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和歌文学大系 (20) 単行本 – 2000/3/1
武田 早苗
(著)
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賀茂保憲女集,赤染衛門集,清少納言集,紫式部集,藤三位集
- 本の長さ393ページ
- 言語日本語
- 出版社明治書院
- 発売日2000/3/1
- ISBN-104625413001
- ISBN-13978-4625413001
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登録情報
- 出版社 : 明治書院 (2000/3/1)
- 発売日 : 2000/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 393ページ
- ISBN-10 : 4625413001
- ISBN-13 : 978-4625413001
- Amazon 売れ筋ランキング: - 521,412位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 150位日本文学の全集・選書
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年12月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
赤染衛門集を探すと、これになります。
歌集は、できれば持ち歩きしやすいように、ソフトカバーか文庫で出版して欲しいのですが。
古典で、なおかつ、一般的に有名ではないとなると、需要が少な過ぎて、こういう体裁になるのは仕方ないことなのかも知れませんが。
古典は色褪せるどころか、年を取れば取るほど味わいが増して来て、何度も何度も読み返しては新しい発見が出て来たりします。
現代の短歌に物足りなさを感じるなら、古典作品の中に求めているものがあるかもしれません。
歌集は、できれば持ち歩きしやすいように、ソフトカバーか文庫で出版して欲しいのですが。
古典で、なおかつ、一般的に有名ではないとなると、需要が少な過ぎて、こういう体裁になるのは仕方ないことなのかも知れませんが。
古典は色褪せるどころか、年を取れば取るほど味わいが増して来て、何度も何度も読み返しては新しい発見が出て来たりします。
現代の短歌に物足りなさを感じるなら、古典作品の中に求めているものがあるかもしれません。
2020年7月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
月報にある藤本宗利氏の記事が大変興味深く、作品鑑賞へのこの上ない導入となりました。例の『紫式部日記』で有名な、紫式部が和泉式部・赤染衛門・清少納言の名を挙げその人となりを論ずる箇所からの考察です。
彼女たち四人の人間関係ですが、赤染衛門と和泉式部は紫式部が彰子後宮に仕えた際の女房仲間。定子後宮の威光を遺すために『枕草子』を執筆した清少納言はライバルという構図です。
紫式部は『紫式部日記』で、赤染衛門をとりあえず賞賛、和泉式部に対しても腐してはいるものの一応長所に言及しています。しかしながら、清少納言のことは徹底的にこき下ろしました。「したり顔にいみじう侍りける人(得意げな顔つきをしてとんでもない人)」と貶したこのキレ方は、それほど手ごわい相手という事実の裏返しになるわけですが。
藤本氏は彼女たちの家集を読み込み、実際の関わり合い方はどうだったのかを紹介します。まず、紫式部が一目を置いていたらしい赤染衛門の集に紫式部との間で取り交わされた和歌の記録はなく、手紙のやり取りで文をほめた和泉式部の集にも交流の記録は遺されていないとのこと。「思うに両女とも、紫式部との文通わしを、さして印象にとどめなかったか、書きとめるだけの価値を認めなかったか、あるいは初めから文通の相手としなかったか、ということになる」。
その一方で、赤染衛門と和泉式部の間には「信太の森」という贈答歌がよく知られており、かなり親しい間柄だったことがうかがえると言います。しかも、二人の家集『赤染衛門集』『和泉式部集』にはライバルの定子後宮に仕えた清少納言と歌のやり取りのあったことが遺されています。藤本氏は「今を時めく御堂関白家(藤原道長)ゆかりの才媛として、公私を問わず交際相手に事欠かなかったはずの彼女たちが、政治上の利害において対立し、かつすでに零落した中関白家(藤原道隆)に属する少納言に、敢えて消息を送らねばならぬ必要性は、差し当たってなかったはずである。だとすればこの歌々は、彼女たちの発意によって、少納言に詠み送ったものと見ることができよう。どうやら紫式部の自意識とは裏腹に、和泉も赤染も、この新参の一言居士よりも『したり顔にいみじう侍』ったとされる少納言の方を、風雅の友と認めていたようである」としています。背景を知った上で交流の事実を知ると、実際、清少納言は紫式部のことをどう思っていたのでしょう。
『清少納言集』には四十二首が収められていますが、本人によって編まれたものではなく、死後、親しい人の手によった家集と推定されています。様々な伝本があり、百人一首に見える「夜をこめて鳥のそらねははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」は未収録。返歌などの他に心の内面を吐露するような苦悩の歌が見られ、一体どのような人であったのか。ライバル後宮の女房たちと交流を持つなど、コミュニケーション能力に長けた徳のある人だったのかなと彼女の人間像をいろいろ思い描いてしまいます。
ちなみに赤染衛門が清少納言へ送った歌は、『赤染衛門集』一五八番。大雪が降り清少納言の様子を気遣っています。和泉式部と清少納言の贈答歌はいくつかあり、親しかったことが伺われます。
彼女たち四人の人間関係ですが、赤染衛門と和泉式部は紫式部が彰子後宮に仕えた際の女房仲間。定子後宮の威光を遺すために『枕草子』を執筆した清少納言はライバルという構図です。
紫式部は『紫式部日記』で、赤染衛門をとりあえず賞賛、和泉式部に対しても腐してはいるものの一応長所に言及しています。しかしながら、清少納言のことは徹底的にこき下ろしました。「したり顔にいみじう侍りける人(得意げな顔つきをしてとんでもない人)」と貶したこのキレ方は、それほど手ごわい相手という事実の裏返しになるわけですが。
藤本氏は彼女たちの家集を読み込み、実際の関わり合い方はどうだったのかを紹介します。まず、紫式部が一目を置いていたらしい赤染衛門の集に紫式部との間で取り交わされた和歌の記録はなく、手紙のやり取りで文をほめた和泉式部の集にも交流の記録は遺されていないとのこと。「思うに両女とも、紫式部との文通わしを、さして印象にとどめなかったか、書きとめるだけの価値を認めなかったか、あるいは初めから文通の相手としなかったか、ということになる」。
その一方で、赤染衛門と和泉式部の間には「信太の森」という贈答歌がよく知られており、かなり親しい間柄だったことがうかがえると言います。しかも、二人の家集『赤染衛門集』『和泉式部集』にはライバルの定子後宮に仕えた清少納言と歌のやり取りのあったことが遺されています。藤本氏は「今を時めく御堂関白家(藤原道長)ゆかりの才媛として、公私を問わず交際相手に事欠かなかったはずの彼女たちが、政治上の利害において対立し、かつすでに零落した中関白家(藤原道隆)に属する少納言に、敢えて消息を送らねばならぬ必要性は、差し当たってなかったはずである。だとすればこの歌々は、彼女たちの発意によって、少納言に詠み送ったものと見ることができよう。どうやら紫式部の自意識とは裏腹に、和泉も赤染も、この新参の一言居士よりも『したり顔にいみじう侍』ったとされる少納言の方を、風雅の友と認めていたようである」としています。背景を知った上で交流の事実を知ると、実際、清少納言は紫式部のことをどう思っていたのでしょう。
『清少納言集』には四十二首が収められていますが、本人によって編まれたものではなく、死後、親しい人の手によった家集と推定されています。様々な伝本があり、百人一首に見える「夜をこめて鳥のそらねははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」は未収録。返歌などの他に心の内面を吐露するような苦悩の歌が見られ、一体どのような人であったのか。ライバル後宮の女房たちと交流を持つなど、コミュニケーション能力に長けた徳のある人だったのかなと彼女の人間像をいろいろ思い描いてしまいます。
ちなみに赤染衛門が清少納言へ送った歌は、『赤染衛門集』一五八番。大雪が降り清少納言の様子を気遣っています。和泉式部と清少納言の贈答歌はいくつかあり、親しかったことが伺われます。