アマゾンの中古本は、200冊くらい買ったが、この本みたいにやたらに線が引いてある本に初めてであった。
しかし、内容はすごくいい。特に高倉健と山口百恵の部分はいい。
日本ではあまり話題にならなかった『君よ憤怒の河を渉れ』は知人の中国人から人気の高さは聞いていたが、この本を読んでよくわかった。
当時この映画のコマーシャルで新宿に裸馬を走らせたというのが印象に残っていたが、中国人は別の観点から見ていたのが面白い。

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中国10億人の日本映画熱愛史 ― 高倉健、山口百恵からキムタク、アニメまで (集英社新書) 新書 – 2006/8/12
劉 文兵
(著)
中国が日本映画に熱狂した時代が残したもの。
文革後、中国は苦難の時代を脱し、経済発展の夢を追いはじめた。人々に熱狂的に受け入れられ、消えることのない影響を残した日本映画の数々。それらを媒介に、日中交流、日本文化受容の流れを描く。
文革後、中国は苦難の時代を脱し、経済発展の夢を追いはじめた。人々に熱狂的に受け入れられ、消えることのない影響を残した日本映画の数々。それらを媒介に、日中交流、日本文化受容の流れを描く。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2006/8/12
- ISBN-104087203565
- ISBN-13978-4087203561
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2015年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2010年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中国の文化大革命終了と同時の解放から近くて遠い国、日本が極、近い国となった事、その日本の文化が映画を通して当時の中国人民に新鮮に届いた事、自由の意味を知った人民の動きがこの本によって良くわかります。現在も日本人を非難する言葉は「日本鬼子」であるが、それは表面だけであり、人民の多数は過去も現在も日本に対するその各種の社会制度や民族性に羨望の眼差しを持っている事を私は知っている。それはこの本を読めば理解する事ができると思います。閉鎖からの解放であり、他国の文化を急速に得ようとする中国人民の行動を端的に表す本だと思います。
2011年4月28日に日本でレビュー済み
立ち読みで済んでしまうような新書が横行する中、この本はとにかく内容が濃い。
単行本以上ではないかと思ほど、中身がぎっしり詰まっている。
映画が主要テーマだが、それ以上に中国現代史の貴重な記録にもなっている。
日中国交正常化以後、中国で日本映画が熱狂的に迎えられた様子を通して、改革開放へ向かう中国社会が活写されているのだ。
それはまた、戦争によって途絶えた日中交流再開の様子であり、今日の経済大国・中国の出発点でもあった。
とかく政治経済の文脈で語られがちな日中関係だが、エンターテインメントという視点から見ると全く違う。
両国はこの分野で、もっと活発に交流する必要があるのではないか。
それが、知っているようで知らない隣国との無用な摩擦を減らす一助となるだろう。
著者は最後に、「おしん」が中国で熱狂的に受容された事実を通して、日本がアジアに発信すべき文化について意見を述べている。
在日二十数年の著者が、さらりと書いているこの一文に留意したい。
こういう意見を聞き逃さないことが、日本のためになるのだから。
単行本以上ではないかと思ほど、中身がぎっしり詰まっている。
映画が主要テーマだが、それ以上に中国現代史の貴重な記録にもなっている。
日中国交正常化以後、中国で日本映画が熱狂的に迎えられた様子を通して、改革開放へ向かう中国社会が活写されているのだ。
それはまた、戦争によって途絶えた日中交流再開の様子であり、今日の経済大国・中国の出発点でもあった。
とかく政治経済の文脈で語られがちな日中関係だが、エンターテインメントという視点から見ると全く違う。
両国はこの分野で、もっと活発に交流する必要があるのではないか。
それが、知っているようで知らない隣国との無用な摩擦を減らす一助となるだろう。
著者は最後に、「おしん」が中国で熱狂的に受容された事実を通して、日本がアジアに発信すべき文化について意見を述べている。
在日二十数年の著者が、さらりと書いているこの一文に留意したい。
こういう意見を聞き逃さないことが、日本のためになるのだから。
2011年12月3日に日本でレビュー済み
中国における映画史と近代中国の政策や歴史と日本映画の影響について。
こんなに中国で日本映画が公開されていて、中国の映画製作や技術に大きな影響を与えていた事、
かなり前までは映画関係者の交流が活発だったをこの本を読んで初めて知った。
でも日本映画の公開が人民の思想統制に使われていたなんて。
日本映画やドラマがどのように受け止められたかや、中国の映画製作における規制なども興味深かった。
ただ今世紀には日本の映画やドラマは下火になり、
中国では日本より先に日本ドラマに代わって韓国ドラマが席巻してたのはなんだか寂しい。
ちなみにタイトルに入ってるキムタクについては直接触れてません。
こんなに中国で日本映画が公開されていて、中国の映画製作や技術に大きな影響を与えていた事、
かなり前までは映画関係者の交流が活発だったをこの本を読んで初めて知った。
でも日本映画の公開が人民の思想統制に使われていたなんて。
日本映画やドラマがどのように受け止められたかや、中国の映画製作における規制なども興味深かった。
ただ今世紀には日本の映画やドラマは下火になり、
中国では日本より先に日本ドラマに代わって韓国ドラマが席巻してたのはなんだか寂しい。
ちなみにタイトルに入ってるキムタクについては直接触れてません。
2006年8月16日に日本でレビュー済み
本書のような「中国における日本映画/ドラマ受容史」という視点は、これまで、「中国映画史」からも、「日本映画史」からも見逃されてきた。日本でそれほど有名というわけではない『君よ憤怒の河を渉れ』が、なぜ中国で「国民的人気映画」となったのか。そのあたりの事情がいろいろ書かれてあり、大変勉強になった。
ただ、「なぜ、“この映画”が“この時期”に流行ったのか」に関する分析は、やや甘い、とも思われる。この手の分析はどうしても後付けにならざるを得ず、「時代がこのような主人公像を求めていたから」的に、結局何も言っていないのと同じになりがちである。著者にとっても、このあたりの分析はこれから、といったところだろうか。
ただ、「なぜ、“この映画”が“この時期”に流行ったのか」に関する分析は、やや甘い、とも思われる。この手の分析はどうしても後付けにならざるを得ず、「時代がこのような主人公像を求めていたから」的に、結局何も言っていないのと同じになりがちである。著者にとっても、このあたりの分析はこれから、といったところだろうか。
2006年8月24日に日本でレビュー済み
この本は、日本の映像文化一般が中国の観客のみならず製作者にもあたえてきた影響を分析しています。が、白眉はやはり著者の専門である、第4章までの映画の分析でしょう。映画内的(表象装置のもたらす視聴覚効果)・外的(社会的コンテクスト)な視点に基づくヒットの原因を列挙したうえで、さらに映画の内と外が観客において交錯し絡み合う結節点をその筋立てに丹念にもとめているからです。
また新書の体裁ながら、文革直後の第五世代監督以前の中国映画についての記述等、従来の中国映画研究において殆ど無視されてきた盲点も指摘されています。だから研究書としての価値も大きいと思います。
他方で、対象に対する緻密な記述の行間からは、急激な時代の変化をそのなかで生きたものがおそらく抱いている、あの時代にたいする強烈な愛惜の念が同時に感じられます。その意味でこの本はロゴスとパトスのバランスがとれた稀有の好著だといえます。
最後にこの本は、その存在そのものを通じて現在の政治的な状況に対する介入の意思を秘めているようにも見えます。それは結語を読めばあきらかです。この数年、ナショナリスティックな世論が日本社会を覆い、結果、中国に対する偏見が瀰漫しているように見受けられます。であればとくに、中国研究や日中関係の基礎資料を求めている方のみならず、日本と中国の相互理解を促進しうる仕事(たとえばマスコミ関係)の方々に対して、ぼくは本書を強くお勧めしたいところです。
また新書の体裁ながら、文革直後の第五世代監督以前の中国映画についての記述等、従来の中国映画研究において殆ど無視されてきた盲点も指摘されています。だから研究書としての価値も大きいと思います。
他方で、対象に対する緻密な記述の行間からは、急激な時代の変化をそのなかで生きたものがおそらく抱いている、あの時代にたいする強烈な愛惜の念が同時に感じられます。その意味でこの本はロゴスとパトスのバランスがとれた稀有の好著だといえます。
最後にこの本は、その存在そのものを通じて現在の政治的な状況に対する介入の意思を秘めているようにも見えます。それは結語を読めばあきらかです。この数年、ナショナリスティックな世論が日本社会を覆い、結果、中国に対する偏見が瀰漫しているように見受けられます。であればとくに、中国研究や日中関係の基礎資料を求めている方のみならず、日本と中国の相互理解を促進しうる仕事(たとえばマスコミ関係)の方々に対して、ぼくは本書を強くお勧めしたいところです。