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保守論壇亡国論 単行本(ソフトカバー) – 2013/9/14

3.8 5つ星のうち3.8 14個の評価

中国を批判し、靖国神社に参拝し、愛国心を尊重すれば、あなたも明日から「保守」になれます――「保守」はいつから「サルでもなれる保守」になったのか。
昨今の日本社会は「保守」という言葉で溢れかえっている。政治家たちは「真正保守」を自称し、評論家たちは「真の保守とは何か」について熱弁をふるう。誰もが「保守」を名乗り、いつしか「ネット右翼」までもが力を持つようになった。
「保守」はいつからこれほど軽い存在になってしまったのか。何が「保守」の劣化をもたらしたのか。
江藤淳、小林秀雄、福田恆存、三島由紀夫らの議論に基づきながら、現在の保守論壇を斬って斬って斬りまくる!
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商品の説明

著者について

「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認められ、文壇や論壇へ進出。
大西巨人との論争や、小泉・竹中批判、安倍批判、「青色発光ダイオード」の中村教授批判を展開。さらに、「沖縄集団自決裁判」問題で、曽野綾子や小林よしのり、及び保守論壇の守旧派・渡部昇一、秦郁彦……等を徹底批判。
最近では、「元祖小沢信者」「小沢断固支持」の立場から、「小沢裁判論争」に参戦。『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『最高裁の罠』を刊行。
次作に、「唯物論的転倒の哲学――柄谷行人論」を準備中。
「イデオロギーから存在論へ」をモットーに、文壇・論壇に蔓延する予定調和的言説の脱構築的解体を目指す。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ ケイアンドケイプレス (2013/9/14)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/9/14
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 285ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4906674526
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4906674527
  • カスタマーレビュー:
    3.8 5つ星のうち3.8 14個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中3.8つ
5つのうち3.8つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2014年5月20日に日本でレビュー済み
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私はここで批判・検討されている「保守論客」たち(渡部昇一、西部邁、櫻井よしこ、中西輝政、小林よしのり、など)に、以前からあまり興味がなかった。その発言にしろ、「姿」、立ち振る舞いにしろ何ら人をひきつけるものがないからだ。だから彼らが「保守論壇の重鎮」と目されていることが俄かには信じられないほどだ。

本書の著者・山崎行太郎の批判は厳密である。論拠がはっきりしている。かつ言葉に魂がある。それにひきかえ「保守論客」らの言葉には魂がない。なぜか。それは彼らの雑文や発言がその場限りのもので、その場をダマしおおせればそれでよしとする「大衆動員言語」、つまり「アジテーション」だからだ。山崎は、そのことをここで厳密に論証している。

例えば、櫻井よしこの悪意に満ちた「エイズ事件」の本、これは認識不足の域を超えて、明らかに故意に、わざと曲解して作られた偽書だ。本書を読めばその経緯がはっきり分かるが、もし合点がいかぬという櫻井ファンがいたなら、本書で参照されている本や裁判記録などを確認したらいい。(とはいえ、櫻井ファンが確認しないことは初めからわかっている。もしそのような作業を厭わない人であれば、櫻井のデタラメさに気づかぬわけがない。)

 これはほんの一例である。櫻井は他にも歴史認識に関する講演会で、福島瑞穂との「架空対談」をでっち上げたりもしている。「福島さんとこんな話をしましたよ」、という嘘八百をその場で、おそらく即興で作ったのだ、ご丁寧に、福島の口調までマネてだ。この件について福島は月刊誌『創』で次のように書いている。(P42)

≪全く存在しない「対談」をあるものとして語ることと、存在している歴史的事実をないものとして語ることは、コインの表と裏ではないだろうか。≫(P42)

 歴史認識に関する講演会で、このような談話の「捏造」をみずからやってしまう櫻井に、歴史認識の話をする資格はない。日本の立場がますます悪くなるのも道理というものだろう。

 本題に移ろう。本書では、六人ほどの論客が批判されているわけだが、当然のことながら、批判の根拠、強弱、論点はそれぞれに違っている。また単に批判一色ではなく、認めるものは認める、例えば、中西輝政の初期の著書『大英帝国衰亡史』は、「目から鱗がおちる」読書体験だった、とまで山崎は正直に書いている。では本書で最も批判されているのは誰か、やはり西部邁だろう。

 西部については、なぜ西部が駄目なのかは、山崎が本書で徹底的に論証している。これは文芸評論家・山崎行太郎の本領が遺憾なく発揮されている場面だ。ただ私が注目したのは、この西部批判の、冒頭でも結びでもなく、真ん中あたりにさりげなく配置された次のような一節だ。

≪西部は、自殺した江藤について、『文学界』の江藤淳追悼号でかなり辛辣なことを書いている。西部はそこで、江藤淳の私生活を暴露しつつ、批判・罵倒している。ここに西部邁という思想家・言論人の存在、つまり「実存」を見ることができる。≫(P111)

 山崎はこのように静かに書いている。しかし、そのすぐあとに引用される西部が書いた追悼文の一節は、激しく鼓動している。むろん、山崎の鼓動がである。西部の江藤淳に対する罵倒を書き写す山崎の心境を、私は想像した。追悼とはなにか。死を悼む、死を悲しむ、そういうことではないのか。この追悼号で西部は、みずからの「保守思想」なるものをしゃあしゃあと披瀝している。

≪私の思う保守的思考はそういう性質のものである。その意味では江藤氏はかならずしも保守的ではない、と私は思わずにはおれなかった。(中略)要するに私は、江藤氏との距離感のうちに保守思想の何たるかを探ってきたという次第である。≫(P113)

 西部の「保守的思考」がどういう「性質」のものか、よくわかるというものである。追悼号という場でさえ西部は、自己宣伝にいそしむような、そんな「性質」なのだ。

 西部が、読まずにあれこれ発言することは、西部ファンの間でも有名なことらしいが、本書で紹介されている西部の小林秀雄理解(引用文あり)には、呆れ返る。漫談としてならば、笑えるだろう、そんな無茶苦茶なこじつけをおもしろおかしく語ってしまう「酔っ払ったピエロ役」として。しかし西部は大真面目なようなのだ。しかもその本はどうやら「保守とは何か」みたいな話である。この西部の話を読んでなるほどと思った人は騙されている。西部は小林秀雄をほとんど、あるいは全く読んでいない。その詳細を山崎が本書で論証している。

 最後に、次の一節に注目したい。

≪本書は「保守論壇批判」であるとともに、「江藤淳論」でもある。不思議なことに、本書で取り上げる保守思想家、保守系ジャーナリストたちの多くが、江藤淳を名指しで批判している。しかも、かなり激しく批判・罵倒している。≫(P13)

 西部や櫻井など、ろくに知りもしないことをさも知っているかのように吹聴し、その場しのぎのデタラメで「観客」を沸かせ、死を悼む場にあってもなお、自己アピールにいそしむ。山崎の静かな憤怒を想像せずにはおれない。本書は「江藤淳論」でもあるが、私には、死者(江藤淳)を冒涜した者たちへの仇討ちのような、そんな気概をも感じさせる本だ。
47人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年10月3日に日本でレビュー済み
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 私はこの分野について無学のために、この本について論じる資格はありません。
 大変面白かった部分は、巻末収録の「保守論壇の沖縄戦を読み解く」です。私は歴史調査に興味が有りますが、秦郁彦氏ら原告の応援団が、ここまで堕落している事に大変驚きました。特に秦氏(1996年以前の著作に限る)を一定評価していた私は、歴史研究者としての堕落ぶりが残念でなりません。
 
 無学な私がこの本を読んで思った事は、「評論とは何なのか?」という事です。
 現在、かつて大宅壮一が「一億総白痴化」と評したテレビでは、実に多くの評論家と称する人たちが、毎日無責任に好き勝手な発言をしています。私はテレビは見ませんし、信用していませんが、私は彼らの発言が本当か否かかは分かりません。評論家でも信頼の置けるものと、そうでないものに分類できるのではないかと思います。書籍でも同様です。多くの情報を集めて、可能な限り正確に分析をして、構築する仕事が評論ではないかと思います。その点で言えば、著者も触れている通り、最近の評論家はその能力に疑問をもつ人がいて、評論と主張あるいは自己宣伝(パーフォーマンス)を勘違いしているように思えます。
 もっとも、各人の評論を分析をする事は、大変困難なことだと思います。ですが、著者が言うように、物事を安易な二元論で捉える事なく、それに流される事なく、物事の本質を捉えようとする努力は、常に必要ではないかと思います。

 近年、私が考える左翼・右翼の思想的劣化は、左翼は左翼の、右翼は右翼の、自分たちが支持をしている思想(というより主張)の、ごく最近の粗雑な自己主張本しか読まない事にあると思います。これは、著者も触れていますが、右だろうが左だろうが良い物をきちんと読むという事をしないからだと思います。そして、粗雑な主張本に感化された人たちが、自身の欲求不満を爆発させる一傾向として、在特会のヘイトスピーチなどがあるように思います。そこには「思想」ではなく「一方的な低レベルの主張」しか見当たらないように思います。この点についても、著者は「渡部昇一、小林よしのり等などの本ばかり読んでいたら、本当にダメだよ。いや、自分がダメになるよ」と言いたいのではないかと思います。例えば、歴史研究(というより歴史評論)でいえば、「自虐史観」なる用語を多用する人たちがいますが、彼らは自虐史観を声高に主張する人たちの本しか読まない傾向があります。多くの人の場合、私もそうですが、選書は大変偏る傾向にあります。しかし、それで物事を考える場合においては、大変害悪になるという事だと思います。
48人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年12月6日に日本でレビュー済み
それなりの年を重ねれば、それぞれの人物について様々な評価がある。登場人物についての評価では賛成できない部分も多々ある。しかし総じて現在、産経新聞やWILLなどで書きまくっている「論者」のいかがわしさを容赦なく暴いてみせたところは大いに評価したい。私は渡部昇一氏がなぜ名誉教授なのか、大学に本当かどうか電話したことがある。曽野綾子氏が昔は美人だったがいまはただの意地悪そうなおばあさんになった原因が、自分の誤読、誤解を認めずヒステリックに批判者を罵っているからだろうと本書を読んで分かった。桜井よしこ氏の福島瑞穂氏との架空懇談も知られた話だが、このように改めて山崎氏のような人から示されると説得力があって分かりやすい。曽根氏や桜井氏の反論が聞きたいところだ。それにしても江藤淳は持ち上げ過ぎではないか。しかし山崎氏の江藤インタビューは、知的刺激を受けためになった。広く読まれて良い本だ。
37人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年10月22日に日本でレビュー済み
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総理 安倍信三くんを筆頭に

この国が軽佻浮薄になりさがっている

深く考えない世相を 抉っている
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年9月19日に日本でレビュー済み
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 著者はこの本で櫻井よし子や中西輝政、西部邁ら5人の保守派論客と元外交官の孫崎享を批判している。批判の根底にあるのは、これらの保守派論客に、小林秀雄の『本居宣長』や田中美知太郎のプラトン翻訳、福田恆存のシェイクスピア翻訳や江藤淳の『漱石とその時代』のような、思想や芸術について突き詰めて考え抜いて書いた「作品」がないという主張であり、保守派論客の主張が単純化され、精緻な思考が欠如していることを嘆いている。孫崎については、その単純化された主張が批判の対象になっている。著者はとりわけ江藤淳を模範として、これらの論客を批判しているが、生前の江藤の主張にどれだけ共感できるかで、読者の態度は分かれてくるだろう。評者は保守派論客としての江藤の良い読者ではなかったこともあり、とりわけ西部邁批判には違和感を覚えた。著者は転向者である西部を「遅れてやってきた保守」と断じ、江藤の自殺を辛辣に書いた西部を叩いているが、江藤の『作家は行動する』は埴谷雄高の影響下に書かれたものであり、江藤は当初、小林秀雄に批判的なスタンスであったのが、ある時期から小林を高く評価するようになった。そんな江藤は「遅れてやってきた保守」ではなかったのか。また、晩年の福田恆存が西部を遠ざけたのを福田の清水幾太郎批判と絡めて書いているが、これも著者である山崎氏自身が清水の政治的立場の変更について『現代思想』や『倫理学ノート』、さらには『オーギュスト・コント』などをきちんと読んでいるのであれば、それこそこういう単純な書き方や結論には至らなかったのではないか。本書では天皇や皇室は大きなテーマにはなっていないものの、今は「象徴を論ず」や「當用憲法論」での天皇論が知られている福田恆存こそ、敗戦直後の「近代の宿命」などを読めば、彼が戦前の天皇制をどう観ていたのか、そして敗戦直後の政治状況の成り行きで昭和天皇が退位したり皇室制度そのものが廃止されたりしても、彼が何ら思想的に痛痒を感じなかった立場にあったことは容易に理解できる。さればこそ、晩年に文藝春秋から刊行された全集の「覚書」で、象徴天皇についての誤解を避けるような、弁解めいた一文を福田は書かなければならなかったのだろう。その他にも、文藝誌『文学界』での座談会では、皇族の引退を主張する中村光夫に同意する発言を福田は残している。福田が盲目的に神格化され、清水が論証抜きで罵倒されるのが、果たして本当に正しい批評であり、「保守」の二文字を除いても成立し得る知識人論であるのか。「この道一筋」が高く評価される日本で、転向者が保守の立場で政治的発言を行うことへの偏見や蔑視についても、改めていろいろと考えざるを得ない箇所であった。
 それでも、バブル批判で世に出た元日教組の評論家のような、「俺は貴様が大嫌いだ」式の嫌悪感の表明だけで終わらない論証はなされており、昨今、保守系の雑誌で同じ執筆陣が毎号同じようなことを書いているのに、飽き足りない思いを抱いている人には少なからぬ点で同意できる内容となっている。また、文芸誌『海燕』(今は廃刊)に発表されたままになっていた江藤へのインタビューが収録されたのは、実に有意義で喜ばしい限りだ。このインタビューで江藤は、戦後文学を主導した埴谷雄高と大岡昇平を痛烈に批判しており、その発言を引き出したのは聞き手たる著者の功績だろう。二人や中野重治、あるいは小林多喜二などを持ち上げる左翼が地方の文学団体を牛耳り、地方紙や教育委員会が主催する文学賞の選考を壟断している現状を鑑みると、ここでの江藤の発言は今も生きていると強く感じる。
 著者は政治的に立場の違う柄谷行人の主張を高く評価しており、柄谷論をいずれ世に問うようだ。「作品がない」と他者を批判した著者の刃は、今度は著者自身に返ってくる。柄谷論や今後著者が書くものが後世まで残るような「作品」となりうることを、古い読者の一人として強く祈るばかりだ。
62人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年10月10日に日本でレビュー済み
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正直、予想を越える「読み応え」でした。
「読み応え」はありますが提起された問題の「答え」は記載されてません。でも「答えを探すことの大事さ」がわかります。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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