グローバル社会を「リスク」という観点で分析した本。テクノロジーの発達に伴って増大していくリスクに対処するために、国家どうしの連帯が促進されていくことが、述べられている。
ベック氏は、世界のグローバル化を、引き返しようのない不可避な動き、と捉えている。(その一方で、市場がすべてを解決するという「新自由主義」の考え方は、「幻想」にすぎない、と主張する。グローバリゼーションに対しては、国家がある程度、調整をかけなくてはならないのである。)
グローバル化とは、“テクノロジーの発達”が可能にした“ヒト・モノ・カネの世界的な移動と、それに伴って起こるボーダーレス化(=国境など、あらゆる境界がなくなっていく)現象”である。
ベック氏は、テロを例に挙げ、以前は国家レベルでしか保有できなかった高度な技術が、テクノロジーの発達に伴って、個人レベルでも手に入るようになり、結果として殺傷力の強い武器(と、なり得るもの)の調達が容易になってしまった、と述べる。今では、国家を超えたテロネットワークも、民間人の使うインフラで構築できてしまうのである。
つまり、「リスク社会」とは、テクノロジーの進歩のメリットだけでなく、デメリットにも直面している社会、ということなのだ。世界中のテクノロジーの進歩が止められない以上、人々の“できること”の量は増えていく。それにしたがって、“想定外のハプニング”が起きる可能性も増大する。このような「危険のグローバル性」を、「環境破壊、金融危機、テロのネットワーク」の三分野にベック氏は分けている。しかし、現在ではより多くの「リスク」の分野が想定されるかもしれない。
このような、あらゆる分野の“境界の無化=液状化”に対しては、国家どうしが連携して対応しなくてはならなくなる。要するに、“液状化して混乱していく世界”に対して、秩序を構築しようとする動きが必然的に起きる、のである。
ベック氏は、グローバル化する世界では、「一か国主義」のエゴイズムを押し通すのは無理であり、「国家の世界的な評価」は、「協調する能力と才覚や、ネットワーク化された国家間関係における立場や、超国家的組織における存在感によって測られるものになる」と述べる。このような連携の際には、一方だけが得をしようとする「ナショナルなゼロサムゲームは、歴史的に誤ったもの」となる。「双方が権力(利益)を獲得するプラスサムゲームとして、相互の依存関係がとらえられ、深められるのが正しいとらえかた」なのである。
この本を読んでいると、EUやTPPのようなルールの枠組みは、反発があったとしても、いずれ必要とされていくことが、よく分かる。現代では、“世界全ての国家の連携”は非現実的だろう。しかし、“価値観を共有する国家の連携”は、一時的に停滞したとしても、最終的には進んでいくだろう。なぜなら、“世界的なルール”は、最も影響力のある経済圏のものが支配的になるのだから、自国の将来のかかった問題として取り組まざるを得ないのである。
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世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫 ヘ 9-1) 文庫 – 2010/9/8
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- 本の長さ191ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2010/9/8
- ISBN-104480093109
- ISBN-13978-4480093103
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2010/9/8)
- 発売日 : 2010/9/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 191ページ
- ISBN-10 : 4480093109
- ISBN-13 : 978-4480093103
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- - 1,182位ちくま学芸文庫
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2015年10月30日に日本でレビュー済み
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ウォルクスワーゲンが、デイーゼル車に規制逃れの不正ソフトをセットし、それをこれまでに一千百万台を販売しました。
これは米国のウェストヴァージニア大学の研究班が、vw車の排気ガス機能の優秀性を、確かめるために始めた路上実験でした。
しかし実験の結果は、二つの実験車の排気ガスに含まれる窒素酸化物の量が、20倍と30倍に達しました。
この結果にvw社は、詭弁を弄して弁解を繰り返し、業を煮やした米環境保護局に、「来年の販売は承認しない」と警告され、
不正ソフトセットの違反行為をしぶしぶみとめました。
が、vw社は、不正ソフトをセットした車種を公表していません。
車種を公表すると、裁判で不利になるからです。これが、リスク社会の実態です。このようなことは、今の世界は毎日のように起きています.
これは米国のウェストヴァージニア大学の研究班が、vw車の排気ガス機能の優秀性を、確かめるために始めた路上実験でした。
しかし実験の結果は、二つの実験車の排気ガスに含まれる窒素酸化物の量が、20倍と30倍に達しました。
この結果にvw社は、詭弁を弄して弁解を繰り返し、業を煮やした米環境保護局に、「来年の販売は承認しない」と警告され、
不正ソフトセットの違反行為をしぶしぶみとめました。
が、vw社は、不正ソフトをセットした車種を公表していません。
車種を公表すると、裁判で不利になるからです。これが、リスク社会の実態です。このようなことは、今の世界は毎日のように起きています.
2011年3月20日に日本でレビュー済み
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本書は、2001年11月のモスクワにおける国会講演「言葉が失われるとき」と、1996年5月のウィーン旧市役所における講演「世界リスク社会、世界公共性、グローバルなサブ政治」から成る。
「言葉が失われるとき――テロと戦争について」では、「世界リスク社会」の概念を説明し、そこから、1)テロと戦争、2)経済のグローバル化と新自由主義、3)国家と主権、といった概念を批判的に検討することを目的にしている。
まずベックは、「危険」と「リスク」を区別し、「リスク」とは危険を確率などで数量化、可視化、普遍化することによって制御可能、予見可能にした近代の概念であるとする。そしてグローバル化する危険(環境破壊、テロなど)が、従来のリスク概念を超えて把握できなくなり、政治的に「爆発」してしまう可能性がある現代を「世界リスク社会」と規定する。
次に、世界リスク社会における危険を、1)生態系の危機、2)世界的な金融危機、3)国際的なテロの危機、という3つの次元に区別し、そこから世界リスク社会特有の政治的チャンスと矛盾の共通モデルを提示する。それによれば、世界リスク社会の自己再帰性により、危機のグローバル性は内政と外政の区別を流動化させ、グローバルな連帯を産み出すという。
以上を踏まえて、世界リスク社会における上述の諸概念の変化について検討する。国家のみが国家に対して戦争するのではなく、諸個人が国家に対して戦争するという戦争の「個人化」。新自由主義の失墜による政治の優位。国民国家間のグローバルな同盟による国家の自己決定権の縮減と国家主権の増大、などが指摘される。最後に、「監視国家」ではなく、「世界へと開かれた国家」への展望で締めくくられる。
「世界リスク社会、世界公共性、グローバルなサブ政治」では、「環境問題」を、従来の社会と自然という二元論を超える視点として、世界リスク社会の観点から考察することを目的としている。
ここでは、世界リスク社会論について、「言葉が失われるとき」よりも詳細に述べられている。国際的な条約や制度の設立といった「上からの」グローバル化と、既存の政治的組織や利益組織を疑問視する新しい行為主体(グリーン・ピースといったNGOなど)といった「下からの」グローバル化を区別し、下からのグローバル化による直接的な政治が「サブ政治」として重要視される。
そして、サブ政治のケーススタディとして、グリーンピースの活動を取り上げ、結論として、1)環境問題というグローバルな危険はグローバルな共通性を作り出し、世界公共性の可能性が生まれる。2)そのような危険のグローバル性は、協調的な国際機関の創設に向かわせる。3)それは従来の政治的なものを解体し、グローバルで直接的なサブ政治により、カント的な「世界市民社会」の可能性が生まれる、といった点が指摘される。
解釈論的枠組みに関する議論はやや難解であるが、訳者解説を参考にすれば、大まかな理解を得ることができる。また訳者解説には、本書所収の講演のニュアンスの違いや、ベックに対する批判についても少しであるが触れられている。
本書は、前半は9・11以降のテロリズム、後半は環境問題が議論の中心であり、金融問題や経済のグローバル化についてはあまり触れられていない。だからといって、リーマンショック以降の金融危機について得るところが全くないわけではない。なぜならば、リスク概念はまさに金融において中心的な問題だからである。コンパクトではあるが、内容が詰まっており、ベックの入門書としても読むことが可能だろう。
「言葉が失われるとき――テロと戦争について」では、「世界リスク社会」の概念を説明し、そこから、1)テロと戦争、2)経済のグローバル化と新自由主義、3)国家と主権、といった概念を批判的に検討することを目的にしている。
まずベックは、「危険」と「リスク」を区別し、「リスク」とは危険を確率などで数量化、可視化、普遍化することによって制御可能、予見可能にした近代の概念であるとする。そしてグローバル化する危険(環境破壊、テロなど)が、従来のリスク概念を超えて把握できなくなり、政治的に「爆発」してしまう可能性がある現代を「世界リスク社会」と規定する。
次に、世界リスク社会における危険を、1)生態系の危機、2)世界的な金融危機、3)国際的なテロの危機、という3つの次元に区別し、そこから世界リスク社会特有の政治的チャンスと矛盾の共通モデルを提示する。それによれば、世界リスク社会の自己再帰性により、危機のグローバル性は内政と外政の区別を流動化させ、グローバルな連帯を産み出すという。
以上を踏まえて、世界リスク社会における上述の諸概念の変化について検討する。国家のみが国家に対して戦争するのではなく、諸個人が国家に対して戦争するという戦争の「個人化」。新自由主義の失墜による政治の優位。国民国家間のグローバルな同盟による国家の自己決定権の縮減と国家主権の増大、などが指摘される。最後に、「監視国家」ではなく、「世界へと開かれた国家」への展望で締めくくられる。
「世界リスク社会、世界公共性、グローバルなサブ政治」では、「環境問題」を、従来の社会と自然という二元論を超える視点として、世界リスク社会の観点から考察することを目的としている。
ここでは、世界リスク社会論について、「言葉が失われるとき」よりも詳細に述べられている。国際的な条約や制度の設立といった「上からの」グローバル化と、既存の政治的組織や利益組織を疑問視する新しい行為主体(グリーン・ピースといったNGOなど)といった「下からの」グローバル化を区別し、下からのグローバル化による直接的な政治が「サブ政治」として重要視される。
そして、サブ政治のケーススタディとして、グリーンピースの活動を取り上げ、結論として、1)環境問題というグローバルな危険はグローバルな共通性を作り出し、世界公共性の可能性が生まれる。2)そのような危険のグローバル性は、協調的な国際機関の創設に向かわせる。3)それは従来の政治的なものを解体し、グローバルで直接的なサブ政治により、カント的な「世界市民社会」の可能性が生まれる、といった点が指摘される。
解釈論的枠組みに関する議論はやや難解であるが、訳者解説を参考にすれば、大まかな理解を得ることができる。また訳者解説には、本書所収の講演のニュアンスの違いや、ベックに対する批判についても少しであるが触れられている。
本書は、前半は9・11以降のテロリズム、後半は環境問題が議論の中心であり、金融問題や経済のグローバル化についてはあまり触れられていない。だからといって、リーマンショック以降の金融危機について得るところが全くないわけではない。なぜならば、リスク概念はまさに金融において中心的な問題だからである。コンパクトではあるが、内容が詰まっており、ベックの入門書としても読むことが可能だろう。
2011年7月24日に日本でレビュー済み
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ポイントは、気候変動やグローバル化した金融市場、テロリズムといった近代社会の生み出したリスクは制御できない、というペシミスティックなものです。その典型としてあげられているのが原子力発電所事故で、だから保険制度も適用されない、というのがその証左だとしています。また、9.11のようなリスクに対しては、個々の国民国家だけでは対応することができずに、グローバルな同盟が必要になってくるとともに、新自由主義的な安全をないがしろにした規制緩和圧力に対しても、紛争調停の専門組織が必要になってくる、というような話しです。
ふたつの講演が収められているんですが、その最初の講演のラストに引用しているカントの「公民法に従い世界市民社会と一致するような成因として自分をみなせることは、人間が自分の決定について考えることができ、情熱的に考えることのできもののなかで、もっとも崇高な理念である」というのは印象的でしたが、同時にちょっと理想主義的だわな、とも感じていました。
例えば、グリーンスパンが《商業銀行は百年に一度しか必要にならないほどの資本を、いつも備えることに強く抵抗し、百年に一度の事態が起これば、破綻するリスクをとることを好んでいる》から、金融システムの100年に一回の危機は中央銀行が担うべきだ、という迫力には及ばないかな、と感じます(『波乱の時代 特別版 サブプライム問題を語る』)。
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例えば、グリーンスパンが《商業銀行は百年に一度しか必要にならないほどの資本を、いつも備えることに強く抵抗し、百年に一度の事態が起これば、破綻するリスクをとることを好んでいる》から、金融システムの100年に一回の危機は中央銀行が担うべきだ、という迫力には及ばないかな、と感じます(『波乱の時代 特別版 サブプライム問題を語る』)。