魔女と呼ばれた少女 [DVD]
フォーマット | 字幕付き, 色 |
コントリビュータ | セルジュ・カニンダ, キム・グエン, アラン・バスティアン, ラルフ・プロスペール, ラシェル・ムワンザ |
稼働時間 | 1 時間 30 分 |
商品の説明
本年度アカデミー賞(R)〈外国語映画賞〉にノミネート
現代のミューズが"戦争映画"にリリカルな魔法をかけた…… 世界の狂気に祈りを込めて カナダの気鋭が綴る映像詩
監督は、アフリカの子ども兵士問題に衝撃を受け、取材を重ねてきたカナダ人のキム・グエン。
10年間あたため続けた祈りが、未だ紛争の絶えないコンゴ民主共和国を舞台に、生と死、現実と幻想が交錯する魅惑的な映像詩として結実し、
本年度アカデミー賞(R)〈外国語映画賞〉にノミネートされた。
さらに、監督自らストリートで見出した主演のラシェル・ムワンザが、機関銃を携える凛々しき女神のカリスマ性から、
恋する乙女の可憐さまでを見事に演じ、アフリカ女性初のベルリン国際映画祭〈銀熊賞・主演女優賞〉を受賞。
期待の新鋭とミューズとの運命的な出逢いが、少女のまなざしを通してのみ描かれる本作にリリカルな魔法をかけ、
悲惨さばかりを強調しがちな戦争映画と一線を画す、忘れ得ぬ傑作が誕生した。
【ストーリー】
ひとりの少女の物語に アフリカの"今"をちりばめたファンタジックな現代の神話
平和な暮らしを送っていた水辺の村から突然拉致され、反政府軍の兵士となった12歳のコモナは、死んだはずの人たちに導かれ、全滅必至のゲリラ戦から生還する。
亡霊の見える力が次々と勝利を招き、ボスからも"魔女"と崇められるコモナだが、敵を撃つその銃はどこから来たのか、山から集める黒い石はどこへ行くのか、彼女は何も知らない。
やがて自分も殺される運命を悟ったとき、密かに愛を育んできた少年兵と、命をかけた逃避行の旅に出る-。
【キャスト】
ラシェル・ムワンザ
セルジュ・カニンダ
アラン・バスティアン
ラルフ・プロスペール
ミジンガ・グウィンザ
【スタッフ】
監督・脚本:キム・グエン
登録情報
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 100 g
- EAN : 4527427656369
- 監督 : キム・グエン
- メディア形式 : 字幕付き, 色
- 時間 : 1 時間 30 分
- 発売日 : 2013/10/23
- 出演 : ラシェル・ムワンザ, セルジュ・カニンダ, アラン・バスティアン, ラルフ・プロスペール
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : アミューズソフトエンタテインメント
- ASIN : B00EIDLBNA
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 207,032位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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白い雄鶏とマジシャンの関係性何か運命めいたものを暗に感じさせますがそれも魔女であることで失ってしまう。そしてその能力もけしていいものではないし大切にされているようで本質的には使い捨ての駒であることは変わらない。
肉屋のおじさんはヒロイン
現実の闇の部分とフィクションのカタルシス的なものがごちゃ混ぜになっているのに話としてちゃんと繋がっているいい作品だと思います。
ラストのシーンは原題の回収かも知れないですね。
私は無宗教で無神論だけれど、現実とはこういうことで、
ただただ子供を道具として、終ることの無い憎しみを生産し繰り返している。
何処の国にいてもどんな状況でも、子供はやはりただの子供。笑顔で明日を迎えられるように。
この映画を残したいと思う。そんな一本。
撮影も全てコンゴで行われているが、作中ではコンゴ民主共和国の話であるとする様な国名は明示されていない。
監督・脚本がカナダ人「キム・グエン」なのでカナダ映画となっている。コンゴでも公用語はフランス語となって
いるので使用言語はフランス語と現地に多いリンガラ語で作られている。
本作に限らず、アカデミー外国語部門賞を狙った物は基本的に貶しにくい。
本作も扱っている題材に対して貶すつもりは毛頭ない。それどころか、余り知られていない「コンゴ民主共和国」
に関する本作で描かれている実情に関しては、なるべく多くの人に見てもらいたいとは思っている。
しかし、その取り上げられた内容と、「映画自体の出来」は別なのではないだろうか。
個人的にはその内容とは別に、映画としてはカット割りも悪いし、ハンドカメラの多用で見にくいし、銃の構え方
などもなっていないと感じる。主役の女の子「ラシェル・ムワンザ」はベルリン国際映画賞で「女優賞」を受賞
しているが、映画の内容と彼女自身がストリートチルドレンの素人であった事が受賞の理由としか思えない。
台詞も殆ど無く、多くのシーンで彼女は無表情で喜怒哀楽の表現が非常に少ない。そこに演技力が必要なのか?
あれが彼女の「演技力」によってもたらされた監督の狙った演技なのか?
と言う部分で考えると演技がすごかった訳ではないのだ、と考えざるを得ない。
また、監督の脚本も都合が良過ぎる上に、よく判らない「亡霊」などという存在を持ちだしている。
なぜあのような描写に?よもや「彼の地の文化・精神世界を理解・尊重せよ」などという目的ではあるまい。
個人的にはアフリカという土地柄を、今でも「暗黒大陸」的に描く事で判り易くイメージを伝える様な
「安易」な発想・手法にしか見えず、本来のテーマである「紛争の悲惨さ」がスポイルされているとしか思えない。
個人的には、アフリカの様々な問題を取り上げるのは大賛成である。しかし本作ではコンゴの実情が
描き切れているか?といった場合はその悲惨さが十分に伝え切れていないと思う。
現実はもっともっとはるかに悲惨・凄惨なのである。
作中で描かれている少年兵の描き方は概ね合っているが、描き方は足りな過ぎる。攫われた揚句、自分の近親者を
自らの手で殺させる。暴力と恐怖で支配し洗脳する。そして帰る場所まで奪うのである。
年端もいかない子供達には、逃げる所も選択肢もないのである。
作中でも、逃亡しようと連れて来るが「ボスの所に戻る」と言い出す少年兵が描かれている。実際に彼らには
戻るべき場所など他に無いのだ。親は殆どの場合すでに死んでいるし、親戚などよく判らない年齢なのである。
少しでも反抗的な子供には凄惨な仕置きが待っている。見せしめの為に、死ぬほど鞭で打たれる、
手足を切り落とす、耳や鼻を削ぐなど、もちろん殺すのも日常茶飯事であるのだ。
組織は逃げる事を許さない。逃げないように、逃げたらどうなるか「恐怖」を骨の髄まで叩き込むのである。
それでも組織に帰属するしか、少年が衣食住が得られる「生きる道」は与えられていないのだ。
そして、銃を持てなくなれば鉱石の採掘などの重労働で死ぬまで働かされる。生きて兵士として従軍しても
彼ら少年兵は「使い捨て」なのだ。移動では常に先頭を歩かされる。もちろん後方の年長者の「弾除け」あるいは
「地雷探知器」としてである。死んでも気にも留められない。少なくなったら「補充」するだけなのだ。
コンゴの隣、ウガンダの「神の抵抗軍」と呼ばれる武装勢力では数万人規模のうち九割近くが15歳未満の
少年兵で占められていた時期すらあったそうである。ウガンダだけでなくコンゴも活動範囲内である。
神の抵抗軍は、もちろん作中の様に村々を襲い虐殺・略奪し子供をさらっているのである。
運良く生き延びて組織を抜ける事が出来ても、受け入れてもらえる場所もない。教えてもらってないから、文字の
読み書きも簡単な計算も出来ない。何より暴力で人を屈服させる事しか学んでいないのだ。人を襲って奪った方が
手っ取り早く食い物にも金にもありつける事に気が付いてしまう。抜けた所でまともに仕事が続くはずもない。
少年兵として一旦攫われると、結局は武装組織に舞い戻る以外に道が無く、戻ってしまう少年も多いのである。
女子の場合はまた別の苦難が待ち構えている。性的暴力である。こちらの内容はノーベル平和賞を受賞した
「デニス・ムクウェゲ」氏の著作に詳しい。コンゴで女性がどのような目にあわされたか、ここでその内容を書く
のは余りにもひど過ぎて、紹介するのも躊躇われる程である。とても人間のやる事とは思えない内容なのだ。
ムクウェゲ氏は武装勢力のこう言った行為を「性的テロ」と呼んでいる。性的欲求を満たす物ではなく
「恐怖」による支配の為の「最も安上がり」な「武器としての性暴力」なのである。
ムクウェゲ氏は医師であり、産婦人科が専門だ。一つだけ「性的テロ」の例を挙げれば、
彼の診た最年少の性的テロの被害者は、性器から腹まで刃物で裂かれた生後1年未満の女児だそうだ・・・
作中で、首筋に銃弾がかすめた傷跡を見せる武装勢力兵がいる。あんなもの可愛いものだ。ネットで探せば
頭に・首筋に・背中に「マチェーテ」と呼ばれる大振りのナタで切りつけられた、縫合も雑な傷跡など
幾らでも見つける事が出来る。手や足を切り落とされた人の写真も少なくない。
本作の内容も重く悲惨であるのは理解できるが、個人的には題材的にコンゴを扱ったルポやドキュメンタリー、
ノンフィクションノベルの方がよほど胸を打つ。
この監督は、コンゴ民主共和国の実情・悲惨さを理解 / 把握しているのだろうか? と疑いたくもなる。
監督の表現したい内容・意匠もあるのだろうが、根本的にアルビノの少年やアルビノ村、白いオンドリを探す過程
主人公コモナの神通力?やアルビノ少年マジシャンの呪術的行為、コモナに見える死人の亡霊などなど、
そもそも必要なのだろうか?・・・ コンゴの実情を広く知らしめるのに有益な情報なのか?・・・
アルビノはその体の呪力が強いと信じられ、その肉体目当ての「アルビノ狩り」が後を絶たず、作中の様に
保護の為に銃で武装した兵に守られた「アルビノ村」があるのも事実だ。アルビノ狩りを行う目的は、髪の毛や
爪・骨などを所有する場合もあるし、体の一部を薬とする場合もあれば、臓器や肉を食す場合もある。
アルビノの墓を掘り起こして入手する事さえある。アルビノの死体は1体完全な形であれば数百万の値が付く事も
あるという。アルビノ村が何故あるのか理由を知っていれば、死体が高く売れる事を知らないはずはない。
しかし、作中では殺されたマジシャンは捨て置かれている。何故そう言う描写になってしまうのか理解に苦しむ。
「その死体は高く売れるから運べ」といったようなセリフを一言入れるだけでも、アルビノ狩りのような
「誤った認識」による殺戮が広く行われている事を世間に伝える事も出来るだろうに。。。
悲惨な事柄を伝える者は、「この辺で良いだろう」という様な表現の線引を自分の判断でしてはならないと思う。
吐き気をもたらす様な行為が行われているなら、その行為を正しく表現するのが「伝える者の役割」だと考える。
その意味で、脚本も兼ねている監督の「海外受け」を狙った的な、また「独りよがり」的な要素が微妙に鼻に付く。
評価としては 2.8 だが、余り日の当らないコンゴに関して知ってもらいたいと言う期待を込めて★4とする。
何にでも「入口」という物は必要だ。お堅いルポやドキュメンタリーよりは「映画」の方が取っ付きやすくは
あるだろう。そう言う意味で、こう言った作品も映画としてはともかく「役割」としては有効だろう。
しかし出来る事なら、実際にコンゴでどのような悲惨な行為が行われているのか、ルポやドキュメンタリー
あるいはムクウェゲ氏の談話や著作などにも目を向けて欲しいと思う。。。
本レビューのタイトル「苦しみはそれを見た者に責任(あるいは義務)を負わせる」は、
フランス人哲学者「ポール・リクール」の言葉である。
責任が生じるから「今すぐ行動を起こせ」という話では無い。もちろん何らかの行動を起こせるのであれば
ベストであるのは間違いないが、必ずしもその場で行動を伴わなければならない訳ではない。
まずは、苦難に満ちた世界があるのを知る事、そしてそれを重く受け止める事がはじめの一歩なのだ。
「暴力に無関心でいるのは、その暴力に加担しているのと同じである」という厳しい指摘もある。
コンゴを中心とした地域では、1990年代後半以降のコンゴ戦争・アフリカ大戦で累計で600万以上の命が
紛争に巻き込まれ、武装集団に襲撃され失われている。現在でも混乱は終息せず現在進行形であり、ISILが
台頭したシリア以上の、世界で最も多くの難民を発生させている震源地でもある。
遠く離れた日本の一個人に何が出来るか?という問題では無い。一個人の力など、どれほどの影響力も持たない。
一個人の力では国を動かす事は出来ないし、世界を救う事も出来ない。だからと言って「無駄」ではない。
世界は多くの人で構成されている。取るに足らない個人の思いも、多数が集まれば大きな力となり得る。
多くの人間が知る事で、苦難に遭った人たちが居る事を重く受け止める事で、トラックの荷台の上から
コモナに手が差し伸べられたように、いつかどこかで誰かが苦難に遭った人々に手を差し伸べる事に「繋がる」
事を信じたい。苦しみを見た者の責任とは、その様な形でも「いつかどこかで」果たせると考えたい。
世の中、そう簡単に良くならないのは判っている。
しかしそれでも、ムクウェゲ氏がコンゴが良くなると信じ続けて活動を続けるのと同じ様に、一人でも多くの
人々の善意によってほんの僅かづつでも世界が良くなっていくと当方も「信じて」いたい。。。
まるでドキュメンタリーのような出来は圧巻。
『機関銃をお守りに、命がけの恋をした』
お守りの銃がないと安心すらできない世界。
まるで非現実のような『現実』があることを再認識させられる作品。
ドキュメンタリーではないので、ややリアル感に欠けるが・・・・
実際にあり得そうな残虐な場面も描写されており、嫌悪感を抱く部分もある。
肝心な、何故 彼らは政府軍と闘うのかが抜けていて、
タイトルにある様な「魔女と呼ばれた少女」の意味がボケてしまっている。
面白い設定ではあるのですが、ただこの主人公がたまたま生き残っただけの全体的に誰もハッピーになってない重いストーリーです。
面白くないなーとも思いませんでしたが、観終わってから何かを得たという事もない映画でした。
少し今の自分と比べてみて見る良い機会になるかもしれない。
ここまで生活が違っていると何とも言えないが、自分が生きている狭い世界だけは穏やかに周りの人にも接したいなと思った。
この女の子が逞しく、又あまり辛そうに見えないのが(多分ぶっ飛んじゃっているんだろうけど)少し感情移入できない部分だった。
追記
コルタンの事を少し調べてみたら携帯やスマホ等の電子機器に使われているそうで、そう考えると心が痛くなってくる。
お涙頂戴や陳腐なラインに収束させようとする意識など毛頭ない意気込み。
伝わってくる映像の凄み、メリハリもあり飽きさせず全てのシーンに目が釘付けになる。