私はこれまで宗教とは無縁だと思っていたし、弱い人がやるものだと思っていました。
ところが現実はぜんぜんそうじゃなくて、みんな洗脳されちゃってるんです。
それで、人間革命を、1巻だけっ、くださいっって、祈っt、祈ってたんですよ。
そしたら、先生から、「読まないか?全巻」って言われたんです。
で、家に帰ったら、聖教新聞一年分ドカンと山積みにしてあるんですよ。
一年分ですよ?
よく見たら『人間革命』も全巻揃えて置いてあるんですよ。
それで、わずかな時間を見つけて読んでみたのですが、
先生のお話は高尚で、そして分かりやすくて、そして哲学的で、
うーん、先生のご指導だ、と思って、
10ページくらい読んで飽きました。
それからというもの私は、毎日脳を洗って、きれいです。

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人間革命 (第1巻) (聖教文庫 8) 文庫 – 2000/12/1
池田 大作
(著)
人間革命【第一巻】
- 本の長さ365ページ
- 言語日本語
- 出版社聖教新聞社出版局
- 発売日2000/12/1
- ISBN-104412002640
- ISBN-13978-4412002647
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登録情報
- 出版社 : 聖教新聞社出版局 (2000/12/1)
- 発売日 : 2000/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 365ページ
- ISBN-10 : 4412002640
- ISBN-13 : 978-4412002647
- Amazon 売れ筋ランキング: - 675,310位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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イメージ付きのレビュー

5 星
無認識の評価であることを教えてくれた本
私は創価学会が大嫌いだった。4歳のときから「創価学会員」だった私だが、中学、高校と成長するにつれ、周囲の「創価学会批判」に負けて萎縮し、徐々に嫌いになっていった。 19歳の時、一人の女の子の心を深く傷つけてしまった。そのことが心因になって、家にあった創価学会の出版物を初めて開く気になった。その中に、この「人間革命」の第7巻までがあった(昭和47年当時)。7冊を一気に読んだ。主人公戸田城聖第2代会長の言動を通して創価学会の理念と実践を知り、世間の評判とのあまりの較差に嘆息をもらした。 第1巻の「はじめに」のなかで著者は述べている。「ともあれ、一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。──これが、この物語の主題である。」 「人間革命」の第7巻までに書いてある内容は、両親や近所の創価学会員の言動と矛盾するものではなかった。創価学会に対する誹謗中傷が、一部週刊誌等が流したデマに攪乱された「無認識の評価」からきていることが分かった。このことを、「有諸無智人 悪口罵詈等」と、釈尊が法華経勧持品で予言していることもこの本で知った。 のみならず、私は「人間革命」を読んで、著者を「人生の師匠」と決めた。以来、35年余が経過した現在も、「師匠をもつことができた人生ほど幸福なことはない」と喜びをかみしめている。そして、上記主題のままに、私の宿命の転換をも、刻々と可能になりつつあると実感している。ぶるぶる震え、おびえていた少年が、今こうしてレビューを書き込むまでになったのだから。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年4月27日に日本でレビュー済み
1945年(昭和20年)7月3日、中野刑務所を出獄した戸田城聖は、末期の栄養失調の身体をいたわることなく、翌日から自身の事業と創価学会の再興をかけて一歩を踏み出します。
その後、戦後の日本を駆け抜けた戸田は、1951年5月の会長就任からわずか7年で3000世帯の会員を75万世帯に拡大。
現在、インターネット上では、池田氏のことをこき下ろす発言と戸田のことを持ち上げる論調が目立ちますが、翻って戸田の在世中の新聞や雑誌を見てみると、今の池田批判とは比較にならないような戸田批判が目につきます。
放っておけば、今でも世間は戸田のことを妖怪か変人扱いのままだったに違いないと思いますが、天才的な戸田の人格や才能を世に知らしめたのは、間違いなく本書の功績であり著者のおかげでしょう。
今、ネット上の戸田を語る論調も、そのほとんどは本書を起点にしています。
戸田は素晴らしかったが池田は最低だ、と語る彼らは、戸田の在世中の世間の評判を知らないのでしょう。
池田氏の書いた本を見て戸田を知り、その著者を非難する姿は、池田氏の手のひらの上で踊る孫悟空のようです。
本書のレビューは、日蓮正宗法華講の投稿常連者の方が多く寄稿されていますね。
やはり本書をお読みになった形跡がなく、池田さんを非難してイメージダウンをする目的で投稿されているようです。
本書を読まれた上で内容に関する投稿であれば、批判を書かれるのも自由ですが、宗教論争をレビューに持ち込むのはおかしな話で、ここは「本を読んだ感想を書く場所」です。
ついでに書くと、日蓮正宗関係者らしき方が投稿されるレビューには、一定のパターンがあります。
(1) 日蓮の御書を引用する
(2) 誰に信心を教わったのか忘れるな、という脅し文句を書く
(3) 池田は勝手に御書をゆがめた解釈をしている、と批判する
(4) ニセ御本尊を販売している、と批判する
(5) 池田の書籍は代作だ、篠原ナントカ氏が書いていた、と批判する
(6) 池田がだめなら誰がいいのか示していない。池田のように具体的にどうすれば人生が開けるのかの指針を示していない
堀日亨上人の富士宗学全集などを読むと、日蓮正宗の教学解釈は変更の歴史であることがわかります。
日有上人ぐらいから後は、日蓮が言っていない教学も多々後づけされていますね。
「池田が解釈を曲げている」というのであれば、日有師以降はみんな池田さんと同じで、ゆがんだ解釈をしているということでしょう。
御本尊については「日蓮正宗の神話」などのレビューに書きましたので、ご参照ください。
「代作」に関しては、いつも篠原氏という70年代に亡くなった方の名前しか出てきません。
では、現在、どなたが代作しているのでしょうね?
池田さんの秘書の中には、資料収集や口述筆記を書きとめるチームが存在するのは想像がつきますが、80年代以降の膨大な池田さんの著作を陰で創作し続ける、才能のある方のお名前を、是非私も知りたいと思います。
創価学会の中でもかなり上の役職の方だと思うので、すぐにわかりそうなものですが、日蓮正宗関係者の方々は、いまだに「ゴーストライター」のお名前を示すことができていないようです。
上記(6)にあげたことは深刻です。
「創価学会が間違っている」「日蓮正宗が正しい」と叫んだところで、一般大衆は正邪の決着がつくことよりもむしろ「どうすれば幸せになるのか」が知りたいのではないでしょうかね。
極端に言えば、池田さんがどう間違っていようが、彼の言う通りに実践して、自分が幸せになったらそれでいいというわけです。
日蓮正宗側は「池田がダメダメ」というのではなく、「こうすれば幸せになる」と断言すべきでしょう。
「御書には、こうすれば幸せになれる、と書いてある」という引用しかできないようでは、まだまだ池田さんを超えているとはいえませんね。
日蓮正宗発行の書籍に目を通しても、具体的な「幸せになれる指針」を示している書籍には、いまだに出会ったことがありません。
大日蓮出版あたりからそのような書籍が出される日を心待ちにしております。
その後、戦後の日本を駆け抜けた戸田は、1951年5月の会長就任からわずか7年で3000世帯の会員を75万世帯に拡大。
現在、インターネット上では、池田氏のことをこき下ろす発言と戸田のことを持ち上げる論調が目立ちますが、翻って戸田の在世中の新聞や雑誌を見てみると、今の池田批判とは比較にならないような戸田批判が目につきます。
放っておけば、今でも世間は戸田のことを妖怪か変人扱いのままだったに違いないと思いますが、天才的な戸田の人格や才能を世に知らしめたのは、間違いなく本書の功績であり著者のおかげでしょう。
今、ネット上の戸田を語る論調も、そのほとんどは本書を起点にしています。
戸田は素晴らしかったが池田は最低だ、と語る彼らは、戸田の在世中の世間の評判を知らないのでしょう。
池田氏の書いた本を見て戸田を知り、その著者を非難する姿は、池田氏の手のひらの上で踊る孫悟空のようです。
本書のレビューは、日蓮正宗法華講の投稿常連者の方が多く寄稿されていますね。
やはり本書をお読みになった形跡がなく、池田さんを非難してイメージダウンをする目的で投稿されているようです。
本書を読まれた上で内容に関する投稿であれば、批判を書かれるのも自由ですが、宗教論争をレビューに持ち込むのはおかしな話で、ここは「本を読んだ感想を書く場所」です。
ついでに書くと、日蓮正宗関係者らしき方が投稿されるレビューには、一定のパターンがあります。
(1) 日蓮の御書を引用する
(2) 誰に信心を教わったのか忘れるな、という脅し文句を書く
(3) 池田は勝手に御書をゆがめた解釈をしている、と批判する
(4) ニセ御本尊を販売している、と批判する
(5) 池田の書籍は代作だ、篠原ナントカ氏が書いていた、と批判する
(6) 池田がだめなら誰がいいのか示していない。池田のように具体的にどうすれば人生が開けるのかの指針を示していない
堀日亨上人の富士宗学全集などを読むと、日蓮正宗の教学解釈は変更の歴史であることがわかります。
日有上人ぐらいから後は、日蓮が言っていない教学も多々後づけされていますね。
「池田が解釈を曲げている」というのであれば、日有師以降はみんな池田さんと同じで、ゆがんだ解釈をしているということでしょう。
御本尊については「日蓮正宗の神話」などのレビューに書きましたので、ご参照ください。
「代作」に関しては、いつも篠原氏という70年代に亡くなった方の名前しか出てきません。
では、現在、どなたが代作しているのでしょうね?
池田さんの秘書の中には、資料収集や口述筆記を書きとめるチームが存在するのは想像がつきますが、80年代以降の膨大な池田さんの著作を陰で創作し続ける、才能のある方のお名前を、是非私も知りたいと思います。
創価学会の中でもかなり上の役職の方だと思うので、すぐにわかりそうなものですが、日蓮正宗関係者の方々は、いまだに「ゴーストライター」のお名前を示すことができていないようです。
上記(6)にあげたことは深刻です。
「創価学会が間違っている」「日蓮正宗が正しい」と叫んだところで、一般大衆は正邪の決着がつくことよりもむしろ「どうすれば幸せになるのか」が知りたいのではないでしょうかね。
極端に言えば、池田さんがどう間違っていようが、彼の言う通りに実践して、自分が幸せになったらそれでいいというわけです。
日蓮正宗側は「池田がダメダメ」というのではなく、「こうすれば幸せになる」と断言すべきでしょう。
「御書には、こうすれば幸せになれる、と書いてある」という引用しかできないようでは、まだまだ池田さんを超えているとはいえませんね。
日蓮正宗発行の書籍に目を通しても、具体的な「幸せになれる指針」を示している書籍には、いまだに出会ったことがありません。
大日蓮出版あたりからそのような書籍が出される日を心待ちにしております。
2020年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
特になし。
2013年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
理路整然とした、仏法の教義に感銘した。
決して、仏頼みの宗教ではないことが良く分かる。
決して、仏頼みの宗教ではないことが良く分かる。
2008年4月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は創価学会が大嫌いだった。4歳のときから「創価学会員」だった私だが、中学、高校と成長するにつれ、周囲の「創価学会批判」に負けて萎縮し、徐々に嫌いになっていった。
19歳の時、一人の女の子の心を深く傷つけてしまった。そのことが心因になって、家にあった創価学会の出版物を初めて開く気になった。その中に、この「人間革命」の第7巻までがあった(昭和47年当時)。7冊を一気に読んだ。主人公戸田城聖第2代会長の言動を通して創価学会の理念と実践を知り、世間の評判とのあまりの較差に嘆息をもらした。
第1巻の「はじめに」のなかで著者は述べている。
「ともあれ、一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。──これが、この物語の主題である。」
「人間革命」の第7巻までに書いてある内容は、両親や近所の創価学会員の言動と矛盾するものではなかった。創価学会に対する誹謗中傷が、一部週刊誌等が流したデマに攪乱された「無認識の評価」からきていることが分かった。このことを、「有諸無智人 悪口罵詈等」と、釈尊が法華経勧持品で予言していることもこの本で知った。
のみならず、私は「人間革命」を読んで、著者を「人生の師匠」と決めた。以来、35年余が経過した現在も、「師匠をもつことができた人生ほど幸福なことはない」と喜びをかみしめている。そして、上記主題のままに、私の宿命の転換をも、刻々と可能になりつつあると実感している。ぶるぶる震え、おびえていた少年が、今こうしてレビューを書き込むまでになったのだから。
19歳の時、一人の女の子の心を深く傷つけてしまった。そのことが心因になって、家にあった創価学会の出版物を初めて開く気になった。その中に、この「人間革命」の第7巻までがあった(昭和47年当時)。7冊を一気に読んだ。主人公戸田城聖第2代会長の言動を通して創価学会の理念と実践を知り、世間の評判とのあまりの較差に嘆息をもらした。
第1巻の「はじめに」のなかで著者は述べている。
「ともあれ、一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。──これが、この物語の主題である。」
「人間革命」の第7巻までに書いてある内容は、両親や近所の創価学会員の言動と矛盾するものではなかった。創価学会に対する誹謗中傷が、一部週刊誌等が流したデマに攪乱された「無認識の評価」からきていることが分かった。このことを、「有諸無智人 悪口罵詈等」と、釈尊が法華経勧持品で予言していることもこの本で知った。
のみならず、私は「人間革命」を読んで、著者を「人生の師匠」と決めた。以来、35年余が経過した現在も、「師匠をもつことができた人生ほど幸福なことはない」と喜びをかみしめている。そして、上記主題のままに、私の宿命の転換をも、刻々と可能になりつつあると実感している。ぶるぶる震え、おびえていた少年が、今こうしてレビューを書き込むまでになったのだから。

私は創価学会が大嫌いだった。4歳のときから「創価学会員」だった私だが、中学、高校と成長するにつれ、周囲の「創価学会批判」に負けて萎縮し、徐々に嫌いになっていった。
19歳の時、一人の女の子の心を深く傷つけてしまった。そのことが心因になって、家にあった創価学会の出版物を初めて開く気になった。その中に、この「人間革命」の第7巻までがあった(昭和47年当時)。7冊を一気に読んだ。主人公戸田城聖第2代会長の言動を通して創価学会の理念と実践を知り、世間の評判とのあまりの較差に嘆息をもらした。
第1巻の「はじめに」のなかで著者は述べている。
「ともあれ、一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。──これが、この物語の主題である。」
「人間革命」の第7巻までに書いてある内容は、両親や近所の創価学会員の言動と矛盾するものではなかった。創価学会に対する誹謗中傷が、一部週刊誌等が流したデマに攪乱された「無認識の評価」からきていることが分かった。このことを、「有諸無智人 悪口罵詈等」と、釈尊が法華経勧持品で予言していることもこの本で知った。
のみならず、私は「人間革命」を読んで、著者を「人生の師匠」と決めた。以来、35年余が経過した現在も、「師匠をもつことができた人生ほど幸福なことはない」と喜びをかみしめている。そして、上記主題のままに、私の宿命の転換をも、刻々と可能になりつつあると実感している。ぶるぶる震え、おびえていた少年が、今こうしてレビューを書き込むまでになったのだから。
19歳の時、一人の女の子の心を深く傷つけてしまった。そのことが心因になって、家にあった創価学会の出版物を初めて開く気になった。その中に、この「人間革命」の第7巻までがあった(昭和47年当時)。7冊を一気に読んだ。主人公戸田城聖第2代会長の言動を通して創価学会の理念と実践を知り、世間の評判とのあまりの較差に嘆息をもらした。
第1巻の「はじめに」のなかで著者は述べている。
「ともあれ、一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。──これが、この物語の主題である。」
「人間革命」の第7巻までに書いてある内容は、両親や近所の創価学会員の言動と矛盾するものではなかった。創価学会に対する誹謗中傷が、一部週刊誌等が流したデマに攪乱された「無認識の評価」からきていることが分かった。このことを、「有諸無智人 悪口罵詈等」と、釈尊が法華経勧持品で予言していることもこの本で知った。
のみならず、私は「人間革命」を読んで、著者を「人生の師匠」と決めた。以来、35年余が経過した現在も、「師匠をもつことができた人生ほど幸福なことはない」と喜びをかみしめている。そして、上記主題のままに、私の宿命の転換をも、刻々と可能になりつつあると実感している。ぶるぶる震え、おびえていた少年が、今こうしてレビューを書き込むまでになったのだから。
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2011年4月14日に日本でレビュー済み
自分は創価学会の人間ではないのですが、色々な宗教に興味があり、創価学会を知るために購入致しました。
結論としては、人間革命も読みもしないで批判してる人があまりにも多すぎるのではないでしょうか?
読んでみた感想としては、おそらく池田氏が小学生の時に書いた作文のようです。
文章は「これが本にできるのか」というくらい稚拙ですが、一生懸命書いてるのが伝わってきます。
自分が小学生の頃を考えるとこの分量の作文を書くのは無理だと思います。
内容自体は目を疑うほど低レベルですが、小学生がこのような長い文章を書く努力は賞賛に値すると思います。
それを鑑みずに批判されてる方があまりにも多いのではないでしょうか。
文章自体は小学生程度…いや、それ以下ですが、これだけの量を書き上げたのは、十分に評価できます。
ただ内容は幼稚極まりないので辛めに星三つとしました。
しかし、これを池田氏が執筆した時、既に小学校を既に卒業していたら、星一つどころが星マイナス10でも足りないくらいです。
子供の書いた作文が好きな方には是非オススメしたいです。
結論としては、人間革命も読みもしないで批判してる人があまりにも多すぎるのではないでしょうか?
読んでみた感想としては、おそらく池田氏が小学生の時に書いた作文のようです。
文章は「これが本にできるのか」というくらい稚拙ですが、一生懸命書いてるのが伝わってきます。
自分が小学生の頃を考えるとこの分量の作文を書くのは無理だと思います。
内容自体は目を疑うほど低レベルですが、小学生がこのような長い文章を書く努力は賞賛に値すると思います。
それを鑑みずに批判されてる方があまりにも多いのではないでしょうか。
文章自体は小学生程度…いや、それ以下ですが、これだけの量を書き上げたのは、十分に評価できます。
ただ内容は幼稚極まりないので辛めに星三つとしました。
しかし、これを池田氏が執筆した時、既に小学校を既に卒業していたら、星一つどころが星マイナス10でも足りないくらいです。
子供の書いた作文が好きな方には是非オススメしたいです。
2014年7月2日に日本でレビュー済み
池田は人間革命第一巻の「はじめに」で次のように書いています。
「ゲーテはなかなかの正直者といわねばならない。人間の網膜に映った単なる事実が、ことごとく真実を語っているとは限らない。いや、真実をゆがめ、真実を嘘にすることもあろう。ここが、大事なところだと思う。ゲーテをはじめ、すぐれた作家達が、心を千千にくだいたのはー。そして一見、仮構と思われるその先に、はじめて真実の映像を刻み上げる。
私もまた、心をくだかねばならぬ。先生の真実の姿を永遠に伝えるためにー。
先生に縁する登場人物は、おそらく数百名になんなんとするだろう。これらの登場人物のうち、牧口常三郎と戸田城聖先生とだけが実名で、あとはことごとく仮名であることを御承知願いたい。」
と述べていますが、明らかに嘘を書いています。
池田は評価が定まった偉人や有名人の言葉を引用するのを得意としていて、恰も我見が証明されているかのような印象を与えます。ゲーテはこんな形で自分の言葉が引用されるとは思ってもいなかったでしょう。
細かい点は大目にみるとしても、日蓮正宗法主の名前を実名にしたのは、作者の致命的不手際でした。人間革命1〜3巻では、池田は立正佼成会を立正交成会にしたり(元は「大日本立正交成会」で1960年に「立正佼成会」に改称)、露骨にわかる形で生長の家をS会などとしています。姑息です。日蓮正宗を日蓮真理宗などにして、法主の名前も架空にする方法もあったのではないでしょうか。今からでも遅くないから、実名を挙げるのは控えてはいかがでしょうか。
山崎正友氏によれば、池田は第三代会長に就任するや日達上人(当時の猊下)を学会本部に呼びつけ恫喝したそうです。日達上人は悔しくて涙を流したそうです。私はこれを読んだとき、俄には信じられなかったのですが、今から思えば納得できます。福島元副会長の著作でも、池田は日達上人の悪口を陰で言っていたとあります。
そんな池田が人間革命第十六巻で日顕上人の実名をあげて批判、悪口を書くのは当然のなりゆきだったのです。
「ゲーテはなかなかの正直者といわねばならない。人間の網膜に映った単なる事実が、ことごとく真実を語っているとは限らない。いや、真実をゆがめ、真実を嘘にすることもあろう。ここが、大事なところだと思う。ゲーテをはじめ、すぐれた作家達が、心を千千にくだいたのはー。そして一見、仮構と思われるその先に、はじめて真実の映像を刻み上げる。
私もまた、心をくだかねばならぬ。先生の真実の姿を永遠に伝えるためにー。
先生に縁する登場人物は、おそらく数百名になんなんとするだろう。これらの登場人物のうち、牧口常三郎と戸田城聖先生とだけが実名で、あとはことごとく仮名であることを御承知願いたい。」
と述べていますが、明らかに嘘を書いています。
池田は評価が定まった偉人や有名人の言葉を引用するのを得意としていて、恰も我見が証明されているかのような印象を与えます。ゲーテはこんな形で自分の言葉が引用されるとは思ってもいなかったでしょう。
細かい点は大目にみるとしても、日蓮正宗法主の名前を実名にしたのは、作者の致命的不手際でした。人間革命1〜3巻では、池田は立正佼成会を立正交成会にしたり(元は「大日本立正交成会」で1960年に「立正佼成会」に改称)、露骨にわかる形で生長の家をS会などとしています。姑息です。日蓮正宗を日蓮真理宗などにして、法主の名前も架空にする方法もあったのではないでしょうか。今からでも遅くないから、実名を挙げるのは控えてはいかがでしょうか。
山崎正友氏によれば、池田は第三代会長に就任するや日達上人(当時の猊下)を学会本部に呼びつけ恫喝したそうです。日達上人は悔しくて涙を流したそうです。私はこれを読んだとき、俄には信じられなかったのですが、今から思えば納得できます。福島元副会長の著作でも、池田は日達上人の悪口を陰で言っていたとあります。
そんな池田が人間革命第十六巻で日顕上人の実名をあげて批判、悪口を書くのは当然のなりゆきだったのです。
2010年1月21日に日本でレビュー済み
私が学生だった頃、学生部の先輩に「人間革命」の感想を聞かれた。私は「面白いですね」と答えた所、「そうじゃないんだよ。この本によって戸田先生はどう戦ったか、池田先生はどうやって弟子として戦ったかを読み取らないといけない」と言われ、最後に「お前は甘いんだよ」と言われた。いわれたように、私はそんなに深読みはしていない。未入信の弟に「この本は人間洗脳の本」と評された。結局私はこの本に洗脳されることはなく、負け犬の退転者となった。しかし、今でも人間革命は面白い本というイメージが強い、純粋に考えて。これが創価学会のバイブルのような本だということさえ気にしなければエンターテイメントとして、一通俗文学として価値はあると思う。なお、この作品が本当に池田大作が書いたかどうか私は疑問を持っているが、どうだろうか。もし池田が本当に書いたのなら池田の文才に正直に敬意を表す。しかし、巷で言われているようにゴーストライターの書いたものなら、私は池田を軽蔑する。