シューマン : ピアノ協奏曲 | プロコフィエフ : 「ロメオとジュリエット」組曲 第2番 Op.64より (Schumann : Piano Concerto | Prokofiev : ''Romeo and Juliet'' / Martha Argerich | Sergiu Celibidache | Orchestre National de l'ORTF)
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商品の説明
内容紹介
予想以上の素晴らしさ。 アルゲリッチとチェリビダッケ、空前絶後の共演が日の目を見た。
[商品番号: ALT-300] [ADD] [STEREO] [Live Recording] [ALTUS]
シューマン: ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54
プロコフィエフ: 「ロメオとジュリエット」組曲 第2番 Op.64より モンタギュー家とキャピュレット家/ 少女ジュリエット/ 別れの前のロメオとジュリエット/ アンティーユ諸島から来た娘たちの踊り/ ジュリエットの墓の前のロメオ/ タイボルトの死
マルタ・アルゲリッチ (Pf)
セルジュ・チェリビダッケ (指揮)
フランス国立放送管弦楽団
録音: 1974年5月29日/ シャンゼリゼ劇場 (ライヴ)
これは凄いリリース。アルゲリッチとチェリビダッケ伝説のシューマンのピアノ協奏曲が日の目を見ました。どちらのリリースでも大ニュースとなる大物の奇想天外な共演が、マスターテープからの復刻なので、冷静でいることが不可能と申せましょう。
シューマンの協奏曲はアルゲリッチの十八番で、1952年のブエノスアイレスでのライヴから、2010年のアルミンク&新日本フィルのライヴまで10種類以上のディスクが存在しますが、この演奏はそのなかでも飛びぬけて凄い出来となっています。
当時アルゲリッチは33歳、出だしのカデンツァから魔術全開で、ライヴで乗った時特有の音楽への没入ぶりに驚かされます。ことに第1楽章半ばの「アンダンテ・エスプレッシーヴォ」でのねっとりとした音色の歌い回しは、アルゲリッチにしかできない神業。ピアノとオーケストラが穏やかに対話する第2楽章は、瞑想的なチェリビダッケと感覚的なアルゲリッチの個性の違いが面白さ満点。さらに驚くほどの生気に満ちたフィナーレなど、あまりの素晴らしさに声を失うほど。ライヴで燃える彼女の良さが最高度に発揮されていますが、おそらくチェリビダッケの要求からか、通常よりかなり抑制が利き、それがかえって多彩なニュアンスを生む結果となっています。
チェリビダッケによるオーケストラ・パートも、驚きのひと言につきます。シューマンのオーケストラ・パートがこれほど透明に聴こえるのは稀で、さらに第3楽章の変拍子的な難所をはじめアルゲリッチにピッタリ付けて、完璧主義者の面目躍如たる指揮ぶり。あくまでもアルゲリッチを主役に立てつつも、しっかりと充実したチェリ節を味わわせてくれます。
プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」はチェリビダッケお得意の演目。オーケストラの機能を追求した非センチメンタルな音楽はまさに彼向きですが、「ジュリエットの墓の前のロメオ」の凄みに満ちた慟哭、「タイボルトの死」の死の匂いのする疾走など、同バレエ音楽屈指の名演と呼ぶにふさわしい内容となっています。
アーティストについて
マルタ・アルゲリッチ (Pf)
セルジュ・チェリビダッケ (指揮)
フランス国立放送管弦楽団
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 14.2 x 12.4 x 1 cm; 40 g
- メーカー : ALTUS
- EAN : 4543638003006
- レーベル : ALTUS
- ASIN : B00N1MGBGG
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 203,722位ミュージック (ミュージックの売れ筋ランキングを見る)
- - 2,267位現代音楽
- - 10,667位交響曲・管弦楽曲・協奏曲
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
意識するのではないだろうか。この盤は「仮面」が抜けているだけで後は曲順も全く同じなのだから。
当盤はとにかく音が良い。非常に明瞭で分離も良好。74年のしかもライブ音源と考えると、これ以上望むのはもはや無謀と
断言出来る程に音が素晴らしい。シュトゥットガルト響盤は、海賊盤はもちろん、グラモフォンから出ている正規盤(ロシアンセットの
おまけCD収録の3曲「少女ジュリエット」「タイボルトの死」「ジュリエットの墓の前のロメオ」)音源よりも格段に音が良い。
両盤を知る人はあまりの音の良さに「おおおお!」と声を発するのではないかと思ったりもする。
音が良過ぎて、様々な観客の十人十色な咳払いの微妙なニュアンスの違いさえもクリアに聴き取れてしまう。
オホン!みたいな咳払いだけでなく、極力咳を立てないように「ウンウン」とひそかに発するそれさえも明確に捉えてしまっていて凄い。
演奏内容比較で印象的なのは、当盤はどの曲もグラモフォン盤に比べて演奏時間が短い事。上記正規盤3曲の比較だけでも、
「タイボルトの死」で約30秒、「少女ジュリエット」で約45秒、「ジュリエットの墓の前のロメオ」では約40秒・・・6年半の間にこうも
変わる物なのかと正直驚く。(ちなみに他の曲も全て当盤は短い)
だから、という訳では無いだろうけど音のクリアさも手伝って演奏が若干軽快に感じられる。特に「タイボルトの死」の鬼気迫る終盤は
テンポが早目なのと弦を排除しているせいで拍子抜けなくらいアッサリしている。上記の正規盤や海賊盤を知る人は、残酷なまでの
凄絶さに欠けると感じると思う。盤のラストを飾る曲だけにそこは正直気になった。また「少女ジュリエット」の(当盤3分55秒過ぎの部分)
夢見るような幻想的な、後の悲運をも予感させる儚さも当盤では特に描く事なく通り過ぎている。
でも特に気になったのはこの部分くらいで、音が良い分、トータルでは当盤に圧倒的に分があるし、それにドラマの壮絶さ悲惨さの
片鱗は十分過ぎるほどにこの盤は感じさせてくれた。ていうか、つまり一般的には当盤も十分過ぎるほど重い演奏だと思う・・・
面白い事に2回目を聴いているとシュトゥットガルト響との違いは全く気にならず楽しめている自分に気がついた。
数十秒程度の差ではチェリの描き出す音楽の本質は微動だにしないという事なのかも知れない。
SDRとの実況録音テープ、SDRのグラモフォンの音質改悪されたCDしか持っておらず
録音がよいとの触れ込みで購入した。チェリビダッケのブルックナーはMPOの86年から90年前
が最高で後のEMI盤は弛緩しきった演奏でALTUSの日本公演盤を愛聴している。
話を戻すとこのCDは演奏、音質も良好である。チェリビダッケの子息の小遣いになるかと
おもうと癪だが、粗製乱造せずにこのような演奏をCD化してほしい。
もちろん公演できく生演奏の弱音から最強音にいたるダイナミクスはよいステレオで聴いているが
マイクに入らないが、チェリビダッケの凄みは十分伝わる。許光俊先生の解説は一読の価値あり
一方、プロコフィエフの「ロメオとジュリット」は、チェリのお得意とあって録音が冴えないが、結構楽しめる。これだけは拾い物の録音であると言える。
アルゲリッチとチェリビダッケの特徴を良く知しっている収集癖のあるかたか、あるいは音楽家の方々のためのCDでしょう。初めてシューマンのピアノ協奏曲を聴こうという方は他を聴いてから、なおかつ玄人はだしの収集家のところで聞かせていただいてから購入をお考えになることをおすすめします。玄人はだしの収集家は購入してしまうでしょう。
私の購入動機のもう一つは、カスタマー・レビューにあった録音の良さでしたが、ADDなのでテープ・ヒスが聞えるのは仕方がないとして、低音域の方向感があまりありません。シャンゼリゼ劇場では幾度か演奏会を聴きましたが、マイクロフォン・セッティングが記憶にありません。二つのメインマイクの距離が狭いAB方式か、XY式のセッティングになっているかもしれません。テープヒスを低減させるための処理が影響しているためか高域の分解能がそこそこで、オーケストラの音は詳細が聴こえず、ステレオ感をあまり感じません。他方ピアノの音量は充分なのですがボケていて臨場感が不足しています。鍵盤のキーアクションの音を拾っていて気になる部分があります。L/Rのリサージュ波形をみると、モノラルではないのですが、左右はかなり類似しています。ステレオ感を出し過ぎて中抜けにならないような、慎重なマイクセッティングになっていたのかもしれません。
何とも妙な組み合わせである。方や、ストイックなほどに理詰めで音楽を組み立てる指揮者。方や、感覚的で、やりたい放題弾き飛ばすことも厭わないピアニスト。これでは余りにも芸風が違うではないか。
一方、聴く前から、チェリビダッケが主導権を握るであろうという予想もしていた。というのも、ジャクリーヌ・デュ=プレをソリストにしてのドヴォルザークのチェロ協奏曲から類推できる。彼女の感情移入の激しさは、エルガーの名盤でもつとに知られている。当然、チェリビダッケとは指向が違う。しかし、そこはチェリビダッケだ。小娘を泳がせておいて、実はきっちり手中に収めてしまう。そういう傾向が、このアルゲリッチ盤でも見られるのではないかと予想したのだ。
だが、アルゲリッチはそう簡単に手懐けられる相手ではない。頑丈な檻の中ではしゃぎ回る動物園の珍獣のように、限られた制約の中でも自由度を発揮しようとするのだ。
特に、ピアノの見せ場になるような時は、ここぞとばかりに自己主張しようとする。テンポを落とし、情感たっぷりに弾こうとする。それを、チェリビダッケが「過度な感情移入は止め給え」と言わんばかりに手綱を引く。また、彼は、時折盛り上げて追従するように見せ掛けて、そのくせ恐ろしいほど精緻な伴奏で応戦する。こういう丁々発止のやり取りが、協奏曲の面白さでもある。
カップリングはプロコフィエフの《ロミオとジュリエット》である。片やドイツ・ロマン派の本流、片やロシアのモダニズムの権化という、これまた異色の組み合わせである。
ロミオとジュリエットは、言わずと知れたシェイクスピアの戯曲である。シェイクスピアに魅せられた作曲家は数知れず、多くの名曲が生まれた。《ロミオとジュリエット》だけをみても、ベルリオーズやチャイコフスキー、そしてここに聴くプロコフィエフなどが曲を作っている。
プロコフィエフはバレエ用の全曲版の他に、演奏会用に三曲組曲版を残している。だが、チェリビダッケの演奏はそのいずれにも属さない。「ジュリエットの墓の前のロミオ」という、物語の終盤に流れる曲の後に、劇の中盤に流れるはずの「ティボルトの死」を演奏している。つまり、ストーリーの流れを完全に無視した曲の配置なのだ。
では何故、このような曲順にしたのか。思うに、バレエという、純然たる音楽とは別の要素が介在することを、チェリビダッケは好まなかったのだろう。現にチェリビダッケは、オペラやバレエといった舞台作品には一切手を染めなかった。チェリビダッケはまさに、音楽だけで勝負したかったのだ。
そこで彼は、ストーリー云々の枠組みを一度解体し、緩急に富んだ配置に並び替えたのである。両端をアレグロにし、中間に緩徐楽章や舞曲を挟み入れる。こうすることで、あたかも一遍の交響曲のような組曲へと再構築しているのだ。
勿論、それによってドラマティックさが損なわれることはない。原作のストーリーとは別角度から起承転結を作り出す。CMでも有名な「モンタギュー家とキャピュレット家」に始まり「ティボルトの死」で終わる、若き少年少女の恋物語とは別の、アイロニカルな悲劇としてのドラマ。それをチェリビダッケは、まるで交響曲のように聴かせてしまうのだ。
音楽における構成を何よりも重視した、チェリビダッケの面目躍如と言えよう。
音質は、シューマンの協奏曲ではピアノにスポットを当てており、オケが若干弱い感じもするが、その分、アルゲリッチの繊細な表現がよく分かる。対する《ロミオとジュリエット》では、同時期に録音されたシュトゥットガルト盤よりも格段に明瞭である。年代やライヴであることを考慮すると、かなり優秀な音質といえよう。
演奏、録音、共にお勧めの一枚だ。
これは完全に失敗作。アルゲリッチのシューマン協奏曲はどれも暴れ狂っているが、チェリを指揮台においてさすがにそれは無理。だがこのピアニストは、この協奏曲ではつねに直感と即興性だけで勝負するので、大胆な加速、減速をしたいのに指揮者の曲運びでガマンし、こらえているのがよくわかる。
チェリもソリストの出番を完全に奪うのは気が引けたか、いつもに似合わずテンポを按配してはピアノを立てている。ソロとピアノがそれぞれ譲り合っているが、はからずも楽曲はある調和を保ち、造形もきっちりとしている。アルゲリッチはこの曲をつねに崩壊に導いたが、この協演では何とか品位を保っている感じ。
ただ、そういう工夫は結局、ピアノと指揮者の本領と結びつかず、「結局何が言いたいの?」とツッコミを入れたくなる。演奏はまずまずまとまっているが、だからといって評価はできない。某批評家がアルゲリッチを「生まれながらの天才」とか書いていたが、私はそこまで持ち上げる気にはならない。チェリもこの録音が後世CD化され、繰り返し聴かれることなど決して望んでいなかっただろう。
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What a rate and extraordinary combination !

Un très beau CD.