キリシタン宣教師が九州に上陸した当時、日本の寺院や僧侶たちは好奇の目で彼等を向かえ、決して迫害することなく共存し、多くの質問をしている。
にもかかわらず、峯阿乗をはじめ、多くの僧侶がキリシタンに殺害され、寺院が放火、破却されている。なぜ、自分たちに危害を加えることなく、
共存していた僧侶たちや寺院を殲滅するよう宣教師たちは信徒に命令したのか、私は長年疑問に思っていました。
しかし、43ページ「禅僧の反論」を読んで、ようやくその意味が分かりました。
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宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ) Kindle版
戦国日本人の「見えない宗教性」を解明。なぜキリスト教は拒否されたのか。一向一揆は宗教一揆だったのか。宣教師も驚いた戦国日本人の高度な精神性。その「ゆるやかな宗教性」のバックボーンとしての「天道」思想をキーワードに、一向一揆、キリシタン論争から島原の乱まで、日本人の心性に新たな光を投げかける。(講談社選書メチエ)
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2010/2/10
- ファイルサイズ1459 KB
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登録情報
- ASIN : B00E3MZYLQ
- 出版社 : 講談社 (2010/2/10)
- 発売日 : 2010/2/10
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1459 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 268ページ
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- - 450位講談社選書メチエ
- - 1,164位宗教入門 (Kindleストア)
- - 1,673位宗教入門 (本)
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2017年1月9日に日本でレビュー済み
レポート
Amazonで購入
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2017年6月10日に日本でレビュー済み
戦国時代物ファンで本を読みあさっていましたが、最近の応仁の乱ブームで時代を少し遡って、さらに幅を広げるつもりで呼んでみました。
素人には難しい内容でした。(T_T)
素人には難しい内容でした。(T_T)
2021年11月20日に日本でレビュー済み
タイトルでは内容がイメージしづらい本でもあるが、本書のテーマの半分は「戦国期におけるキリスト教」である。
ちなみにもう半分は一向一揆や本願寺、そして戦国武将や庶民の宗教認識で、これらの枠の中においてキリスト教は如何に受け入れられ、そしてなぜ反対されたか、が記されている。
まず最初に、日本に来た宣教師たちが、思ったよりも自分たちの宗教や統治体系と近い宗教や統治体系を日本人が持っていることに驚いたという記述が紹介される。将軍は皇帝(特に形式のみの神聖ローマ帝国皇帝)、天皇を教皇になぞらえる記述がみられる。
民衆においては、在来の宗教はそもそも神道と仏教、仏教内の様々な宗派は互いに相対立するものではなく、いろいろな形をとりながらも正しき行いをしていれば最終的に一つの救済につながるという考え方をしていた。これは「天道」という形で説明されている(お天道様(おてんとさま)は今の我々のも親しみがあろう)。「天道」は、武士にとってはそれが勝ち負けを決めるような重要なものだと認識されており、家臣たちも天道のあるもの(忠義などの行いが正しいもの)についていこうとした。ある意味一神教的だが、同時に様々な宗派理解を包摂する多元的なものでもあった。
本地垂迹を経ている日本では、こうした思考は受け入れやすいものである。その中ではキリスト教もまた「本質的には仏教などと同じものの新しい形態」のように捉えられたという。宣教師の側からは、これは「悪魔の偽造(異教でありながら、外面的にキリスト教徒同じに見せられたまやかし)」と映った。
もちろん双方の教義は異なるのであり、宣教師たちは僧侶から一般民衆までを相手に手ごわい論争をしなければならなかった。
筆者は、一向一揆や本願寺の石山合戦などについても通常と異なる見方を提起する。
まず、当時の基本的な仏教の思想は「外面は世俗道徳・世俗権力に従い、内面は仏法に従う」というものであり、世俗権力への服従をむしろ呼び掛けている(「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」やルターの思想に近い)。宗派間対立も通常は行われず、例えば比叡山と本願寺の間の戦いなども、教義の問題というよりは政治権力の絡んだ私闘だとされている。例外としては、文明六年の加賀一向一揆などがあり、信仰までもが守護によって侵害された場合には、百姓は立ち上がってよいと蓮如は呼びかけている(長享二年の加賀一向一揆は、蓮如は関わろうとせず、本質は政治闘争と筆者は見ている)。
石山合戦も、もともと反信長の浅井・朝倉と連携しており、その延長で理解されるべきものであり、信長は天道に対しても通常の信仰心を持っており、宗教弾圧というよりも反対者に寛容な姿勢も示しているという。
秀吉、家康の頃には宣教師追放やキリスト教の禁教が起き、島原の乱などの反乱も起きるが、筆者はこれについても新たな見方を提起する。
こうした対立の背景には、キリスト教徒への改宗者やキリシタン大名による仏教や寺への過剰な攻撃、強制的な改宗などがあり、これまで存在していた「天道」の下に一つにまとまるありかたにそぐわない状況が出現していたことが挙げられる。
実際、伴天連追放などにおいても、問題とされるのは教義ではなく、僧侶や寺社を攻撃することであった。
島原の乱についても、代官へ押しかけた際に年貢減免ではなく改宗を要求していたり、一揆勢は寺社の破壊を行ったり田能村で強制的なキリスト教への改宗を行っていたりと、単純な圧政への反対というよりも宗教的な側面が強いという。一揆勢内部の動き方は、千年王国信仰、終末の日が近づいたという理解に近いものがあると指摘されている。
日本のよく言えば包摂的、悪く言えば曖昧な「天道」を軸にした多元的な宗教の在り方、そしてそれとキリスト教との鋭い対立を描き出していて、固定的なイメージを覆していてなかなか面白い。
戦国~江戸期のキリスト教布教と日本側の対応については、 キリシタンの世紀 ザビエル渡日から「鎖国」まで や 戦国日本と大航海時代 - 秀吉・家康・政宗の外交戦略 などでは宣教師の布教を利用した植民地化との関係が議論されており、本書と相補的な位置づけといえよう。興味がある人はこうした本も見てみると面白いだろう。
ちなみにもう半分は一向一揆や本願寺、そして戦国武将や庶民の宗教認識で、これらの枠の中においてキリスト教は如何に受け入れられ、そしてなぜ反対されたか、が記されている。
まず最初に、日本に来た宣教師たちが、思ったよりも自分たちの宗教や統治体系と近い宗教や統治体系を日本人が持っていることに驚いたという記述が紹介される。将軍は皇帝(特に形式のみの神聖ローマ帝国皇帝)、天皇を教皇になぞらえる記述がみられる。
民衆においては、在来の宗教はそもそも神道と仏教、仏教内の様々な宗派は互いに相対立するものではなく、いろいろな形をとりながらも正しき行いをしていれば最終的に一つの救済につながるという考え方をしていた。これは「天道」という形で説明されている(お天道様(おてんとさま)は今の我々のも親しみがあろう)。「天道」は、武士にとってはそれが勝ち負けを決めるような重要なものだと認識されており、家臣たちも天道のあるもの(忠義などの行いが正しいもの)についていこうとした。ある意味一神教的だが、同時に様々な宗派理解を包摂する多元的なものでもあった。
本地垂迹を経ている日本では、こうした思考は受け入れやすいものである。その中ではキリスト教もまた「本質的には仏教などと同じものの新しい形態」のように捉えられたという。宣教師の側からは、これは「悪魔の偽造(異教でありながら、外面的にキリスト教徒同じに見せられたまやかし)」と映った。
もちろん双方の教義は異なるのであり、宣教師たちは僧侶から一般民衆までを相手に手ごわい論争をしなければならなかった。
筆者は、一向一揆や本願寺の石山合戦などについても通常と異なる見方を提起する。
まず、当時の基本的な仏教の思想は「外面は世俗道徳・世俗権力に従い、内面は仏法に従う」というものであり、世俗権力への服従をむしろ呼び掛けている(「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」やルターの思想に近い)。宗派間対立も通常は行われず、例えば比叡山と本願寺の間の戦いなども、教義の問題というよりは政治権力の絡んだ私闘だとされている。例外としては、文明六年の加賀一向一揆などがあり、信仰までもが守護によって侵害された場合には、百姓は立ち上がってよいと蓮如は呼びかけている(長享二年の加賀一向一揆は、蓮如は関わろうとせず、本質は政治闘争と筆者は見ている)。
石山合戦も、もともと反信長の浅井・朝倉と連携しており、その延長で理解されるべきものであり、信長は天道に対しても通常の信仰心を持っており、宗教弾圧というよりも反対者に寛容な姿勢も示しているという。
秀吉、家康の頃には宣教師追放やキリスト教の禁教が起き、島原の乱などの反乱も起きるが、筆者はこれについても新たな見方を提起する。
こうした対立の背景には、キリスト教徒への改宗者やキリシタン大名による仏教や寺への過剰な攻撃、強制的な改宗などがあり、これまで存在していた「天道」の下に一つにまとまるありかたにそぐわない状況が出現していたことが挙げられる。
実際、伴天連追放などにおいても、問題とされるのは教義ではなく、僧侶や寺社を攻撃することであった。
島原の乱についても、代官へ押しかけた際に年貢減免ではなく改宗を要求していたり、一揆勢は寺社の破壊を行ったり田能村で強制的なキリスト教への改宗を行っていたりと、単純な圧政への反対というよりも宗教的な側面が強いという。一揆勢内部の動き方は、千年王国信仰、終末の日が近づいたという理解に近いものがあると指摘されている。
日本のよく言えば包摂的、悪く言えば曖昧な「天道」を軸にした多元的な宗教の在り方、そしてそれとキリスト教との鋭い対立を描き出していて、固定的なイメージを覆していてなかなか面白い。
戦国~江戸期のキリスト教布教と日本側の対応については、 キリシタンの世紀 ザビエル渡日から「鎖国」まで や 戦国日本と大航海時代 - 秀吉・家康・政宗の外交戦略 などでは宣教師の布教を利用した植民地化との関係が議論されており、本書と相補的な位置づけといえよう。興味がある人はこうした本も見てみると面白いだろう。
2015年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦国時代は、神仏は「天道」という思想によりくくられていた。
どの宗派も基本的には同じものとして考えられていた。
キリスト教も同じものとして受け入れられると日本人は考えたが、宣教師はそれを許さずキリスト教以外には救いはないと伝道した。
そのようにキリスト教のみが排他的な宗教であったゆえに、危険視された。
島原の乱は宗教色は薄かったと最近では言われているが、筆者は主目的は信仰に立ち返ったキリスト教徒による宗教的なものだったと述べている。
信長も実は仏教に特別厳しかったわけではないと、ふつう言われていることとは違った見方をしていて興味深く読んだ。
どの宗派も基本的には同じものとして考えられていた。
キリスト教も同じものとして受け入れられると日本人は考えたが、宣教師はそれを許さずキリスト教以外には救いはないと伝道した。
そのようにキリスト教のみが排他的な宗教であったゆえに、危険視された。
島原の乱は宗教色は薄かったと最近では言われているが、筆者は主目的は信仰に立ち返ったキリスト教徒による宗教的なものだったと述べている。
信長も実は仏教に特別厳しかったわけではないと、ふつう言われていることとは違った見方をしていて興味深く読んだ。
2010年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦国時代の宗教のあり方を再検討した本。いわゆる目から鱗の連続であった。著者自身によるものも含む最新の研究成果を踏まえた上で、その要所を明解に説き、同時期の宗教事情の真実を一望させてくれる非常に痛快な作品である。
戦乱の時代、日本には大名から庶民、インテリ禅僧から真宗門徒にまでゆるやかに共有されている「日本教」が存在した。それは、人間の運命を司る超越的な摂理、すなわち「天道」に対する誠実さを内心に磨きつつ、この摂理の見えない働きでもある神仏を分け隔てなく等しく尊崇していくという信仰形式であった。日本を訪れた宣教師たちはこの「天道」の発想に唯一神デウスへの帰依心と近似した感性を見出し、蓮如は全神仏帰一の思想を阿弥陀仏がすべての神仏の存在を代替するという思想に読み替え、戦国大名は諸宗派の横並び的な共存による世俗道徳の安泰を期待した。庶民の多くもまたオーラルに噛み砕かれた説法の聴聞をとおして、同質の発想を受容していたからこそ、この「天道」をめぐる思考はいわばひとつの「市民宗教」として、近世社会の形成を下支えしたのであった。
かかる観点から見直されるのが、例えば「一向一揆」であり、これは発生していた当時は真宗勢力の政治行動の一種と考えるのが妥当で、真宗の独立的な信仰世界への希求がこれをなした、とするのは江戸時代に創作された神話だという。あるいは、織田信長を苛烈な宗教弾圧者とみなす見解があるが、これも眉唾もので、すべての神仏の帰一と諸宗派のバランスよい共存を理想とした戦国人のひとりであった信長もまた、武力の制圧には積極的でも信仰の抑圧には消極的であったし、宗派間の無駄な争いである宗論を禁じたりと、意外にも穏当な人であったことが示唆される。
こうした状況下、だが日本宗教に対し「異教徒」の烙印を押しその改宗に切り込んできたのが、キリスト教であった。この新宗教はやがて勢力を拡大することによって、世間の目の敵とされるようになった。著名な「島原の乱」では、その先鋭化した信仰に基づいて、寺社の破壊や僧侶の殺害という「異教徒」撲滅の運動を展開したのであって、これは統治者への憤りが武装蜂起につながったという通説などでは説明できない、まさに宗教戦争であった。「一向一揆」との相違が際立つところだ。
「国民」の間でゆるやかに共有される「天道」信仰と、その価値を逆説的に再認識させることにつながった、空気を読まないキリスト教。このダイナミズムのなか、近世の宗教社会が、あるいは著者はそこまでは明言していないが、近代日本の「宗教」の構成が出来上がっていったのではないか。本書が与えてくれる知的刺激は並みではない。
戦乱の時代、日本には大名から庶民、インテリ禅僧から真宗門徒にまでゆるやかに共有されている「日本教」が存在した。それは、人間の運命を司る超越的な摂理、すなわち「天道」に対する誠実さを内心に磨きつつ、この摂理の見えない働きでもある神仏を分け隔てなく等しく尊崇していくという信仰形式であった。日本を訪れた宣教師たちはこの「天道」の発想に唯一神デウスへの帰依心と近似した感性を見出し、蓮如は全神仏帰一の思想を阿弥陀仏がすべての神仏の存在を代替するという思想に読み替え、戦国大名は諸宗派の横並び的な共存による世俗道徳の安泰を期待した。庶民の多くもまたオーラルに噛み砕かれた説法の聴聞をとおして、同質の発想を受容していたからこそ、この「天道」をめぐる思考はいわばひとつの「市民宗教」として、近世社会の形成を下支えしたのであった。
かかる観点から見直されるのが、例えば「一向一揆」であり、これは発生していた当時は真宗勢力の政治行動の一種と考えるのが妥当で、真宗の独立的な信仰世界への希求がこれをなした、とするのは江戸時代に創作された神話だという。あるいは、織田信長を苛烈な宗教弾圧者とみなす見解があるが、これも眉唾もので、すべての神仏の帰一と諸宗派のバランスよい共存を理想とした戦国人のひとりであった信長もまた、武力の制圧には積極的でも信仰の抑圧には消極的であったし、宗派間の無駄な争いである宗論を禁じたりと、意外にも穏当な人であったことが示唆される。
こうした状況下、だが日本宗教に対し「異教徒」の烙印を押しその改宗に切り込んできたのが、キリスト教であった。この新宗教はやがて勢力を拡大することによって、世間の目の敵とされるようになった。著名な「島原の乱」では、その先鋭化した信仰に基づいて、寺社の破壊や僧侶の殺害という「異教徒」撲滅の運動を展開したのであって、これは統治者への憤りが武装蜂起につながったという通説などでは説明できない、まさに宗教戦争であった。「一向一揆」との相違が際立つところだ。
「国民」の間でゆるやかに共有される「天道」信仰と、その価値を逆説的に再認識させることにつながった、空気を読まないキリスト教。このダイナミズムのなか、近世の宗教社会が、あるいは著者はそこまでは明言していないが、近代日本の「宗教」の構成が出来上がっていったのではないか。本書が与えてくれる知的刺激は並みではない。
2011年1月30日に日本でレビュー済み
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戦国武将たちは古来神道、仏教とどう付き合ってきたかは興味のあるテーマであってその生き様に強い影を見ることが出来るが、渡来してきたキリスト教と同付き合ってきたかはよく知らなかった。島原の乱はあまりにも有名だが、現地の観光説明で理解し難かった点がよくわかって興味を引いた。
2010年9月11日に日本でレビュー済み
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当時日本にいた外国人宣教師が本国に送った報告書が残っていることは知っていたしルイス・フロイスの文庫化されてるものは読んだこともあるが、これら宣教師たちが日本の宗教をキリスト教に似ていると感じていたことは驚き。
つまりはキリスト教の神に変わって日本では「天道」に反することを恐れていたらしい。現代でも通じる「おてんとさまが見ている」という考えを当時の日本人が大事にしていた、ということはすごく興味深い。またその「天道」があるがゆえに諸諸の仏教は突き詰めれば同じことと捉えていたというのも面白い。
つまりはキリスト教の神に変わって日本では「天道」に反することを恐れていたらしい。現代でも通じる「おてんとさまが見ている」という考えを当時の日本人が大事にしていた、ということはすごく興味深い。またその「天道」があるがゆえに諸諸の仏教は突き詰めれば同じことと捉えていたというのも面白い。