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手放す生き方(サンガ文庫) (サンガ文庫 チ 1-1) 文庫 – 2012/9/25
- 本の長さ303ページ
- 言語日本語
- 出版社サンガ
- 発売日2012/9/25
- ISBN-104905425263
- ISBN-13978-4905425267
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商品の説明
著者について
[著者]
アーチャン・チャー(Achaan Chah)
1918年、タイ東北部イサーン地方ウボンラーチャターニー近郊に生まれる。20世紀のタイにおけるテーラワーダ仏教を代表する僧侶の一人。9歳で沙弥出家。20歳で比丘出家をする。1946年、父の死をきっかけとして、仏法の真髄を求めるための遊行の旅に出る。数年の遍歴遊行の後、アーチャン・マンに師事。瞑想実践に打ち込む。1954年、生地近郊の森に自らの僧院であるワット・パー・ポンを設立。アーチャン・チャーの卓越した指導力は瞬く間にタイ全土に広がり、簡素な寺院として始まったワット・パー・ポンはタイ有数の森林僧院となった。1992年、逝去。
[編者]
ジャック・コーンフィールド (Jack Kornfield)
アメリカ、マサチューセッツ州にあるインサイト・メディテーション・センターの創設者の一人。同センターはアメリカを代表するヴィパッサナー瞑想を学ぶための瞑想センターの一つである。ナローパ・インスティテュート、エサレン研究所などでも指導をおこなう。1963 年にダートマス・カレッジを卒業後、東南アジアに渡り、6年間在家及び比丘としてテーラワーダ仏教の伝統を学ぶ。アーチャン・チャーはこの6年間のアジア滞在時の師の一人である。
ポール・ブレイター(Paul Breiter)
アーチャン・チャーのもとで比丘出家をし、彼の最も初期の西洋人の弟子の1人として、7年間の出家生活を送る。タイ語とラオス語に堪能で、仏教文献の翻訳などでも活躍をする。
[訳者]
星 飛雄馬 (Huma Hoshi)
1974年、長野県生まれ。著述家・翻訳家。東京都立大学大学院社会科学研究科修士課程修了。東京大学社会情報研究所教育部修了。
花輪 陽子 (Yoko Hanawa)
1978年、三重県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業。外資系の投資銀行を経てファイナンシャル・プランナーとして独立。
花輪 俊行 (Toshiyuki Hanawa)
1978年、東京都生まれ。翻訳家、システムエンジニア。慶応義塾大学大学院理工学研究科卒業。
アーチャン・チャー(Achaan Chah)
1918年、タイ東北部イサーン地方ウボンラーチャターニー近郊に生まれる。20世紀のタイにおけるテーラワーダ仏教を代表する僧侶の一人。9歳で沙弥出家。20歳で比丘出家をする。1946年、父の死をきっかけとして、仏法の真髄を求めるための遊行の旅に出る。数年の遍歴遊行の後、アーチャン・マンに師事。瞑想実践に打ち込む。1954年、生地近郊の森に自らの僧院であるワット・パー・ポンを設立。アーチャン・チャーの卓越した指導力は瞬く間にタイ全土に広がり、簡素な寺院として始まったワット・パー・ポンはタイ有数の森林僧院となった。1992年、逝去。
[編者]
ジャック・コーンフィールド (Jack Kornfield)
アメリカ、マサチューセッツ州にあるインサイト・メディテーション・センターの創設者の一人。同センターはアメリカを代表するヴィパッサナー瞑想を学ぶための瞑想センターの一つである。ナローパ・インスティテュート、エサレン研究所などでも指導をおこなう。1963 年にダートマス・カレッジを卒業後、東南アジアに渡り、6年間在家及び比丘としてテーラワーダ仏教の伝統を学ぶ。アーチャン・チャーはこの6年間のアジア滞在時の師の一人である。
ポール・ブレイター(Paul Breiter)
アーチャン・チャーのもとで比丘出家をし、彼の最も初期の西洋人の弟子の1人として、7年間の出家生活を送る。タイ語とラオス語に堪能で、仏教文献の翻訳などでも活躍をする。
[訳者]
星 飛雄馬 (Huma Hoshi)
1974年、長野県生まれ。著述家・翻訳家。東京都立大学大学院社会科学研究科修士課程修了。東京大学社会情報研究所教育部修了。
花輪 陽子 (Yoko Hanawa)
1978年、三重県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業。外資系の投資銀行を経てファイナンシャル・プランナーとして独立。
花輪 俊行 (Toshiyuki Hanawa)
1978年、東京都生まれ。翻訳家、システムエンジニア。慶応義塾大学大学院理工学研究科卒業。
登録情報
- 出版社 : サンガ (2012/9/25)
- 発売日 : 2012/9/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 303ページ
- ISBN-10 : 4905425263
- ISBN-13 : 978-4905425267
- Amazon 売れ筋ランキング: - 486,314位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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花輪 陽子(はなわ ようこ)
ファイナンシャル・プランナー(FP)
1級ファイナンシャル・プランニング技能士(国家資格)CFP®認定者。1978年、三重県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業後、外資系投資銀行に入社。
退職後、FPとして独立。2015年から生活の拠点をシンガポールに移し、東京とシンガポールでセミナー講師など幅広い活動を行う。
『少子高齢化でも老後不安ゼロ シンガポールで見た日本の未来理想図』 (講談社+α新書) など著書多数。
「ホンマでっか!?TV」「有吉ゼミ」などテレビ出演や講演経験も多数。日本FP協会「くらしとお金のFP相談室」2011年度相談員。
海外に住んでいる日本人のお金に関する悩みを解消するサイトも運営
https://100mylifeplan.com
まぐまぐ「花輪陽子のシンガポール富裕層の教え 海外投資&起業実践編」
https://www.mag2.com/m/0001687882.html
e-mail : fp@yokohanawa.com
twitter ID : @yokohanawa
公式サイト:http://yokohanawa.com/
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年2月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まだ読みはじめたばかりですが、今まで色々な仏教の本を読んで、何となく分かった様な分かってない様なと思っていたことが、スッと理解できます。
2019年12月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いわゆる自己啓発系の本ではありません。日本で行うには無理のある苛烈な教えですが、読んでいると不思議と心が静かになります。日頃忙しい方、悩んでる方、毎日少しずつでも読んでみると良いですよ
2019年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これを見ると、お釈迦さまが説かれた事がどんなことだったのがわかる。仏教修行者必須の本です!
2019年2月25日に日本でレビュー済み
まだ読み終えていません。
アーチャンチャー氏の在世時については知りませんが、外国人の知人に勧められてゴエンカ氏のビパッサナー瞑想のコースに参加してとてもよい体験ができたのですが、日々の生活に戻るとなかなか思うような体験に至らず、改めて色々勉強しているのですが、ふと、「あれ、ゴエンカ氏って結構太ってるじゃん」と気づき、何でだろうとあれこれ考えたり調べたりしていたのですが、ゴエンカ氏は悟りには至って無かったから甘いものやカロリーの高いものを必要以上に食べてしまったのかな、と解釈しています。
それをきっかけにゴエンカ氏の師でありゴエンカ氏が阿羅漢に達したと紹介しているウバキン氏についても調べてみたところ、手術の合併症で亡くなったと読み、阿羅漢に達しても手術とかするの?と疑問が深まりました。
更に調べてこちらのアーチャンチャー氏が阿羅漢に達したとの触れ込みで読み進めていたのですが、師匠の言うことは全部聞け的なことが書かれていたりして??となっていてアーチャンチャー氏についても調べてみたところ、その最期は糖尿病になって手術に失敗して10年ほど寝たきりになって言葉も話せない状態で亡くなったとのことを読みました。
阿羅漢なのに?
まだ半分しか読んでいませんが、急激に読む意欲が減っています。
もちろん、病気になって死ぬのは当然なのですが、糖尿病ってどうなんだろうな。貪りの気持ちを完全に手放していたと言えるでしょうか。
しかも、結局手術して失敗して寝たきりで亡くなるってどういうカルマなんでしょう。
また、アーチャンチャー氏を西洋に紹介したコーンフィールド氏はアーチャンチャー氏の後に別の師についたようです。
本来静かに小国の森の中で瞑想を続けて行くべきところを、実力以上の影響を世界に与えてしまったがゆえに、心のバランスがおかしくなってしまったのかな、などとも考えてしまいます。
一応興味が続く限り読み続け、阿羅漢に至る過程も読んでみようとは思いますが、阿羅漢という悟りの道標でさえも無常であり、穏やかに目覚めた状態で病や死と向き合うための十分条件出はないのか、と途方にくれる思いです。
また、内容も自身の言葉でとの触れ込みですが、体験を通じて得ているというよりは、教義的で概念ありきというような印象を受けました。
加えて他の方も指摘しているように翻訳の硬さやばらつきが大きく何で複数人で翻訳してるのか不明です。誰かが全体を統括しないとチグハグになってしまいますよ。
まだ読み終えていませんが、自分なりの考えをいったん書き留めるため書いていますが、また追記するかもしれません。
追記
全部読み終えました。その後の記述で自分が疑いの状態にいたり、悟りへの執着があるということに気づきました。
また、たとえチャー氏のような境地に至ったとしても、甘いものを必要以上に取りすぎて肥満や糖尿病になってしまう可能性もあるということも理解しました。
後書き後のタイの仏教の概説も読んで少し調べてみたところ、タイで出家した高い位についていた日本人の僧侶が美人の女性と出会って還俗して結婚したなんてことも書かれていたりして、偉い僧侶といってもそんなもんかもね、と思ったりもしています。
結局、人を比べたり、評価したりしても仕方なく、師に頼らず、ブッダの教えた通り自分自身とダンマに頼るしかないのだな、と理解しました。
また自分の中に瞑想で頑張って修行したからには、死ぬときくらい安らかで眠るように自覚的に死にたいという執着があることにも気づきました。本質的に老いていくとどうなっていくか分からず、コントロールも出来ないので、どうなるかは分からないということも理解しました。
無常というのは体感的に経験できているのですが、無我や無私、ダンマというのはどういうものなのか体験するには瞑想を実践するしかないのでしょうね。
貴重な気付きがあったため星を2から4にしておきます。
アーチャンチャー氏の在世時については知りませんが、外国人の知人に勧められてゴエンカ氏のビパッサナー瞑想のコースに参加してとてもよい体験ができたのですが、日々の生活に戻るとなかなか思うような体験に至らず、改めて色々勉強しているのですが、ふと、「あれ、ゴエンカ氏って結構太ってるじゃん」と気づき、何でだろうとあれこれ考えたり調べたりしていたのですが、ゴエンカ氏は悟りには至って無かったから甘いものやカロリーの高いものを必要以上に食べてしまったのかな、と解釈しています。
それをきっかけにゴエンカ氏の師でありゴエンカ氏が阿羅漢に達したと紹介しているウバキン氏についても調べてみたところ、手術の合併症で亡くなったと読み、阿羅漢に達しても手術とかするの?と疑問が深まりました。
更に調べてこちらのアーチャンチャー氏が阿羅漢に達したとの触れ込みで読み進めていたのですが、師匠の言うことは全部聞け的なことが書かれていたりして??となっていてアーチャンチャー氏についても調べてみたところ、その最期は糖尿病になって手術に失敗して10年ほど寝たきりになって言葉も話せない状態で亡くなったとのことを読みました。
阿羅漢なのに?
まだ半分しか読んでいませんが、急激に読む意欲が減っています。
もちろん、病気になって死ぬのは当然なのですが、糖尿病ってどうなんだろうな。貪りの気持ちを完全に手放していたと言えるでしょうか。
しかも、結局手術して失敗して寝たきりで亡くなるってどういうカルマなんでしょう。
また、アーチャンチャー氏を西洋に紹介したコーンフィールド氏はアーチャンチャー氏の後に別の師についたようです。
本来静かに小国の森の中で瞑想を続けて行くべきところを、実力以上の影響を世界に与えてしまったがゆえに、心のバランスがおかしくなってしまったのかな、などとも考えてしまいます。
一応興味が続く限り読み続け、阿羅漢に至る過程も読んでみようとは思いますが、阿羅漢という悟りの道標でさえも無常であり、穏やかに目覚めた状態で病や死と向き合うための十分条件出はないのか、と途方にくれる思いです。
また、内容も自身の言葉でとの触れ込みですが、体験を通じて得ているというよりは、教義的で概念ありきというような印象を受けました。
加えて他の方も指摘しているように翻訳の硬さやばらつきが大きく何で複数人で翻訳してるのか不明です。誰かが全体を統括しないとチグハグになってしまいますよ。
まだ読み終えていませんが、自分なりの考えをいったん書き留めるため書いていますが、また追記するかもしれません。
追記
全部読み終えました。その後の記述で自分が疑いの状態にいたり、悟りへの執着があるということに気づきました。
また、たとえチャー氏のような境地に至ったとしても、甘いものを必要以上に取りすぎて肥満や糖尿病になってしまう可能性もあるということも理解しました。
後書き後のタイの仏教の概説も読んで少し調べてみたところ、タイで出家した高い位についていた日本人の僧侶が美人の女性と出会って還俗して結婚したなんてことも書かれていたりして、偉い僧侶といってもそんなもんかもね、と思ったりもしています。
結局、人を比べたり、評価したりしても仕方なく、師に頼らず、ブッダの教えた通り自分自身とダンマに頼るしかないのだな、と理解しました。
また自分の中に瞑想で頑張って修行したからには、死ぬときくらい安らかで眠るように自覚的に死にたいという執着があることにも気づきました。本質的に老いていくとどうなっていくか分からず、コントロールも出来ないので、どうなるかは分からないということも理解しました。
無常というのは体感的に経験できているのですが、無我や無私、ダンマというのはどういうものなのか体験するには瞑想を実践するしかないのでしょうね。
貴重な気付きがあったため星を2から4にしておきます。
2015年2月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
冒頭の、スマナサーラ長老の文での
「大長老」という一言で、まずビビります。
スマナサーラ長老が他で「大」つきの長老とおっしゃった記憶はあまりありません。
さらに「阿羅漢に達しててであろう」という一文にまたビビります。
阿羅漢なんて近年いないと思ってたので。
ブッダはお釈迦様に対する言葉ですが、本来は
「覚った人」という意味です。
そういう意味ではアーチャン・チャー長老は
言葉本来の意味でブッダと言えるかもしれません。
(ただし、阿羅漢=ブッダではありません)。
なので自分の言葉が全て真理になるお方です。
そういう意味でも、本当の意味での、自由、な物の見方が感じられます。
内容は、文句の付ける隙がありません。
全てが素晴らしいです。
個人的には最初にスマナサーラ長老の本を読んだ時以来の衝撃を受けました。
仏教徒、仏教に興味ある人、そのほか全ての人必読です。
「大長老」という一言で、まずビビります。
スマナサーラ長老が他で「大」つきの長老とおっしゃった記憶はあまりありません。
さらに「阿羅漢に達しててであろう」という一文にまたビビります。
阿羅漢なんて近年いないと思ってたので。
ブッダはお釈迦様に対する言葉ですが、本来は
「覚った人」という意味です。
そういう意味ではアーチャン・チャー長老は
言葉本来の意味でブッダと言えるかもしれません。
(ただし、阿羅漢=ブッダではありません)。
なので自分の言葉が全て真理になるお方です。
そういう意味でも、本当の意味での、自由、な物の見方が感じられます。
内容は、文句の付ける隙がありません。
全てが素晴らしいです。
個人的には最初にスマナサーラ長老の本を読んだ時以来の衝撃を受けました。
仏教徒、仏教に興味ある人、そのほか全ての人必読です。
2015年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
阿羅漢の長老と言われている方の本です。最後の方に阿羅漢となった方がどのような心の状態になるのか書かれております。また、瞑想の際、自分の心はまだ未熟のため色々とさまよってしまうのですがその際にも怒りや執着をせず「見送ること」ができるよう書いてありました。逆にこのような心の状態を保つよう書かれていたことが印象的でした。
2013年10月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アーチャン・チャーの名前しか知らなかったですが 読んでみて この方の凄さが分かりました。
身震いしてしまいそうな 的確な表現力で
モヤモヤしていた瞑想の悩みが スッと消えて行きました。
瞑想の舵取りをしてくれる一冊だと思います。
身震いしてしまいそうな 的確な表現力で
モヤモヤしていた瞑想の悩みが スッと消えて行きました。
瞑想の舵取りをしてくれる一冊だと思います。
2014年12月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者がアーチャン・チャーとなっていますが、実際には「アーチャン・チャーについて」第三者(アメリカ人)が著し、その語録などを纏めた英語の本の訳本となっており、実際にアーチャン・チャーの言葉に触れられるのは全内容の半分以下です。
そして、訳者が数人いるようですが、ところどころ翻訳のレベルが低いです。
やたらと「あなたは」を連呼(不要な主語の省略ができてきない)したり、「〜したなら、〜するでしょう」みたいな、いかにも翻訳調のこなれていない文章が多くて読みづらい部分があります。
かと思うと突然アーチャン・チャーに「わしは〜じゃ」みたいな口語的過ぎる語り口で話し始めさせたりして、訳者がノリノリなのは伝わってきますが、読んでる側からすると正直違和感が強いです。
その他「修行」を「修業」と記していたり、仏教の知識が疑わしくなる箇所もあります。
日本語でアーチャン・チャーの思想に触れられる数少ない資料として貴重な書籍だとは思いますが、英語の読める人は英語の原著を買った方が良いでしょう。
追記:そんなに有名な本でも無いはずですが、レビューしたらたちまち4件の「参考にならない」評価が付けられました。
10年以上Amazonでレビューしてますが、こんな事は初めてです。
私の書いている内容は
・Amazonで「筆者」がアジャーン・チャーになっているがこれは間違いで、アメリカ人による「解説本」であるという注意
・英語の訳本であり、翻訳のレベルが低い箇所があること
で、これから買おうと思っている人、特に英語の読める人にとっては参考になると思いますし、
原著そのものの内容をけなしている訳でも、ましてやアジャーン・チャーをけなしている訳でもありません。
こぞって「参考にならない」を付けた人達はこの本の翻訳クオリティに心酔している変わった人か、さもなくば関係者ですね。
本の内容にほとんど触れないような短い感想文書いて「参考になった」が多数満点の人も数人いますが、偶然でしょうか。なんだか不気味です・・・
この手の身内評価(高評価レビューには「参考になった」を身内で付け、その逆もする)は他の個人出版誌等のレビューでも見られますが、私も上座部仏教が好きなだけに、
出版という形で間接的とはいえそれに関わる人がこういう事をしているのを見るのは残念でなりません。
こちらが原著です。英語の読める方はこちらをどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/Being-Dharma-Essence-Buddhas-Teachings-ebook/dp/B00AMPJ072/ref=sr_1_cc_3?s=aps&ie=UTF8&qid=1419383448&sr=1-3-catcorr&keywords=kornfield+chah
そして、訳者が数人いるようですが、ところどころ翻訳のレベルが低いです。
やたらと「あなたは」を連呼(不要な主語の省略ができてきない)したり、「〜したなら、〜するでしょう」みたいな、いかにも翻訳調のこなれていない文章が多くて読みづらい部分があります。
かと思うと突然アーチャン・チャーに「わしは〜じゃ」みたいな口語的過ぎる語り口で話し始めさせたりして、訳者がノリノリなのは伝わってきますが、読んでる側からすると正直違和感が強いです。
その他「修行」を「修業」と記していたり、仏教の知識が疑わしくなる箇所もあります。
日本語でアーチャン・チャーの思想に触れられる数少ない資料として貴重な書籍だとは思いますが、英語の読める人は英語の原著を買った方が良いでしょう。
追記:そんなに有名な本でも無いはずですが、レビューしたらたちまち4件の「参考にならない」評価が付けられました。
10年以上Amazonでレビューしてますが、こんな事は初めてです。
私の書いている内容は
・Amazonで「筆者」がアジャーン・チャーになっているがこれは間違いで、アメリカ人による「解説本」であるという注意
・英語の訳本であり、翻訳のレベルが低い箇所があること
で、これから買おうと思っている人、特に英語の読める人にとっては参考になると思いますし、
原著そのものの内容をけなしている訳でも、ましてやアジャーン・チャーをけなしている訳でもありません。
こぞって「参考にならない」を付けた人達はこの本の翻訳クオリティに心酔している変わった人か、さもなくば関係者ですね。
本の内容にほとんど触れないような短い感想文書いて「参考になった」が多数満点の人も数人いますが、偶然でしょうか。なんだか不気味です・・・
この手の身内評価(高評価レビューには「参考になった」を身内で付け、その逆もする)は他の個人出版誌等のレビューでも見られますが、私も上座部仏教が好きなだけに、
出版という形で間接的とはいえそれに関わる人がこういう事をしているのを見るのは残念でなりません。
こちらが原著です。英語の読める方はこちらをどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/Being-Dharma-Essence-Buddhas-Teachings-ebook/dp/B00AMPJ072/ref=sr_1_cc_3?s=aps&ie=UTF8&qid=1419383448&sr=1-3-catcorr&keywords=kornfield+chah