近藤氏の論法では、
国政にまで外国人参政権を認めてしまうことになる。
また、氏は参政権を納税した者に与えられるサービスと宣っているが、それは違う。
憲法によって人権として保証されている権利こそが参政権である。
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新版 外国人参政権と国籍 単行本 – 2001/4/13
近藤 敦
(著)
- 本の長さ198ページ
- 言語日本語
- 出版社明石書店
- 発売日2001/4/13
- ISBN-104750314048
- ISBN-13978-4750314044
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
外国人の参政権に関する諸外国の実例を紹介し、その実態を解説。日本における外国人の参政権を認める訴訟と国籍の確認を求める訴訟を考察し、国籍と「国民」民主主義の検討を迫る。96年刊の新版。
登録情報
- 出版社 : 明石書店; 新版 (2001/4/13)
- 発売日 : 2001/4/13
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 198ページ
- ISBN-10 : 4750314048
- ISBN-13 : 978-4750314044
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,475,649位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2009年11月13日に日本でレビュー済み
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書名からも分かる事だが、外国人参政権問題において国籍は最も核心的で重要な論点であるようだ。外国人参政権は国籍の問題が解決すれば必要のない議論であり、国籍の問題は外国人参政権が認められればそう重要でもなくなるといった関係にある事が著者の著作を二冊ほど通読して分かってきた。
本書は同著者の『外国人参政権問題の基礎知識』ともかぶっている部分が多く特に二章は10個の反対意見(質問)への反論で構成されており、その多くが内容をそのままに先の著作に移植されたのだと分かる。こうして見ると先の著作は本書の内容を必要最低限にコンパクトによくまとめており、もう少し評価を高くしてもよかったかと思う。実際最初に通読した時は薄さ相応の程度と感じたが、その後読めば読むほど必要な論点や思考を引き出す事に役立ち、結果的に入門として非常にためになった。
著者は明白に参政権に賛成であるが、より根源的には参政権よりも国籍の問題を重視していると見える。国籍の問題とは、よく言われる国籍取得の条件緩和ではなく、「二重国籍」の許容を指している。(これもある種の条件緩和に含まれるが)この二重国籍の許容というのは、私を含めた一般の素人目には驚愕の、信じがたい意見に思われるかもしれない。実際私もつい最近まで「二重国籍は論外」という思考停止に終っていたが、著者の論に触れているとそういった常識が溶かされてくる。まず現実として、カナダやアメリカ、イギリス、オーストラリア、フランス、イタリア、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェーといった多くの国で二重国籍に強く寛容的な傾向が出てきているという事実については、知らなければ知っておいて損はないだろう。いや知っておくべきだと言える。加えて、この問題について全くの無知だった私がさらに驚愕だったのは、初めにも言ったように「二重国籍に寛容的な立場と流れが存在する」というだけでなく、「二重国籍に寛容的でありさえすれば外国人参政権はいらなくなる」という事だ。つまりこの事実を踏まえると、あの国この国には外国人参政権がないから参政権は戯言云々とは必ずしも言えなくなる。外国人参政権がなくても、もしその国で二重国籍や生地主義が採用されてる場合にはその国は実質的には外国人住民に対してかなり開かれており、いわば理念的には参政権、多文化主義を認めてるも同じなのだ。(例えばアメリカやカナダ、ニュージーランド、アイルランドなどは無条件の生地主義により「二重国籍に非常に寛容」な国に分類され、そのため参政権問題を殆ど無視できるし、無視しても高度に人権を尊重できている事になる)
私の参政権に対する最大の疑念はやはり「でもやっぱりそんなに参政権が欲しいなら国籍を取ればいいんじゃないの?」という極めて常識的に思われた理由によっていた。それに対して帰化は同化的であり、以前の国籍を捨てる精神的負担を考えれば容易に帰化の決心をする人は現れないと反論されるが、あまりしっくりこなかった。同化は確かに問題だが、(一方で同化は当然と考えるような極右も存在する事は問題視したい)なら帰化条件を同化的でなくするよう注意を払えばいいし、「他国に住み他国の政治に関わりたいが元の国籍を捨てるのは嫌なので元の国籍のままでこの国の事実上の国籍を得たい」というような要望はさすがにワガママに過ぎるのではないか、という念が否めなかった。厳密には私は今もこの地点に揺らめきつついるが、(つまり国籍を取ればいいという念がなくなっていないので、参政権に積極的に賛成してはいない)しかしこのワガママを満たす方法が外国人参政権を認める事だけでなく、二重国籍を認めるという二つの選択肢があるという事を知ったのは大きな刺激をもたらし、新たな可能性を見出させてくれた。ここまで来れば、あとは二重国籍がなぜ絶対的に駄目なのかをちゃんと説明出来るかどうかが最終的な決め手になると思う。「国籍は一つ」「政治に関れるのは一つの国だけ」長らく持たれてきたこの常識は非常に強固で私の頭や感性にもこびり付いている。この常識が二重国籍を完全に退けるほどの正当性を備えているのか、この常識は所詮は乗り越えられるべき本質的には無根拠な常識でしかないのか。今後暫くこういった事について考えてみたいと思わされた。
本書は同著者の『外国人参政権問題の基礎知識』ともかぶっている部分が多く特に二章は10個の反対意見(質問)への反論で構成されており、その多くが内容をそのままに先の著作に移植されたのだと分かる。こうして見ると先の著作は本書の内容を必要最低限にコンパクトによくまとめており、もう少し評価を高くしてもよかったかと思う。実際最初に通読した時は薄さ相応の程度と感じたが、その後読めば読むほど必要な論点や思考を引き出す事に役立ち、結果的に入門として非常にためになった。
著者は明白に参政権に賛成であるが、より根源的には参政権よりも国籍の問題を重視していると見える。国籍の問題とは、よく言われる国籍取得の条件緩和ではなく、「二重国籍」の許容を指している。(これもある種の条件緩和に含まれるが)この二重国籍の許容というのは、私を含めた一般の素人目には驚愕の、信じがたい意見に思われるかもしれない。実際私もつい最近まで「二重国籍は論外」という思考停止に終っていたが、著者の論に触れているとそういった常識が溶かされてくる。まず現実として、カナダやアメリカ、イギリス、オーストラリア、フランス、イタリア、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェーといった多くの国で二重国籍に強く寛容的な傾向が出てきているという事実については、知らなければ知っておいて損はないだろう。いや知っておくべきだと言える。加えて、この問題について全くの無知だった私がさらに驚愕だったのは、初めにも言ったように「二重国籍に寛容的な立場と流れが存在する」というだけでなく、「二重国籍に寛容的でありさえすれば外国人参政権はいらなくなる」という事だ。つまりこの事実を踏まえると、あの国この国には外国人参政権がないから参政権は戯言云々とは必ずしも言えなくなる。外国人参政権がなくても、もしその国で二重国籍や生地主義が採用されてる場合にはその国は実質的には外国人住民に対してかなり開かれており、いわば理念的には参政権、多文化主義を認めてるも同じなのだ。(例えばアメリカやカナダ、ニュージーランド、アイルランドなどは無条件の生地主義により「二重国籍に非常に寛容」な国に分類され、そのため参政権問題を殆ど無視できるし、無視しても高度に人権を尊重できている事になる)
私の参政権に対する最大の疑念はやはり「でもやっぱりそんなに参政権が欲しいなら国籍を取ればいいんじゃないの?」という極めて常識的に思われた理由によっていた。それに対して帰化は同化的であり、以前の国籍を捨てる精神的負担を考えれば容易に帰化の決心をする人は現れないと反論されるが、あまりしっくりこなかった。同化は確かに問題だが、(一方で同化は当然と考えるような極右も存在する事は問題視したい)なら帰化条件を同化的でなくするよう注意を払えばいいし、「他国に住み他国の政治に関わりたいが元の国籍を捨てるのは嫌なので元の国籍のままでこの国の事実上の国籍を得たい」というような要望はさすがにワガママに過ぎるのではないか、という念が否めなかった。厳密には私は今もこの地点に揺らめきつついるが、(つまり国籍を取ればいいという念がなくなっていないので、参政権に積極的に賛成してはいない)しかしこのワガママを満たす方法が外国人参政権を認める事だけでなく、二重国籍を認めるという二つの選択肢があるという事を知ったのは大きな刺激をもたらし、新たな可能性を見出させてくれた。ここまで来れば、あとは二重国籍がなぜ絶対的に駄目なのかをちゃんと説明出来るかどうかが最終的な決め手になると思う。「国籍は一つ」「政治に関れるのは一つの国だけ」長らく持たれてきたこの常識は非常に強固で私の頭や感性にもこびり付いている。この常識が二重国籍を完全に退けるほどの正当性を備えているのか、この常識は所詮は乗り越えられるべき本質的には無根拠な常識でしかないのか。今後暫くこういった事について考えてみたいと思わされた。
2010年7月22日に日本でレビュー済み
参政権について書いた本です。まあアメリカなどでは
居住権があれば参政権まではいらない、という人も
かなり多いですし、絶対に欲しいのは、カトリックか
あるいはプロテスタントだったりするわけですが。
現在、欧州では二重国籍は結構認められていますし。
例えば、ブラジル人がポルトガルの国籍を。
アルゼンチン人がスペインの国籍を。理由は言わずもなが。
ただし2001年の出版だけあってオランダ、ドイツ、カナダで
移民に対してもそのあまりの無法無秩序ぶりに嫌悪感と警戒感が
出てきていることについては当然ながら言及はされない。
というよりもそれについてのタブーがあるからこそ活きる、と
いったところか。タブー無き議論は果たして可能なのだろうか。
居住権があれば参政権まではいらない、という人も
かなり多いですし、絶対に欲しいのは、カトリックか
あるいはプロテスタントだったりするわけですが。
現在、欧州では二重国籍は結構認められていますし。
例えば、ブラジル人がポルトガルの国籍を。
アルゼンチン人がスペインの国籍を。理由は言わずもなが。
ただし2001年の出版だけあってオランダ、ドイツ、カナダで
移民に対してもそのあまりの無法無秩序ぶりに嫌悪感と警戒感が
出てきていることについては当然ながら言及はされない。
というよりもそれについてのタブーがあるからこそ活きる、と
いったところか。タブー無き議論は果たして可能なのだろうか。
2009年10月26日に日本でレビュー済み
筆者は外国人にも参政権を認めるべきだという立場に立つ。それはいい。ただ問題なのは、その論拠をヨ−ロッパの諸国の法制に持っていったことにある。
移民国家といえば、アメリカが典型的である。しかし、筆者はアメリカの法制度に触れる事は全くない。世界最大の移民国家であるアメリカが外国人と参政権をどう考えているかは是非とも知りたいところであり、これを避けては「外国人と参政権」の問題を避けては通れない。筆者にはこういう<常識>も持ち合わせてないようだ。加えて、移民国家といえば「ロシア」もその例に漏れない。ロシアでは「外国人と参政権」の問題をどう考えているのだろうか。また、大国(面積・人口)といえば「中国」、「インド」、「ブラジル」、「インドネシア」もある。そういう国ではどう考えているだろうか。
つまり、筆者は自説を何としてでも維持したいために、自説に都合の良い国のみの法制を挙げて、読者を誘導している。こういうのを<いいとこ取り>という。したがって、その論拠には全く<説得性>がない。
こうした偏った考えで大学の教員となっているから恐ろしい。
移民国家といえば、アメリカが典型的である。しかし、筆者はアメリカの法制度に触れる事は全くない。世界最大の移民国家であるアメリカが外国人と参政権をどう考えているかは是非とも知りたいところであり、これを避けては「外国人と参政権」の問題を避けては通れない。筆者にはこういう<常識>も持ち合わせてないようだ。加えて、移民国家といえば「ロシア」もその例に漏れない。ロシアでは「外国人と参政権」の問題をどう考えているのだろうか。また、大国(面積・人口)といえば「中国」、「インド」、「ブラジル」、「インドネシア」もある。そういう国ではどう考えているだろうか。
つまり、筆者は自説を何としてでも維持したいために、自説に都合の良い国のみの法制を挙げて、読者を誘導している。こういうのを<いいとこ取り>という。したがって、その論拠には全く<説得性>がない。
こうした偏った考えで大学の教員となっているから恐ろしい。
2010年1月19日に日本でレビュー済み
はじめに言っておくと、この本は考察というものはしておらず、どうやったら参政権付与にもっていけるかということを述べているに過ぎない。少々どころか、かなり強引に論をもっていっているように思えてならない。また、参政権付与にたいして都合がわるくなるような考えは述べておらず、他所の国でもやっているから〜といった結論になっている点が学者として残念である。加えて、参政権は社会権や入国の自由などのほかの権利が認められているから、認められないわけがないなど、全く意味がわからないことを論じているなど、外国人参政権付与のタメにだらだらと言い訳を述べているような印象さえ持った。