気狂いピエロ [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | ジャン=リュック・ゴダール, グラツィエッラ・ガルヴァーニ, アンナ・カリーナ, サミュエル・フラー, ジャン・ポール・ベルモンド |
言語 | フランス語 |
稼働時間 | 1 時間 50 分 |
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商品の説明
Amazonより
パリからフランスを縦断して南仏に向かう、フェルディナンとマリアンヌ。マリアンヌは彼をピエロと呼び、彼は「違う、フェルディナンだ」と答える。パリを去るのは日常の悪夢から脱出するため。だが、南仏に何があるのだろうか? 冒険活劇漫画『ピエ・ニクレ』を携え、愛と永遠を求めてさすらう2人。だが、青春は常にアナーキーで、暴力的で、犯罪に彩られていた。2人のささやきはランボーの詩。「見つかった」「何が?」「永遠が」…。
『勝手にしやがれ』で、映画と青春の新しい波「ヌーヴェル・ヴァーグ」の誕生を告げた鬼才ジャン=リュック・ゴダールが、長編劇映画10作目にして頂点を示した作品だ。全編シナリオなし、即興演出で撮影し、「それは冒険映画だった」「それは愛の物語だった」と言われるような作品となった。(アルジオン北村)
レビュー
監督・脚本: ジャン・リュック・ゴダール 原作: ライオネル・ホワイト 撮影: ラウル・クタール 音楽: アントワーヌ・デュアメル 出演: ジャン=ポール・ベルモンド/アンナ・カリーナ/サミュエル・フラー/レイモンド・ドボス
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- 言語 : フランス語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4900950229208
- 監督 : ジャン=リュック・ゴダール
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 50 分
- 発売日 : 2002/9/27
- 出演 : ジャン・ポール・ベルモンド, アンナ・カリーナ, グラツィエッラ・ガルヴァーニ, サミュエル・フラー
- 字幕: : 日本語
- 言語 : フランス語 (Mono)
- 販売元 : アミューズ・ビデオ
- ASIN : B00006F1UZ
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 111,401位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 10,574位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年10月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
コダールの代表作は『ピエロ』じゃなくて『勝手にしやがれ』だと思うけど。
2017年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この作品はジャン=ポール・ベルモンドとアンナ・カリーナの二人のアドリブをジャン=リュック・ゴダールの映像で繋げた世界だ。各所で挿入される詩と絵画や小物、時間が前後する編集、そして異化効果(日常のものを非日常に見せる効果)により観る者に難解な印象を与えていることは間違いない。しかし、アドリブが絶妙に組み合わさりひとつの物語がちゃんと構成されていることから飽きることもないし、赤と青を基調とした色彩構成も素晴らしい。
特に映像では、カリーナのアパートから壁伝いに車まで二人が逃げるシーンは秀逸(鳥肌ものです)。また、カリーナが「私の短い運命線」と歌うところで、ベルモンドが「君の腰の線」と返すシーンはアドリブとは思えない完成度だ(これがベルモンドの実力か)。
一方、この作品が制作されて50年が経った今観て「理解不能」、「面白くない」と思う人も多いはず。本作に代表されるヌーヴェルヴァーグは、それ以前のスタジオ主義の文芸作偏重の映画作りを否定して始まっており、そういった意味で新鮮で画期的だった。なので、熱狂がおきたともいえる。しかし、今は「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネや「レオン」のリュック・ベッソン等のポスト・ヌーヴェルヴァーグの監督たちが映像を届けている時代においては、本作の実験的な映像は理解しにくいかもしれない。
でも、今の監督たちが乗り越えてきたヌーヴェルヴァーグを再認識し、本作を主人公に感情移入してストーリーを楽しむのではなく作品全体を感性で楽しむ観方をするのも一興ではないだろうか。
このDVDは最近でたジュネオンのBRより画質は劣るかもしれないが、PAL版ではないため上映時間も110分(PAL版は105分)、訳は関美冬氏でベルモンドが書く日記の翻訳もしっかり入っています。
ラストのランボーの詩の翻訳は次のようになってます。
見つけた
永遠を
それは海
そして太陽
特に映像では、カリーナのアパートから壁伝いに車まで二人が逃げるシーンは秀逸(鳥肌ものです)。また、カリーナが「私の短い運命線」と歌うところで、ベルモンドが「君の腰の線」と返すシーンはアドリブとは思えない完成度だ(これがベルモンドの実力か)。
一方、この作品が制作されて50年が経った今観て「理解不能」、「面白くない」と思う人も多いはず。本作に代表されるヌーヴェルヴァーグは、それ以前のスタジオ主義の文芸作偏重の映画作りを否定して始まっており、そういった意味で新鮮で画期的だった。なので、熱狂がおきたともいえる。しかし、今は「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネや「レオン」のリュック・ベッソン等のポスト・ヌーヴェルヴァーグの監督たちが映像を届けている時代においては、本作の実験的な映像は理解しにくいかもしれない。
でも、今の監督たちが乗り越えてきたヌーヴェルヴァーグを再認識し、本作を主人公に感情移入してストーリーを楽しむのではなく作品全体を感性で楽しむ観方をするのも一興ではないだろうか。
このDVDは最近でたジュネオンのBRより画質は劣るかもしれないが、PAL版ではないため上映時間も110分(PAL版は105分)、訳は関美冬氏でベルモンドが書く日記の翻訳もしっかり入っています。
ラストのランボーの詩の翻訳は次のようになってます。
見つけた
永遠を
それは海
そして太陽
2004年10月27日に日本でレビュー済み
内容については多くの方がすでに述べているので、ここではディスクの
仕様等についてのみに留めます。ゴダール作品の中でも『軽蔑』と並んで
比較的長尺の部類に入る作品ですが、片面一層の仕様のためどうしても
夜の場面などでブロックノイズが散見されてしまいます。1999年という
比較的初期に発売されたという事も最近のエンコーディング技術の飛躍的
進歩から較べると条件が悪くなってしまうのも仕方ないところですが、
スクイーズ収録なのはうれしい。
字幕翻訳についてですが、以前発売されて
いたヴィデオテープ(柴田駿氏による翻訳と山田宏一氏による監修)での
情感あふれる字幕と比較すると所謂直訳調で少々不満足。
OFFにすればよいだけのことですが…メニュー画面はチャプターが
全部表示されておらず、親切さという点では今ひとつ。
本当に好きな作品だからこそ高品質の商品を望みたいというのが
正直なところですが、名作とはいえハリウッド作品のように大量に売れる
商品でもないのでレストアにお金をかけるのは現実的に難しいのかも
しれませんが、来年は本国公開40年と言う事もあり、今からでは無理でも
願わくば日本公開40周年となる2007年にあわせて高画質版の発売などを
望みたいところです。
仕様等についてのみに留めます。ゴダール作品の中でも『軽蔑』と並んで
比較的長尺の部類に入る作品ですが、片面一層の仕様のためどうしても
夜の場面などでブロックノイズが散見されてしまいます。1999年という
比較的初期に発売されたという事も最近のエンコーディング技術の飛躍的
進歩から較べると条件が悪くなってしまうのも仕方ないところですが、
スクイーズ収録なのはうれしい。
字幕翻訳についてですが、以前発売されて
いたヴィデオテープ(柴田駿氏による翻訳と山田宏一氏による監修)での
情感あふれる字幕と比較すると所謂直訳調で少々不満足。
OFFにすればよいだけのことですが…メニュー画面はチャプターが
全部表示されておらず、親切さという点では今ひとつ。
本当に好きな作品だからこそ高品質の商品を望みたいというのが
正直なところですが、名作とはいえハリウッド作品のように大量に売れる
商品でもないのでレストアにお金をかけるのは現実的に難しいのかも
しれませんが、来年は本国公開40年と言う事もあり、今からでは無理でも
願わくば日本公開40周年となる2007年にあわせて高画質版の発売などを
望みたいところです。
2018年7月6日に日本でレビュー済み
気狂いピエロを見ました。1965年フランス等の映画。
若くてかわいいフランス娘と濃い目のプレイボーイが、勝手なことを言いながらでたらめな旅をする。ボニー&クラウドな感じかと思ったが、そこまで悪行三昧という感じではない。なんか折々に色々話してるけど、でもそれが分かるような分からないような話で、そのぶん逆に流して聞いててもいいかな、という感じで気楽ではある。雰囲気で感じればいいかなって感じで流し鑑賞。だから内容きちんと分かってないかも(笑)。
印象的だったのが、男が意外とえばらないことでした。女の子はいかにもって感じの気まぐれなわがままを発動したりするけど、男が怒らないんだ。こういう生活してたら当然いいことばかりじゃないし危機もある。感情の行き違いも起きる。そういうとき女性がぶちぶち言ったら、日本の映画や小説だと割とすぐ叩くっていうパターンを見かける。そのたび僕は『あー嫌だなぁ』って不快に思うんだけど、この映画の男はあんまり怒らない。「ピエロ、ピエロ」と言われても訂正するだけで怒らない。悪く言えば実は聞いてなさそうだったりもするけど暴力は振るわない。彼女を立てたりもする。1965年の段階で。この辺は西洋の方がレディファーストみたいな感覚が強いのかなと思って素敵に感じた。頭の悪い連中(国)ほど男尊女卑やって貧乏暮らししてんじゃないのか。
感覚で語られる話や互いの独白みたいなものは、高尚そうにも見えるが、実際どれくらい意味があるのかは僕にはよくわからない。自分が若ければその意味をもっと知ろうとしたかもしれないが、オッサンだからか、なんかまぁいいやって感じで。でもそういう点などから独特の雰囲気は放出されまくっていた。
以下ネタバレあり。
ただ、こういう感じだと早晩行き詰るのではと思っていたが、やっぱりみんな死んだ。too young to die.若者だと死もおしゃれということで…。海や田舎の風景、そこで躍動する二人の姿、そういった映像がきれいでした。
若くてかわいいフランス娘と濃い目のプレイボーイが、勝手なことを言いながらでたらめな旅をする。ボニー&クラウドな感じかと思ったが、そこまで悪行三昧という感じではない。なんか折々に色々話してるけど、でもそれが分かるような分からないような話で、そのぶん逆に流して聞いててもいいかな、という感じで気楽ではある。雰囲気で感じればいいかなって感じで流し鑑賞。だから内容きちんと分かってないかも(笑)。
印象的だったのが、男が意外とえばらないことでした。女の子はいかにもって感じの気まぐれなわがままを発動したりするけど、男が怒らないんだ。こういう生活してたら当然いいことばかりじゃないし危機もある。感情の行き違いも起きる。そういうとき女性がぶちぶち言ったら、日本の映画や小説だと割とすぐ叩くっていうパターンを見かける。そのたび僕は『あー嫌だなぁ』って不快に思うんだけど、この映画の男はあんまり怒らない。「ピエロ、ピエロ」と言われても訂正するだけで怒らない。悪く言えば実は聞いてなさそうだったりもするけど暴力は振るわない。彼女を立てたりもする。1965年の段階で。この辺は西洋の方がレディファーストみたいな感覚が強いのかなと思って素敵に感じた。頭の悪い連中(国)ほど男尊女卑やって貧乏暮らししてんじゃないのか。
感覚で語られる話や互いの独白みたいなものは、高尚そうにも見えるが、実際どれくらい意味があるのかは僕にはよくわからない。自分が若ければその意味をもっと知ろうとしたかもしれないが、オッサンだからか、なんかまぁいいやって感じで。でもそういう点などから独特の雰囲気は放出されまくっていた。
以下ネタバレあり。
ただ、こういう感じだと早晩行き詰るのではと思っていたが、やっぱりみんな死んだ。too young to die.若者だと死もおしゃれということで…。海や田舎の風景、そこで躍動する二人の姿、そういった映像がきれいでした。
2012年2月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大学生の私ですが、この映画との出会いは大学講義の資料として見たことでした。
最初に見たときから虜になって以来DVDを購入して事あるごとに繰り返し見ています。
ジャンポールベルモンドとアンナカリーナはとても生き生きして画面を動き回っていてとても半世紀前につくられたとは思えない新鮮さを放っています。
内容はちゃめちゃで殺人、逃亡、暴力など劇的にかわるシーンを演じていき最後はベルモンドがカリーナを射殺して自らもダイナマイト自殺するというショッキングなもの。
パリで出会った彼らが様々な社会的逸脱行為を行いながら最後は南仏で死を遂げ、ラストカットで残るのは、南仏の海と2人の声で読まれるランボーの詩、そんなシナリオに加え、ジャンリュックゴダールのカメラワークや編集、音楽、ファッション、原色を最大限に使う照明。そのどれもが彼らの人生をドラマスティックに色を添えています。
そんな中で私が感じたのは、このような一見、非現実的で劇的なシナリオはだれの人生にも起こりえるんじゃないかなってことです。
私たちは、パリで暮らしていたフェルナンドと同様にここ日本でいたって普通の生活を送っています。時として、私たちはそんな毎日決まったことの連鎖、同じ作業の繰り返しといった生活に嫌気がさし、倦怠感や閉塞感を覚えて、そんな閉塞感をいかにしたら打ち破ることができるのだろうかと模索することが多々あります。虚構や欺瞞に満ちた現在の生活に飽き飽きした私たちにとって「気狂いピエロ」のベルモンドとカリーナの歩んだシナリオは一つの答えなのではないかななんて思います。
私の閉塞した鬱蒼といた日常もラストシーンのようにダイナマイトをぐるぐる巻きにして爆発させてしまいたいと思えるような衝撃的な映画でした。
最初に見たときから虜になって以来DVDを購入して事あるごとに繰り返し見ています。
ジャンポールベルモンドとアンナカリーナはとても生き生きして画面を動き回っていてとても半世紀前につくられたとは思えない新鮮さを放っています。
内容はちゃめちゃで殺人、逃亡、暴力など劇的にかわるシーンを演じていき最後はベルモンドがカリーナを射殺して自らもダイナマイト自殺するというショッキングなもの。
パリで出会った彼らが様々な社会的逸脱行為を行いながら最後は南仏で死を遂げ、ラストカットで残るのは、南仏の海と2人の声で読まれるランボーの詩、そんなシナリオに加え、ジャンリュックゴダールのカメラワークや編集、音楽、ファッション、原色を最大限に使う照明。そのどれもが彼らの人生をドラマスティックに色を添えています。
そんな中で私が感じたのは、このような一見、非現実的で劇的なシナリオはだれの人生にも起こりえるんじゃないかなってことです。
私たちは、パリで暮らしていたフェルナンドと同様にここ日本でいたって普通の生活を送っています。時として、私たちはそんな毎日決まったことの連鎖、同じ作業の繰り返しといった生活に嫌気がさし、倦怠感や閉塞感を覚えて、そんな閉塞感をいかにしたら打ち破ることができるのだろうかと模索することが多々あります。虚構や欺瞞に満ちた現在の生活に飽き飽きした私たちにとって「気狂いピエロ」のベルモンドとカリーナの歩んだシナリオは一つの答えなのではないかななんて思います。
私の閉塞した鬱蒼といた日常もラストシーンのようにダイナマイトをぐるぐる巻きにして爆発させてしまいたいと思えるような衝撃的な映画でした。
2011年8月31日に日本でレビュー済み
我が青春の映画と言えば、これにとどめを刺す。
私の同年代だと、20回見たとが30回見たと言う人がいっぱいいるはずだ。私も総計24回くらいは見ているはず。
ヴィデオやDVDなどない時代。
朝から夜まで、映画館で座っているのだ。映画館で吸うタバコの味もそうやって覚えた。
1度見て席を立つ気にはとてもなれない。
難解な芸術に必死で食らいつこうとする、健気さが、我ながら微笑ましくもある。
冒頭、ベルモンドがバスタブの中で読み上げるベラスケス論の一説、
「ベラスケスは50歳でもはや事物を描こうとはせず、黄昏の光と共にオブジェの周辺をさまよい物質
の影と面に息づく多彩な動悸を沈黙の交響楽の見せざる核とした・・・」
私は何故か、ずっとこれはフーコーの引用だと思い込んでいた。
フーコーに始まり、ランボオで終わる。
しかし、フーコーではなく、エリー・フォールという美術史家の文章だそうだ。
日常の倦怠と閉塞から脱出して、破滅へと突き進むエクスタシー。
よく分からんとこも多いが、奇跡的な傑作であることを体感せざるをない、魅力に満ちた映像、エピソード、
言葉。何十回見ても、そのたびにある新たな発見。
そして、ラムボオによる結末、何たるかっこよさ。しびれる。
世界が終末をむかえるのも、自分が死ぬのも、個人の人生にとってはほぼ同義であるとすれば、私の
終末フェチ体質は、このようにも醸成されていったのだった。
私の同年代だと、20回見たとが30回見たと言う人がいっぱいいるはずだ。私も総計24回くらいは見ているはず。
ヴィデオやDVDなどない時代。
朝から夜まで、映画館で座っているのだ。映画館で吸うタバコの味もそうやって覚えた。
1度見て席を立つ気にはとてもなれない。
難解な芸術に必死で食らいつこうとする、健気さが、我ながら微笑ましくもある。
冒頭、ベルモンドがバスタブの中で読み上げるベラスケス論の一説、
「ベラスケスは50歳でもはや事物を描こうとはせず、黄昏の光と共にオブジェの周辺をさまよい物質
の影と面に息づく多彩な動悸を沈黙の交響楽の見せざる核とした・・・」
私は何故か、ずっとこれはフーコーの引用だと思い込んでいた。
フーコーに始まり、ランボオで終わる。
しかし、フーコーではなく、エリー・フォールという美術史家の文章だそうだ。
日常の倦怠と閉塞から脱出して、破滅へと突き進むエクスタシー。
よく分からんとこも多いが、奇跡的な傑作であることを体感せざるをない、魅力に満ちた映像、エピソード、
言葉。何十回見ても、そのたびにある新たな発見。
そして、ラムボオによる結末、何たるかっこよさ。しびれる。
世界が終末をむかえるのも、自分が死ぬのも、個人の人生にとってはほぼ同義であるとすれば、私の
終末フェチ体質は、このようにも醸成されていったのだった。
2005年2月9日に日本でレビュー済み
印象としては、『勝手にしやがれ』でJ.P.ベルモンドが演じてた、ハンフリー・ボガードに憧れる男、ヤツが総天然色で復活し、「またやっちゃったよ、俺」ってな感じの映画。色んな漫画や小説、映画の諸ジャンル、戦争報道までを、わざと紋切型に演じ、異化、パロディ化しつつも、終始、なげやりムードなのが可笑しい。マリアンヌが突然に歌いだすミュージカル場面で、ダルそうに歌うフェルディナンが素敵。この映画を一言で表わすなら、「映画というささやかな商売について私が知っている二、三の事柄に関するナンセンス・ギャグ映画」、ですかね。冒頭、美術論からの引用で開幕しつつ、悪者が襲いかかる場面ではアクション場面の代りに、美術作品に役者の叫び声に被せ、漫画的に引用。商業映画万歳な連中の審美眼に対する、強烈な皮肉。
時々挿入される「物件は」「ヨット」「船長は」「外国人」なんて調子の状況説明ナレーションは、シュルレアリストたちが始めた言葉遊び“優美な屍”を連想させる。これは「何々が」「何々を」「何々した」に当てはまる言葉を皆で紙に書き、それをグシャグシャ混ぜてチョイス、偶然の組み合わせで出来た文章を楽しむ、という遊び。産業化した映画は紋切型にハメられて、決まったパーツを組み合わせる“優美な屍”と化したのか。「それが人生さ」と、映画を模倣するように生きる二人の男女は、スペクタクル化する社会の中で窒息する、現代人の生の戯画であり、ウォーホルのポップアートなんかと同類の、死の匂いがプンプン漂う。‘気狂いピエロ’って結局、僕らのこと?
時々挿入される「物件は」「ヨット」「船長は」「外国人」なんて調子の状況説明ナレーションは、シュルレアリストたちが始めた言葉遊び“優美な屍”を連想させる。これは「何々が」「何々を」「何々した」に当てはまる言葉を皆で紙に書き、それをグシャグシャ混ぜてチョイス、偶然の組み合わせで出来た文章を楽しむ、という遊び。産業化した映画は紋切型にハメられて、決まったパーツを組み合わせる“優美な屍”と化したのか。「それが人生さ」と、映画を模倣するように生きる二人の男女は、スペクタクル化する社会の中で窒息する、現代人の生の戯画であり、ウォーホルのポップアートなんかと同類の、死の匂いがプンプン漂う。‘気狂いピエロ’って結局、僕らのこと?
2009年9月29日に日本でレビュー済み
この映画は何度観ただろう?劇場でも4〜5回観たし、ビデオやDVDでも4〜5回は観た。でも、今回観たのは少なくとも8年ぶりという感じ。
私が魅力に思えるのは アンニュイと緊張のバランス 。物語は ゆるい 感じがするのに、シーンの一つ一つが押並べて緊張感に満ちている。
単純化してしまえば、これは男の 本性(サガ) の物語。好きでたまらない女性が自分のコントロールを失っていくときの男の気持ちに、何度観てもシンパシーを感じて胸が熱くなってしまう。アンナ・カリーナのような小悪魔から、どうして逃れることができないのか、或いは諦めることができないのか。これは男のある種の永遠のテーマだと思う。
そう、 永遠 とは、 海 でも 太陽 でも 死 でも無くて、こうしたおバカな おとこ心 だったりするのではないだろうか。
音楽、特にアンナのシャンソンも魅力的。 Jamais Je me t ai dit que je t aimerais tourjours (いつまでも愛するなんて言ってないわ!)は特に可愛いくて、男が吸収しやすい 女のワガママ を唄っていると思う。
難しく考えずに、フェルナンデスのバカさ加減とマリアンヌの小悪魔性を楽しんでほしいと思う。
私が魅力に思えるのは アンニュイと緊張のバランス 。物語は ゆるい 感じがするのに、シーンの一つ一つが押並べて緊張感に満ちている。
単純化してしまえば、これは男の 本性(サガ) の物語。好きでたまらない女性が自分のコントロールを失っていくときの男の気持ちに、何度観てもシンパシーを感じて胸が熱くなってしまう。アンナ・カリーナのような小悪魔から、どうして逃れることができないのか、或いは諦めることができないのか。これは男のある種の永遠のテーマだと思う。
そう、 永遠 とは、 海 でも 太陽 でも 死 でも無くて、こうしたおバカな おとこ心 だったりするのではないだろうか。
音楽、特にアンナのシャンソンも魅力的。 Jamais Je me t ai dit que je t aimerais tourjours (いつまでも愛するなんて言ってないわ!)は特に可愛いくて、男が吸収しやすい 女のワガママ を唄っていると思う。
難しく考えずに、フェルナンデスのバカさ加減とマリアンヌの小悪魔性を楽しんでほしいと思う。