※本編の内容に触れています。
映画「風立ちぬ」の絵コンテです。
前作同様、宮崎監督による彩色がされています。
月報寄稿は半藤一利さんによる風立ちぬ評「人間であることをやめるな」
各カットに添えられた監督のト書きや、コンテ完成後に改変されたという
菜穂子さんの最後の台詞など、本編を深く理解する手掛かりにもなりました。
映画「風立ちぬ」は、実在した技術者と、同時代を生きた作家が感じた時代の風を通して
宮崎監督の実人生に根差した精神の履歴を全カットに刻み込んだ「アニメーター宮崎駿」の自伝と感じました。
内出血の跡のように刻まれたそれは、「草枕」の一節のように“理非を絶した非人情”の領域でのみ現われる真実を、
「美しさとは何か?」という問いによって、ただ美しいものを描く行為の内に示していました。
さらに傑出した天才を主人公にする事で、夢見る事の残酷さが才能の問題ではなくなり、
ヒトだけが獲得した夢見る能力そのものの恐ろしさである事を浮かび上がらせています。
嘘をつかないために、描けないものがある。描く事そのものが、真を汚す領域がある。
半世紀にわたって風の存在を描いてきたアニメーターは、風の形を、その描線を、描かなかった。
出来事に外側から恐怖と涙を振りかけて、事実をドラマへ変質させる事をせず、
内側からであっても、後から感情の抑揚を付与しない。
ナレーションで心を本音として断じる事も、テロップで時空を絡め取る事もしていない。
この映画は何をしていないのか、それ自体が一つの表現と見識を示していると感じました。
ここでは全ての決定的瞬間が、さりげなく取り交され、自立した意思が痛みを背負って決然と下されます。
為すことを為し、為さぬことを為さず、「ではこれで」と背筋を伸ばして去っていくだけです。
宮崎映画は正しさを謳わない。ただ世界の美しさを讃えてきました。
鯖の骨から普遍の真実を見出すように、自然の秘密をキャンバスに描くように、
「美は真 真は美 それがすべて」である事を信ずる数学者と同じく、美の忠誠者でした。
破壊と殺戮を描き、不道徳不健康を極めるのも、人類の滅亡さえ肯定しながら、産まれ来る命を祝福するのも
それらが真を濁らせ、美を奪うものではないからです。
本当の美は外側からは奪われず、常に内側から浸食されるからです。
「状況に全面降伏しないで、自分の希望、ここだけは誰にも触れさせないぞというものを持っているとしたら、
それを手放さなければならないのなら、誰の手にも届かないところに放してしまおう」
詩人ナウシカは血まみれのオデュッセウスと出逢い
美しきバラは摘み取られることなく、繊細な庭師を見いだし
少年モーツァルトは腐った音楽を愛することなく、虐殺に抗し、生涯を完遂した。
その夢は、この世では呼吸を続ける事が出来ない。重力に捉われ、墜落する、美しい夢だ。
それでも宮崎監督は、破れ続ける傷口の痛みを、ついに手放さなかった。
ズタズタになった夢の果てで、一人待ち続けた菜穂子さんは何を想っていただろう。
二郎にかけた言葉の変更に、自分を許すことを踏みとどまった監督の想いを察し、
「いのちの初夜」最後の言葉「やはり生きてみることだ」を重ねました。
「ほかの人にはわからない」としても、その場その時に自分の句読点を刻むことで、己が人生を生き切るしかないのだと。
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