そもそも、将門が関東に朝廷を移そうと思った根拠は何なのか?
それは平家が実権を握るために天皇家に娘を嫁がせていたことと無関係ではない。
つまり、将門は「平家にあらずんば人にあらず」とおごれるほど、
自分の子孫を天皇家に嫁がせていたということなのだが。
そして、石田純一(辰宮)が将門の子孫であるということは、
すなわち、天皇家の血筋であるということを表す…。
そして、時は明治、大正。
日本の首都は東京に移り、祭り事の中心も東京に移った。
つまりね、将門の子孫が治めている東京を、将門が怨むはずがないってことなんだよ。
将門の悲願は1000年の時を経て成就されてしまったわけだから。
これは、寺田寅彦(実在の物理学者)の登場で、時代が呪術から科学へ移り変わっていったことや、
加藤の呪術が不発に終わっていたというオチでもわかる。
では、なぜ「将門の怨念」などという風聞が蔓延したのか。
それは劇中でも暗示されている通り落語家、講談師といった噺家の存在が関係している。
劇中に出てくる著名な噺家といえば、
冒頭に出てきた三遊亭好楽、風水師役の桂三枝が挙げられる。
江戸以降、世情が安定してくるといろいろな娯楽が花開いたが、
そのなかで歴史上の人物の英雄譚が創作され、庶民によって消費されて
歴史認識が作られ、歪められてきた。
明治維新以後、都が東京に移ると、守護の要として将門の塚が祀られたが、
これを面白く思わない噺家が娯楽を通じて庶民の認識を捻じ曲げたというわけだ。
なぜか取り壊されない将門の塚の噂としてね。
ちなみに、風水で言うところの地脈はブラタモリで言うところの断層。
断層の上に建造物を建てると地震で地面がずれて家が倒壊する。
別に非科学的でもないのだ。