暗くて地味な小説というイメージだったが、
読み始めると、言葉に埋め尽くされた不自由さを感じた。
言葉で埋めるのは、何かを主張したい場合と、何も説明できない場合が多い。
たしか、この本には<自由>という言葉は出てこなかったような気がするけど、
「何か」から逃れたくて、太陽で目を焼いたんだと思う。
彼は「知覚世界」を放棄した。
見ることは、現実の<都会のシステム>に拘束されることであり、
世間の社会のそうしたシステムからの刺さるような『目』から耐えられなくなった
若者の輪郭。
若者の輪郭は具体的に肉付けされたものとしてではなく、
読み手にそれぞれのイマージュを植え付ける。
およそ、全体の8割が言葉に支配された世界。
わずかな登場人物たちとの会話により、まったくのイマージュだけではなく、
血の通った、何かを求めつつも逃れようとする、彷徨うベッソンを通して、
読者はそこに人物たちの生命の物語に一瞬の安堵感を覚え、人型でくくられた<社会のシステム>
から抜け落ちた人物たちに共感を覚える。
そしてその後の展開に淡い期待を託す。
だが、ベッソンはその世界に安住することなくそこからもなおも逃れようとする。
逃れても、言葉は大洪水を起こしているし、看板や数値の記号や言語はベッソンに突き刺さっていく。
もはや教会でさえも魂を救う装置は機能しない。
知覚世界を放棄しても、恋人からのテープレコーダが残り、
聴覚からのまた新たなるイマージュがベッソンを苦しめるのだろうか?
「おれはもう神は信じない」
言葉は相変わらず氾濫しているし、耳から伝わってくる聴覚世界、
形作られていく果てのない概念…
まさに『大洪水』。
彼は60年代の末をひたすら彷徨い続ける。
が、果たしてそれは過去の話だけのことか?
私がベッソンに見たイマージュは全裸で両手を頭の上で抱え込み、
町を彷徨う無垢な巨人である。
なぜ彼は彷徨う必要があったのか?
なぜ目を焼いたのか?
<都市とアイデンティティ>、<自由と拘束>、<言葉と記号>、
<知覚的意識-想像的意識-概念的意識>の役割と喪失。
これらは、「文学とは何か」を導き出すのにいまだ有効な手段だといえるし、
個人に起こった事柄を現代風にスタイリッシュに描くような今時の小説とは、
明らかに一線を画しているはずだ。
現代の世界文学全集に加えてもよい良質な作品だと思う。
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大洪水 (河出文庫 ル 1-1) 文庫 – 2009/2/4
J M G ル クレジオ
(著),
望月 芳郎
(翻訳)
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生の中に遍在する死を逃れて錯乱と狂気のうちに太陽で眼を焼くに至る青年ベッソン(プロヴァンス語で双子の意)の13日間の物語。独特の詩的世界で2008年ノーベル文学賞を受賞した作家の長編第一作、待望の文庫化。
- 本の長さ414ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2009/2/4
- 寸法10.6 x 1.5 x 15 cm
- ISBN-104309463150
- ISBN-13978-4309463155
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商品の説明
著者について
1940年、南仏ニース生まれ。1963年『調書』でルノード賞受賞。1966年には第三作の長編『大洪水』を発表、作家としての地位を確立。著書多数。2008年、ノーベル文学賞を受賞。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2009/2/4)
- 発売日 : 2009/2/4
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 414ページ
- ISBN-10 : 4309463150
- ISBN-13 : 978-4309463155
- 寸法 : 10.6 x 1.5 x 15 cm
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年5月24日に日本でレビュー済み
2009年8月1日に日本でレビュー済み
はっきりと好き嫌いがでる実験的な作品であると同時に、
好きなのか嫌いなのか、というラインで判断がつけられない作品ですね。
私個人は、なかなか面白く読みました。(すき嫌いではない、の部類です)
クレジオ本人は、「大洪水」が難しい内容になったために、先に「調書」を発表したと語っています。
構成そのものは美しくできていますが、観念的な冒険を許容できないと苦痛に感じられるかもしれません。
以下、雰囲気について
シュルレアリスムやダダに通ずるセンスが感じられます。
とりわけ、序説においての目眩を誘う出来事は、秩序がないようで
どこかにつなぎ止められてでもいるかのように、ふとした瞬間に現実に連れ戻されるよう。
記号的な表現(アルファベットや線などの純粋な記号)によって
風景を示すグラフィックの大胆さも、目を見張るものがあります。
変わって第一章からは、フランソワ・ベッソンの生活が刻々と描かれ
文体もそれなりに具体性をおびてきます。他者とのやりとりに作家の関心が移動します。
テープの挿入等、技巧的にも上手いところがありつつ
最終章にむかってセカイが収束していくって感じ。
このような観念性と具体性の緩急から導き出される、思想的冒険は、
確かにノーベル賞作家としての地盤になったといえるでしょう。
最近のクレジオの作風とは趣が違うもので、
コンセプチャルな思想が詰め込まれた一にして複数の作品です。
クレジオファンの方も、そうでない方も、一度手に取ってみられる事をおすすめします。
あれ、これじゃネットレヴューとしてダメかしら!?
好きなのか嫌いなのか、というラインで判断がつけられない作品ですね。
私個人は、なかなか面白く読みました。(すき嫌いではない、の部類です)
クレジオ本人は、「大洪水」が難しい内容になったために、先に「調書」を発表したと語っています。
構成そのものは美しくできていますが、観念的な冒険を許容できないと苦痛に感じられるかもしれません。
以下、雰囲気について
シュルレアリスムやダダに通ずるセンスが感じられます。
とりわけ、序説においての目眩を誘う出来事は、秩序がないようで
どこかにつなぎ止められてでもいるかのように、ふとした瞬間に現実に連れ戻されるよう。
記号的な表現(アルファベットや線などの純粋な記号)によって
風景を示すグラフィックの大胆さも、目を見張るものがあります。
変わって第一章からは、フランソワ・ベッソンの生活が刻々と描かれ
文体もそれなりに具体性をおびてきます。他者とのやりとりに作家の関心が移動します。
テープの挿入等、技巧的にも上手いところがありつつ
最終章にむかってセカイが収束していくって感じ。
このような観念性と具体性の緩急から導き出される、思想的冒険は、
確かにノーベル賞作家としての地盤になったといえるでしょう。
最近のクレジオの作風とは趣が違うもので、
コンセプチャルな思想が詰め込まれた一にして複数の作品です。
クレジオファンの方も、そうでない方も、一度手に取ってみられる事をおすすめします。
あれ、これじゃネットレヴューとしてダメかしら!?
2021年9月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
Amazonさんの配達の速さ (注文の翌日に入荷) には毎度脱帽です。
さて、この作品は「プロローグ」(分量50ページ)と「エピローグ」(分量29ページ)がとにかく難解です。
しかし上記2つも慎重に読みすすめていけば、作者ル・クレジオがそれらで何を表現しようとしたのか分からなくはないです。
ひとことで言えば、物質中心主義者のル・クレジオにして、はじめて書き得た《都市の形象からおのずから生じる破壊と幻視の散文詩》(巻末「解説」より)です。
ただし、末尾の「エピローグ」のほうの難解さは、本編・第1章~第13章(分量にして307ページ)を読むことによって、かなり緩和されている印象です。
と言うか、エピローグは、本編だけではよく分からなかった主人公ベッソンという人物やこの物語に込められた作者の意図についての補足説明として読めました。
なお、本作「大洪水」を読む前は、こんな前衛的・実験的な現代フランスの純文学作品が意外に多くの人に読まれている(※)ことが不思議だったのですが、読み終わってみてその謎は解けました。
(※)読書好き交流サイト「読書メーター」で感想55人、登録者350人(←エンタメ小説並みの感想数・登録者数です)
要するに、本作の本編(1章~13章)は一種の冒険小説なんです。
いくつか典型的な例を挙げれば・・・
(1) 第1章のはじめのほうに出てくる、テープレコーダーに録音された延々17ページにもわたるアンナの長話と、それを静かに聞くベッソン。
この部分は、昔評判だったテレビドラマ「スパイ大作戦」(1967~1973年放送)で、最初にテープレコーダーによってスパイの主人公に上層部の指令が与えられるシーンを私に思い出させました。
むろん、ベッソンの恋人アンナの音声テープによる長話は、諜報活動の指令とは趣がずいぶん違います。
しかし、前段の50ページにもおよぶ難解なプロローグを何とか読みとおし、ようやく第1章にはいって具体的な物語が動きはじめてすぐに現れるアンナの音声テープは、読み手の私に「このテープの中に今後の物語の重要な伏線が秘められているのではないか?」という思いを強く抱かせ、思わず夢中で読みました。
その内容は一言でいえば多感な女性の打ち明け話ですが、驚くべきことにこの第1章の音声テープによる伏線は、最終章(13章)でもういちど出てくるアンナの音声テープ再生シーンの中でじつに衝撃的な方法で回収されます。
(2) 第8章で、ベッソンが激しい暴風雨の中を散歩し嵐と対峙する場面。
この部分の迫力ある描写はメルヴィルの「白鯨」やコンラッドの「ロード・ジム」を思い出させました。
(3) 第11章の後半で夜、見知らぬ土地に野営したベッソンが暗闇の中で何者かに襲われるシーン。
暗い中、得体の知れない足音がヒタヒタとベッソンの身近に近づいてくる部分や、同じく闇の中で正体不明の人物と取っ組み合いになり、ベッソンが恐怖のあまり死に物狂いで相手をやっつける(殺す)部分は、並みの冒険小説よりもスリルがあります。
こんな具合にけっこう読ませどころがあるので、プロローグ、エピローグの難解さにもかかわらず、本作「大洪水」は多くの読者を獲得しているのだと思います。
ちなみにル・クレジオと冒険小説は親しい関係にあるらしく、20代の終わりに書いた「逃亡の書」も後期の傑作「黄金探索者」、「偶然 帆船アザールの冒険」なども冒険小説のトーンで書かれています。
さて、この作品は「プロローグ」(分量50ページ)と「エピローグ」(分量29ページ)がとにかく難解です。
しかし上記2つも慎重に読みすすめていけば、作者ル・クレジオがそれらで何を表現しようとしたのか分からなくはないです。
ひとことで言えば、物質中心主義者のル・クレジオにして、はじめて書き得た《都市の形象からおのずから生じる破壊と幻視の散文詩》(巻末「解説」より)です。
ただし、末尾の「エピローグ」のほうの難解さは、本編・第1章~第13章(分量にして307ページ)を読むことによって、かなり緩和されている印象です。
と言うか、エピローグは、本編だけではよく分からなかった主人公ベッソンという人物やこの物語に込められた作者の意図についての補足説明として読めました。
なお、本作「大洪水」を読む前は、こんな前衛的・実験的な現代フランスの純文学作品が意外に多くの人に読まれている(※)ことが不思議だったのですが、読み終わってみてその謎は解けました。
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要するに、本作の本編(1章~13章)は一種の冒険小説なんです。
いくつか典型的な例を挙げれば・・・
(1) 第1章のはじめのほうに出てくる、テープレコーダーに録音された延々17ページにもわたるアンナの長話と、それを静かに聞くベッソン。
この部分は、昔評判だったテレビドラマ「スパイ大作戦」(1967~1973年放送)で、最初にテープレコーダーによってスパイの主人公に上層部の指令が与えられるシーンを私に思い出させました。
むろん、ベッソンの恋人アンナの音声テープによる長話は、諜報活動の指令とは趣がずいぶん違います。
しかし、前段の50ページにもおよぶ難解なプロローグを何とか読みとおし、ようやく第1章にはいって具体的な物語が動きはじめてすぐに現れるアンナの音声テープは、読み手の私に「このテープの中に今後の物語の重要な伏線が秘められているのではないか?」という思いを強く抱かせ、思わず夢中で読みました。
その内容は一言でいえば多感な女性の打ち明け話ですが、驚くべきことにこの第1章の音声テープによる伏線は、最終章(13章)でもういちど出てくるアンナの音声テープ再生シーンの中でじつに衝撃的な方法で回収されます。
(2) 第8章で、ベッソンが激しい暴風雨の中を散歩し嵐と対峙する場面。
この部分の迫力ある描写はメルヴィルの「白鯨」やコンラッドの「ロード・ジム」を思い出させました。
(3) 第11章の後半で夜、見知らぬ土地に野営したベッソンが暗闇の中で何者かに襲われるシーン。
暗い中、得体の知れない足音がヒタヒタとベッソンの身近に近づいてくる部分や、同じく闇の中で正体不明の人物と取っ組み合いになり、ベッソンが恐怖のあまり死に物狂いで相手をやっつける(殺す)部分は、並みの冒険小説よりもスリルがあります。
こんな具合にけっこう読ませどころがあるので、プロローグ、エピローグの難解さにもかかわらず、本作「大洪水」は多くの読者を獲得しているのだと思います。
ちなみにル・クレジオと冒険小説は親しい関係にあるらしく、20代の終わりに書いた「逃亡の書」も後期の傑作「黄金探索者」、「偶然 帆船アザールの冒険」なども冒険小説のトーンで書かれています。