基本的には、民族運動団体や日本の左翼が主張する在日朝鮮人に関する言説の問題性を徹底的に批判したものである。
それと同時に、前半部分ではそうした主張に至る著者自身の運動経験や、志向の変遷が比較的等身大に述べられている。
ここで著者が批判する言説は、まったくもって私が批判したい内容と同様であり、特に、彼らが運動を継続するために運動の対象を作るという行為における「差別の再生産」はまさに私が考えていた点である。こうした点にすでに気づいている人間がいたのだ。
そしてそうした本来、どうしようもなく荒唐無稽な主張が受け入れられる背景には、なんといっても戦後民主主義的価値観にとらわれた日本の左翼の存在が重要な意味を持っている。この点では、左翼も同列の批判に加えら!れなければならないであろう。
ただ、ここでの批判の対象となるべき人間は、運動家、民族団体幹部、左翼知識人であり、これは大多数の日本人や「在日」とは全く異質な存在である。
要はいかにして彼らに対する国民的総包囲網を形成するかであろう。ここで、著者はもちろん本書の範囲ではないにせよ、前向きな積極的な提言を行っていないが、幅広く受け入られる、かつ科学的な未来像を提示することが、最も重要な作業であろう。
彼らの言説は、正面きって批判する価値などまったくないものであるし、それをあえて避けることが不毛なエネルギーを消耗することを回避する方法であろう。

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在日韓国朝鮮人に問う 単行本 – 1992/1/30
佐藤勝巳
(著)
過剰な要求が新たな亀裂を生み出している――30余年にもわたって、日朝友好・差別反対運動に尽力してきた著者が、その深い体験を総括。「共存」「共生」を阻む真の障害を明らかにし、なすべきことを直言する。両国の未来のために、祈りを込めて苦言を呈した警世の書。
- 本の長さ216ページ
- 言語日本語
- 出版社亜紀書房
- 発売日1992/1/30
- ISBN-104750591092
- ISBN-13978-4750591094
登録情報
- 出版社 : 亜紀書房 (1992/1/30)
- 発売日 : 1992/1/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 216ページ
- ISBN-10 : 4750591092
- ISBN-13 : 978-4750591094
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2017年2月22日に日本でレビュー済み
かつて真摯に在日朝鮮人の人権運動に取り組んでいた佐藤氏がなぜ正反対の方向に進んでしまったのか、彼自らの言葉で経緯がつづられている。もちろん、運動団体の中に問題はたくさんあるだろうし、北朝鮮への帰国事業は悲劇を生んだ。それへの真摯な反省・批判は必要だと思う。
マイノリティに関わる日本人は、贖罪意識の中に埋もれてしまって自由な批判精神を失ってしまったり、マイノリティを美化・絶対化してしまう傾向がある。
そういう日本人を私もたくさん見てきたし、私もその一人だったかもしれない。
しかし実際に出会う朝鮮人やアイヌは、全員が聖人君子ではないし、むしろ約束を守らなかったり、金に汚かったりする人も、日本人(和人)と同じぐらいに存在する。
佐藤氏は、問題のある朝鮮人の例をあげ、日本人ならばこんなことはしないとか、そう言い切って、在日の人権を否定してしまう。
人間的に問題のある朝鮮人がいるから差別されて当然とか、朝鮮人の人権を認めなくていいということには当然ならない。
人権というのは君子だろうが愚人だろうが認められるべきだからだ。
「朝鮮人にがっかりした」とか「アイヌにがっかりした」というセリフを吐く人がいるが、そもそも相手に人間的完璧さを認めるからそういうセリフが出るのだろう。
相手に過大なものを求めるからそれが裏切られた時に思想が揺らいでしまうのだろう。
マイノリティ美化も間違っているが、マジョリティ美化に走ってしまった佐藤氏の活動人生の後半に哀しみを感じる。
この本に述べられている多くの意見について、私は賛同できないが、リベラルを標榜する人や人権活動に取り組んでいる人こそ、ぜひ古本でいいので読んでほしいと思う。彼が悩んだように「自分の頭」で考えながら読むべきだ。
なぜ良心派だったはずの彼がああなってしまったのか、自分がそうなる危険性はないのか、反差別から、差別容認・日本中心主義者に転向し、結局戻らずのそのままこの世を去ってしまった彼の生きざまから、たくさん考えるべきことがあると思う。
マイノリティに関わる日本人は、贖罪意識の中に埋もれてしまって自由な批判精神を失ってしまったり、マイノリティを美化・絶対化してしまう傾向がある。
そういう日本人を私もたくさん見てきたし、私もその一人だったかもしれない。
しかし実際に出会う朝鮮人やアイヌは、全員が聖人君子ではないし、むしろ約束を守らなかったり、金に汚かったりする人も、日本人(和人)と同じぐらいに存在する。
佐藤氏は、問題のある朝鮮人の例をあげ、日本人ならばこんなことはしないとか、そう言い切って、在日の人権を否定してしまう。
人間的に問題のある朝鮮人がいるから差別されて当然とか、朝鮮人の人権を認めなくていいということには当然ならない。
人権というのは君子だろうが愚人だろうが認められるべきだからだ。
「朝鮮人にがっかりした」とか「アイヌにがっかりした」というセリフを吐く人がいるが、そもそも相手に人間的完璧さを認めるからそういうセリフが出るのだろう。
相手に過大なものを求めるからそれが裏切られた時に思想が揺らいでしまうのだろう。
マイノリティ美化も間違っているが、マジョリティ美化に走ってしまった佐藤氏の活動人生の後半に哀しみを感じる。
この本に述べられている多くの意見について、私は賛同できないが、リベラルを標榜する人や人権活動に取り組んでいる人こそ、ぜひ古本でいいので読んでほしいと思う。彼が悩んだように「自分の頭」で考えながら読むべきだ。
なぜ良心派だったはずの彼がああなってしまったのか、自分がそうなる危険性はないのか、反差別から、差別容認・日本中心主義者に転向し、結局戻らずのそのままこの世を去ってしまった彼の生きざまから、たくさん考えるべきことがあると思う。