まず単純に娯楽として面白い。
ストーリーが熱く、実在の人物のお話ということもあり重厚であり、画力も迫力満点です
大河ドラマの平和な世を創りたい~のような現代的価値観で汚染されてたり、新渡戸稲造的な西洋ヒューマニズムに媚びた武士像とは違う本物の凄みというか、リアリティがあります
個人的には昔少し九州に住んでいたとき、純粋に東の人間との民族としての違いを感じました(私は東京出身で先祖である)
われわれ東日本の人間とはあきらかに気風が違うのである
良くも悪くも感情の起伏が激しく、また情に厚く、容姿も濃く
同じ日本人であるだけにカルチャーショックだったことを覚えている
わたし含めて東京の若者はいささか文弱であると痛感した若き日を思い出しました
この漫画に登場する薩摩のむちゃくちゃすぎる教育法は東洋のスパルタというべきで、薩摩隼人の剽悍さの原点を見る気がしました
暇つぶしにも勉強にもなります。おすすめです

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
薩南示現流 1 (1) (SPコミックス) コミック – 2004/2/24
薩南示現流 1 (1) (SPコミックス)
- 本の長さ242ページ
- 言語日本語
- 出版社リイド社
- 発売日2004/2/24
- ISBN-104845827298
- ISBN-13978-4845827299
登録情報
- 出版社 : リイド社 (2004/2/24)
- 発売日 : 2004/2/24
- 言語 : 日本語
- コミック : 242ページ
- ISBN-10 : 4845827298
- ISBN-13 : 978-4845827299
- Amazon 売れ筋ランキング: - 464,331位コミック
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2017年2月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古今東西、武術や格闘技は「競技化」されることで驚くべき進化を遂げる。
多様かつ複雑な攻防の技術体系が生まれ、素人目には「一見何をしているのか分からない」レベルにさえ到達する。
それに対し、実戦、つまり人の「生き死に」を経て生まれた技術体系は、驚くほどシンプルである。
本書の示現流も、「蜻蛉」に構えて前進し、ひたすら切りつけるだけ。
間合いの駆け引きも防御もない。一切をかえりみず、相手と差し違える覚悟で突進するのだ。
競技と実戦。いったい、本当に「強い」のはどちらなのか?
それは意外にも、後者のシンプルさなのではあるまいか。
基本的に、競技というものは「何度もやる」ことを前提にしている。
失敗して負けても、トータルで勝ち越せる人が「強い」ということになる。
競技の技術は、そのために洗練され、進歩していく。
しかし、「生き死に」のかかる実戦には、「次回」というものがない。
負ければそこで終わりである。勝ったとしても、深刻な障害を負う可能性がある。
こうした場面において、シンプルな「技術」は意外に侮れないと思うのである。
想像してみてほしい。「斬られたら即死ぬ」という状況で、一切の執着心を捨てた術者が、相討ち覚悟で一直線に切りかかってくるのを。
しかも、「朝に三千、夕に八千」その動作を反復している人間が、である。
これが強くないわけがない。
示現流についての書物はあまり多くないが、本書は漫画ではあっても良質な内容といえるだろう。
多様かつ複雑な攻防の技術体系が生まれ、素人目には「一見何をしているのか分からない」レベルにさえ到達する。
それに対し、実戦、つまり人の「生き死に」を経て生まれた技術体系は、驚くほどシンプルである。
本書の示現流も、「蜻蛉」に構えて前進し、ひたすら切りつけるだけ。
間合いの駆け引きも防御もない。一切をかえりみず、相手と差し違える覚悟で突進するのだ。
競技と実戦。いったい、本当に「強い」のはどちらなのか?
それは意外にも、後者のシンプルさなのではあるまいか。
基本的に、競技というものは「何度もやる」ことを前提にしている。
失敗して負けても、トータルで勝ち越せる人が「強い」ということになる。
競技の技術は、そのために洗練され、進歩していく。
しかし、「生き死に」のかかる実戦には、「次回」というものがない。
負ければそこで終わりである。勝ったとしても、深刻な障害を負う可能性がある。
こうした場面において、シンプルな「技術」は意外に侮れないと思うのである。
想像してみてほしい。「斬られたら即死ぬ」という状況で、一切の執着心を捨てた術者が、相討ち覚悟で一直線に切りかかってくるのを。
しかも、「朝に三千、夕に八千」その動作を反復している人間が、である。
これが強くないわけがない。
示現流についての書物はあまり多くないが、本書は漫画ではあっても良質な内容といえるだろう。
2016年7月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
よい。
実に素晴らしい。
薩摩示現流の、精髄。
あくまで骨らしく、外連味のなさ。
実に素晴らしい。
薩摩示現流の、精髄。
あくまで骨らしく、外連味のなさ。
2016年8月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
薩摩の侍の豪胆なこと。昔が本当にこんな感じなら命がいくつあっても足りません。でもそのすさまじさはむしろ面白みでもあります。迫力ある画力にふさわしいストーリーです。
2016年7月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
神秘のベールに包まれていた薩摩示現流の成り立ちや、その技法をわかりやすく解説されていて
興味深く読み進めることが出来た。
興味深く読み進めることが出来た。
2014年6月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前から気になっていたが、kindle版が出たので購入。
薩摩の御留流として名を馳せた示現流の興隆を描き切った筆致もさることながら
知られざる薩摩武士の生態(?)に迫った点からも非常に面白い作品でした。
『えのころ飯』や『肝練り』、『二才組』など、他所ではお目にかかれない
薩摩隼人のおそるべき鍛練方法の数々に度肝を抜かれました。
剣術に興味が無い方も、これらのキーワードに心を惹かれたらぜひ読むべき名作。
薩摩の御留流として名を馳せた示現流の興隆を描き切った筆致もさることながら
知られざる薩摩武士の生態(?)に迫った点からも非常に面白い作品でした。
『えのころ飯』や『肝練り』、『二才組』など、他所ではお目にかかれない
薩摩隼人のおそるべき鍛練方法の数々に度肝を抜かれました。
剣術に興味が無い方も、これらのキーワードに心を惹かれたらぜひ読むべき名作。
2004年12月19日に日本でレビュー済み
本作は、天真正自顕流、後年薩摩に転生して天真正示現流の名を天下に轟かせた希代の豪剣流派と、それにまつわる人々を描きながら、日出づる国の戦闘者の蛮性を最も長く残していた薩摩という国の気風を、そして薩摩隼人という生き物の恐るべき凶暴性、剽悍、暴勇を、奔騰する生命の躍動感をもって見事に描ききった、豪筆とも言うべき作品である。
何と言ってもまず「キャラ」が立っている。いや、立ちすぎている。本編の主役というべき示現流は、左肱切断の構えを命として、雲耀の太刀行きの早さにすべてを賭ける「超」豪剣である。小手先の技数、構えの変化などで目をくらまそうとするすべての他流は、「朝に三千、夕に八千」と称される立ち木打ちの修練で培われた刀勢の下に伏すのだ!この日本人好みの「一撃必殺神話」を極限まで推し進めたがごとき示現流が本作においてタイ捨流や新陰流の使い手を微塵と打ち砕く描写を読んだとき、理屈ぬきの生理的快感を禁じ得ない読者はいないであろう。
そこには間違いなく、プロレスや空手の神話にも通ずる、日本人のやむにやまれぬある心性が発露されているのだ(という事にしよう)。
そして本編のもう一つの大いなるモチーフともいえるのが「薩摩」なのである。これもまた、キャラ立ちなどというレベルではない。本編に活写される錚々たる薩摩隼人の面々、若き次期藩主島津家久をはじめとして下級武士にいたるまで、「盛風力の輩」と称される彼らの蛮性が、何一つ理想化されることもなく弁護されることもなく活写されているのが読者に強烈な印象を残す。作者は一言で「暴勇」と表現しているが、正に暴、正に勇。その中において主人公東郷重位の沈着が、ひときわ鮮やかな存在感を放つ仕組みになっているが、それを差し引いても薩摩隼人の蛮性は凄まじいとしか言いようがない。と同時に、この対比は、以後の示現流が、後年の薩摩の豪気かつ沈着の気風を養うのにどのような役割を果たしたかを読者に想像させる。
この小説は、昨今回顧的、美化的に取り上げられることの多くなった「サムライ」や「武士道」の恐るべき原風景を、土から掘り出したばかりのダイヤモンドの原石で読者の頭をカチ割るがごとくに(笑)描き出した傑作なのである。何も足さない、何も引かない。賛辞も非難も超越したこの生命力の躍動感の中にこそ、「倭」と称されたこの国のある心性である「武士道」の真面目が見て取れるのではないかと思う。
ちなみに、とみ新蔵先生による漫画化は、効果音や体構え、技法など、武術的要素が見事に視覚化されており、津本先生の原作に新たな魅力を与えている。
さすが平田弘史先生の実弟である・・・。
何と言ってもまず「キャラ」が立っている。いや、立ちすぎている。本編の主役というべき示現流は、左肱切断の構えを命として、雲耀の太刀行きの早さにすべてを賭ける「超」豪剣である。小手先の技数、構えの変化などで目をくらまそうとするすべての他流は、「朝に三千、夕に八千」と称される立ち木打ちの修練で培われた刀勢の下に伏すのだ!この日本人好みの「一撃必殺神話」を極限まで推し進めたがごとき示現流が本作においてタイ捨流や新陰流の使い手を微塵と打ち砕く描写を読んだとき、理屈ぬきの生理的快感を禁じ得ない読者はいないであろう。
そこには間違いなく、プロレスや空手の神話にも通ずる、日本人のやむにやまれぬある心性が発露されているのだ(という事にしよう)。
そして本編のもう一つの大いなるモチーフともいえるのが「薩摩」なのである。これもまた、キャラ立ちなどというレベルではない。本編に活写される錚々たる薩摩隼人の面々、若き次期藩主島津家久をはじめとして下級武士にいたるまで、「盛風力の輩」と称される彼らの蛮性が、何一つ理想化されることもなく弁護されることもなく活写されているのが読者に強烈な印象を残す。作者は一言で「暴勇」と表現しているが、正に暴、正に勇。その中において主人公東郷重位の沈着が、ひときわ鮮やかな存在感を放つ仕組みになっているが、それを差し引いても薩摩隼人の蛮性は凄まじいとしか言いようがない。と同時に、この対比は、以後の示現流が、後年の薩摩の豪気かつ沈着の気風を養うのにどのような役割を果たしたかを読者に想像させる。
この小説は、昨今回顧的、美化的に取り上げられることの多くなった「サムライ」や「武士道」の恐るべき原風景を、土から掘り出したばかりのダイヤモンドの原石で読者の頭をカチ割るがごとくに(笑)描き出した傑作なのである。何も足さない、何も引かない。賛辞も非難も超越したこの生命力の躍動感の中にこそ、「倭」と称されたこの国のある心性である「武士道」の真面目が見て取れるのではないかと思う。
ちなみに、とみ新蔵先生による漫画化は、効果音や体構え、技法など、武術的要素が見事に視覚化されており、津本先生の原作に新たな魅力を与えている。
さすが平田弘史先生の実弟である・・・。