著者ダイソン氏は、若いとき、朝永、シュウィンガー、ファインマンとともに量子電磁力学のくりこみ理論を確立した著名な物理学者である。その後、彼は理論物理学からはなれて、原子力宇宙船を設計したり、宇宙植民を考えたり、生命の起源の新説を唱えたりと、いくつも意表をつく考えを発表してきた。また「宇宙をかき乱すべきか」などいくつかの通俗書によっても知られている。彼の主張は常に緻密な科学的な考察に裏づけされており、その論説はいい加減な思いつきで書かれたものではない。
本書のタイトル「叛逆としての科学」はどういう意味なのかよくわからない。内容は、彼がこれまで書いてきた書評や本の序文、そして講演記録など22編を収録したもので、いわば「ダイソン著作拾遺集」である。だから、全体として何か特定の目的をもって書かれた本ではないが、彼の考え方、すなわち、多様性、相対性をよしとする考え方が貫かれている。
いろいろな立場を認め、理想主義純粋主義に走らないことは、実社会においては重要であろう。しかし、こと科学の本質にかかわる問題に対してまで多元的な考えを持ち込むのは、いかがなものかと思う。たとえば、重力の量子グラヴィトンを観測できるような機械を作ることは実際上不可能だから、一般相対論と量子論は統合せずに両論併用のままでよいとか(p.192-p.193)、科学的方法と超常的な知的能力は、光が波と粒子の性質を持つのと同様な意味で相補的なものと考えてよいとか(p.292)いう主張には、いささかあきれる。これが場の量子論で偉大な業績をあげた人の言葉とは、ちょっと信じられない気持ちである。
ともあれ、たんなる書評集を超えた論説集で、一読の価値はある。

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叛逆としての科学―本を語り、文化を読む22章 単行本 – 2008/6/21
フリーマン・ダイソン
(著),
柴田 裕之
(翻訳)
20世紀が生んだ物理学の巨匠の一人であり、奔放な想像力と鋭利な哲学的思索でも知られるフリーマン・ダイソンの精選書評・エッセイ集。
「ラマンやボース、サハといった、今世紀のインドの偉大な物理学者にとって、科学はまずイギリス支配に対する、そしてまたヒンドゥー教の宿命論的な価値観に対する、二重の叛逆だった。」
第一章は、文化的束縛への叛逆の一形態としての科学について瞑想し、さらに科学のビジョン自体がときに科学者を束縛してしまう皮肉について、ダイソン独特の視点から論じる。ほかにも、「神は研究室にいるのか」「二種類の歴史」などの章題が示すとおり、科学・SFから戦争や宗教まで、広汎な話題が縦横に語られる。
読みながら頭の中で快哉を叫んだり、大声で異議を唱えたりせずにはいられない。そうやってさんざん掻き回された頭の中に、読後、何かがしがみついてくる。その何かが、目に映る世界をたしかに変えている。本物の科学エッセイを読む醍醐味とは、こういうものだろう。
ダイソンは慧眼の書評者としても、ベストセラーに上らなかった隠れた秀作を次々と掘り出している。否が応にも読書欲・知識欲を掻き立てられる一冊。
「ラマンやボース、サハといった、今世紀のインドの偉大な物理学者にとって、科学はまずイギリス支配に対する、そしてまたヒンドゥー教の宿命論的な価値観に対する、二重の叛逆だった。」
第一章は、文化的束縛への叛逆の一形態としての科学について瞑想し、さらに科学のビジョン自体がときに科学者を束縛してしまう皮肉について、ダイソン独特の視点から論じる。ほかにも、「神は研究室にいるのか」「二種類の歴史」などの章題が示すとおり、科学・SFから戦争や宗教まで、広汎な話題が縦横に語られる。
読みながら頭の中で快哉を叫んだり、大声で異議を唱えたりせずにはいられない。そうやってさんざん掻き回された頭の中に、読後、何かがしがみついてくる。その何かが、目に映る世界をたしかに変えている。本物の科学エッセイを読む醍醐味とは、こういうものだろう。
ダイソンは慧眼の書評者としても、ベストセラーに上らなかった隠れた秀作を次々と掘り出している。否が応にも読書欲・知識欲を掻き立てられる一冊。
- 本の長さ349ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2008/6/21
- ISBN-104622073897
- ISBN-13978-4622073895
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登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2008/6/21)
- 発売日 : 2008/6/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 349ページ
- ISBN-10 : 4622073897
- ISBN-13 : 978-4622073895
- Amazon 売れ筋ランキング: - 136,414位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 469位科学読み物 (本)
- - 25,237位ノンフィクション (本)
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2008年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2012年2月28日に日本でレビュー済み
ダイソンの和書のなかでは最新刊のはずで、書評中心であるが相変わらず挿入されるエピソードが珠玉。
ブラックホール解を発見したオッペンハイマーに、なぜその後関心を失ったのかを訊ねる著者。
具体的な解など瑣末なもので、究極の物理基本方程式の探求こそが本懐であるとの回答。還元主義の呪縛であったと著者所感。
老人が革新者であり続けたがゆえに(アインシュタイン・ディラック・ハイゼンベルク・ボルン・シュレディンガー)、
むしろ保守派になった若い頃の著者たちの世代(ファインマンでさえ、その科学的本質は保守的であったとのこと)。
量子電気力学の現代理論を纏め上げた著者が、その25年前に当該理論を創始したディラックに、嬉しいかを尋ねたときの回答。
「あの新しい着想は正しいと思ったかもしれないね、あれほど醜くなかったら。」・・・それで会話は途切れた。
パルサーが中性子星であるのを示したことで有名なトマス・ゴールド。知らなかったが、実に様々な分野で活躍したようだ。
著者は、青年期にゴールドの聴覚メカニズム研究において実験台となったこともあるそうだ。
ゴールドはほかに、石油非生物由来説や地底高熱生物圏説など、人々を驚かせる数多くの仮説を打ち立てたとのこと。
ドイツが核兵器を作り得ない状況が明らかになったとき、ロスアラモスから唯ひとり途中離脱したジョゼフ・ロートブラッド。
その後の核兵器廃絶運動への献身に対して、ノーベル平和賞を贈っていないのは恥ずべきことだと著者が講演で話していた時。
聴衆の一人が「知らなかったんですか、彼は今朝受賞しましたよ。」著者が「万歳」と叫ぶと、講堂全体が喝采の嵐に包まれた。
ブラックホール解を発見したオッペンハイマーに、なぜその後関心を失ったのかを訊ねる著者。
具体的な解など瑣末なもので、究極の物理基本方程式の探求こそが本懐であるとの回答。還元主義の呪縛であったと著者所感。
老人が革新者であり続けたがゆえに(アインシュタイン・ディラック・ハイゼンベルク・ボルン・シュレディンガー)、
むしろ保守派になった若い頃の著者たちの世代(ファインマンでさえ、その科学的本質は保守的であったとのこと)。
量子電気力学の現代理論を纏め上げた著者が、その25年前に当該理論を創始したディラックに、嬉しいかを尋ねたときの回答。
「あの新しい着想は正しいと思ったかもしれないね、あれほど醜くなかったら。」・・・それで会話は途切れた。
パルサーが中性子星であるのを示したことで有名なトマス・ゴールド。知らなかったが、実に様々な分野で活躍したようだ。
著者は、青年期にゴールドの聴覚メカニズム研究において実験台となったこともあるそうだ。
ゴールドはほかに、石油非生物由来説や地底高熱生物圏説など、人々を驚かせる数多くの仮説を打ち立てたとのこと。
ドイツが核兵器を作り得ない状況が明らかになったとき、ロスアラモスから唯ひとり途中離脱したジョゼフ・ロートブラッド。
その後の核兵器廃絶運動への献身に対して、ノーベル平和賞を贈っていないのは恥ずべきことだと著者が講演で話していた時。
聴衆の一人が「知らなかったんですか、彼は今朝受賞しましたよ。」著者が「万歳」と叫ぶと、講堂全体が喝采の嵐に包まれた。
2009年2月21日に日本でレビュー済み
フリーマン・ダイソンが著名な科学者であることは知っていたが、その著作を読むのは初めて。恒例のみすず書房の『みすず』1、2月号「読書アンケート特集」における複数の高評があったので手にとってみた。
書評には読むべき部分も多い。ダイソンの理想主義、反体制的な科学者の正義擁護も頷ける部分はある。しかし、「叛逆」にこめられたロマンティックとさえ言いたいスタンスは、いまや甘すぎるのではないだろうか?
一介の賃金労働者が片手間にレビューするのは失礼にあたるとしても、産業と国家にビルトインされた科学というものの深刻な現状に対して、所詮は独り善がりであり、「叛逆」が結果的には身振りに過ぎないものと相成るということがわかっていない。この点においては、社会科学とていまや同断であり、現在の経済学などその典型ではあろうが・・・。
厳しいかもしれないが、こういうのを「理系バカ」というのではなかろうか?
書評には読むべき部分も多い。ダイソンの理想主義、反体制的な科学者の正義擁護も頷ける部分はある。しかし、「叛逆」にこめられたロマンティックとさえ言いたいスタンスは、いまや甘すぎるのではないだろうか?
一介の賃金労働者が片手間にレビューするのは失礼にあたるとしても、産業と国家にビルトインされた科学というものの深刻な現状に対して、所詮は独り善がりであり、「叛逆」が結果的には身振りに過ぎないものと相成るということがわかっていない。この点においては、社会科学とていまや同断であり、現在の経済学などその典型ではあろうが・・・。
厳しいかもしれないが、こういうのを「理系バカ」というのではなかろうか?
2012年2月13日に日本でレビュー済み
筆者フリーマン・ダイソンは、朝永振一郎、ジュリアン・シュウィンガー、リチャード・ファインマンの量子電磁力学(QED)に対するアプローチが等価であることを示したばかりでなく、ファインマンのアプローチ(ファインマン・ダイアグラム)がより簡単で実際的であることも示し、それもあって以降ファインマン・ダイアグラムが物理学会を席巻することとなったとのことである(「ファインマンさんの流儀」早川書房)。
このような輝かしい経歴を持つ物理学者の著作でありながら、本書は数多ある他の物理学者の著作とは以下の点で異なる;'1. 批評の対象は物理学にとどまらない、'2. よくある物理学者の伝記ものではない、'3. 物理学会の人間模様を描いた内幕ものでもない。
本書は、筆者がニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックスに書いた書評を中心に編纂されたものであるが、一読して筆者の透徹した歴史観や異文化に対する深い理解、広範な読書体験とそれに裏打ちされた幅広い視野や、人間観察の鋭さに驚愕させられた。例えば、健全な職業軍人意識と不健全なそれとが生み出される文化的背景の違い(「将軍たち」)、第一次大戦を引き起こした社会病理への視点(「悲劇の目撃者」)、なぜキリスト教世界でのみ神学が目覚ましく発達し、それが科学との衝突を招いたかとの考察(「神は研究室にいるか)、さらには日本語でも数多く出版されているオッペンハイマー伝と比較しても、筆者の短いエッセーは、オッペンハイマーの人となりを知るには出色のものであろう(「科学者・管理者・詩人としてのオッペンハイマー」)。
英国と米国で教育を受け(英国に生まれ英ウインチェスター校からケンブリッジ大学へ、その後米コーネル大学大学院に進学)、英国と米国で物理学者として働き(ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ終身教授からコーネル大学教授、プリンストン高等研究所教授)、米国に帰化した筆者はまさに英国と米国の教育の最良の成果物に思える(特に歴史への透徹した視点は英国の教育の賜物であろう)。知的な筆致とも相まって、市井にも埋もれているであろう本物の読書人のための著作と言える。こうした書評をしっかり受容することができる読者層が明確に存在する米国・英国がうらやましい。
このような輝かしい経歴を持つ物理学者の著作でありながら、本書は数多ある他の物理学者の著作とは以下の点で異なる;'1. 批評の対象は物理学にとどまらない、'2. よくある物理学者の伝記ものではない、'3. 物理学会の人間模様を描いた内幕ものでもない。
本書は、筆者がニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックスに書いた書評を中心に編纂されたものであるが、一読して筆者の透徹した歴史観や異文化に対する深い理解、広範な読書体験とそれに裏打ちされた幅広い視野や、人間観察の鋭さに驚愕させられた。例えば、健全な職業軍人意識と不健全なそれとが生み出される文化的背景の違い(「将軍たち」)、第一次大戦を引き起こした社会病理への視点(「悲劇の目撃者」)、なぜキリスト教世界でのみ神学が目覚ましく発達し、それが科学との衝突を招いたかとの考察(「神は研究室にいるか)、さらには日本語でも数多く出版されているオッペンハイマー伝と比較しても、筆者の短いエッセーは、オッペンハイマーの人となりを知るには出色のものであろう(「科学者・管理者・詩人としてのオッペンハイマー」)。
英国と米国で教育を受け(英国に生まれ英ウインチェスター校からケンブリッジ大学へ、その後米コーネル大学大学院に進学)、英国と米国で物理学者として働き(ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ終身教授からコーネル大学教授、プリンストン高等研究所教授)、米国に帰化した筆者はまさに英国と米国の教育の最良の成果物に思える(特に歴史への透徹した視点は英国の教育の賜物であろう)。知的な筆致とも相まって、市井にも埋もれているであろう本物の読書人のための著作と言える。こうした書評をしっかり受容することができる読者層が明確に存在する米国・英国がうらやましい。
2008年9月9日に日本でレビュー済み
ここに収められている小論の集まりはものの考えや捉え方が知的に高度で(難解ではない)
さらにぶっ飛んだ想像力をも兼ね備えたものもある論集です。
書評や戦争についてなど話題は多様だが、ベンジャミン・フランクリンの精神にのっとり、
固定観念や一面的なものの捉え方を打破する思考力に敬服します。
二〇章「一〇〇万回に一回」ではトリックの話から始まり、私達はみんな一ヶ月に一回は
奇跡的光景を目撃しているという話になり、最後にニールス・ボーアが物理学に導入した
相補性を引合いにとんでもないことを述べているのだが、これが荒唐無稽に聞こえない
ところがすごい。並の一冊ではないと私は思う。
さらにぶっ飛んだ想像力をも兼ね備えたものもある論集です。
書評や戦争についてなど話題は多様だが、ベンジャミン・フランクリンの精神にのっとり、
固定観念や一面的なものの捉え方を打破する思考力に敬服します。
二〇章「一〇〇万回に一回」ではトリックの話から始まり、私達はみんな一ヶ月に一回は
奇跡的光景を目撃しているという話になり、最後にニールス・ボーアが物理学に導入した
相補性を引合いにとんでもないことを述べているのだが、これが荒唐無稽に聞こえない
ところがすごい。並の一冊ではないと私は思う。