ジョアッキーノ・ロッシーニの作曲家としての再評価が積極的に行われ出したのは、1960年代末にペーザロのロッシーニ財団が彼の作品全集を刊行する計画を実行に移し出してからのことだが、それ以前にも《セビリアの理髪師》はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの《フィガロの結婚》の前日譚として突出した人気を誇っていた。このオペラに限って言えば、古くからよく録音されており、名演奏にも事欠かない。シルヴィオ・ヴァルヴィーゾの指揮するナポリ・ロッシーニ管弦楽団&合唱団を伴奏に従えたこの録音も、そうしたロッシーニ・ルネッサンス前夜の名録音の一つに数えられる。
キャストは以下の通り、
アルマヴィーヴァ伯爵(T):ウーゴ・ペネルリ
バルトロ(Bs):フェルナンド・コレナ
ロジーナ(Ms):テレサ・ベルガンサ
フィガロ(Br):マヌエル・アウセンシ
ドン・バジリオ(Br):ニコライ・ギャウロフ
フィオレロ(Br):ディノ・マントヴァーニ
ベルタ(S):ステファニア・マラグ
CDの帯には「若き日のベルガンサの歌声が魅力の『セビリア』!」という謳い文句が書かれていた。確かにロジーナのカヴァティーナ〈今の歌声は〉では高い技量の歌唱でたっぷりと美声を聴かせてくれるものの、ベルガンサだけが魅力的なのではあるまい。芸達者で滑らかな歌い口の光るフェルナン・コレナのバルトロも、優男っぷりが板についたペネルリもしっかりと聴き応えがある。ギャウロフのマフィアのボスみたいなドン・バジリオも、その場違い感も含めて楽しい。ただ、こうした個性的な配役の中にあって、アウセンシのフィガロは少々精彩を欠く。アウセンシはフィガロ役を得意としたそうだが、〈俺は町の何でも屋〉からしてヴァルヴィーゾのグルーヴ感のある伴奏に乗り切れておらず、聴き手の心をつかむのに失敗しているようだ。音符に言葉を詰め込むのに汲々としていて、
マリア・カラス
盤のティト・ゴッビに比べると、ゴッビの巧さばかりが引き立ってしまう結果となる。要となるフィガロ役に人を得られなかったことが惜しまれる。
ヴァルヴィーゾの伴奏は、少々オーケストラに技術的限界を感じるところがあるが、爽快な音楽運びのためには上記アウセンシが扱けそうになろうが、ギャウロフが目を白黒させようが一切妥協しない。ロマンティックで腰の重いロッシーニの作品解釈と一線を画そうとする野心が見えて、伴奏について言えばワクワクさせられる演奏である。