を受けて戦況を優位に導いた名将児玉源太郎が、彼ほど名声がないのは皮
肉な話である。
なぜ彼はここまで評価が高いのか。 その答えは簡単である。
先の著名国家主義者がいうように「武士道精神」の代表的人物だからである。
別の言い方をすれば、日本人のメンタリティーに合致する、日本人が理想的な人間とする
性格を有している人物だからである。
戦争という特別な現象ではなく、日常を生きる上で、こういう人がいなければ日本は日本
でなくなる。つまり「模範」の後に続く言葉は「軍人」ではなく、「日本人」なのだ。
いや、もっと視野を広げて「男」「人間」と位置づけるのが適当かもしれない。
実は乃木は軍人でありながら戦争の嫌いな平和主義者だった。
彼は軍人になりたかったのではなく歌人や百姓になりたかった。 しかしときは戦乱の最
中悠長を許さなかった。
彼には模範的日本人であることを思わせる数多くのエピソードがある。
一つは自らの杜撰な戦法によって大量の戦死者を出したことに責任を感じ、自らの愛息二
人をもっとも戦乱の激しい地に配置した。 二人の息子を失くしたら後継ぎがいなくなる
ことを危惧した部下が安全な場所への配置を進言したが、彼はこれを聞き入れなかった。
結果、二人の愛息は相次いで戦死。そのとき彼は「愚父のためによくぞ死んでくれた。こ
れぞ武門の面目」と喜んだといわれている。
そればかりか「そこいらに屍がころがっているかもしれない」と言ったことに対し、「そ
れはいくらなんでもひどいではありませんか!」と部下が諫めたといわれているが、もっ
とも悲しかったのは乃木本人であったことは想像に難くない。 軍歌『水師営の会見』に
もそうした歌詞がある。
またこの歌のタイトルにもなっている水師営の会見は、日露戦争でロシアに勝利したこと
から敵軍の大将ステッセル将軍と会見することになった歴史的な出来事を歌にしたものだ
が、乃木は敵将に対し帯剣を許し、さらにロシア国内で湧きおこったステッセル将軍の処
分を非難し「そんなことは日本の武士道が許さない」とメッセージを送ったのである。
それによってステッセル将軍は極刑を免れたが、後にステッセルは「このような軍人に敗
れたことは恥ではない、私は誇りに思う」と感謝の言葉を述べている。
乃木はその後、戦争が終結すると再び畑に出て農地を耕し、学習院の院長を務めるなどし
てよき日本人の教育に力を注いだ。 若かりし頃の昭和天皇の教育係も務めている。
明治天皇がご病気に伏されたときはお見舞いとご快癒の記帳、神社参拝などをされたが願
い虚しく天皇は崩御された。
乃木は若き軍人だった頃、多くのミスを犯しながら事あるたびに明治天皇に許されたこと
に終生感謝と申し訳なさを心に抱いていた。
天皇崩御の後「もはや生きていることはできない」と東京の自宅において割腹し喉に短刀
を突き刺して自刃した。その死は壮絶だったという。
割腹の後介錯人が居ればその人に介錯を任せるが、不在の場合は武士の作法として自ら喉
をかき切る。 まさに武士道に則った最期だった。
戦後左翼は乃木を教育上好ましくない人物として非難し、名声を残さないことに力を注い
だ。左翼ばかりか、私が自衛隊在隊中に対話した幹部でさえ「我々は乃木から学ぶものは
一つもない」と罵倒した。
私はこの『水師営の会見』を歌うと自然に涙が出る。
二人の愛息の死、水師営の会見の状況―― 乃木の心境を推察すると、彼には悔いばかり
が残る人生だったのではないかと思ってしまう。「武門の面目」と言っている以上、そん
なことを言ったら失礼かもしれないが、もっと平和な時代に生まれ、のんびり楽しく諍い
ない生活を過ごしたかったのではないかという同情の念が消えない。
ちなみに「私が目指すものは乃木将軍以降失った武士道精神を復活することだ」と言った
のは市ヶ谷で自決した三島由紀夫。
市ヶ谷には昭和の代表的軍人阿南惟幾自決の碑もあった。阿南は少年の頃、剣道の試合に
乃木が来賓として来られていたことに感動し、それを終生心に刻んでいたという。これも
一つの縁というものだろう。
さて、私は今回レビューというよりも自分の乃木評を書いてしまった感があるが、言いた
いことは、まさに三島が言うように「失われた乃木の武士道精神を復活したい」というこ
と。そのためにはこの本のように沢山の乃木関連本が出ることを望みたい。
男(日本男児)の見本としてであるが、男ばかりではない。
現在の世の乱れは男も女も現生の価値観によって営まれている。
傲慢で無意味な暴力を働く男、体を売って節操のない女、欲望ばかりが先行し、非日本的
なことに恥辱を感じない人間たち・・・。はたしてそれでいいのか?
日本を創ってきたのは我々の祖先だ。 苦労して創りあげてきたものを「これからは旧来
の風習を打破し我々の好きなように創りあげる」と崩壊させ、外国ナイズさせるのか!
先人の生き方は無意味なものになってしまったのか!
我々の世代は上の世代から「最近の若者はたるんでいる」と言われ続けてきた。
上の世代もおそらくその上の世代から同じことを言われ続けてきたことだろう。
さかのぼっていけば、戦争を経験してきた人はその時代の厳しさから後の時代人の生活実
態に甘えのようなものを感じざるを得なくなっている。
同じように我々は次の世代に厳しい言葉を投げかける。 そしてそれはさらに次の世代へ
と・・・。
しかし私はそうした風潮は強ち間違いだとは思わない。 なぜなら過去にこそ日本人らし
い、日本的な生活様式があったことに気づいたからだ。それが文化というものだ。
こうした意見に若者たちは反感を抱くだろう。 しかし反感を抱く者こそ日本というもの
を、真の愛国というものを分かっていない。おそらくそれは彼ら彼女らが大人になって次
の世代の人間の甘えを見たときに気づくことだろう。
三島は「このまま行ったら日本はなくなってしまうのではないか」と警告した。
私は以前、そんなことはないと安心していた。
しかし時代はたしかに三島が危惧していた方向に舵をきっている。 確実に。
長い歴史の中で世界に尊敬される日本が築かれてきたが、先人の苦労を若年者が好き勝手
な振る舞いで崩壊せんとしている・・・。
斯くなれば乃木の復活は絶対必要だ。これなくして日本、日本人の文化的精神的高揚はあ
り得ないことを力を込めて主張しておく!

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乃木希典 (文春文庫 ふ 12-6) 文庫 – 2007/8/3
福田 和也
(著)
世俗的欲望を絶ち、自らを極限まで純化する。彼は何故、死ぬまで乃木希典を演じ続けたのか。新たなる乃木像を提示した傑作評伝
- 本の長さ169ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2007/8/3
- ISBN-104167593068
- ISBN-13978-4167593063
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著者について
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1960(昭和35)年東京生まれ。文芸評論家。慶應義塾大学環境情報学部教授。慶應義塾大学文学部仏文科卒。同大学院修士課程修了。1993年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、2002年『地ひらく』で山本七平賞受賞。著書に『日本の近代(上・下)』『昭和天皇』など多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年5月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は、指導者にとって必要なのは有徳よりも有能だと思う。特に国家や軍隊においては。
しかし、もし戦死するなら、児玉源太郎よりも乃木希典の部下としての方が納得できる気もする。例えそれが稚拙な作戦のせいだったとしても。
有徳と言うのは有害で危険な魅力なのかもしれないが、徳無き社会と言うのもあり得ないだろう。
本書が何らかの答えを導き出してくれる訳でないが、上記のようなことを考えさせてくれる良書である。
ところで、家長として、夫として、あるいは父親としての徳とは何なのだろうか? その観点からは、乃木希典も有徳の人ではないと思えるのだが、フェミニストの乃木希典論と言うのも読んでみたいものである。
しかし、もし戦死するなら、児玉源太郎よりも乃木希典の部下としての方が納得できる気もする。例えそれが稚拙な作戦のせいだったとしても。
有徳と言うのは有害で危険な魅力なのかもしれないが、徳無き社会と言うのもあり得ないだろう。
本書が何らかの答えを導き出してくれる訳でないが、上記のようなことを考えさせてくれる良書である。
ところで、家長として、夫として、あるいは父親としての徳とは何なのだろうか? その観点からは、乃木希典も有徳の人ではないと思えるのだが、フェミニストの乃木希典論と言うのも読んでみたいものである。
2016年1月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大変、キレイな本でした。
読みやすく、歴史的見地からも参考になります。
読みやすく、歴史的見地からも参考になります。
2012年6月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
軍事的な評価は避けて、人格の面のみにスポットライトを当てた本。
自らを有徳な人間としてしか生きられないと思い詰め生きた半生。
その凄まじい努力を読むと胸が苦しくなりました。
生まれ持って有徳ではなく、後発で有徳を志した彼の人の凄さを考えされられました。
乃木の生き方を急旋回させたドイツ留学について、さらに詳しい考察があると完璧だったと思います。
多々乃木希典に関する本を読んできましたが、これほど薄い本で深い内容を伝えるものは初めてでした。
自らを有徳な人間としてしか生きられないと思い詰め生きた半生。
その凄まじい努力を読むと胸が苦しくなりました。
生まれ持って有徳ではなく、後発で有徳を志した彼の人の凄さを考えされられました。
乃木の生き方を急旋回させたドイツ留学について、さらに詳しい考察があると完璧だったと思います。
多々乃木希典に関する本を読んできましたが、これほど薄い本で深い内容を伝えるものは初めてでした。
2007年9月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
司馬遼太郎の「坂の上の雲」で「愚将」のレッテルがイメージ化された乃木。この本質を、「有徳」というキーワードで解き明かす。実利を追い求め、「徳」の希求を忘れた現代人にとって、乃木の生き様は貴重な警鐘である点をはっきりさせてくれる感銘の書。
2014年1月25日に日本でレビュー済み
【内容(ネタバレ禁止!)】
「乃木大将のようになれ」といわれて育ったという戦中オヤジ世代。小さい頃にオヤジに連れられ見た映画での切腹シーンの恐さ。司馬遼太郎の『坂の上の雲』での愚将扱い。毀誉褒貶の謎に満ちたこの人物の実像を、思い入れに満ちた文体で紹介している。
【ささった言葉】
「旧時代の徳目の権化」という味わい深い日本語で、乃木を大切に表現している。
徳目とは、誠実であること、清廉であること、質素であること、勇敢であること。
が、これらが古いなどとは決して言い切れない。今でも日本人がリーダーに求めることだ。その証拠に、リーダーを引き受けた途端に急に立派さを要求される、ということが、身近でも頻繁に起こる。
【教訓】
「結局、乃木が尊重されなくなったのは、日本人が、人の生き死にを、直接に問題としなくなったからでもある」という部分が深く心に残った。
「身傷つくも死せず却って天を恨む」
「死期を猶予するは恥の之より大なるはなし」
先代までが武士であった旧世代の軍人の異様さ、では片付けられない何か心を動かされるものが、そこにはある。人としての美が、確かに存在する。とてもかなわぬものとしての乃木という存在に感動するとともに、「生き方の美しさ」「命よりも大切なもの」それが分かる美意識は、常に持ち続けていきたいと強く思った。
「乃木大将のようになれ」といわれて育ったという戦中オヤジ世代。小さい頃にオヤジに連れられ見た映画での切腹シーンの恐さ。司馬遼太郎の『坂の上の雲』での愚将扱い。毀誉褒貶の謎に満ちたこの人物の実像を、思い入れに満ちた文体で紹介している。
【ささった言葉】
「旧時代の徳目の権化」という味わい深い日本語で、乃木を大切に表現している。
徳目とは、誠実であること、清廉であること、質素であること、勇敢であること。
が、これらが古いなどとは決して言い切れない。今でも日本人がリーダーに求めることだ。その証拠に、リーダーを引き受けた途端に急に立派さを要求される、ということが、身近でも頻繁に起こる。
【教訓】
「結局、乃木が尊重されなくなったのは、日本人が、人の生き死にを、直接に問題としなくなったからでもある」という部分が深く心に残った。
「身傷つくも死せず却って天を恨む」
「死期を猶予するは恥の之より大なるはなし」
先代までが武士であった旧世代の軍人の異様さ、では片付けられない何か心を動かされるものが、そこにはある。人としての美が、確かに存在する。とてもかなわぬものとしての乃木という存在に感動するとともに、「生き方の美しさ」「命よりも大切なもの」それが分かる美意識は、常に持ち続けていきたいと強く思った。
2012年3月22日に日本でレビュー済み
司馬遼太郎を頂点に、詩人将軍、演技性人格、軍人として無能といわれた人物の再分析
上記毀貶を肯定しながらも、演技性人格の動機として、
武門の家系に生まれながら虚弱と罵られた人物が
維新、国軍創設のさなか、武家出身の連中に疎外されつつ
30代後半のプロイセン留学で、「軍人の本文の一つは徳義の実現」
「(秋山兄弟の軍事科目や、森鴎外の軍事医学同様)これを国軍に導入するのが私の使命だ」と
帰国。まあ自己実現の目的を見出した訳。
陸軍省への報告書でもそう書いて、以降、留学前の遊び人から一転、戦前の謹厳実直、
旅順戦、殉死までの性格の一貫性を描く。
・・・いや、なんでもない内容にみえるけど司馬遼太郎その他、
多くの研究者が膨大な生活史を「状況証拠」にして
乃木の殉死に至る精神史を「憶測」しているけど
本人がとりあえず、「こうなりたい」と明治20年代に書き残し、
明治37〜8年、そう行動し、明治45年に原理に従って自決したという
簡潔明瞭な内容に、ちょっと目を開かれました
上記毀貶を肯定しながらも、演技性人格の動機として、
武門の家系に生まれながら虚弱と罵られた人物が
維新、国軍創設のさなか、武家出身の連中に疎外されつつ
30代後半のプロイセン留学で、「軍人の本文の一つは徳義の実現」
「(秋山兄弟の軍事科目や、森鴎外の軍事医学同様)これを国軍に導入するのが私の使命だ」と
帰国。まあ自己実現の目的を見出した訳。
陸軍省への報告書でもそう書いて、以降、留学前の遊び人から一転、戦前の謹厳実直、
旅順戦、殉死までの性格の一貫性を描く。
・・・いや、なんでもない内容にみえるけど司馬遼太郎その他、
多くの研究者が膨大な生活史を「状況証拠」にして
乃木の殉死に至る精神史を「憶測」しているけど
本人がとりあえず、「こうなりたい」と明治20年代に書き残し、
明治37〜8年、そう行動し、明治45年に原理に従って自決したという
簡潔明瞭な内容に、ちょっと目を開かれました