馥郁とかおる美しさに衝撃をうけた
映像から伝わる美しさ、
登場人物達は自分の我意を通さんとするより、人を気遣う余裕、
つまり自分が大人であることを誇示せんとする。
(英国人がこれをやるのは知ってる
・・・映画のなかで。現実は英国に行ったことがないので知りません)
忠臣蔵というより茶の湯の世界が映像になって展開してるみたい
何これ?これ、本当に日本なの?
私、こんな世界知らないよ
私は敗戦で前時代の文化が灰じんに帰し、見事に復興した、と言われてることについて、
文化の頂点レベルでは追いついてないのでは?となんとなく感じてましたが
この映画を見て確信にかわりました
国策映画とかリクツつけてこんなの作っちゃうんだから
これは文化の一つの到達点です
追記
見たあとの衝撃のまま、自分が何にショックだったのか、よくわからないまま、
書き込みましたが、追記します。
私は忠臣蔵の何がおもしろいのか、子供のときからさっぱりわかりません。
どころか、実写のテレビドラマ、映画も和洋を問わずあまり興味がなく、アニメばかり見てます
ところで、私の偏愛するアニメに「少女革命ウテナ」というものがありまして、
その中で女子高生のキャラクターが
「大人なんてみんな汚れてるじゃない!
ならばあたしたちも汚れて欲しいものを手にいれるしかないのよ!」
みたいなことを叫ぶ場面が出てきます。
これ、口に出さないけど、今の若い人がみな、内心思ってることではないかと思うのです
で、この映画のラスト、大石内蔵助が微笑みながら切腹の座に向かう場面で、
なんとなく、こう語りかけられた気がしたのです
「逆だよ。大人にならなければ、きれいに生きることはできない」
この映画を見て歳をとるのが恐くなくなった、とまでは言いませんが近いものがあります
自分がどれだけ勇気をもらったか、このレビューを見てくれた人に伝われば幸いです
元禄忠臣藏(前篇・後篇) [DVD]
¥3,500 ¥3,500 税込
フォーマット | ドルビー, ブラック&ホワイト |
コントリビュータ | 溝口健二, 中村翫右衛門, 市川右太衛門, 真山青果, 河原崎長十郎 |
言語 | 日本語 |
稼働時間 | 3 時間 39 分 |
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メーカーによる説明
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カスタマーレビュー |
5つ星のうち3.8
25
|
5つ星のうち3.8
25
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価格 | ¥2,518¥2,518 | ¥3,500¥3,500 |
製品仕様 | DVD | DVD |
発売日 | 2014/05/02 | 2006/11/22 |
登録情報
- アスペクト比 : 1.33:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 日本語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4988105050709
- 監督 : 溝口健二
- メディア形式 : ドルビー, ブラック&ホワイト
- 時間 : 3 時間 39 分
- 発売日 : 2006/11/22
- 出演 : 河原崎長十郎, 中村翫右衛門, 市川右太衛門
- 言語 : 日本語 (Mono)
- 販売元 : 松竹ホームビデオ
- ASIN : B000I2JQ5U
- ディスク枚数 : 2
- Amazon 売れ筋ランキング: - 206,057位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年9月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私のような新参者がファンなどと公言すると、昔からの忠臣蔵ファンには叱られるんでしょうね。
いや、そもそも、「忠臣蔵」に軽々しく「ファン」などと付けたことで、長時間に渡ってお説教を受け兼ねません。
が、それでも、この「元禄・忠臣蔵」は、数ある忠臣蔵映画の中でも必見だとお勧めしたい。
但し、討ち入りのチャンチャンバラバラ(古いか、笑)の大立ち回りを期待される方には向きません。
大仏次郎や池波正太郎の「編笠十兵衛」「堀部安兵衛」に共感された方に向いています。
いやー、それにしても、若かりし頃の高峰三枝子は美しい女(ひと)だったんですね。
そうそう、討ち入りの大立ち回りを期待される方には、市川歌右衛門が大石役の東映映画がお勧めです。
原作は大仏次郎です。
いや、そもそも、「忠臣蔵」に軽々しく「ファン」などと付けたことで、長時間に渡ってお説教を受け兼ねません。
が、それでも、この「元禄・忠臣蔵」は、数ある忠臣蔵映画の中でも必見だとお勧めしたい。
但し、討ち入りのチャンチャンバラバラ(古いか、笑)の大立ち回りを期待される方には向きません。
大仏次郎や池波正太郎の「編笠十兵衛」「堀部安兵衛」に共感された方に向いています。
いやー、それにしても、若かりし頃の高峰三枝子は美しい女(ひと)だったんですね。
そうそう、討ち入りの大立ち回りを期待される方には、市川歌右衛門が大石役の東映映画がお勧めです。
原作は大仏次郎です。
2017年10月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第一印象はとにかく長い。延々と3時間である。
映像は白黒で画質もよくないが、映像としては完成度高く、
お金をかけていることがすぐわかる。
しかし全体の構成は起伏無く物語が淡々と続く感じで、
ロングショットで長台詞中心に映画が進む。
討ち入り描写が無いため、カタルシスも無い。
この傾向は前半に顕著で、忠臣蔵映画にありがちな描写を徹底して避けているため、
今どこの話なのかも分かりづらい。
当時の人にとっても前編は禁欲的すぎたと見え、後編はその欠点を補っている。
この作品の見どころはその後編の後半、「討ち入り後」を描写していること。
その描写も精緻なもので、それだけで価値ありと思う。
前編と後編前半分はそこへ至るまでの長大なイントロといってもよい。
正直、集中力続かず、4回に分けて鑑賞しました。
映像は白黒で画質もよくないが、映像としては完成度高く、
お金をかけていることがすぐわかる。
しかし全体の構成は起伏無く物語が淡々と続く感じで、
ロングショットで長台詞中心に映画が進む。
討ち入り描写が無いため、カタルシスも無い。
この傾向は前半に顕著で、忠臣蔵映画にありがちな描写を徹底して避けているため、
今どこの話なのかも分かりづらい。
当時の人にとっても前編は禁欲的すぎたと見え、後編はその欠点を補っている。
この作品の見どころはその後編の後半、「討ち入り後」を描写していること。
その描写も精緻なもので、それだけで価値ありと思う。
前編と後編前半分はそこへ至るまでの長大なイントロといってもよい。
正直、集中力続かず、4回に分けて鑑賞しました。
2014年8月16日に日本でレビュー済み
この映画は1941年である。確かに古いが作品は溝口の傑作の1つとして歴史的価値は高い。
昨今のリマスター技術の進歩は目を見張るものがあるが、この作品も映像は確かに綺麗だ。
しかしながらこの復刻版には致命的な「傷」がある。それはセリフが部分部分で聞き取れないのだ。
古い映画の復刻で、映像ばかりに気をとられ、セリフが聞き取れないというのは致命的である。
現在の技術をもってすれば、音声の補正など比較的簡単であるにもかかわらず、この映画ではそれさえなされていないことは致命的でさえある。
映画会社の復刻のあり方において、こうした最低限の音声修復がおこなわれていないことは「怠慢」のそしりを免れないと思う。
あらたにこの作品を買う方はこの点を承知の上での購入を薦めます。
作品自体には5星を献上するが、映画会社の誠意のなさ、いい加減な復刻に失望したので星は2つとしました。
昨今のリマスター技術の進歩は目を見張るものがあるが、この作品も映像は確かに綺麗だ。
しかしながらこの復刻版には致命的な「傷」がある。それはセリフが部分部分で聞き取れないのだ。
古い映画の復刻で、映像ばかりに気をとられ、セリフが聞き取れないというのは致命的である。
現在の技術をもってすれば、音声の補正など比較的簡単であるにもかかわらず、この映画ではそれさえなされていないことは致命的でさえある。
映画会社の復刻のあり方において、こうした最低限の音声修復がおこなわれていないことは「怠慢」のそしりを免れないと思う。
あらたにこの作品を買う方はこの点を承知の上での購入を薦めます。
作品自体には5星を献上するが、映画会社の誠意のなさ、いい加減な復刻に失望したので星は2つとしました。
2012年3月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1942年(昭和16年)の製作である。時代が時代だけに、国威発揚の表記から始まるこの大作は、国策映画とも言えるのではないか。
冒頭のシーン、江戸城内松の廊下(正確にはそうではないらしいが)で、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかるシーンのセットの豪華さはどうだろう。溝口監督のこだわりは、すごいとしかいいようがない。クレーンを多用した監督らしいが、俯瞰というよりも、横方向の移動を主に用いていると感じた。それだけセットが大きいということだし、その長回しに耐えるだけのセリフをしっかり決めることのできる実力のある役者さん達が起用されていたのだろう。(昔の役者さんのことはよく知らないので・・)
画面は、さすがにきれいにレストアされているようで、ほとんどノイズは観られない。とはいえ70年前のフィルムとて、フォーカスの甘さはいかんともしがたく、また音響面でも、セリフが聞きづらいし(特にオープニングの刃傷の騒動場面は全く騒音にしか聞こえない)、オーケストラの演奏もダイナミックレンジが狭くて聴きづらい。全体にノイジーでもある。デジタル処理などできないものか・・・。
内匠頭の正室の瑤泉院の愁いに満ちた表情が何とも美しい。
甲府候徳川綱豊(後の六代将軍家宣)と富森助右衛門のやりとりはまさに迫真の演技であった。
その他、義に生きるか愛に生きるか、の選択に迷う大石内蔵助の深い心情も見応えがあった。
豪華なセットや衣装、台詞回し、もちろん出演者のレベルも含めて、時代劇の醍醐味を味わえる大作である。原作者の真山青果に直接教えを請うて京都で撮影したというこの作品は、まぎれもなく溝口版「元禄忠臣蔵」である。
冒頭のシーン、江戸城内松の廊下(正確にはそうではないらしいが)で、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかるシーンのセットの豪華さはどうだろう。溝口監督のこだわりは、すごいとしかいいようがない。クレーンを多用した監督らしいが、俯瞰というよりも、横方向の移動を主に用いていると感じた。それだけセットが大きいということだし、その長回しに耐えるだけのセリフをしっかり決めることのできる実力のある役者さん達が起用されていたのだろう。(昔の役者さんのことはよく知らないので・・)
画面は、さすがにきれいにレストアされているようで、ほとんどノイズは観られない。とはいえ70年前のフィルムとて、フォーカスの甘さはいかんともしがたく、また音響面でも、セリフが聞きづらいし(特にオープニングの刃傷の騒動場面は全く騒音にしか聞こえない)、オーケストラの演奏もダイナミックレンジが狭くて聴きづらい。全体にノイジーでもある。デジタル処理などできないものか・・・。
内匠頭の正室の瑤泉院の愁いに満ちた表情が何とも美しい。
甲府候徳川綱豊(後の六代将軍家宣)と富森助右衛門のやりとりはまさに迫真の演技であった。
その他、義に生きるか愛に生きるか、の選択に迷う大石内蔵助の深い心情も見応えがあった。
豪華なセットや衣装、台詞回し、もちろん出演者のレベルも含めて、時代劇の醍醐味を味わえる大作である。原作者の真山青果に直接教えを請うて京都で撮影したというこの作品は、まぎれもなく溝口版「元禄忠臣蔵」である。
2023年3月13日に日本でレビュー済み
忠臣蔵映画は、大正時代から昭和の日米戦争の中頃までに数多く作られたが、本作の特に前半の部分は、それらの中でも出色の出来ではないかと思われる。徳川幕府の役所の中心部で起こった刃傷沙汰事件がきっかけとなる。高い地位にいる吉良上野介が、役所の広い廊下の武士たちが大勢いる中で、浅野内匠頭が如何にお上(おかみ)の接待役として無知不作法で、無能であるかを声高にどなり散らした。怒った内匠頭が走り寄って吉良の背中に切り付けた。内匠頭は即座に取り押さえられ、切腹を申し付けられた。それに対し上野介には何のおとがめもなかった。この事件に対し、目付の多門伝八郎が一言いわずにはおれない。内匠頭に切腹を言い渡しておいて、上野介には何のお咎めもなく、それどころか大騒ぎの修羅場で神妙で殊勝であったと、お褒めの言葉を与えるとは何事かと。この事件をこのように決着させた上役人に、伝八郎が執拗に食い下がるが、全く相手にしてくれない。結局この事件はこれで幕を閉じることになり、次の場面で大石内蔵助登場となり、これから如何にすべきか、内蔵助が悩み苦労していく様子が描かれる。筆者が特に目を引かれた役者は、多門伝八郎を演じた役者小杉勇である。小杉は決していかつい顔立ちではなく、むしろ柔和な感じさえする。この小杉が、上役人の処置が如何に不合理であるかを、必死で上役人に問い詰める。その迫力たるや並大抵のものではない。筆者は小杉勇という役者をこの映画で初めて知ったが、彼が出演している映画を探して、彼の演技をもっと見たいと思った。
2021年4月13日に日本でレビュー済み
昔からあまり評判のよくない映画だし、ここのレビューでもそうなのだが、演出に関しては一部の隙も無いと言わざるを得ない。
そもそも一般的な忠臣蔵映画が概ね歌舞伎の仮名手本忠臣蔵をモデルに作られてるのに対し、本作は新歌舞伎の元禄忠臣蔵の映画化である。仮名手本にもそういう傾向はないではないが、とりわけ元禄の方は一種の論争劇であって、忠とは何か?義とは何か?武士とは何か?という政治的なテロリズムにおける正統性の問題をくどいぐらいに劇中の会話の中で追及していくインテリ好みの一作である。討ち入りのシーンを期待するのがそもそも間違いだ。
なので、当時の情報局がわざわざ一般受けしない元禄の方を溝口に映画化させたのもよく分かる気がする。
これは単に戦時中の国威発揚のため、という単純なものではなく、この原作自体が法科論理で育った戦前のエリート好みの作品なのである。(その点、もしこの映画に問題があるとすれば溝口の演出ではなく、そうした作品に慣れてなかった依田の脚本の方だろう)
これは溝口本流の作品でないとか、溝口が普段取り上げてきたテーマとは違うとか、そういうことを言う人がいるが、そもそも彼の代表作の過半はそうしたものである。雨月しかり山椒太夫しかり。
この作品は演出面に関しては一部の隙もなく、ロングショットを前面に出していた時期では残菊と並ぶぐらい規範的なスタイルが徹底されている。(西鶴やお遊さまは技巧的にはやや進んでいるが若干フォルムが崩れている)
戦前の日本映画で最も製作費のかかった作品だけに、監督がなんでも自由にやれたことがよくわかる出来だと感じる。
そもそも一般的な忠臣蔵映画が概ね歌舞伎の仮名手本忠臣蔵をモデルに作られてるのに対し、本作は新歌舞伎の元禄忠臣蔵の映画化である。仮名手本にもそういう傾向はないではないが、とりわけ元禄の方は一種の論争劇であって、忠とは何か?義とは何か?武士とは何か?という政治的なテロリズムにおける正統性の問題をくどいぐらいに劇中の会話の中で追及していくインテリ好みの一作である。討ち入りのシーンを期待するのがそもそも間違いだ。
なので、当時の情報局がわざわざ一般受けしない元禄の方を溝口に映画化させたのもよく分かる気がする。
これは単に戦時中の国威発揚のため、という単純なものではなく、この原作自体が法科論理で育った戦前のエリート好みの作品なのである。(その点、もしこの映画に問題があるとすれば溝口の演出ではなく、そうした作品に慣れてなかった依田の脚本の方だろう)
これは溝口本流の作品でないとか、溝口が普段取り上げてきたテーマとは違うとか、そういうことを言う人がいるが、そもそも彼の代表作の過半はそうしたものである。雨月しかり山椒太夫しかり。
この作品は演出面に関しては一部の隙もなく、ロングショットを前面に出していた時期では残菊と並ぶぐらい規範的なスタイルが徹底されている。(西鶴やお遊さまは技巧的にはやや進んでいるが若干フォルムが崩れている)
戦前の日本映画で最も製作費のかかった作品だけに、監督がなんでも自由にやれたことがよくわかる出来だと感じる。