「なぜ戦争はあるのか?」「戦争による富の再分配の歴史」「政治とは何か」、
今、40代の知的冒険者たちの三人が「人類の戦争と国家」を社会学視点と脳科学的な発想で読み解く。
批評家・中野剛志(なかのたけし1971年生まれ)、脳科学者・中野信子(なかののぶこ1975年生まれ)、
評論家・適菜収(てきなおさむ1975年)の豊かな知識と見識で、今の社会を議論されている内容に、とても関心を寄せました。
この本を読みながら、たくさんのラインと書き込みで、会話に参加している気持ちになりました。
p50(適菜)単に多数決で決めるというのは知性の否定です。
p81(信子)中東の混乱を見ていると、国の統合に関しては、いかに国民国家というものが重要な概念かがよく分かりますね。
p130 リースマンが覆した日本人の性向
目次を見た時、社会学者リースマン(1909~2002)の『孤独な群集』が話題になっていたので、とても興味を持ちました。
私の周囲で、この本を読んだ人に出会ったことがないからです。
本書で印象的だったのは、適菜収氏の話には、かなりの毒舌な表現があり違和感がありましたが、彼の言おうとしていることに、
納得する鋭い指摘を感じました。一般大衆には、受け入れられない反発があり、無闇に敵を作る危なっかしさがあります。
それに寄って、刺激している意図があるかも知れませんが…言いたい放題です。
団塊の世代ジュニアの冷静な知的冒険者たちの一冊です。
・団塊の世代(1947~1949生まれ)、団塊ジュニア世代(1971~1974、おおまかに1970年代生まれ)
私の気になる関連図書の紹介
『ヒトはなぜ戦争をするのか? アインシュタインとフロイトの往復書簡』(花風社2000年)
エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』(東京創元社1965年)
デズモンド・モリス著『裸のサル』(河出書房新社1969年)
倉前盛通著『悪の論理 地政学とは何か』(角川文庫1980年)
エドワード・ミラー著『オレンジ計画 アメリカの対日侵攻50年戦略』(新潮社1994年)
2016年5月14日
世界史を学ばれると、この本で書かれていることが理解できます。
高校の教科書、参考書を読み返されることをお薦めします。
人類は戦争の歴史でした。それは、事実なのです。
人の判断材料の「好き嫌い」も大切ですが、数千年の人類の歩みを知ることも重要ですね。
国家、思想、宗教などの対立を繰り返しながら、現代のネットによる瞬間的な情報化社会になっても、
それぞれの地区の利害関係の軋轢(あつれき)が、混乱の温床(おんしょう)になっています。
それを考える、ひとつのキッカケにもなる一冊です。
今月26日、27日と、三重県で世界の首脳が集まる伊勢志摩サミットがありますが、地球規模の国際会議です。
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脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克 (文春新書 1059) 新書 – 2016/1/20
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「ナショナリズムは危険なもの」「知性で殺し合いは回避できる」「人を見た目で判断してはいけない」…これらは近代の迷妄にすぎません。脳科学、社会科学、哲学の若手論客が人間の本質を鋭く突いた白熱の討論10時間!
- 本の長さ238ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2016/1/20
- 寸法11 x 1.3 x 17.4 cm
- ISBN-104166610597
- ISBN-13978-4166610594
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
痛快すぎる知的刺激! 「近代的人間観を捨てよ」
脳科学・社会科学・哲学……新進気鋭の論客による白熱の議論10時間!
人類はなぜナショナリズムに高揚し、愚かな政治的リーダーを支持し、戦争をやめられないのだろうか? なぜ賢いはずのインテリがバカな政策を支持し、知性に溢れた科学者がサイコパスに翻弄されてしまうのか? あるいは、なぜ日本人は「空気を読む」のが得意なのに、外交が不得手で英語も下手なのか? ……じつは最先端の脳科学実験では、これらの疑問を解き明かすヒントが多数報告されている。
本書は新進気鋭の論客たちが、脳科学実験の成果や古今東西の哲人・社会学者の知見などをもとに、われわれが囚われている近代的人間観を乗り越えることを試みる。
「保守主義は危険」「ナショナリズムは悪」「改革は善」「人を見た目で判断してはいけない」……こうした思考は、すべて近代がもたらした迷妄にすぎない。
近代的価値観が捨象してしまったものの中にこそ、人間の本質がある。最先端の脳科学でも、それを裏付ける結果が出ているのだ。
本書に「きれいごと」は一切ありません!
◎男は女より知能が高い個体が多いが、バカも多い
◎ナショナリズムが快楽なのは「内集団バイアス」が働くから
◎ドーパミンが多い民族は進取の気性に富むが、浮気も大いにする
◎「自由」は人間の脳にとっては苦痛である。国民主権も民主主義も、脳には合わないシステムだった
◎イスラム国が世界遺産を破壊するのは、聖的なシンボルを破壊すれば共同体が滅びるから
◎生物学的に女性のほうが「保守」の本質を深く理解している
◎世の中にバカがはびこるのは、「B層」よりも「A層」に責任がある
◎脳内物質オキシトシンは人類社会をまとめるが、戦争にも駆り立てる
脳科学・社会科学・哲学……新進気鋭の論客による白熱の議論10時間!
人類はなぜナショナリズムに高揚し、愚かな政治的リーダーを支持し、戦争をやめられないのだろうか? なぜ賢いはずのインテリがバカな政策を支持し、知性に溢れた科学者がサイコパスに翻弄されてしまうのか? あるいは、なぜ日本人は「空気を読む」のが得意なのに、外交が不得手で英語も下手なのか? ……じつは最先端の脳科学実験では、これらの疑問を解き明かすヒントが多数報告されている。
本書は新進気鋭の論客たちが、脳科学実験の成果や古今東西の哲人・社会学者の知見などをもとに、われわれが囚われている近代的人間観を乗り越えることを試みる。
「保守主義は危険」「ナショナリズムは悪」「改革は善」「人を見た目で判断してはいけない」……こうした思考は、すべて近代がもたらした迷妄にすぎない。
近代的価値観が捨象してしまったものの中にこそ、人間の本質がある。最先端の脳科学でも、それを裏付ける結果が出ているのだ。
本書に「きれいごと」は一切ありません!
◎男は女より知能が高い個体が多いが、バカも多い
◎ナショナリズムが快楽なのは「内集団バイアス」が働くから
◎ドーパミンが多い民族は進取の気性に富むが、浮気も大いにする
◎「自由」は人間の脳にとっては苦痛である。国民主権も民主主義も、脳には合わないシステムだった
◎イスラム国が世界遺産を破壊するのは、聖的なシンボルを破壊すれば共同体が滅びるから
◎生物学的に女性のほうが「保守」の本質を深く理解している
◎世の中にバカがはびこるのは、「B層」よりも「A層」に責任がある
◎脳内物質オキシトシンは人類社会をまとめるが、戦争にも駆り立てる
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2016/1/20)
- 発売日 : 2016/1/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 238ページ
- ISBN-10 : 4166610597
- ISBN-13 : 978-4166610594
- 寸法 : 11 x 1.3 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 420,945位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 915位文春新書
- - 62,654位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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東京都生まれ。2008年東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課
程修了。東日本国際大学教授、京都芸術大学客員教授。医学博士。脳や心
理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行う。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年4月22日に日本でレビュー済み
2016年1月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良質な保守論客である剛志氏と適菜氏に、脳科学者たる信子氏
を加えた鼎談です。
立ち上がりの序章は、スローペースの立ち上がりと見え、この
三人にしてこの内容なのかと、先行きが懸念されましたが、第
一章以降は見事に立て直し、快調に飛ばします。
基本的には保守論客お二人による、近代の固定観念による迷妄
を解くことがベースとなりますが、そこに脳科学の知見が加わ
ることで、「保守」談義が何時になく新鮮に感じられました。
当然ながら、近代的思考に根差した偽装保守たる安倍首相への
批判満載です。
を加えた鼎談です。
立ち上がりの序章は、スローペースの立ち上がりと見え、この
三人にしてこの内容なのかと、先行きが懸念されましたが、第
一章以降は見事に立て直し、快調に飛ばします。
基本的には保守論客お二人による、近代の固定観念による迷妄
を解くことがベースとなりますが、そこに脳科学の知見が加わ
ることで、「保守」談義が何時になく新鮮に感じられました。
当然ながら、近代的思考に根差した偽装保守たる安倍首相への
批判満載です。
2016年1月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「銃・病原菌・鉄」を彷彿させるタイトルからして面白そう。期待を込めての★5です。
2016年6月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルを見て何の本だろうと思って買いました。三人の名前が載っているので、てっきり三人連名の著書だと思ったのですが、「鼎談」と言うものでした。本レビューアは前から、「対談」と言うものは、読んでいるときには面白そうに思っても、結局、まとまりが無くて、失望させられることが多いため、あまり大きな期待をしないことにしていましたが、それにしてもこの本はひどいものでした。対談より一人多い3人による鼎談ですので、さらにまとまりの無い、居酒屋の与太話程度のものでした。特に、中野剛志氏と適菜収氏の話は本当に 酒の席の話そのものでした。代表的な二人の会話をの例(p.134)挙げると、以下のとおりです。
剛志:集団に帰属しているからといって、個人主義とは反しないのです。逆に、共同体から切り離された個のほうは、人間の性向として集団に行かざるを得ないので、集団を求め大衆煽動家やマスメディアに流されたりしてしまう。私は、これがポピュリズムの正体だと思う。
適菜:おっしゃるとおりです。トクヴィルは共同体から切り離された個は、大多数のものの一般意思に進んで自分を固く縛りつけることになると言っていますね。(以下略)
中野剛志氏は、「何を根拠にそのようなことを言えるのか」と不思議に思うような論理展開をし、それに基づき「ポピュリズムもの正体はこれだ」と決め付けています。そして、それを受けた適菜氏はそれを簡単に納得してしまいあます。そして、己の主張を始めるわけですが、その際の根拠として、誰か外国(それも欧米?)人の名前を挙げ、その人の言ったことそのまま受け入れています。
正に、文系人間の会話です。剛志氏の意見にしろ、適菜氏の意見にしろ、トクヴィル(?)氏の意見にしろ、全て、それぞれの人が「・・・と思った」だけのことでしょう。その理論展開に今までに無い「面白い」視点でもあればそれでよく、検証などしないでひとつの理論となってしまうようです。検証無しでよければ、どのような理論でも簡単に確立してしまいます。第一、いくつかの難解な概念の言葉が出てきますが、それの明確な定義が全くなされていません。各自、勝手に自分の頭の中で、思っているだけで、ある言葉の定義が自分と相手とで、異なっているかもしれないと言うことに全く注意を払っていません。そんな論議をしていて、気持ち悪くないのでしょうか?文系人間のすごいところです。理学、医学、工学などの理系の分野においては、まず言葉の定義を確認し、各自同じ概念であることを確かめます。しかる後、中野信子氏も言ってリるとおり(p.231)、自然現象を実験・実測・調査などにより観察した上で、理論を組み立て、それを基づいて「現象の予測」をし、その予測が自然現象と矛盾しないかをしっかりと検証した上でないと「理論」とはみなされません。どれほどエレガントな理論でも、自然現象で検証し少しでも矛盾があれば、それで廃棄です。正に「美しい理論は、醜い現象により棄却される」訳です。
それと、このお二人の言葉遣いが荒すぎます。「アホ(p.52)」とか「連中(p.111)」とか「嘘ぱち(p.112)」などと言ったはしたない言葉が会話の中に散見されます。正に、居酒屋での酔客の会話そのものです。本の宣伝文句のひとつ「きれいごと一切なし」は正にそのとおりで、汚い言葉に溢れています、と言うよりは汚い言葉しかありませんと言ったほうがふさわしい文章の連続です。また、レビューアーもわが国の首相のお考えには同意できないところが少なくありませんが、このお二人は「安倍(p.32)」と呼び捨てにしたり、「安倍は箸がまともにもてない(p.32)」とか、政治家に対し、「立憲制どころか政治の基本を全く理解していない(p.52)」などと、名誉毀損で訴えられてもおかしくないような発言が続きます。また、「左翼はみんな丸いめがねをかける(p.14)」などと「(彼らの言葉を借りれば)アホ」なことを言っています。何をもってこれはどのことを言えるのでしょうか。「ああかわいそうな人がいるな(p.32)」と思われるのはこのお二人ではないでしょうか。
また、人をA,B,C,Dといった4段階の「層」に分類(p.123)し、A,B各層の人々に対し、極めて侮蔑的発言を繰り返しているのも良識を疑いたくなる態度です。
その二人の会話に、賢そうなリケ女の中野信子氏(中野剛志氏の奥さん?)は適当に話を合わせているようです。恐らく心の中では、「こいつら頭スッカスカン(ちょっと言葉が汚いですね。これはレビューアーが二人のスッカラカン男に影響されてしまったのであって、信子氏とは関係のないことです)」と思っていたのではないでしょうか。また、この本の宣伝文句のひとつ「男は女より・・・バカが多い」と言うのは本当であると思っているでしょう。そして、彼女はきっとこうも思っていたでしょう。「文系の人はいいわね。どんな理論も検証しなくていいのだから。検証しなくて良ければ、何とでも言えるに決まっています」。そう思いながらも、一番最後に「いろんなことが一本に繋がってきましたね」とスッカラカン男たちを持ちあげているところはなんと奥ゆかしく、賢い女性であると思いました。率直に言って、「何がどう繋がったのか」を彼女に突っ込んで聞くのはヤボな話でしょう。
以上のように、文系男二人の会話に出てくる内容は、論評に値するとは言いがたいものがありますが、ひとつの救いは社会学などの文系の領域には科学的な手法は使えないことを理解はしているようであることです(p.230)。そうであれば、この本のタイトルにあるような大それた課題に関する「大風呂敷」なことを言うのはお控えになさったらどうでしょうか。あくまで、文系的手法を主張しても、彼らも認めているとおりそれは、ソクラテス以来何も進歩していません、というよりは退歩しているのです。学問の社会的有用性という意味では、文系はほとんど何の役にも立っていません。どれほど文系の学問が優れていると主張する人でも、哲学科を出た人が設計した飛行機には乗らないでしょう。乗るなら、工学部の航空工学科を出た人の設計した飛行機に乗るでしょう。もうそろそろ文系的方法を大きく見直すべきではないでしょうか。
いずれにせよこの本は、本レビューアーにとっては「外れ」でした。
最後に、この方々は「社会科学」と言う言葉を使っています。恐らく、社会現象を自然現象になぞらえ、自然現象で用いられ成功した「科学」の手法を用いて、社会現象を研究しようとしているからかもしれませんが、「科学」の方法では、必ず最後に、実験・実測などによる再現性の検証がなされなければなりません。しかしながら、社会現象ではこの本の著者らも認めているとおり、社会現象に関しては、「検証」は殆どの場合不可のであり、したがって何も検証しないのが当たり前となっているようです。それでは「科学」とは言えません。ですから、「社会科学」と言うのは言いすぎです。せめて、「科学的社会学」くらいにするべきです。
剛志:集団に帰属しているからといって、個人主義とは反しないのです。逆に、共同体から切り離された個のほうは、人間の性向として集団に行かざるを得ないので、集団を求め大衆煽動家やマスメディアに流されたりしてしまう。私は、これがポピュリズムの正体だと思う。
適菜:おっしゃるとおりです。トクヴィルは共同体から切り離された個は、大多数のものの一般意思に進んで自分を固く縛りつけることになると言っていますね。(以下略)
中野剛志氏は、「何を根拠にそのようなことを言えるのか」と不思議に思うような論理展開をし、それに基づき「ポピュリズムもの正体はこれだ」と決め付けています。そして、それを受けた適菜氏はそれを簡単に納得してしまいあます。そして、己の主張を始めるわけですが、その際の根拠として、誰か外国(それも欧米?)人の名前を挙げ、その人の言ったことそのまま受け入れています。
正に、文系人間の会話です。剛志氏の意見にしろ、適菜氏の意見にしろ、トクヴィル(?)氏の意見にしろ、全て、それぞれの人が「・・・と思った」だけのことでしょう。その理論展開に今までに無い「面白い」視点でもあればそれでよく、検証などしないでひとつの理論となってしまうようです。検証無しでよければ、どのような理論でも簡単に確立してしまいます。第一、いくつかの難解な概念の言葉が出てきますが、それの明確な定義が全くなされていません。各自、勝手に自分の頭の中で、思っているだけで、ある言葉の定義が自分と相手とで、異なっているかもしれないと言うことに全く注意を払っていません。そんな論議をしていて、気持ち悪くないのでしょうか?文系人間のすごいところです。理学、医学、工学などの理系の分野においては、まず言葉の定義を確認し、各自同じ概念であることを確かめます。しかる後、中野信子氏も言ってリるとおり(p.231)、自然現象を実験・実測・調査などにより観察した上で、理論を組み立て、それを基づいて「現象の予測」をし、その予測が自然現象と矛盾しないかをしっかりと検証した上でないと「理論」とはみなされません。どれほどエレガントな理論でも、自然現象で検証し少しでも矛盾があれば、それで廃棄です。正に「美しい理論は、醜い現象により棄却される」訳です。
それと、このお二人の言葉遣いが荒すぎます。「アホ(p.52)」とか「連中(p.111)」とか「嘘ぱち(p.112)」などと言ったはしたない言葉が会話の中に散見されます。正に、居酒屋での酔客の会話そのものです。本の宣伝文句のひとつ「きれいごと一切なし」は正にそのとおりで、汚い言葉に溢れています、と言うよりは汚い言葉しかありませんと言ったほうがふさわしい文章の連続です。また、レビューアーもわが国の首相のお考えには同意できないところが少なくありませんが、このお二人は「安倍(p.32)」と呼び捨てにしたり、「安倍は箸がまともにもてない(p.32)」とか、政治家に対し、「立憲制どころか政治の基本を全く理解していない(p.52)」などと、名誉毀損で訴えられてもおかしくないような発言が続きます。また、「左翼はみんな丸いめがねをかける(p.14)」などと「(彼らの言葉を借りれば)アホ」なことを言っています。何をもってこれはどのことを言えるのでしょうか。「ああかわいそうな人がいるな(p.32)」と思われるのはこのお二人ではないでしょうか。
また、人をA,B,C,Dといった4段階の「層」に分類(p.123)し、A,B各層の人々に対し、極めて侮蔑的発言を繰り返しているのも良識を疑いたくなる態度です。
その二人の会話に、賢そうなリケ女の中野信子氏(中野剛志氏の奥さん?)は適当に話を合わせているようです。恐らく心の中では、「こいつら頭スッカスカン(ちょっと言葉が汚いですね。これはレビューアーが二人のスッカラカン男に影響されてしまったのであって、信子氏とは関係のないことです)」と思っていたのではないでしょうか。また、この本の宣伝文句のひとつ「男は女より・・・バカが多い」と言うのは本当であると思っているでしょう。そして、彼女はきっとこうも思っていたでしょう。「文系の人はいいわね。どんな理論も検証しなくていいのだから。検証しなくて良ければ、何とでも言えるに決まっています」。そう思いながらも、一番最後に「いろんなことが一本に繋がってきましたね」とスッカラカン男たちを持ちあげているところはなんと奥ゆかしく、賢い女性であると思いました。率直に言って、「何がどう繋がったのか」を彼女に突っ込んで聞くのはヤボな話でしょう。
以上のように、文系男二人の会話に出てくる内容は、論評に値するとは言いがたいものがありますが、ひとつの救いは社会学などの文系の領域には科学的な手法は使えないことを理解はしているようであることです(p.230)。そうであれば、この本のタイトルにあるような大それた課題に関する「大風呂敷」なことを言うのはお控えになさったらどうでしょうか。あくまで、文系的手法を主張しても、彼らも認めているとおりそれは、ソクラテス以来何も進歩していません、というよりは退歩しているのです。学問の社会的有用性という意味では、文系はほとんど何の役にも立っていません。どれほど文系の学問が優れていると主張する人でも、哲学科を出た人が設計した飛行機には乗らないでしょう。乗るなら、工学部の航空工学科を出た人の設計した飛行機に乗るでしょう。もうそろそろ文系的方法を大きく見直すべきではないでしょうか。
いずれにせよこの本は、本レビューアーにとっては「外れ」でした。
最後に、この方々は「社会科学」と言う言葉を使っています。恐らく、社会現象を自然現象になぞらえ、自然現象で用いられ成功した「科学」の手法を用いて、社会現象を研究しようとしているからかもしれませんが、「科学」の方法では、必ず最後に、実験・実測などによる再現性の検証がなされなければなりません。しかしながら、社会現象ではこの本の著者らも認めているとおり、社会現象に関しては、「検証」は殆どの場合不可のであり、したがって何も検証しないのが当たり前となっているようです。それでは「科学」とは言えません。ですから、「社会科学」と言うのは言いすぎです。せめて、「科学的社会学」くらいにするべきです。
2016年5月7日に日本でレビュー済み
予想通り、中身自体は当たり前のことが当たり前に議論されている作品です。まともな大人が、これを読んでショックを受けているようでは困ります。中野氏と適菜氏の考えは明確なのですが、どうしても字ずらだけを一面的に捉えると誤解を招きやすいものです。そこに中野女史という科学者が関わることにより、様々なデータや実験結果がいくつかの限定付きながら提示され、全体として議論がしっかりした足場を得たようです。もっとも中野女史の発言は科学者らしく限りなくconditionalでguardedなものですが。
そう、この本で言われていることは一見controversialなようで、当たり前の「真理」なんだな。起きてしまった変化をundoすることはできないし、inventされたものをいまさらdisinventすることもできないのは、著者たちも認めています。ただ「答え」ではない、だって答えなんか存在しないのだから。変化の意匠のためだけの変化への情熱、知性と合理への無限定の信頼。これらの近代的人間観の陥穽はjohn gray The Soul of the Marionette: A Short Inquiry into Human Freedom の最近の作品でも取り上げられているテーマです。
そう、この本で言われていることは一見controversialなようで、当たり前の「真理」なんだな。起きてしまった変化をundoすることはできないし、inventされたものをいまさらdisinventすることもできないのは、著者たちも認めています。ただ「答え」ではない、だって答えなんか存在しないのだから。変化の意匠のためだけの変化への情熱、知性と合理への無限定の信頼。これらの近代的人間観の陥穽はjohn gray The Soul of the Marionette: A Short Inquiry into Human Freedom の最近の作品でも取り上げられているテーマです。
2020年3月14日に日本でレビュー済み
「近代」とは、論理が支配する時代である。
そこには当然、言語化不能の広大な世界が取り残されている。
「ナショナリズムは危険なもの」
「知性で殺し合いは回避できる」
「人を見た眼で判断してはいけない」
が例示されているがそれらは近代的理念かもしれないが、単なる、綺麗事・偽善・浅知恵でもあろう。
コトバで騙すのは簡単であるが、それを発した人間の品性も見破られる。
左翼が力を失ったのはイデオロギーと共に人の問題もあった。
胡散臭さと商売臭が臭っていたのである。
死語となったがインテリや科学者が判断を間違うのも知性ではなく単に、未熟の所為である。
独立した個人というのも欺瞞である。一人で生きられるものか。
将棋の元名人升田幸三は、「錯覚いけない、よく見るよろし」と云う痛切のフレーズを残している。
タイトルは、出版社の命名であろうが内容は、軽い鼎談のノリである。
近代的価値観の反省が漸く、2016年に出版されたと云う点に意義があるのだろう。
ただ、日本にとって困るのは、近代の理念である「法治主義・契約主義」を遵守しない、近代以前の国家群に取り囲まれている点である。
コロナウィルスの世界的流行は、過去の疫病と同じく一つの時代つまり、「近代」そして多国籍企業が跋扈するグローバリズムの終焉を意味しているのかもしれない。そこに、期待しよう。
そこには当然、言語化不能の広大な世界が取り残されている。
「ナショナリズムは危険なもの」
「知性で殺し合いは回避できる」
「人を見た眼で判断してはいけない」
が例示されているがそれらは近代的理念かもしれないが、単なる、綺麗事・偽善・浅知恵でもあろう。
コトバで騙すのは簡単であるが、それを発した人間の品性も見破られる。
左翼が力を失ったのはイデオロギーと共に人の問題もあった。
胡散臭さと商売臭が臭っていたのである。
死語となったがインテリや科学者が判断を間違うのも知性ではなく単に、未熟の所為である。
独立した個人というのも欺瞞である。一人で生きられるものか。
将棋の元名人升田幸三は、「錯覚いけない、よく見るよろし」と云う痛切のフレーズを残している。
タイトルは、出版社の命名であろうが内容は、軽い鼎談のノリである。
近代的価値観の反省が漸く、2016年に出版されたと云う点に意義があるのだろう。
ただ、日本にとって困るのは、近代の理念である「法治主義・契約主義」を遵守しない、近代以前の国家群に取り囲まれている点である。
コロナウィルスの世界的流行は、過去の疫病と同じく一つの時代つまり、「近代」そして多国籍企業が跋扈するグローバリズムの終焉を意味しているのかもしれない。そこに、期待しよう。