このレビューは
この巻の感想と、第一期から第二期完結までのすべてを含んだ全体に対する感想の二つです。
この巻限りのアニメーション映像作品としての一般的な品質や、この商品の特典などの簡潔な情報は、他の方が提供して下さると思います。
この第3巻では、「残骸(レムナント)」編が終わり、「大覇星祭」が始まります。
この巻の「残骸(レムナント)」完結編では、「白井黒子」、「御坂美琴」、「打ち止め(ラストオーダー)」、「妹達(シスターズ)」(特に10032号)、そして「一方通行(アクセラレータ)」のそれぞれの思惑が関係し、スピーディーに状況が推移していきます。
印象深いシーンは「白井黒子」と「結標淡希」の対決の合間に挟まれる”会話”です。実際にご覧になれば、ベタな演出と肩透かしを感じるかもしれません。しかし、時と場所と人物を選ぶことで、ベタな演出は今でも人の心を打つ、という優れた例であると思います。
この巻の「大覇星祭」では、「上条当麻」が、「土御門元春」、「ステイル」と協力し、事件解決に動くパートと、「大覇星祭」の選手の一員として「吹寄制理」や「御坂美琴」と、運動会の種目をこなしていくパートを、いったりきたりします。上条は、いつもより割り増しで振り回されています。この流れは次巻も続きます。
これで第3巻に関する説明はキリが良いのですが、
現在、「とある魔術の禁書目録」第二期の放送が完結したタイミングです。
そこで第一期、第二期を通して「上条当麻」という主人公に対して抱いた感想、及び彼を通じた作品そのものの感想を、これまでのすべての放送を踏まえ、まとめておきたいと思います。
これ以前のレビュアーのすべての意見・感想を確認したわけではなく、この作品の解説本を読んだわけではないので、他の方と意見が重複するかもしれませんが、正真正銘、私自身の感想となります。
上条当麻という人物については、二つの点を述べなくてはいけません。、
第1に、とても大雑把にいうと、ヒーロー的な事を成し遂げた人物であり、別段、例を挙げるまでもなく、多くのアニメーション作品にも見られるものです。
第2に、上条当麻が本当に有り得ない頻度で、ガンガン新しい女性と出会っていく流れがあります。
第2の点で、私の所見をはっきりと申しておきますと、
あくまでサブカルチャーの一つの方向性としてのアニメーション作品の隆盛を誇る日本では、特に珍しい事象ではありません。
能、狂言、歌舞伎などの文化が形成されて以降、日本人は演劇にリアリティを追及しなくなったと喝破する極論を、TVで聞いたことがあります。
どうやらボーイ・ミーツ・ガールの形式のアニメーションにおいても、その伝統は脈々と受け継がれている模様、とジョークを言えば、ユーモアとして人種、文化圏に関係なく立派に通用してしまいそうです。
しかし、「とある魔術の禁書目録」の主人公-上条は「幻想殺し(Imagine Breaker)」という不幸体質がある、という設定により、
実は、かなり新しい物語表現を築きあげたのではないか、と、私は評価しております。
第1の点を考え直してみましょう。
不幸であることは前提です。
ですので、上条は特別に秀でた能力、持って生まれた才能はありません。が、困難な状況に陥るほどに、使命感を感じているほどに、困っている人を助けるために動き、普段、あまり使わない頭をフル稼働させる上条の性格は、ヒーロー的な正義感に基づく、と言うよりも、数多くの不幸な出来事を経験してきた人が持つような、苦労人と言うほうが適切です。
人は、大きな不幸に見舞われた時には、二つの選択に迫られます。
一方は不幸を嘆いて、社会を憎み、他者への害を与えることも良しとする選択。
他方は不幸に向き合い、自分に出来ることを考え、必要なら他者と協力して不幸な状況に立ち向かう選択。
上条の選択は常に後者の部類でした。その選択の結末は、陳腐かもしれませんが、納得のできるものでした。
第2の点を考え直してみましょう。
上条当麻は”凄まじいスピードでの多くの女性(美人)との出会い”を果たします。
一般に言って、そのこと自体を不幸と判断する合理的理由は、現実世界でも、架空の物語においてもありません。
しかし、この作品においては上条当麻と、とあるAさん(女性)との出会いでは、彼の意思に関わらず、
常に、「幻想殺し(Imagine Breaker)」が発動しています。
始めは気づかなかったのですが、彼が幸運な人間と解釈するのは間違いのはずなのです。
ここに物語解釈に関し、この作品だけの独特な自由度の幅があります。
さて、上条当麻が、かのAさんと出会ったのは、偶然、あるいは運命でしょうか?
それとも不幸でしょうか?
鎌池氏とアニメーションスタッフの狙いが功を奏したのか、上条がAさんと初めて出会う状況において、上条は別の不幸事に既に巻き込まれている場合が多く、さらに上条はそのAさんに好意を抱いた様子はありません。出会い後も上条は、Aさんを友人、というより大事な戦友として見ているようで、恋愛感情ゼロのようです。
何より、記憶を失っていることを、第二期終了時点で誰にも告白していないことが、彼にとっての現実を如実に表しているのではないでしょうか。
私は、上条当麻の出会いを運命(DestinyでなくFate)、と解釈しました。
この状況を、一般の映像作品としての見地に立つ場合、意味深な解釈も可能です。
視聴者は一般に、サブカル作品に対する先入観、或いは、サブカル作品のお約束という期待を持つはずです。どちらにしても、上条当麻の「幻想殺し(Imagine Breaker)」が、視聴者のこの幻想を、ブチ殺すために発動しているかのように理解できるのです。しかし、暗示的、暗黙的な演出なのですが。
恋愛に関して不幸、という作品はあまり珍しいものではないために、第一期だけでは、この暗喩は感じられませんでしたが、第二期の中盤以降より、かなり明瞭に感じとることができました。
上記の視点に立ち、上条当麻の出会いの不幸を前提にすると、他の主要キャラクターの物語上の立ち位置がずいぶんと変わるように感じます。
「一方通行(アクセラレータ)」と「打ち止め(ラストオーダー)」の出会いは、不幸なことでしょうか、それとも、幸運なことでしょうか?
私は幸運なことだと思います。
そのように見るなら、上条当麻の不幸が、二人の出会いと彼らの道行きを際立たせる方向で、これまでに無かった種類の演出効果を新しく創り出しているように感じます。
と言っても、アクセラレータとラストオーダー(及びシスターズ)の関係は、比喩無しで命懸けで支えあっている、という印象です。また、男女間の関係というよりは、何者にも断ち切り難い信頼関係を感じさせます。
となると、これまでの「とある〜」シリーズのアニメーション制作において、お互いに想い合う純愛は、描かれていなかったことに気づきませんか?
仮に、第三期アニメーションの製作が決定されるとなると、「浜面仕上」によって初めて、お互いに想い合う男女関係が描かれることになるのでしょうか。
まとめますと、
上条の不幸体質は、アニメーション業界内部の一部のサブカルチャーに対するカウンターカルチャーとしての意味合いを持ち、彼自身の存在感を強力に際立たたせています。
上条当麻と御坂美琴の二人はそれぞれ独立して興味深い物語を紡ぎだしています。対し、アクセラレータは彼らの引き立て役になるだけでなく、逆に、上条当麻と御坂美琴を引き立て役とし、二人の運命の一部を牽引することで3本目の物語の柱を築いた、とも言えます。
第三期内の予測ですが、浜面仕上は、上条とアクセラレータの物語を背景とすることで、強く覚悟を感じさせる男の生き様を魅せてくれるでしょう。
上条当麻の運命(Fate)は未だに途上です。
現在の日本の状況を顧みますと、幸か不幸か、「とある魔術の禁書目録」シリーズ作品は、続編/外伝製作のための有利な時宜を得てしまったようにも感じられます。
私は、今後、第三期が製作される価値は十分にあると、確信しております。
蛇足を一つ、
オーディオコメンタリーの佐藤さんによる新井さんの演技に対する評価は、個人的にはほぼ全面的に同意です。