一口にジャズ・ロックと言っても、リー・モーガンの『サイドワインダー』とゲイリー・バートンの『ダスター』では明らかに雰囲気が違う。『ダスター』はバートンのヴィブラフォンとラリー・コリエルのギターによって、靄がかかったようなサウンドが作られ、その靄がマリファナの煙と幻覚を表現していたように見える。このような『ダスター』のいささかサイケデリックなサウンドはその直後に現れたフュージョンの先駆けと看做すことができるだろう。これに対してリー・モーガンの『サイドワインダー』はリズムこそロック風のエイト・ビートだが、サイケデリックな雰囲気は微塵もなく、今となっては、あえてストレート・アヘッドなジャズに対比してジャズ・ロックと呼ぶ意味があまり感じられない。
実際、大西順子や山中千尋のような後のジャズ・ミュージシャンたちは、ジャズ・ロック風の表現をストレート・アヘッドなジャズの表現に組み込んでいる。大西順子は『フラジャイル』というジャズ・ロック・アルバムを作成し、山中千尋はウェイン・ショーターの作品をジャズ・ロックにアレンジしている。『サイドワインダー』の歴史的な意義は、ストレート・アヘッドなジャズに表現様式を一つ付け加えたと言う点にあるのではないだろうか。その点では、ジャズ・ロックはフリー・ジャズよりもモード奏法やボサノヴァに近いかもしれない。もちろんフリー・ジャズは後のジャズに巨大な影響を与えたが、ストレート・アヘッドなジャズにフリー・ジャズを組み込めるミュージシャンは多くはない。しかしストレート・アヘッドなジャズのライヴで「So What」や「イパネマの娘」をプレイしても違和感がないのと同じように、ジャズ・ロックも現代のジャズの話法の一つとなっているのではないだろうか。
このような歴史的作品は良い音で聴いた方が良いに決まっている。ボクはルディ・ヴァン・ゲルダ―・エディションで買い直した。確かに音は良くなっており、ベース・ラインがはっきり聞こえるようになってはいるが、他のリマスターほどのインパクトはなかった。リズム・セクションがシンプルなビートを叩き出す、この作品は、これまでのCDでも十分楽しめる。RvGエディションにこだわる必要はないかもしれない。