読む前はタイトルから軽い青春小説かと思いましたが、想像以上に重さを感じる作品でした。
坂東眞砂子さんの作品にも通じる、高知に土着する独特の鬱蒼としたものと、集団就職をするしかなかった少女が
はちきん気質で自分を成長させていく過程がみずみずしく描かれています。
自費出版でもこれほどの作家がいるのかと感動しました。私ははりまや橋をちっぽけな橋としか思っていませんでしたが、
あの小さな橋を支えに生きている人もいるんだろうなと思い直しました。

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はりまや橋をわたって 単行本 – 2008/8/30
日向 あき
(著)
かつて日本の経済発展を支えた「金の卵」たち。彼らは中学を卒業するとすぐに親元を離れ、都市部の工場に集団で就職した。その旅立ちの時を高知駅前広場でじりじりと過ごしている少女がいた。家族と別れる不安、新しい暮らしへの希望、すべてがないまぜになり、彼女は見送りに来た家族との会話もままならずにうつむいたまま。そして、あまり言葉を交わすこともなく家族との別れを迎えた。新天地へ向かうバスの中で止むことがない「金の卵」たちの泣き声に、思わず抑えていた涙がこぼれる。飲んだくれの父親、家族の家計を内職で支える母、小さな妹や弟たちとも本当に別れてしまったということがやっと現実として身にしみた。泣きながら家族の中での自分を思い出す。「私は家族の輪に入っていない……」。それが、彼女なりに考えた自分の親離れのための理由だった。自立の道を歩み始めた少女の十五歳から十八歳、三年間の心の葛藤を描いた青春小説。
- 本の長さ180ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎ルネッサンス
- 発売日2008/8/30
- ISBN-104779003555
- ISBN-13978-4779003554
商品の説明
著者からのコメント
貧しく弱弱しかった十代。何の取り得もないちっぽけな自分。強くなりたくて、日記に「鉄の意志がほしい」と何度も書いた。小さな一つの部品のような働き方に「働く者をもっと大切にしてほしい」と強く願った。ずしりと重い劣等感におしつぶされてしまいそうだった。長い間、あれこれと迷ったり、何度も何度も立ち止まって悩むことばかりだったが、「人間なのだからーーそういう存在なのだろう」と悩むことを肯定できるようになってから、やっと書くことができました。途中でいきづまったままて゛したから。だけど何と言っても、昭和三十年代に何百万人(推定)もが「集団就職」したことについては、書かれたものはめったになく、何もなかったかのように忘れ去られてしまいそうなので、体験した者としてどうしも書きたかったのです。
著者について
1947年高知県生まれ。集団就職で都市部の工場に勤務した後、様々な職業に就く。その間に通信制高校、大学を卒業し、現在定時制高校教諭。
著者について
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2016年3月6日に日本でレビュー済み
2010年7月14日に日本でレビュー済み
中学校の集団就職を書いた作品を、私は初めて読んだ。
親元を離れて遠く都会へ就職するには、15才という年齢は早すぎる。いろんな家庭の事情を背負って高知駅に集まり旅立つ姿は、涙ぐましい。
そんな光景の中で、主人公の久美は、周りに流されまいとして、自分で選んだ道だということを何度も自分に言い聞かせる。
心の奥底では選ばされたという気持ちもあるだろうに。私は久美にすがすがしささえ感じた。
すがすがしさは、小説全体を読み終えた後も感じた。
身を粉にして働きながら、誇りのある生き方、悔いのない生き方をめざそうと葛藤する久美の姿勢は、15才から18才まで変わらない。
すがすがしさは、そこからきていると思う。その後に手に入れるにちがいない転機を予感させる。
どのように転機をつかんでいくのか、この小説の続きを読みたいと、私は思った。
働くとはどういうことか、この作品は誠実に問いかけてくる。
親元を離れて遠く都会へ就職するには、15才という年齢は早すぎる。いろんな家庭の事情を背負って高知駅に集まり旅立つ姿は、涙ぐましい。
そんな光景の中で、主人公の久美は、周りに流されまいとして、自分で選んだ道だということを何度も自分に言い聞かせる。
心の奥底では選ばされたという気持ちもあるだろうに。私は久美にすがすがしささえ感じた。
すがすがしさは、小説全体を読み終えた後も感じた。
身を粉にして働きながら、誇りのある生き方、悔いのない生き方をめざそうと葛藤する久美の姿勢は、15才から18才まで変わらない。
すがすがしさは、そこからきていると思う。その後に手に入れるにちがいない転機を予感させる。
どのように転機をつかんでいくのか、この小説の続きを読みたいと、私は思った。
働くとはどういうことか、この作品は誠実に問いかけてくる。
2010年6月18日に日本でレビュー済み
春三月、十五歳の少女が集団就職列車に乗り込む。高知から都会へと出発するためだ。そんな朝からはじまる。……働くということについて、いろいろと考えてしまいます。昭和の高度成長期だというのに、経済的な豊かさは何一つ感じることができないまま、心に葛藤を抱えながらも、もくもくと二交代制の工場で働く悲哀がしみじみと感じられます。そういう点では、平成の現代も同じなのかも。いやいや、正社員としてなかなか採用してくれない現代の方がもっとひどいのかも…。「働く人をもっとたいせつにしてほしい。思いやってもらいたい」という思いは、どの時代でもずっと同じなのだろうか。