syrup16gを知る人は結成当時や解散後など色々分かれると思うが、自身は解散後に知ったリスナーだった。COPYから最終アルバムまで全て聴いてみたが、最初の頃は他のオルタナティブ・バンドより毒が強すぎて、正直、アルバムの最後に達するまで聴くに忍びなかった。だが、今となって当時の五十嵐隆と同じ年齢になるにつれ、その頃とまったく違った印象で聞いて没入している自身がいつの間にかいた。
他の好きなバンドは皆、解散してしまったし、公に出てきても以前とは装いを新たなにするかして、面影を留めず、今では邦楽ではsyrup16gしか聴いていないぐらい好きで堪らない。
五十嵐隆の良い所は曲作りに際し、飽くなきまで誠実であり続けようとする姿勢。それは技術というより、自身の内部に燻ぶるパッションをありのままに自己のためにだけ書こうとする絶対的孤絶の立場を保持するバンドスタイルの在り方だ。最近の邦楽(大体にしてゼロ年代から顕著だが) は明晰さが何より先走っていて、音源化するからには他人に伝達可能な曲作りでないとならないとする思い込みを持つアーティストが非常に多い。まずなにより共感が先行する。一時は多くの人が皺寄せて来て、てんてこ舞をするが、書物と一緒で時の洗練を経ると、すぐに埋没して消え去る。均質化された感性は了解が容易のゆえにして、解釈⇔知覚の繰り返しを経ることにより、聴覚自体が慣れるというよりかは、普遍的でない曲は必ず自己年齢からして色褪せの影響を被るからだ。一方、五十嵐が書く曲はたまにブレることはあれど、ストレート勝負で貫かれている。自分のためにしか書いていないはずなのに、時代が下り、世代も違うのに私はなぜか‘‘なんで、自分と同じことを感じていたんだ・・・,, 、‘‘五十嵐もこんな光景を目にしながらメロディーや詞を口ずさんでいたのだろうか,,と思ってしまう。「センチメンタル」なんて、詩人かぶれの学生が落書きのように書いた歌詞にしか聞こえないのに、ちゃんとメロディーセンスにピッタリ符号している。
このアルバムはピカソの青き時代のように思って構わない。20代に書いて貯めていた曲が網羅されている。syrup16というバンドを知っているが真面目に聴いていない人がまずいたら、薦めたいCDに 「Delayed」を上げることだろう。
私自身は「coup d'etat」が、破壊力抜群で個人的に一番好きだが、初めて聴く人には敷居が高いように思われるから、あとで聞いてほしいように思う。
あと、オフィシャルサイトのレビューでPlentyの江沼君が、学校にMDまで持ってきて「Delayed」を聴いていたという逸話を読んで、自分のことでもないのに何だか嬉しくなってしまった。あと、鹿野さんからレビューを頂いたのは五十嵐にとって非常に大きい、と思った。・・・ロックなんて、たかが幻に過ぎない。人は年齢ごとに感性が移り行くのは必然的である。「Delayedback」もすでに扶ちかけた蝶の羽ばたく残像に過ぎない。もう二度と書けない五十嵐ボーカルの青春をじっくり味わってほしい。