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岡本太郎が、いる 単行本 – 1999/11/1
岡本 敏子
(著)
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1999/11/1
- ISBN-104103041129
- ISBN-13978-4103041122
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
岡本太郎は永遠に生きている! 生活をともにし身近にふれた人だけが語れる、誰だって惚れずにはいられない「人間・岡本太郎」の魅力のすべてを語る。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1999/11/1)
- 発売日 : 1999/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 237ページ
- ISBN-10 : 4103041129
- ISBN-13 : 978-4103041122
- Amazon 売れ筋ランキング: - 502,242位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
外装、汚れ、傷など二の次。
2013年7月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
岡本太郎亡き後に、世間に広く、生身の岡本太郎を知って欲しいという
切なる願いを込めて、太郎さんの長年に渡っての秘書であり、
パートナーであり、養女という形式を取った敏子さんが書かれた本です。
この本より前に出された『岡本太郎に乾杯』では、主として、
岡本太郎の表の顔、即ち、アヴァンギャルド芸術家としての
戦いの歴史が描かれていたのに対して、
こちらでは、ほとんどの人が知ることのなかった
“人間・岡本太郎”の魅力が、遺憾なく描かれています。
彼女の太郎さんへの愛は、世間で言う男女間の愛など超越しています。
これこそ、“無償の愛”と呼べるものなのかもしれません。
太郎さんは、確かに、七つや八つの時分から、「出る釘は打たれる」ことを
身をもって知っていたと同時に、この先も打たれ続けるであろう苛酷な運命を
予感した上で、既に覚悟を決めていたという節があります。
特に、チマチマと陰湿で閉鎖的な日本の世間からすれば、太郎さんは、
ほとんど理解されることのない人だったのかもしれません。
ですが、太郎さんがいつどこで、誰の子供で生まれてこようとも、
太郎さんはきっと太郎さんであり、太郎さんであり続けたのだろうと、
確信を持って思えてくるのです。
太郎さんは、何よりも、肉親、権力者、社会的弱者、大人から小さな子供まで、
誰に対しても、常に、真っ正直に、一対一の人間として、真摯に向かい合う人でした。
もちろん、外国人に対しても、そうでした。
例えば、冷戦、対立の極めて険しい時代の1964年11月の
韓国訪問の際のエピソードでは、言いたいことを歯に衣着せず言いつつ、
したいことをのびのびとしつつ、飾らない素肌の太郎さん自ら、
韓国の人々の胸元にポーンと飛び込んでいく様に、
実に清々しいものを感じました。
つまり、太郎さんの、堂々とぶつけるべきものはぶつけ、
友好とか親善とかいう言葉などで安易にごまかそうとはしない姿が、
韓国の知識人のみでなく、一般人のこり固まってしまった憎しみやら
警戒心まで見事に溶かしてしまったのでしょう。
アラブやインドや中国でも、太郎さんの〈岡本太郎〉のまんまで、
ぶつかっていく姿勢は同じだったようですし、
結局は、どこででも受け入れられて、とても好かれたそうです。
でも、太郎さんは、関わる人という人を魅了してやまず、
心から愛されて大切にされているのに、
常に孤独の影がついて回っている人でした。
同時に孤独というものを大切にする人でもありました。
「逃げない、ごまかさないで、積極的に孤独をつらぬけば、
逆に人間的にひらいて、みんなと一体になることができる。」
結局、太郎さんは太郎さんであり続ける為に、生涯、挑み続けたのだと思います。
生命をパァッと燃焼させるために、あえて危険な方に賭け続けてきたのでしょう。
生きることに目的などいらない、人生とはむしろ、積みへらすべきものだ、
瞬間瞬間に爆発して生きる、それが太郎さんのモットーでした。
濃縮した瞬間にこそ永遠が存在するということを知っていたから、
太郎さんには過去も未来も存在しなかったのでしょうし、
「永遠の愛」を人前で誓ったりする必要もなかったのでしょう。
太郎さんが1996年の1月7日に亡くなって、
太郎さんと生前親しく付き合ってきた友人たちが発案して、
太郎さんのお誕生日の2/26に、手作りの〈送る会〉即ち岡本太郎の
新生を祝う会が草月プラザで催されることになります。
お葬式が大嫌いだった太郎さんらしく、焼香も献花もない。
どの空間にも太陽のようなエネルギーを無償で放ち続けてきた太郎さんがいる。
最後の場面で用意されたのは、《歓喜》の梵鐘を打ち鳴らし、
外に出ると、太郎さんが虚空に向かって身軽に走り抜けて行く後ろ姿。
ヒョイと振りかえって、残された人たちに、まるで、「お先に!」「あばよ!」
と無邪気に言い放っているような拡大写真である。
誰もが、この写真の前にしばし立ち止まり、涙を流し、微笑んだそうな。
そして、各々が、思うがままに、太郎さんに言葉をかけたのだという。
この素晴らしい写真は、『岡本太郎に乾杯』の本の表紙にもなっています。
「老いるとは、衰えることではない。年とともにますますひらき、
ひらききったところでドウと倒れるのが死なんだ」
私も、太郎さんに無性に会いたくなった時には、太郎さんの言葉に従って、
私の心の中にいる太郎さんに会うことに致しましょう。
「心のなかに生きている。
その心のなかの岡本太郎と出会いたいときに出会えばいい。」
切なる願いを込めて、太郎さんの長年に渡っての秘書であり、
パートナーであり、養女という形式を取った敏子さんが書かれた本です。
この本より前に出された『岡本太郎に乾杯』では、主として、
岡本太郎の表の顔、即ち、アヴァンギャルド芸術家としての
戦いの歴史が描かれていたのに対して、
こちらでは、ほとんどの人が知ることのなかった
“人間・岡本太郎”の魅力が、遺憾なく描かれています。
彼女の太郎さんへの愛は、世間で言う男女間の愛など超越しています。
これこそ、“無償の愛”と呼べるものなのかもしれません。
太郎さんは、確かに、七つや八つの時分から、「出る釘は打たれる」ことを
身をもって知っていたと同時に、この先も打たれ続けるであろう苛酷な運命を
予感した上で、既に覚悟を決めていたという節があります。
特に、チマチマと陰湿で閉鎖的な日本の世間からすれば、太郎さんは、
ほとんど理解されることのない人だったのかもしれません。
ですが、太郎さんがいつどこで、誰の子供で生まれてこようとも、
太郎さんはきっと太郎さんであり、太郎さんであり続けたのだろうと、
確信を持って思えてくるのです。
太郎さんは、何よりも、肉親、権力者、社会的弱者、大人から小さな子供まで、
誰に対しても、常に、真っ正直に、一対一の人間として、真摯に向かい合う人でした。
もちろん、外国人に対しても、そうでした。
例えば、冷戦、対立の極めて険しい時代の1964年11月の
韓国訪問の際のエピソードでは、言いたいことを歯に衣着せず言いつつ、
したいことをのびのびとしつつ、飾らない素肌の太郎さん自ら、
韓国の人々の胸元にポーンと飛び込んでいく様に、
実に清々しいものを感じました。
つまり、太郎さんの、堂々とぶつけるべきものはぶつけ、
友好とか親善とかいう言葉などで安易にごまかそうとはしない姿が、
韓国の知識人のみでなく、一般人のこり固まってしまった憎しみやら
警戒心まで見事に溶かしてしまったのでしょう。
アラブやインドや中国でも、太郎さんの〈岡本太郎〉のまんまで、
ぶつかっていく姿勢は同じだったようですし、
結局は、どこででも受け入れられて、とても好かれたそうです。
でも、太郎さんは、関わる人という人を魅了してやまず、
心から愛されて大切にされているのに、
常に孤独の影がついて回っている人でした。
同時に孤独というものを大切にする人でもありました。
「逃げない、ごまかさないで、積極的に孤独をつらぬけば、
逆に人間的にひらいて、みんなと一体になることができる。」
結局、太郎さんは太郎さんであり続ける為に、生涯、挑み続けたのだと思います。
生命をパァッと燃焼させるために、あえて危険な方に賭け続けてきたのでしょう。
生きることに目的などいらない、人生とはむしろ、積みへらすべきものだ、
瞬間瞬間に爆発して生きる、それが太郎さんのモットーでした。
濃縮した瞬間にこそ永遠が存在するということを知っていたから、
太郎さんには過去も未来も存在しなかったのでしょうし、
「永遠の愛」を人前で誓ったりする必要もなかったのでしょう。
太郎さんが1996年の1月7日に亡くなって、
太郎さんと生前親しく付き合ってきた友人たちが発案して、
太郎さんのお誕生日の2/26に、手作りの〈送る会〉即ち岡本太郎の
新生を祝う会が草月プラザで催されることになります。
お葬式が大嫌いだった太郎さんらしく、焼香も献花もない。
どの空間にも太陽のようなエネルギーを無償で放ち続けてきた太郎さんがいる。
最後の場面で用意されたのは、《歓喜》の梵鐘を打ち鳴らし、
外に出ると、太郎さんが虚空に向かって身軽に走り抜けて行く後ろ姿。
ヒョイと振りかえって、残された人たちに、まるで、「お先に!」「あばよ!」
と無邪気に言い放っているような拡大写真である。
誰もが、この写真の前にしばし立ち止まり、涙を流し、微笑んだそうな。
そして、各々が、思うがままに、太郎さんに言葉をかけたのだという。
この素晴らしい写真は、『岡本太郎に乾杯』の本の表紙にもなっています。
「老いるとは、衰えることではない。年とともにますますひらき、
ひらききったところでドウと倒れるのが死なんだ」
私も、太郎さんに無性に会いたくなった時には、太郎さんの言葉に従って、
私の心の中にいる太郎さんに会うことに致しましょう。
「心のなかに生きている。
その心のなかの岡本太郎と出会いたいときに出会えばいい。」
2004年6月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
岡本太郎さんの一番身近にいた敏子さん、この人は奥さんだと思っていたが、実は戸籍上は養女なのだそうだ。岡本太郎さんの優しさや色気や頭の良さや…芸術家としての才能の他にも沢山の魅力が語られていて、お二人の大ファンになってしまった。おすすめです。
2005年8月23日に日本でレビュー済み
こんなに自分のパートナーを仕事やら人間関係などで互いに強い絆で支え合ってる人は非常に珍しいなと思いました。
太郎の当時(太陽の塔の製作や本の執筆活動など)の活動を毎日ハラハラ・ドキドキの気持ちで支えた岡本敏子さん(当時岡本太郎の50年の秘書を務め、太郎が亡くなった後は岡本太郎記念館館長として活動)から見た太郎の青春記録(芸術活動記録)でした。
やれ恋愛だ結婚だという世界とは、全く異なる強い愛情と絆の本でした。
「岡本太郎さんの本は難し過ぎる」と思われる人へ、敏子さんから見た太郎さんは分かりやすいので是非おすすめの本です。
太郎の当時(太陽の塔の製作や本の執筆活動など)の活動を毎日ハラハラ・ドキドキの気持ちで支えた岡本敏子さん(当時岡本太郎の50年の秘書を務め、太郎が亡くなった後は岡本太郎記念館館長として活動)から見た太郎の青春記録(芸術活動記録)でした。
やれ恋愛だ結婚だという世界とは、全く異なる強い愛情と絆の本でした。
「岡本太郎さんの本は難し過ぎる」と思われる人へ、敏子さんから見た太郎さんは分かりやすいので是非おすすめの本です。