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インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実−大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。 (シリーズ日本人の誇り 6) 単行本 – 2006/11/10
桜の花出版編集部
(著, 編集)
オランダの植民地支配による暗黒の時代からインドネシアを抜け出させ、独立を勝ち取るのに大きく貢献したのは日本だった。
戦時中、日本軍と深く関わったインドネシアの人々が語る日本軍政の真実。
☆スカルノ大統領は心から日本人を尊敬なさっていた 第5部:デヴィ夫人の証言より
<目次>抜粋
第一部 私は今でも親日家です-ユスフ・ロノディプロ氏の体験
第一章 誇りの持てなかったオランダ植民地時代
第二章 戦時中に見た日本人たち
第三章 インドネシア独立のための戦い
第二部 日本軍との出逢いと私の人生-ハッサン・ラハヤ氏の体験
第一章 オランダ支配下の子供時代
第二章 日本の兵隊さんたちとの出会い
第三章 日本語を習い軍政監部へ
第四章 南方特別留学生として日本に渡る
第五章 広島で被爆する
第六章 戦後再び大学へ進学する
第七章 帰国後インドネシアと日本の架け橋に
第八章 アジアの解放は日本によってもたらされた
第三部 日本軍政下で愛国心を育てた-プロボ・スウォンド氏の体験
第四部 日本軍の占領は幸運だった-スリオ・ウィリオハディプトロ氏の体験
第五部 スカルノ大統領は日本人を尊敬していた-ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ氏の証言
第一章 スカルノ大統領の語る日本軍の素晴らしさ
第二章 日本人は誇りを取り戻さなければいけない
シリーズ「日本人の誇り」刊行によせて
【証言者】年齢は発刊当時
◆M・ユスフ・ロノディプロ氏
1919年生まれ。1941年ジェネラルモーターズ社勤務中に大東亜戦争勃発。戦争中はジャカルタで日本の軍政監部宣伝部やラジオ放送局に勤務。1945年日本の敗戦直後にインドネシアの独立宣言文を密かにラジオ放送したために日本軍憲兵に殺されかかる。独立後は各国インドネシア大使を歴任。86歳。
◆R・H・M・ハッサン・ラハヤ氏
1922年生まれ。戦争中は日本の軍政監部人事課に勤務。その後南方特別留学生として来日中に原爆に被爆。終戦後、慶応大学を卒業。帰国後は日イの貿易に従事し、国会議員、最高諮問会議議員を歴任。また、元日本留学生協会を組織し日イの親善に尽くす。2005年旭日中綬章を受ける。83歳。
◆プロボ・S・スウォンド氏
1927年生まれ。高校生の時に大東亜戦争が始まる。戦争中16歳の若さで日本軍が設立した郷土防衛義勇軍に参加し小団長となる。インドネシア独立戦争中はゲリラ隊として活躍。インドネシア国軍中将。国連大使。78歳。
◆スリオ・ウィリオハディプトロ氏
1917年生まれ。オランダ系電気会社勤務中に大東亜戦争が始まる。郷土防衛義勇軍に参加し小団長となる。独立戦争中は軍司令部で戦闘を指示。インドネシア国軍大将。89歳。
◆ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ氏
1959年スカルノ・インドネシア共和国初代大統領と結婚。大統領の政治理念を補佐し、日イの相互扶助に貢献。大統領亡き後も、社交界にて華やかな話題を振りまきつつ、インドネシアで事業を行い、更に国連環境計画基金のための募金、アジア先住民の権利と生活の促進に必要な種々の援助や寄付活動等を行う。日本でもテレビ出演、全国各地の講演会等で活躍、日本の誇りを復興させようと尽力している。
戦時中、日本軍と深く関わったインドネシアの人々が語る日本軍政の真実。
☆スカルノ大統領は心から日本人を尊敬なさっていた 第5部:デヴィ夫人の証言より
<目次>抜粋
第一部 私は今でも親日家です-ユスフ・ロノディプロ氏の体験
第一章 誇りの持てなかったオランダ植民地時代
第二章 戦時中に見た日本人たち
第三章 インドネシア独立のための戦い
第二部 日本軍との出逢いと私の人生-ハッサン・ラハヤ氏の体験
第一章 オランダ支配下の子供時代
第二章 日本の兵隊さんたちとの出会い
第三章 日本語を習い軍政監部へ
第四章 南方特別留学生として日本に渡る
第五章 広島で被爆する
第六章 戦後再び大学へ進学する
第七章 帰国後インドネシアと日本の架け橋に
第八章 アジアの解放は日本によってもたらされた
第三部 日本軍政下で愛国心を育てた-プロボ・スウォンド氏の体験
第四部 日本軍の占領は幸運だった-スリオ・ウィリオハディプトロ氏の体験
第五部 スカルノ大統領は日本人を尊敬していた-ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ氏の証言
第一章 スカルノ大統領の語る日本軍の素晴らしさ
第二章 日本人は誇りを取り戻さなければいけない
シリーズ「日本人の誇り」刊行によせて
【証言者】年齢は発刊当時
◆M・ユスフ・ロノディプロ氏
1919年生まれ。1941年ジェネラルモーターズ社勤務中に大東亜戦争勃発。戦争中はジャカルタで日本の軍政監部宣伝部やラジオ放送局に勤務。1945年日本の敗戦直後にインドネシアの独立宣言文を密かにラジオ放送したために日本軍憲兵に殺されかかる。独立後は各国インドネシア大使を歴任。86歳。
◆R・H・M・ハッサン・ラハヤ氏
1922年生まれ。戦争中は日本の軍政監部人事課に勤務。その後南方特別留学生として来日中に原爆に被爆。終戦後、慶応大学を卒業。帰国後は日イの貿易に従事し、国会議員、最高諮問会議議員を歴任。また、元日本留学生協会を組織し日イの親善に尽くす。2005年旭日中綬章を受ける。83歳。
◆プロボ・S・スウォンド氏
1927年生まれ。高校生の時に大東亜戦争が始まる。戦争中16歳の若さで日本軍が設立した郷土防衛義勇軍に参加し小団長となる。インドネシア独立戦争中はゲリラ隊として活躍。インドネシア国軍中将。国連大使。78歳。
◆スリオ・ウィリオハディプトロ氏
1917年生まれ。オランダ系電気会社勤務中に大東亜戦争が始まる。郷土防衛義勇軍に参加し小団長となる。独立戦争中は軍司令部で戦闘を指示。インドネシア国軍大将。89歳。
◆ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ氏
1959年スカルノ・インドネシア共和国初代大統領と結婚。大統領の政治理念を補佐し、日イの相互扶助に貢献。大統領亡き後も、社交界にて華やかな話題を振りまきつつ、インドネシアで事業を行い、更に国連環境計画基金のための募金、アジア先住民の権利と生活の促進に必要な種々の援助や寄付活動等を行う。日本でもテレビ出演、全国各地の講演会等で活躍、日本の誇りを復興させようと尽力している。
- 本の長さ299ページ
- 言語日本語
- 出版社星雲社
- 発売日2006/11/10
- 寸法18 x 13 x 2 cm
- ISBN-104434085794
- ISBN-13978-4434085796
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商品の説明
出版社からのコメント
「まえがき」より抜粋
昭和十六年に大東亜戦争が勃発し、昭和十七年三月、日本軍がインドネシアに上陸すると、これを大歓迎するインドネシアの人々にも助けられ、僅か九日間でオランダ軍を全面降伏させました。
インドネシア人は、自分たちと同じ肌の色で体の小さな日本人が巨体のオランダ人をいとも簡単に撃退するのを目の前で見て、アジア人は白人に劣っておらず、自分たちの手でインドネシアを独立させることは可能なのだと確信したのでした。
その後日本軍は敗戦までの三年半の間、インドネシアに軍政を敷き、オランダ語を禁止してインドネシア語を普及させ、軍事訓練を課し、インドネシア人の軍隊を組織し、教育を施し、組織の運営方法を教えるなど、インドネシア独立の準備を進めました。
日本の敗戦直後の昭和二十年八月十七日にインドネシアは独立宣言をし、再び植民地支配を行おうと戻って来たオランダの軍隊と衝突しました。
この戦いに二千人もの元日本兵らが参加しました。その多くが戦いの最前線に立って経験の浅いインドネシア軍を指揮したために、その約半数が亡くなったと言われています。
そして昭和二十四年十一月、オランダはインドネシアの再植民地化をあきらめ、インドネシアはついに完全独立を果たしました。(中略)
本書は、戦時中に日本軍と深く関わったインドネシアの方々に、日本軍の真実の姿を語って頂いたものです。その話の中には、時には日本人に耳の痛いものもあります。例えば、日本兵はインドネシア人を過酷に扱ったということもありました。
しかしそれは、世界情勢的にも圧倒的劣勢だった日本が欧米列強に伍して勝ち抜くためには厳しくやらなければならなかったからでした。
このようなことがあっても、彼らは一様に日本軍の行ったことに感謝の意を示してくれています。それは、当時のインドネシアにいた日本人たちが、人間として当然の欠点を持ちながら、インドネシア人をアジアの同胞として接し、インドネシアの独立を実現させようと真摯に取り組んでいたからではないでしょうか。
それは、かつてアジアの国々において植民地支配をしていた白人のアジア人に対する態度とは全く異なったものです。
本書には、かつての日本人の理想に燃え、使命をひたすらに遂行していった姿が描かれています。
本書を手に取られた方々がその姿、つまり何故私たち日本人が大東亜戦争を戦ったのかという意味を今一度思い返して頂ければと弊社一同願っております。
また、それが、日本が再びと誇りを取り戻し、凛とした国となるためのほんの僅かな一助ともなれば、この上もない喜びです。
昭和十六年に大東亜戦争が勃発し、昭和十七年三月、日本軍がインドネシアに上陸すると、これを大歓迎するインドネシアの人々にも助けられ、僅か九日間でオランダ軍を全面降伏させました。
インドネシア人は、自分たちと同じ肌の色で体の小さな日本人が巨体のオランダ人をいとも簡単に撃退するのを目の前で見て、アジア人は白人に劣っておらず、自分たちの手でインドネシアを独立させることは可能なのだと確信したのでした。
その後日本軍は敗戦までの三年半の間、インドネシアに軍政を敷き、オランダ語を禁止してインドネシア語を普及させ、軍事訓練を課し、インドネシア人の軍隊を組織し、教育を施し、組織の運営方法を教えるなど、インドネシア独立の準備を進めました。
日本の敗戦直後の昭和二十年八月十七日にインドネシアは独立宣言をし、再び植民地支配を行おうと戻って来たオランダの軍隊と衝突しました。
この戦いに二千人もの元日本兵らが参加しました。その多くが戦いの最前線に立って経験の浅いインドネシア軍を指揮したために、その約半数が亡くなったと言われています。
そして昭和二十四年十一月、オランダはインドネシアの再植民地化をあきらめ、インドネシアはついに完全独立を果たしました。(中略)
本書は、戦時中に日本軍と深く関わったインドネシアの方々に、日本軍の真実の姿を語って頂いたものです。その話の中には、時には日本人に耳の痛いものもあります。例えば、日本兵はインドネシア人を過酷に扱ったということもありました。
しかしそれは、世界情勢的にも圧倒的劣勢だった日本が欧米列強に伍して勝ち抜くためには厳しくやらなければならなかったからでした。
このようなことがあっても、彼らは一様に日本軍の行ったことに感謝の意を示してくれています。それは、当時のインドネシアにいた日本人たちが、人間として当然の欠点を持ちながら、インドネシア人をアジアの同胞として接し、インドネシアの独立を実現させようと真摯に取り組んでいたからではないでしょうか。
それは、かつてアジアの国々において植民地支配をしていた白人のアジア人に対する態度とは全く異なったものです。
本書には、かつての日本人の理想に燃え、使命をひたすらに遂行していった姿が描かれています。
本書を手に取られた方々がその姿、つまり何故私たち日本人が大東亜戦争を戦ったのかという意味を今一度思い返して頂ければと弊社一同願っております。
また、それが、日本が再びと誇りを取り戻し、凛とした国となるためのほんの僅かな一助ともなれば、この上もない喜びです。
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2023年8月14日に日本でレビュー済み
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本が手に入らなくて探していた。いろいろな考えはあると思うけれども、一つに意見として、日本の大東亜戦争時の行動について、インドネシアの人は悪い対日感情を持っていないということが書かれていて、なんだか嬉しかった。
2019年11月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本に忖度して書かれていない。
日本統治下の良かったこと、悪かったこと、両面をきちんと書いてある。
そして寄稿している人達が人間として非常に優れている。
いずれも80歳以上のかたに私がこのように言うのは失礼だが、ナショナリズムやポピュリズムに偏ることなく日本を見て書いてくださっている。そして人間としても とてもポジティブだと思う。
また、寄稿した人の当時の立場によっても日本人の印象が違って興味深い。
ただ、やはり植民地というのはあってはならないと思い知らされる。優れた統治であっても。
戦況の悪化で関係の無いインドネシア人の着るものも食べるものも無くしてしまったことも日本人として忘れてはならないと思った。
学校や病院をたくさん作って発展させたとしても、やはり勝手に戦争に巻き込んでしまったのだから。
日本統治下の良かったこと、悪かったこと、両面をきちんと書いてある。
そして寄稿している人達が人間として非常に優れている。
いずれも80歳以上のかたに私がこのように言うのは失礼だが、ナショナリズムやポピュリズムに偏ることなく日本を見て書いてくださっている。そして人間としても とてもポジティブだと思う。
また、寄稿した人の当時の立場によっても日本人の印象が違って興味深い。
ただ、やはり植民地というのはあってはならないと思い知らされる。優れた統治であっても。
戦況の悪化で関係の無いインドネシア人の着るものも食べるものも無くしてしまったことも日本人として忘れてはならないと思った。
学校や病院をたくさん作って発展させたとしても、やはり勝手に戦争に巻き込んでしまったのだから。
2019年2月1日に日本でレビュー済み
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インドネシアに旅行に行く前には是非読んでほしいと思います。
2015年3月30日に日本でレビュー済み
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「日本が戦ってくれて感謝しています 井上和彦著」(産経新聞出版)からこの本にたどり着きました。
学校では学習しない歴史です。ぜひ両方お読みいただきたい。
感動します。
学校では学習しない歴史です。ぜひ両方お読みいただきたい。
感動します。
2014年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
軍政とはいえ、日本の短期間ではあるがオランダ人を追い出したのちの政治がいかにインドネシアの人々の目を独立へと開いたのかよくわかる。オランダ人は、日本との戦闘はほとんどしていない、たった9日間で白旗を上げた。その後は終戦までインドネシアでは大きな戦闘は行われていない。戦後オランダ人が帰ってきて、再び支配を始めたことが独立戦争となったといえよう。オランダの卑劣さは、1991年10月、オランダ元首として初めて日本を公式訪問した。天皇が主催した晩餐会のスピーチでは、第二次世界大戦時のオランダ領東インドにおける自国民の犠牲について言及したことでもわかる。そもそも9日間の戦闘でどれほど犠牲が出たというのか。それ以上にインドネシア独立戦争では多数のインドネシア人を犠牲にしていることは知らん顔である。自国が約400年間インドネシアを徹底した植民地統治を行い、多数の犠牲を強いたことなぞ全く問題にしないこの姿勢は、オランダ人のアジア蔑視感の表れである。
2012年3月17日に日本でレビュー済み
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先の大戦をアメリカとの戦闘局面に矮小化する「太平洋戦争」ではなく、アジア解放の大義を表す「大東亜戦争」という呼称が使われなくなってから長い年月が経過している。この著作は、我が国がとしたアジア解放の大義の元にインドネシアで成した軍政の実態を知る為の良書である。
2014年4月29日に日本でレビュー済み
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欧米の植民地政策と比較して、日本の統治は比較にならないほど優れていたことが、現地人の発言でよく分かる。オランダの分治政策とは異なり、小学校を沢山つくりオランダ語に国内を統一して、義勇軍をつくりオランダ独立への足がかりをつくり、日本人とオランダ人とを差別しないで、積極的に統治にオランダ人を採用した。これらの政策が戦後のオランダの独立への基盤となった。
2011年8月7日に日本でレビュー済み
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外国に行った時にアジアやアフリカの人達がやけに親近感を持ってくれたり、親切にされたりしたことが何度もあった。
インドネシアの人でこちらが驚くぐらいに好意を持ってくれたことがある。
何も知らなかった時には、日本人はお金持ちと思われているんだろうなと(そういう場合もあるが)思っていた。
しかし、今はあぁそうか、そういう事か、と理解出来るようになった。
日本人はその好意を無駄にしてはいけない。
デヴィ夫人の言う通りである。
インドネシアの人でこちらが驚くぐらいに好意を持ってくれたことがある。
何も知らなかった時には、日本人はお金持ちと思われているんだろうなと(そういう場合もあるが)思っていた。
しかし、今はあぁそうか、そういう事か、と理解出来るようになった。
日本人はその好意を無駄にしてはいけない。
デヴィ夫人の言う通りである。