2015/06/19に全面改稿。
仏教を論じるのであれば、<釈尊の教法の真義>を知る必要がある。
<釈尊の教法の真義>とは、「凡夫が聖者になり、聖者は釈尊と同等のブッダ(阿羅漢)になる」ことである。その聖者とは「凡夫の心」に「ブッダの心」が共存する者である。「凡夫の心」である「欲界の痴」が、「ブッダの心」である「欲界の智」に置き換われば、第一段階の聖者「預流(シュダオン)」に進化する。この「預流」にならなければ<釈尊の教法の真義>は絶対に理解出来ないのである。
凡夫を聖者にするのは、『心の量子トンネル現象』である。「ブッダの心」が「凡夫の心」に染み込む心の量子トンネル現象は、「欲界の痴」=「身見+疑惑+戒取」=「三結(三煩悩)」に気づいた瞬間に始まる。「身見」は『私』および『私のもの』という自尊心(自己中心の思い込み)のこと、「身見」に迷うことで生じる「疑惑」は「懐疑心・偽善心に基づく失敗への怖れや不安(焦燥感)」のこと、「身見」に頼ることで生じる「戒取」は「古い固定観念(迷信や過った先入観)」を絶対視することである。一旦、『心の量子トンネル現象』が開始すれば、その影響が継続し、やがて「戒取」がもたらした「欲界の貪ぼり(欲貪)」と「疑惑」がもたらした「欲界の怒り(瞋恚)」が減少して第二段階の聖者「一来(シダゴン)」となる。さらに、「欲界の貪・瞋・痴」=「身見+疑惑+戒取+欲貪+瞋恚」=「五下分結」が消滅すれば第三段階の聖者「不還(アナゴン)」になる。「不還」になれば、欲界との縁が切れるので、人間界(欲界)への輪廻転生はない。欲界との縁が切れた「不還」は、間もなく、第四段階の聖者「阿羅漢」(=第一段階のブッダ)になる。
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次に、チベット仏教導入の歴史を概観する。
チベット王朝が最も拡大した761年に、ティソン・デツェン王は仏教の本格的導入を決め、寂護(シャーンタラクシタ)や蓮華戒(カマラシーラ)を招いた。彼らが創り上げたチベット仏教は、中観教義を最上とする教相判釈(教判)に依る。しかし、それは<釈尊の教法の真義>ではなく、釈尊以降の教法も全て仏陀親説と考えて序列を決めたもので、法華経を最上とした天台大師智顗の「五時教判」と同類である。それは一種の「戒取」である。
チベット仏教の暗黒時代を終えた1042年には、西チベット王チャンチュプ・ウーがインド大学僧アティーシャを招聘した。王の「広く一般の人々も理解することができる役に立つ教えを書いて欲しい」という懇願により、アティーシャは『菩提道灯論』を著わしたのだが、その教相判釈は次の二諦である。
【勝義諦:奥深い智慧(般若)=自利行】釈尊 → 文殊菩薩 → ナーガールジュナ(龍樹)→ アーリヤデーヴァ(聖提婆)→ シャーンティデーヴァ(寂天)→ チャンドラキールティー(月称)→ ・・・ という血脈である。
【世俗諦:広大なる方便=利他行】釈尊 → 弥勒菩薩 → アサンガ(無着)→ ヴァスバンドゥ(世親)→ スティラマティ(安慧)→ シャーンタラクシタ(寂護)→ ・・・ という血脈である。
これら、二つの血脈は歴史的事実ではない。これに拘泥すれば「戒取」の煩悩に留まることになる。
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最後に、「勝義諦=智慧(般若)=自利」と「世俗諦=方便=利他」は大乗仏教由来の教法ではなく、釈尊由来の教法であることを知らねばならない。
文証は「優婆塞の十六法」として知られる雑阿含経卷第三十三(宋天竺三藏求那跋陀羅訳)であり、釈尊は次のように述べている。〔本文は長いので要約して示す。〕
『自ら信・戒・施・詣(聖者に会うこと)・聞・持・観察・法次方向(菩提心を持つこと)の八法を成就し、他をして信・戒・施・詣・聞・持・観察・法次方向の八法を成就させる者、是を優婆塞のよく自ら安慰し、また他人を安慰すと名づく。是の如く優婆塞の十六法を成就する者は、初中及び後の威徳は顕照ならん。』
このように、前半の八法が自利であり、後半の八法が利他である。
さらに、「四聖諦」のうち、万人に共通な「苦諦」と「滅諦」が勝義諦(第一原理)であり、各人によって異なる「集諦」と「道諦」が世俗諦である。
また、「法(ダルマ)」には四つの意味がある。「自然(五蘊・十二処・十八界など)」と「自然の法則(四聖諦・縁起の法など)」が勝義諦であり、「自然の法則に則った義務(菩提分法)」と「義務実践で得られる結果(四沙門果)」が世俗諦である。

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チベットの般若心経 単行本 – 2002/4/1
- 本の長さ329ページ
- 言語日本語
- 出版社春秋社
- 発売日2002/4/1
- ISBN-104393132807
- ISBN-13978-4393132807
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
日本仏教で宗派を問わず最も重要視され、多くの機会に読まれている「般若心経」は、チベットではどのように読み解かれたのか? チベット仏教思想の基礎を学びつつ、「空」思想についても論理的な理解ができる一冊。
登録情報
- 出版社 : 春秋社 (2002/4/1)
- 発売日 : 2002/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 329ページ
- ISBN-10 : 4393132807
- ISBN-13 : 978-4393132807
- Amazon 売れ筋ランキング: - 901,444位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 94位チベット仏教(一般)関連書籍
- - 923位仏教の経典
- - 4,027位仏教入門
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2007年8月11日に日本でレビュー済み
2015年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中古品で買いました。
書かれている状態より、良い感じです。
手に入れて、この本は元の持ち主は多分、80何ページしか読んでいないように思います。
なので、本文に鉛筆にメモを書かれている場所は確かにありますが、思ったより少なかったです。
満足しています。
書かれている状態より、良い感じです。
手に入れて、この本は元の持ち主は多分、80何ページしか読んでいないように思います。
なので、本文に鉛筆にメモを書かれている場所は確かにありますが、思ったより少なかったです。
満足しています。
2008年1月26日に日本でレビュー済み
般若心経、その中に説かれる般若の教えだけでなく、チベット仏教の概説まで、この本一冊の中にまとめられています。般若心経をチベット仏教の各派の考え方から論じられているので興味深いです。
結構専門的な本ですが、軽い本をたくさん読むよりもある程度広い見地から、見渡すためにはこの本が役に立つと思います。
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